012:悪夢の始まり
秀昌たちと雪庭は互いに向き合い睨み合ってるわけでは無いが、その間に流れている空気感は尋常じゃない。
一般人が、ここに居れば脂汗をかいてしまうだろう。
そんな感じでシーンッという音が聞こえてくるような静寂が流れており、先に口を開いたのは雪庭の方だった。
「全く寒くなって来ましたなぁ。こう寒い日が続くと、体調管理が難しくなる……そうは思いませんか?」
「えぇ全くです。寒くて喜ぶのは犬と、うちの秀蘭くらいですよ」
「ち 父上!? どうしてそんな事を……」
「はははは!!! 親子で仲が宜しいようで、全く羨ましい限りです。それで今回なんですが、秀一郎殿についての事で、うちの祥鳳から言われて参りました」
最近はめっきり寒くなったという、たわいも無い世間話から自然な流れで本題へと入っていく。
秀昌も作り笑いをしていたが、本題に入ったところで真顔になって「よろしく頼みます」と姿勢を整える。後ろで控えている秀蘭たちも聞く準備を整えた。
ここからが駆け引きのしどころである。
「我々は秀一郎殿に、手を出すつもりはございません。場合によっては秀一郎殿を、お返しする考えもあります」
「誠にございますか? して条件というのは、一体どのようなものでしょうか?」
「祥鳳から仰せつかっているのは、秀一郎殿と広龍殿の人質交換を、との事でした。そしてもう1つありまして、東愛河を割譲していただきたい」
「広龍をお渡しするのは可能な事ですが、東愛河の割譲に関しては、私の独断で決められる事では……国主・良元さまの意見を聞かなければ答えられませぬ」
「それは至極当然でございましょう。良元殿のご意見を仰いでからで構いませぬ」
秀昌も駿静が要求して来るモノを予想していた。その証拠として領地の割譲を要求された時も驚く事なく、国主である良元に掛け合ってみると言うのだ。
「しかしただ割譲を掛け合っても良い答えが返って来ないかもしれません。ならば割譲すると共に、不可侵条約を我らと結んで欲しいのです!」
「まぁ確かにそれくらいしなければ対等とは言えぬでしょう。割譲して貰えれば、こちらからの攻撃はしないと約束いたしましょう」
「ありがとうございます! それでは良元さまに、この話をお伝えして参ります。お返事が来るまで、ごゆるりとお寛ぎ下さい!」
秀昌は深々と頭を下げてから部屋を後にする。
良元がいる日吉城に向かう為、外に出ようとしている中で、秀蘭は早歩きで秀昌の横に並走した。これは今の話し合いで、秀蘭に引っかかるところがあったからだ。
「父上、アレは本気で仰ってるんですか?」
「何がだ?」
「何がって……割譲の件ですよ! 広龍を人質に出すのは理解できなくは無い。しかし割譲まではありえない!」
広龍を人質交換で渡すのは理解できる。
しかし秀蘭にとって、領地の割譲というのは何があってもあり得ないと指摘するのだ。
これを聞いた秀昌は「ならば!」とピタッと止まる。
「アレ以外の答えが存在したか? 現在の愛河では、駿静と戦うだけの余力は残っていない! 不可侵条約を結ぶと言っているのだ、それで良しとするべきであろう」
「そんなのは、ただの延命治療に過ぎませぬ! 根本的な解決になっておらぬではありませんか!」
「何度も言わせるな……ならば! どうすれば良かったと言うのだ! お前と話していたら、頭が痛くなる………良元さまのところには、ワシと秀斗で行って来る。お前は上前津城に帰れ」
あまりにも秀蘭が反対するので、このままでは作って来た話が壊れてしまうと秀昌は考えた。
これから良元のところに向かうが、秀蘭には帰って貰う事にしたのである。そして秀昌と秀斗だけで、この話をしに行くと沙汰が出される事となった。
そのまま秀昌は秀蘭を置いて歩いて行ってしまう。
この行為に秀蘭は歯を食いしばり、強く拳を握って悔しがっている様子が目に見える。
一方でそんな事になっているとは知らない吉丸は、上前津城で薪割りを行なっていた。最近になって薪割りは、体の箇所を意識する事で鍛えられると気がつく。
これはかなりやりがいがあると吉丸は感じて、満面の笑みを浮かべている。
すると正門の方から「秀蘭さま、ご帰還っ!」という声が聞こえて来た。随分と早いご帰還だと吉丸が思っていると、その秀蘭の足音が普段よりも荒々しかった。
それに気がついた瞬間、薪割り用の斧をポイッと捨てて台所へと走って向かう。
「ん? 吉丸殿、どうかしたのか?」
「いや、お水を貰えないかと思いまして」
「水か? ほれ」
台所にいる台所番に、水が欲しいと頼んだ。
桶からスッと飲み水を掬ってから、コップに注いで吉丸に渡した。手に取った吉丸は「かたじけない!」と言ってから、走って台所を後にした。
そのまま迷う事なく、真っ直ぐ秀蘭の部屋に向かう。
部屋の前には見張りや身の回りのお世話をする侍従が座っており、その人に「お水を持って参りました!」と伝えると、侍従は「しばし待たれよ」と言う。コップを手に取り、手に少し垂らしてからペロッと舐めた。毒味だ。
毒が入っていないのを確認してから侍従は、中にいる秀蘭に「失礼致します!」と言ってから扉を開けた。
「何用だ? 気が立っている故、要件ならば後にしろ」
「召使、吉丸からお水との事です! 必要でしょうか?」
「吉丸が? 持って来い」
既に吉丸は部屋の前から立ち去っているので、侍従が秀蘭のところまでお水を持っていく。
コップを雑に取った秀蘭は、一気飲みして「プハァ!」と声に出してコップを地面に投げ捨てた。
「父上は駿静を甘く見すぎている! もう先が長く無いからと、今を事なかれ主義で通そうとしておられるのか……全くもって信じられん!」
「若君、そこまでにしておいた方が良いのでは? どこで誰が聞いているかは分かりませぬゆえ」
「どこで何を言ったところで、俺は変わらないわ! 父上の前でも言えるわ!」
あまりにもふざけた判断だと秀蘭は怒り散らしており、諌めてくれた侍従の人間に当たるくらいに怒っている。
しかし秀蘭の思いや怒りも虚しく、その日から2日後に国主・良元は交換条件を飲んだ。
それにより秀一郎と広龍の人質交換が行なわれる。
そしてそれに合わせて東愛河を割譲する代わりに、駿静との間に不可侵条約を締結する運びとなった。
この決断を下したのは、名目上は国主・良元という事になってはいるが、実際に決断を下したのは重臣・仙道 英明……では無かった。
良元を傀儡としていた英明もまた重臣・坂間 俊膳の傀儡となっていた。
「俊膳、本当にコレで良かったのか? 東愛河を失って、愛河の国土が半分になってしまったぞ?」
「心配ありませんよ。このまま駿静を放置していたら、愛河に攻め込んで来ていたかもしれませぬ。ここで駿静と手を組めたのは大きいかと」
「そういう事か……俊膳が言うのだから、きっとそうなんだろうな。これからもワシに知恵を貸してくれ」
「承知いたしました。どうぞ、これからもよろしくお願いいたします」
英明は完全に俊膳を信頼しきっている。この愛河を実質的に、まとめているのは俊膳だ。
俊膳が裏から操っている事で愛河は破滅の道を辿る。
そして唯一対抗する存在として君臨していた秀昌も、この和議をまとめて満足したかのように翌年の和帝暦16年(2176年)の1月に病死した。
この年から秀蘭と秀斗との間で、血で血を洗うような激しい家督争いが起こる事になる。




