いっすいのゆめ。 -11- // 2127年5月25日(日) PM2:30
〜あるいはしゅくやむび。
小山の頂上手前にある小さな平地。
そこには、20世紀末に、たった一度だけ公共の施設が建設されたことがある。
だから、旧規格とは言え、上下水道や電気などのインフラ施設が残されていた。
地上の施設は完全に朽ち果てた。
近所というか、この地域の住人も、そこにかつては建物があったことを完全に忘れ果てていた。
それでも、何故か、こに周辺では、小山の斜面に沿って、古い電信柱が並んで立っているのかを不思議と気付く者はいた。だが、それでも、斜面を覆い尽くす森の様な木々を抜けて、足下に盛大に広がる雑草を押しのけて、わざわざその先に何があるのかを確かめに行く様な暇人まではいなかった。
それが、ある日突然、小山の麓に異国から、少しずつだが、最終的なたくさんの移民達が集まって来た。いつの間にか、小山の頂上方面へ繋がる舗装路が再整備されて、国土地理院の地図に正式に記載された。
あくまでも、一般道として。森林や山岳地帯の整備用路としてではなく。
最後に、二人の婦々が住居持参で引っ越して来た。
近所というか、この地域の先住民の中でその事実に気付く者は最初のうちはいなかった。
最初に気付いたのは、事務担当の郵便局員だった。住民登録的な申告が二人の婦々から行われたのだ。本人確認配達などを受領する為だった。
次に気付いたのは、通販サイトの下請けの配達人だった。こんなところに人が住んでいるのだと、荷物を届けに来て初めて知った。
最後に知ったのがこの地域の先住民だった。「すごい美少女二人が引っ越して来た」と、公民会での会議の後の飲み会で話題になったのだ。
なお、異国からの移民達は最初から、いや、始まる前にから全て知っていた。
美少女的な外観を誇る、それでいて、実は一世紀近く共に生きた婦々が、栃木県の郊外の小山に完全に馴染み終えた頃、5月下旬の暖かな日。
大して広くもない庭。小山の頂上手前の窪みにある平地。真ん中に小さなプレハブ小屋とトレーラーハウスが沈座している。その周辺には林のようにたくさんの金木犀が生えている。プレハブ小屋に隣接するようにスダジイの大木が枝を広く、東西南の三方向へ広げている。
婦々は通販で買った安楽椅子を、スダジイの枝葉の下へ並べて寛いでいた。
朝間ナヲミは、古い、高校の制服を着たままで安楽椅子に身体を預け、真横で横たわっている森 葉子の右手を、自分の義手で優しく包んでいた。
森 葉子は、同じ高校の制服を着ていたが、胸から下を薄めの毛布で隠していた。右手だけを毛布の下から、朝間ナヲミの方向へ向かって突き出していた。
「お手々が留守なんですけど」と強く主張したのは、森 葉子の方だった。
何時もの、いや、最近では良くあることである。
婦々は何やら、聞き耳を立てている様な誰かがいたとしても、決して興味を持たないだろう話題に熱中していた。
「宇宙の地平線?」
ーーーそう。その概念を軸にすれば、平行宇宙が多数存在するなら、全てを一つの次元へ無理なく繋ぐ事出来る。
「ここと似た様な世界が、複数重なって存在いるとかそう言う話じゃなくて?」
どうやら、今日の森 葉子は覚醒状態にある様だ。そうなると、身体の自由はかなり失っていることになる。毛布を掛けているのは、動かせない身体を冷やさないだめなのだろう。
ーーーうん。流石に、こことよく似た異世界が多数重なって存在して、例えばその中の一つではナヲちゃんと私が男同士・・・みたいな・・・妄想の話じゃないの。
「宇宙の構造・・・の話か」
ーーー宇宙は膨張している。そして、膨張の速度は測距点と観測点の距離によって異なる。
「ハッブル定数だね」
ーーーそれ。ここと近いそこ、ここと遠いあそこ、離れて合う速度は違う。宇宙が膨張している速度は、観測によれば全宇宙均一で一定ではない。そこに、"宇宙の地平線"を生み出す可能性が在ると言っているの。
「もう少し詳しく」
ーーー地平線とか水平線の向こう側ってどうやっても見えないでしょう? それとよく似た感じで宇宙が膨張している速度が光の速度を上回る宙域もどうやっても観測出来ない。だから、その見えないって言う状態を指して、まるで宇宙にも地平線があるみたいって話。
「察した。銀河と銀河は、重力で強く結ばれていない順で、やがて、遙か未来にだけど、どんどん、一つずつ、夜空から姿を消して行くって話だよね。赤方偏移のもっと先に"宇宙の地平線"があるってことだね」
ーーーそう。それ。遠い銀河なら遠いほど、見える姿は赤方偏移で光は長く伸ばされる。距離が長大になって、光はやがて電波になっちゃう。そして、最後には伸ばされ過ぎて観測・感知不能となる。それって、同時に、遠い銀河からここ向かってくる光の速度より、宇宙の膨張速度が光の速度を凌駕してるって事でしょ。
「なるほど。空間の膨張速度が光の速度より速い事は、理論的に破綻しない」
ーーー双方向からの光が互いに届き合わない程に違う世界が宇宙の果てに在る。それって、ここからでは絶対に観測出来ない銀河が多数存在するってことじゃない。それから、例え、今見えてたとしても、遙か未来には、それらほとんどの重力で結ばれていない銀河が、赤方偏移の果てに姿を完全に消す。観測不能になるってことにならない?
「そうなるねえ」
ーーーだったら、最初から観測出来ないほどに違う世界、違う銀河はほぼ確実に在るだろうってことだよね。
「在るね。在るだろうね。でも、それらの存在性は絶対に可能性の域を超えない。だって確認にしようがないから。どうやったって観測出来ないんだから「在る」と断言が出来ない。最後まで「在るかもね」としか言えないなあ」
ーーーもし、ハッブル定数を凌駕する移動速度を発揮する宇宙船でもあれば、何万年も飛んだ後に観測出来る位置まで近付けるかもね。
「物質は光速を超えられないでしょ。今の物理学じゃあ」
ーーーそこがネックね。だから、私達は生まれた瞬間から、どうしても知覚出来ない世界がこの宇宙の果てに存在している可能性ってヤツを絶対に肯定も否定も出来ないと言うジレンマに苛つかされる。
「なるほど。ハコちゃんが言いたいのは・・・知覚出来る可能性が残されている宇宙の領域が"宇宙の地平線"のこちら側で、知覚できる可能性が最初からない領域が"宇宙の地平線"のあちら側っていう定義なんだね」
ーーーそうなの。きっと"宇宙の地平線"は概念的なもので、銀河や世界の数だけ存在している筈で、お互いに知覚し合えない銀河や世界同士がこの宇宙に多数存在していて・・・結局私達は運命的にこの宇宙全体を定義することは出来なそう。
「それが腹立たしい?」
ーーー違う。それが私達の救いになるかな・・・ってね。
「と、言うと?」
ーーー物体である人間では"宇宙の地平線"を絶対に超えられない。でもね。
「でも?」
ーーー魂ならどうかしら?
「・・・」
ーーー私達に、人間に魂と言うものが在るのなら・・・肉体が終わった後に、魂としてなら"宇宙の地平線"を超える手段が在るんじゃないかって言う希望。
「・・・」
ーーー次の人生ってのは在り得るかしら?
「今ここでハコちゃんが一方的に在ると定義したとしても、誰一人それを誰も否定出来ないよ」
ーーーどうして?
「死んで魂になった後でここまで帰って来た人間は今のところ発見されていない(自己申告は除く)。だから、死んだ後のことは今まで誰一人として証明が伴う形で語れていないし、誰にも死後の世界の有無を証明出来ていない。証明不能であれば、そこには暫定的異な"無限の可能性"しかないんじゃないかな」
ーーーねえ、ナヲちゃん。私達に次の人生って在るのかしら。
「在ると定義しても、それを誰も否定出来ないよ」
ーーーナヲちゃんはどう思ってる?
「在ると信じているよ」
ーーーどうして?
「次も、その次も、そのまた次でも、どんな人生であっても、繰り返しでハコちゃんを見つけ出す準備は万端だからね」
ーーーどんな準備をしてくれているの?
「むやみに他人を恨んだり、傷付けたりしないと言う生活習慣の継続と徹底」
ーーーそれで十分?
「それでいて、家族や友人を傷付けようとする輩であれば、躊躇なく罰を与える勇気。それらを世界から取り除くことも厭わない強さもセットかな」
ーーー頼もしい。
「私はハコちゃんに対して恥じる必要のない今まで人生を送って来たし、これからも送るつもりだよ」
ーーー私はナヲちゃんとこれからも、ずっとずっと、同じ局所銀河群の中に居続けたいわ。
「そうすれば、私達は宇宙の終わりまで"宇宙の地平線"の同じ側にいられるね」
ーーー今の私みたいな私。重い女。ナヲちゃんはそう言うの嫌いなんじゃない?
「重くても軽くても、ハコちゃんはハコちゃんだよ。ハコちゃんがハコちゃんである限り、私は大好きだよ」
ーーー・・・そう言ってくれると嬉しい。
「何度でも言う。言える。繰り返して言うよ。だって、私達の宇宙には時間がまだ残されているんだから。最後の最後まで大好きだって言い続ける」
ーーー実はね。私は今、今までの人生の中で一番幸せかも知れない。
「そう?」
ーーーだって、人生で初めてナヲちゃんの全てを独り占め出来てる。こんな体験は初めてなんだよ。身体なんか動かなくても関係ない。まあ、全面的にお世話させちゃってナヲちゃんには悪いとは思うけどさ。
「だって、病める時も、愛し合い、敬い合い、慰め合い、助け合い、互いの命ある限り、真心を尽し合い、助け合うって誓い合った仲じゃん」
ーーーまあ、最近になってからやっと叶ったて感じかな。子供巣立ったし、孫もデカくなちゃったし、泥棒猫も一匹で終わりだったから・・・やっと今になってて感じかな。
「・・・いろいろとごめんね」
ーーーううん。責めてるんじゃない。結婚した後。ずっと私達の生活費。ずっと私の学費。いろいろ。全部ナヲちゃんが用意してくれていたこと、今でも忘れていない。
「博士課程を修了した後は、私よりも稼いでたじゃん」
ーーーナヲちゃんがいなければ、修了出来なかった。全部ナヲちゃんのお陰。
「そう言ってくれると嬉しい」
ーーーナヲちゃんは頑張った。頑張って生きた。機械の身体になっても、誰よりも人間らしく生き抜いたんだよ。
「それは全部ハコちゃんのお陰」
ーーー私ね。神様がいるのなら是非お願いしておきたいことがあるの。
「聞いておくよ。もしも偶然に会えたり、向こうから突然に連絡して来ることがあったら必ず伝えるから」
ーーー次も、その次も、そのまた次も、この先の全部の人生で、ナヲちゃんのお嫁さんになりたい。
「・・・承りました。私もそれを願っている。神様へ共同署名で嘆願書を手渡してみせるよ」
ーーーよろしくお願いね。それと・・・。
「それと?」
ーーーそろそろトイレ行きたい。助けて。身体が動かないから。
朝間ナヲミは安楽椅子から立ち上がる。森 葉子の頬を軽く撫でてから、薄い毛布に包まれた全身の下へ両義腕を忍び込ませ、お姫様抱っこで持ち上げる。
ーーーあ、そっとね。強く腰を曲げると漏れそう。
「仰せのままに。姫」
ーーーナヲちゃんの方が姫っぽいじゃん。
「今は、私達は双子みたいにそっくりだよ」
ーーーそれでもナヲちゃんの方が姫っぽい。だって、それが一目惚れした理由だったんだから。
「今は?」
ーーー姫っぽいところも、オッサンぽいところも、両方好き。全部好き。
太陽の光が降り注ぐ屋外から、二人だけの世界である屋内へと運ばれる間、森 葉子は前言撤回的な、朝令暮改な祈りを、神様にではなく朝間ナヲミへ祈っていた。
"宇宙の地平線"にあるかも知れない、都合ばかりの良い異世界で、朝間ナヲミと共に転生し合いたい。もう一度出会って、ラブコメし合って、二人で子供を育てて、老後を共にして、最後に同じ墓へ入りたい。
そして、その後に、もう一度二人で魂に還って、共に"宇宙の地平線"を超えて、向こう側の異世界へ共に転生し合いたい。
"宇宙の地平線"とは、森 葉子の中では、きっとオズの魔法使いに登場する「虹」なのだ。その向こうには、何か素晴らしいことが待っていると期待しているのだ。
魂になれば、虹を超えて、繰り返して、次から次へと新たな体験が待っている。
しかし、それらも一人では楽しめない。隣に、朝間ナヲミと言う存在が不可欠であると、悟ったのだ。
ただし、別に、悩みや悲しみがあっても構わない。必ずしも夢が叶う場所である必要はない。
それらの大変を、朝間ナヲミと、婦々で、もう一度でも、二度でも、三度でも繰り返したいのだ。
朝間ナヲミは気付いていない。森 葉子は、朝間ナヲミと違って、引き際や去り際には頓着しない。繰り返しも上等。
ただし、それは一人でではなく、二人で。婦々でならと言う限定付き。朝間ナヲミは、森 葉子に選ばれたのだ。魂の婦々の相方としても望まれたのだ、
無限に続く人生。それは一人でならば紛うなき地獄かも知れない。無間地獄の永続かも知れない。
しかし、二人でなら。婦々でなら。或いは、家族でならば。違うのではないか。
森 葉子は、そうであって欲しいと、祈らずにはいられなかったのだ。
この幸せの継続を。今現在の永続を。人生のロスタイムどころか、婦々生活の延長戦を。繰り返しの再戦をも。
だって、こんな幸せをたった一度だけの人生で終わりにしてしまうのは・・・。
もったいない!!
とも。
こうやって、森 葉子は朝間ナヲミにとっての「最初の女」であるばかりか、「最後の女」としての立場の確定に成功した。
ただし、森 葉子の主観では、飽くまでもこの世界における「最後の女」に過ぎない。何故なら、そう遠くない未来に、この主戦場がここから次の世界へと移るはずだからだ。そこでも、ここでそうであったのと同じ様に数々の強敵達を押し退けて、もう一度朝間ナヲミにとっての「最後の女」となる為の戦いへ身を投じる覚悟だった。
だから、今は、次の戦いに備える為の休息の時である。
勢いを失いつつある知性の川のただ中で、森 葉子はそんなことを夢想していたのである。
知性が流れる川は、河口へと辿り着き、ついには広大な海へと合流した。
すぐに、森 葉子の思考は、急速に希薄化し、拡散し、輪郭や印象を失っていった。
しかし、焦りはなかった。
絶対的な信頼。揺らがない関係。不撓不屈の絆。
朝間ナヲミが目にした、その瞬間の森 葉子の表情は、絶対に捨てられないと確信した女だけが醸し出せる、紛うなき"絶対的自信"が込められた笑みで埋め尽くされていた。
自らを躊躇なく泥沼化させ、決して意中の相手をそこから抜け出せない様にする捨て身の戦略も已む無し。
それこそが、朝間ナヲミが愛した女の核心である。
もちろん、朝間ナヲミはこの暗黒面については全く気付いてはいない。そして、これから繰り返すかも知れない異世界での人生を通じても、見落とし続けるのかも知れない。
まあ、その辺りに気付いたとしても、朝間ナヲミのことだから、あまり気にしないんじゃないかと・・・思わなくもないけれど。




