011:吉丸の愚考
季節は12月の半ばに入り、雑巾掛けも手が辛くなってくる時期になって来た。
それでもいつものように吉丸は、上前津城の廊下を「ふんがぁ!」と雑巾掛けをしていた。吉丸の性格上、徹底的に隅から隅まで綺麗にしなければ納得できない性格をしており、こういう雑巾掛けなどの掃除には向いている。
納得できるところまで掃除し「ふぅ!」と満足そうな表情を浮かべたところで、上前津城内の様子がおかしい事に気がついたのである。様子がおかしいというのは、城内の人間たちが慌ただしくしているのだ。
「ん? 何かあったのか?」
召使である吉丸のところに、秀蘭の兄が捕虜となった事など伝わるはずが無い。
それ故に何が起きたが分からずにいる。
するとちょうど廊下を、秀蘭の1つ年下の小姓・丹瀬 長廉が小走りで歩いていた。これはチャンスと吉丸は、膝を着いて頭を下げ声をかける。
「おぉ吉丸か。急いでいる故に、話があるならば手短にせよ」
「は! 城内が慌ただしいように感じますが、何かあったのでしょうか?」
「そうか、お前は知らないよな。急いでいる故に手短に話すが、若君の兄上であられる秀一郎さまが、戦で負けて捕虜になられたのだ」
「な!? それは誠にございますか!? まさか秀一郎さまが捕虜に……」
「あぁ私も聞いた時は驚いた。これから秀一郎さまに関する話し合いを、駿静と行なうのだ。それ故に、城内は慌ただしくなっておる」
全ての事情を知った吉丸は「なんと……」という感じです言葉を失っていた。
農民の出である吉丸も分かっているのだ。
全てを理解した吉丸を見た長廉は「それじゃあ俺は、忙しい故、行くぞ!」と言って立ち去っていった。
これからどうなるのだろうと吉丸は考えながら、城の廊下を歩いていると、また「犬っ!」と吉丸を呼ぶ果耶の声が聞こえてくるのである。
果耶の声が聞こえた瞬間、吉丸は直ぐに大きな声で「ここにおります!」と返事をした。
すると「こっちに参れ!」と返って来た。言われるままに吉丸は、果耶の部屋に入って深々と頭を下げる。
「犬よ、何が起きたか聞いたか?」
「はは! ただいま長廉さまより、お聞きしました」
「そうかそうか! ならば犬は、どう思う? 今回の義兄上が捕虜として捕まったこと」
果耶は今回の件を話したかったが、側仕えの女性では話ができないだろうと思って吉丸の呼んだと思われる。
意見を聞かれた吉丸は「う〜ん」と唸りながら、腕を組んで頭を前後に動かして考えるような仕草をした。
そして「いやぁ」という前置きを置いてから喋り出す。
「侍では無い、私の考えなど浅はか……奥方さまに、お話しするような事ではありません」
「そんな事を気にすると思うのか? 妾は気にせん、好きに申してみよ!」
「はは! それでは恐れながら……私の考えでは、重要なのは殺さずに捕虜にしたというところにあると思います」
「ほぉ? それで捕虜にした意味は、何だと思う?」
秀一郎を殺さず、捕虜にした理由を問われた吉丸。ゆっくりと手を顎のところに持っていき、考えるような仕草を数秒間おこなうのである。
そして手をパッと離すと、果耶に「これは憶測の域を出ない話」と前置きをした。吉丸の言葉に果耶は、優しく頷いてから「それで構わん」と答えた。
「やはり捕虜として生け捕りにしたのは、仙道愛知家への交渉材料と見るのが妥当かと」
「そういう事になるのぉ。駿静は仙道家に、何を求めてくると思っておるんじゃ?」
「仙道愛知家の古森城に居る人が目当てかと……」
「古森城に居る人? 秀昌さま、お義母上、秀斗殿……まさか秀斗殿ですか? 人質交換で秀斗殿を、人質として貰おうというわけでは!?」
「私も考えましたが、そこでは無いと存じます。私の考えでは、また別の人物にございます」
果耶も自分の頭で考えて、その答えを言う。
しかしその可能性はあるとした上で、吉丸は別の考えがあると宣言するのである。
これ以外に古森城には誰が居るのかと、果耶は「んー」と声に出しながら考える。古森城にいる家来などの顔も思い浮かべ、どんな人がいるかと思い出そうとした。
だが「ダメだわ」と考えるを諦めた。
「どれだけ考えても分かりませぬ。そろそろ考えて述べてみさない、一体だれを人質交換するというのです!」
「私でしたら、広龍さまを人質交換で得ると思います」
「広龍? 広龍って誰じゃ……もしや!? あの広龍では無いじゃろな!」
「その広龍さまにございます!」
「まさか広龍を……」
広龍とは東愛河を領地としており、愛河の国代である柄本 広祐が嫡男・広龍である。
この広龍は人質として、仙道愛知家の古森城に預けられていた。西愛河と東愛河を、まとめ上げる為の架け橋として齢9歳の少年が人質に出された。
そんな広龍が欲しいのでは無いかと吉丸は考えている。
まさかそんな事を考えているなんて思わず、果耶は「どうして広龍を?」と吉丸に疑問をぶつける。
「それは……戦わずして領地を得る為にございます!」
「戦わずして領地を得る? どういう事じゃ?」
「西愛河の野間口国主さまには、駿静と戦って勝つだけの力はありません! 良いところ撃退できたら御の字といったところでしょう。そこを見切っている駿静が、広龍さまを人質を人質に貰うと共に東愛河を切り取ろうとしているんのです」
「しかし! そんな易々と東愛河を渡すものか? 妾には簡単に渡すとは思えんが」
「はい! そこで人質と東愛河を貰う事で、攻め込まないと和議を結ぶのです! そうすれば無駄な戦いをしたくない野間口さまは引き受けるかと。駿静とて長信や東桜との戦いに備えたいはずです!」
吉丸が考えたという意見は、筋が通っているどころの話では無かったのである。
まさかここまで考えているとは思わず、果耶は「面白い考えじゃ!」と吉丸を褒めた。褒められた吉丸は、深々と頭を下げ「ありがたき幸せ!」と返す。
しかし素晴らしい考えではあるが、果耶は1つ不安な要素があると思っていた。この際、吉丸にも話してみようと果耶は「秀蘭さまは、どうすると思う?」と聞いた。
「そこでございます! そこが何とも読めません……しかし秀蘭さまが、快く駿静の話を呑むとは思えません」
「そうじゃろうな、妾も同じ考えじゃ。秀蘭さまが、呑むような話では無かろう……大変な事にならねば良いが」
秀蘭の性格を知っている2人からしたら、こんな条件を快く呑むわけが無いと思っている。
もちろん条件を呑むのも呑まないのも決めるのは、秀昌と国主・良元ではある。それでも揉め事を起こし、家督争いに影響して来たら、たまったものでは無いだろう。
しかし後に2人の心配が当たる事になる。
秀一郎の所在を決める話し合いの席は、愛知郡名古屋市の龍泉寺で行なわれる事になった。
仙道家は秀昌を筆頭に、息子の秀蘭と秀人も出席。駿静方は交渉に強い僧侶の寺原 雪庭がやって来ていたのである。
秀昌と雪庭は向かい合い、その後ろに秀蘭と秀斗が胡座をかいて待機している。その表情は、まさしく緊張しているように見える。まぁ緊張しない方がおかしいか。




