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いっすいのゆめ。 -10- // 2127年3月25日(火) PM2:30

〜あるいはしゅくやむび。

 小いさな山の麓の街。


 栃木県と茨城県の境目。


 関東平野部の北限付近には、南アジアとその境界域に連なる国々からやって来た移民達で構成される街がある。


 22世紀の日本国にはそう言う街がたくさんあるのかと問われれば、そうではないと誰もが答えるだろう(※1)。


 その街を北に向かって一時間くらい東北自走車道を走れば、日光連山や那須岳や足尾山地などへ繋がる扇状地や台地の南端へ足を踏み入れることになる。


 そこへやって来た移民達の多くは、山岳地から発生した民族である。とは言え、大きな山や山岳地形が近いからそこを選んで街を建設したち考えるのは甚だしい誤解である。


 彼等にとっての「山」とは、最低でも標高5000m越えの峰である。標高4000mであっても、せいぜい「丘(ダンラ)」としてしか認識しない。


 つまり。彼等の生まれ持った地域の常識によれば、日本国に真に「山」に相当する峰は、本来は存在しない(欧州もアフリカも同様に「山」に相当する峰は存在しないと言うことになる)。


 彼等の身体能力はすごい。


 例えば、欧米人トレッカーが1000ドルを超える分厚いダウン・ジェケットや500ドルを超える高級登山ブーツなどの重装備で、カトマンズで雇った有能な山岳ガイドの先導で、トロン・ラ峠越え(標高は約5500m)に死にそうな顔で挑戦している。


 そんな生涯で最大の冒険に挑む挑戦者の群の真横を、彼等は、安物の合成(ポリエステル/)繊維(ナイロン)で編まれた民族衣装を纏い、これまた作りが安っぽいペラペラのサンダルを履いて、何の気負いもなく、ペタペタと音を立てて行き交う。


 時に彼等は、天秤を肩に掛けた行商人だったり、峠の向こうで購入した仔牛を連れたじいさんだったりする。


 だから、そんな異世界に生まれて育って暮らしていた彼等が、日本国の、田舎の、そんな低地に、わざわざやって来たのか? などと移民となった理由や事情を考えるとかなり不可解な点が多い。


 しかし、社会と言うものは、成り行きの積み重ね(行き当たりバッタリ)で出来上がる(既成事実化する)もの。何から何まで整然とした理論で説明出来るものではない。


 朝間ナヲミと森(もり) 葉子(はこ)は、そんな不明瞭な、成り行きの末に出来上がった外国人街で、ネパール系の彼等が経営するヘアサロンを訪れていた。


 生身の地毛を持つ森(もり) 葉子(はこ)の髪の手入れの為である。22世紀の化(・)学力は、全身擬体の頭部から、一目では自然由来ではない、或いは触っても何の違和感もない人工毛髪を生やす自由を人類へ与えていた。


 定期的に交換が必要な代わりに維持費が安価な「伸びない人工毛髪」と、それなりの初期投資費用と維持費が必要な「伸びる人工毛髪」のいずかを、全身擬体保持者は選ぶ自由を与えられていた。


 21世紀中期では、朝間ナヲミが宿っていたオーダーメイドな、敵地へ浸透する工作員用に開発されたコスト度外視の擬体の様に、「伸びる人工毛髪」は一般的な消費者レベルでは夢また夢な技術だった。


 だが、22世紀に入ると、特別な技術は一般市場でも普及し、平均的な収入しか持ち得ない若い女性であっても、ちょっと頑張れば手に届くレベルにまで降りて(・・・)来ていた。


 だが、最近の朝間ナヲミは「伸びない人工毛髪」へと切り替えていた。それは、自分を世話するだけでなく、森(もり) 葉子(はこ)をも世話する必要があったからだ。人間にとって一日の時間が有限だ。「伸びない人工毛髪」であれば、定期的な散髪が不要であり、更に寝癖などの自動修復機能(記憶形状再現機能)までも当てに出来た。


 だから、今日ここで髪の手入れをするのは、森(もり) 葉子(はこ)一人だけである。


「何時も悪いわね。コビタさん」


 朝間ナヲミは、ここではとても珍しい(※2)、ネパール系バウンのヘア・アーティストの後頭部を眺めながら声を掛けた。


「ぜんぜん問題ないね」


 森(もり) 葉子(はこ)は、スタイリングチェアに腰を埋めている。カットとトリートメントなので、それなりに時間がかかる。


 コビタさんは背が低いので、スツールは使用していない。その代わりに、身長を補う為に台の上に立って仕事をしている。


「カットは終わったね。でも、お嫁さん(スリマティー)寝ちゃったね」


「え?」


 朝間ナヲミがスタイリングチェアにある鏡へ目を向ける。いつの間にか、森(もり) 葉子(はこ)が可愛い寝息を立てている。


「カットの確認どうするね」


「ごめんねー」


 朝間ナヲミは森(もり) 葉子(はこ)の髪の状態を確認する。目視、その後に義手で各部を持ち上げて見定める。


「これで大丈夫です。このまま寝かせてあげて」


「トリートメントするね?」


 朝間ナヲミは、眠りこける森(もり) 葉子(はこ)の鼻先を義指で軽く押してから「このままやっちゃってください」と指示を出して、少し離れたところにある付き添い人用の椅子に腰を下ろした。


 大きな窓ガラス越しに外の風景を見る。空模様は今ひとつはっきりとしない。雨は上がったが、それでも晴れにはほど遠く、曇天としか形容しようがない。


 関東の春だなあ。そう思っていると、タカリ族のネパール人受付嬢が、22世紀になっても絶滅していないコードレス・フォンを持って来た。


「森(もり)様。外線で電話が入っております」


 マルファ出身だと言うタカリ族のネパール人受付嬢の日本語には、これと言った訛りがない。だが、それが原因でキャラが立たないと言うデメリットもある。事実、朝間ナヲミは、繰り返し香っているヘアサロンの受付嬢でありながら、彼女の名前を未だに覚えていなかった。


「誰かな?」


 外線で連絡が、しかも外出先で入るなんて珍しい。ここ10年はそんなイベントが発生しなかった。だから、少し、通話元の素性を怪しんだ。


「ご家族とだけ名乗られてます」


 受付嬢は有能らしく、ガキの使いの様に通話元に言われるままにコードレス・フォン運んで来ただけはなかった。ちゃんと、通話元の素性の確認まで終えていた。


 ーーータカリ族らしい賢い娘(こ)か・・・。


「ありがとう」


 朝間ナヲミは、コードレス・フォンを受け取り、通話元の素性を自分で確かめる気になった。もう、日本海や東シナ海の向こうから敵の大群が接近中で、迎撃の手助けなんか依頼される筈もないのに・・・などを訝しみながら、コードレス・フォンを耳元へ押し当てる。


「どちら様でしょうか?」


 ーーー久しぶりだね。ナヲミ。


 聞き間違えようのない声質。良く知っているもの。だが、あまりに久しぶりが(・)過ぎる。


「義父さん(おとうさん)ですね」


 ーーーその通り。良く覚えていてくれたものだ。


 通話元の素性は、2030年代に、一世紀近く以前に、瀕死状態(死を待つしか)だった(なかった)朝間ナヲミの身柄を受け容れ、非常に困難と目されていた全身擬体化治療を成功させ、その後に難民化してしまった彼女を養女として引き取ってくれた「朝間医師」その人だった。


「ご健在で何よりです」


 ーーーああ。だが、娘婦々の身に立て続けに問題が生じている様なので連絡させてもらった。


「実は、こちらからも連絡。いえ、相談したいことがいくつかあります」


 ーーー何でも相談に乗ろうじゃないか。


 朝間ナヲミを、森(もり) 葉子(はこ)の方をチラリと見る。まだ、寝ている。さっきまでは小さな寝息だったのに、聞き苦しくはない鼾へと借りつつある。


 朝間ナヲミはコビタさんに、鏡越しに「ちょっと外へ出る」とハンドサインを送る。コビタンも視線で「わかった(ブジョー)」と戻してくれる。


 朝間ナヲミはヘアサロンの外に出て、壁のように大きなガラスに背中を沿わせた。


 これから離す話は絶対に森(もり) 葉子(はこ)には聞かせたくなかった。


「義父さん(おとうさん)。ハコちゃんの現在の症状に関しては把握されていますか?」


 ーーー勿論だ。報告書だけ見れば、加齢による自然な物忘れの域を超える「認知症」だよ。


「治療は可能でしょうか?」


 ーーー尊厳を守る形では無理だな。厚生労働省のエルダーなんとかを利用すれば、振る舞いなどの外観上の違和感がほぼ解決出来るだろうが、アレ(・・)はダメだろう?


「はい。アレ(・・)は治療ではなく問題の隠蔽に過ぎません。治療が無理なら、例えば緩和処置は可能でしょうか?」


 ーーー可能だ。日常生活での、怒らない・否定しない・命令しないの徹底。知らない・してない・違うをすべて受け容れて上げる。だな。


「つまり、日々のコミュニケーションを通じて不安感を緩和するしかない・・・だけと言うことですね」


 ーーーそうだ。特に、ハコちゃんの場合は難しい点がある。老化しているのは飽くまでも生体脳の方だけであって、宿っているナヲミの生身の方は未だに老化の兆しすら見せていない。老若の格差。このとてつもないアンバランスさが、収縮中の自我が生成する意識にどんな影響を与えるかは、まったく前例がない。全ての対処を手探りで行っていくしかないだろう。


 朝間医師から引き出した答えは、だいたいが朝間ナヲミが想定した域を超えない内容だった。現状で施せる対処はまったくもって治療でなく、あくまでも対処の域を出ない。そして、それは状態を緩和するものではなく、あくまでも対面を取り繕うと言う、臭い物に蓋をする行為に他ならない。


 22世紀の科学や化学であっても、未だに問題を根本から改善をする高みへは到達していない。その一方で、厚化粧によって問題など一切生じていないかのように装う域へならば到達済みである。


 実は超厚化粧でありながら、いかにも素っぴん+αくらいの化粧しかしていないと「誤認識」させるに十分な、「偽装の技術」の実用が精々である。


 つまり、老化を止めて見せたり、逆行させたりする治療は確立されていない。しかし、いかにも「老化なんてしていない」と取り繕うだけならば、20世紀の研究者には想像も出来なかった高みへと到達済みとも言える。


 平たく言えば、22世紀になっても、人類社会は老化問題を、根本的には、何一つ解決出来ていないと言うことになる。


「どの様な不都合が予想出来ますか?」


 ーーー身体は動くのに、生体脳は動かない。それがストレスとなって、認識が現実と少しずつ乖離し続けること。


「時々、上昇がかなり緩和されます。普通に会話することが出来ます。しかし、その時は・・・」


 ーーー身体が動かないんだろう?


「はい。症状が出て可愛くなっている時は活発に動きます。しかし、症状が治まって知性が戻ると歩行もままならなくなります」


 ーーーその辺りの私の見解をの述べても良い。しかし、それはナヲミにとって何のメリットもないばかりか、極めて残酷な話となる。このまま通話を終えると言う選択もある。


 即答。


「いえ。聞かせてください」


 朝間ナヲミは義父の脅しに屈する気配を微塵も見せない。義父は義父で、その程度で怯むような養女ではないと熟知している。しかし、義父はそれでも、選択の有無くらいは示してあげるのが礼儀であると考えた。


 人間と言う生き物の大部分は、「自身で選んだ結果である」と納得した上でさえあれば、かなりの絶望的な状況へ追い込まれた後であっても、自分を強襲中の不愉快な運命と対峙できる。真正面から運命に抗える。しかし、能動的ではなく、受動的に絶望的な状況へ追い込まれると、意外に脆く、案外簡単に折られてしまう。


 義父は、そんな人間の特性を熟知している。


 こう言う悠長な儀式は、我々のような素人には無用に思えるも知れない。時間の無駄にしか思えないかも知れない。アニメの場面であれば単なる尺稼ぎ(じれったい)としか思えないかも知れない。しかし、だ。こういう儀式や段取りは、後々になってから、特に絶望的な状況に追い込まれた人物に、或いはそんな人物によるギリギリの決断の場面に於いてかなり「効く」のだ。


 義父は、養女の勇気を讃える代わりに、話を進めることで酬いた。


 ーーーわかった。まず、ハコちゃんの身に、突然に認知症の症状が出始めた(・・・)原因。飽くまでも推測だ。


「はい」


 ーーー直接的な原因は先般での「神懸かり」の起こし過ぎだ。


「!」


 ーーーナヲミを現世に呼び戻すには真っ当な治療だけでは不足だった。


「・・・」


 ーーーナヲミとハコちゃんの生体脳ユニットし仕立てたのは私だ。だから、二柱の生体脳の経過見守り用の記録ログの最深部まで閲覧出来る。


「・・・」


 ーーー実はナヲミが松本へ到着した時点では、ナヲミは死んでいた。正確にはもう引き返せないライン(事象の地平線)を越えてしまっていた。


「!」


 ーーーそれを無理矢理に無かったことにしたのは、ハコちゃんの「神懸かり」だ。あの日、合衆国にまで届くほどに大きな時空震が起こった。前代未聞の規模だった。


「そんなことが」


 ーーーかの(・・)朝霧和紗ですら起こしようがないほどの大規模震(だいきぼしん)だった。衛星軌道(LEO)に置いてある重力観測センサーが1セットまるごと姿勢を崩した程に大きかったんだ。


「そこまでしてくれたんだ・・・」


 ーーーそこまででは終わりじゃない。大規模震(だいきぼしん)はあくまで始まりに過ぎない。


「え?」


 ーーー「神懸かり」でナヲミの生体脳は一時的に元の状態へと戻った。だが、そのコンディションはそう長く維持は出来ない。自然の摂理を無理矢理にねじ曲げたんだから揺り戻しが必ず起こる。元の木阿弥だ、生じさせた「有」と言う現象は最後は必ず「無」へ戻る。元の状態へと収束する。具体的には「何も起こらなかったこと」になる。因果連鎖の末に、全てのイレギュラーは消滅する。世界はその様に創(・)られている。


 朝間ナヲミは大したショックを受けることもなく、淡々と会話を続ける。


「そうですか。私はハコちゃんよりも早く逝くんですね」


 朝間医師は朝間ナヲミが述べた彼女なりの結論を完全に否定した。


 ーーーそうはならない。ハコちゃんがそれを許さない。


 この言葉は、朝間ナヲミの初期の想定を完全に超える内容を含んでいた。


「どういうことですか?」


 朝間医師は事もなげに、試験紙に現れた結果を読み上げる様な冷静さで、とても奇妙な推測を伝えた。


 ーーーハコちゃんの生体脳は、たった今も、二人分の意識を発生させている。


 この推測は、朝間ナヲミの理解力を完全に超える内容を含んでいた。


「?」


 朝間医師は、駄々っ子を諭す様な口調で言葉を続けた。


 ーーー今話しているナヲミの意識は自身の生体脳だけでは成立しない。半分以上、ハコちゃんの生体脳の演算力が補完している。


「!!」


 ーーーナヲミはハコちゃんから本当に愛されているんだな。事象の地平面へ一度は吸い込まれ掛けた朝間ナヲミと言う「情報」の束を、もぎり取り、たぐり寄せ、たった今も全力で引き留めているんだよ。


「・・・」


 朝間ナヲミは必死に、義父が何を伝え様としているのか読み取ろうと努める。だが、それには少しばかりの時間が必要だった。


 ーーー当に、究極の自己犠牲さ。


「・・・」


 ーーーこんな大それたことが人間に(・・・)出来るなんて知らなかったよ。驚いた。本当に驚いたんだ。


 朝間ナヲミは、義父が、森(もり) 葉子(はこ)の献身の巨大さにを目の当たりにして、本当に興奮しているらしいと感じた。そして、義父がこんな風に、普通の人間らしい好奇心を示している様子を初めて観測した。そして、「この人にもこんな人間らしい感性が残されていたんだ」と驚いた。


「もし、ハコちゃんが私の補完を止めてくれたら、ハコちゃんだけでも元の状態へ戻せるるんですか?」


ーーー無理だな。もう既に引き返せないところまで来ている。「神懸かり」で消耗し切った生体脳を規格外のフル稼働をさせ過ぎた。有り体に言えば、焼き切れた状態の脳をそのままフル稼働させ続け過ぎた。


「私に出来ることは何かありますか?」


 朝間医師は、珍しく迷いが生じたようで、約10秒間黙り込んだ。知っている答えを伝えるべきか伝えないべきか、約10秒間を酷使して考える。


 結局は、選択権を持つ者に選択と言う可能性を示さないことは「卑怯」であると、強引な着地点を見出した。


 ならば、後は、どうせ伝えるなら、どうやって伝えるのが朝間ナヲミにとっての最適解となり得るかだけである。


 ーーーもちろん、ある。あるにはある。


「それは何でしょう?」


 ーーーかつて。偉大なる党の老人達が試みた永遠の命の獲得。そう言うもの(・・)に興味はあるかい?


「永遠の命? 哲学的な話ですか?」


 ーーーまったく物理的な話。無理のない条件で、何の制約も受けず、精神活動を永遠に維持出来ると言う話だ。


「それを望めば、ハコちゃんは元通りになってくれるんですか?」


 ーーーハコちゃんだけでない。ナヲミも共にだ。


 朝間ナヲミは、当然ながら驚く。もし、義父の話が真実であるならば、余りに都合が良過ぎる。一方的に都合が良過ぎる。


 朝間ナヲミは、本能で警戒スイッチを入れる。一方的に都合が良い話と言うものは、たいていの場合、自分が見落としている状況や条件が必ず隠されている。


 巷(ちまた)に有り触れる、高学歴者向けの詐欺の常套手段(釣り針)である。


 高校生だった頃の朝間ナヲミであれば、情報を言葉通りに解釈して、人間の善意に期待し過ぎて、話し手が意図するディスコミュニケーションへ陥ってしまっただろう。


 しかし、今は違う。人間の善意と悪意が表裏一体であることを知っている。つまり、善意もまた悪意と同様に、地獄へ続く大幹線を舗装する一大要素であると知っている。


 何より、自分の用意した渾身の善意が、件(くだん)の大幹線の舗装材となり果てたと言う苦い過去の一つや二つはしっかりと経験済みなのだ。


 だから、詳細の確認と言う「ツッコミ」は大切なコミュニケーション手段の一つである。


「良い事づくしですか?」


 ーーー代償はあるよ。


 朝間医師は即答した。ポジティブな要素とネガティブな要素の両方を全面的に提示する気満々らしい。


 何も隠し事はしない。ただし、情報開示の条件は「尋ねられれば」である。どこかの白いネコによく似た、エントロピーや何やらを難しい話を切羽詰まった少女を選んで語る地球外知性の、本体だか端末だか分からない「何とか兵衛」と同じ行動原理で、ネガティブな情報の公開は敢えて積極的に行わない。


 そうでありながら、朝間ナヲミの義父は、この質問を受けたこと喜んでいる節があった。少なくとも、朝間ナヲミにはそう感じられた。


「それは何ですか」


 ーーー死に時を永遠に失うことだ。


 朝間ナヲミにとって、それは意外な答えだった。巨大なメリットを受け取るにしては、一見、余りにも軽そうな代償(デメリット)。


 多くの人類がそれを望みながら、望みを果たすことが出来ずに朽ちて行った。それどころか、間違った手段を試すことで、健康寿命どころか寿命そのものを大幅に縮める愚行を繰り返して来た。


 昨今の有名な事例では、海の向こうの大陸から世界支配に挑戦した老人達が、それに挑戦して、客観的には散々な不幸を被って滅びた。そんな彼等であれば、冗談であれ、真実であれ、こんな話があれば即断即答で飛びついただろう。縋りもしただろう。


「そのな代償(デメリット)。かの「偉大なる党の老人達」にとってみれば願ったり無かったりでは?」


 朝間医師は、インドの路上で自動車にぶつかって潰されたか、タイヤで踏みつけられたかして、それでも即死できずに、ただ死を待つだけという状態の犬や猫を眺める日本人バジェット・トラベラーの様な、遙か高みから哀れみを強く込めた口調で答えた。


 ーーー彼等は、願いを叶えた先の現実にまで気を回せなかっただろうな。だいたい、それ(・・)は手段であって目的ではない。彼等はそれ(・・)を目的としていた。その程度に浅い欲望しか持ち合わせないのなら、早々に永遠に続く日常に堪えられなくなるだろう。


 朝間ナヲミは、「偉大なる党の老人達」には、それ(・・)を受け容れるだけの大きな器を持っていなかったのだと諭されたことに気付いた。しかし、と思う。「偉大なる党の老人達」や、その先駆者達(四硫化四ヒ素中毒者達)ほどにそれ(・・)を強く望んだ人類はいなかったのではないか? と言う新たな疑問へ辿り着く。


「永遠の命とは、どの様な人達に不可欠な要素なのでしょうか?」


 朝間ナヲミの主観的に素直で、客観的に真っ当な質問に対して、朝間医師はしっかりと向き合った。十二分に本音を込めて、相手の立場に立って、最も分かりやすい言葉を選んで説明してくれた。


 ーーー良い問いだ。・・・それは、どうしても欲しい何かがあって、それを手に入れるのには在り来たりな人間の一生程度の時間では到底不十分・・・なんて言う、常軌を逸する(・・・)狂気に犯された阿呆達にこそ不可欠(必要)な要素(足掻き)と言うケースが多いんじゃないかな。


 意外とまともな解答であり、極めて真っ当な説明であり、その上でまったく以て現実性の薄そうな話だ。だが、そこに欺瞞の臭いは感じない。もしかし、そのような選択が本当にあるのではないか? と可能性を検討せずにはいられない、好奇心をそそる話でもある。


 そして、一つ、「何か」に対してたった一つだけ思い当たるものを、自身の胸の内にも秘められていることに思い当たった。


「どうしても欲しい何か・・・とは・・・例えば、幸福を暗喩しているのですか?」


 一瞬の沈黙。朝間医師は、ここで初めて自分が設定していた会話のペースを乱されたらしい会話と会話の間に漂う雰囲気(ムード)を醸し出した。


 ーーーその通りだ。まったくその通りだ。驚いた。素晴らしい。まさにそうだ。我が人生で採取出来た最も的確な比喩。最もしっくりと来る言語化作業だ。


 朝間医師の言動には、何かしらの感動を覚えた節があった。しかし、朝間ナヲミには、自分の言葉が、いったいどのようにツボにはまったのか、思い当たる節がなかった。しかし、義父が提示した「何か」とは、今の自分には改めて獲得する必要がないものであると分かった。


 朝間ナヲミは、自分達が、永遠の命を持つべき者でも、永遠の命を望む者でもないと言う事実をその義腕でガッチリと掴んだ。二度と離さないと言う意気込みを以て。


「だったら、どうしても欲しい何か」


 一度言葉を止める。本当にそうだろうか、ともう一度だけ検討する。その上で、そうだ、との答えが導き出される。


「私は、きっとハコちゃんも、私達=婦々(ユニット)はもう獲得済みです」


 ーーーほう。


「時よ止まれ、お前は美しい」


 ーーー!!


 朝間医師が笑った。まるで地獄へ引きずり込まれる寸前の老学者ファウストが、自分を迎え入れてくれる天使の到来を知った瞬間の様な笑顔が、コードレス・フォンの向こう側で発生していることを、朝間ナヲミはどういう訳か確信出来た。どうやら、渾身のシャレがキチンと通じた様だと安心する。


 ーーーゲーテを持ち出すとは。だったら、私のことは黒プードルの姿であったと認識を書き換えてもらっても良さそうだ。


「地上の快楽はもう存分に味わいました。引き換えの魂をそろそろ差し出す頃合いなんでしょう」


 たった今。この瞬間。義父と養女のそれぞれの間で、真摯な意思の交換と言う儀式が成し遂げられた。


 そして、後はこのコミュニケーションを如何に後悔なく終えるか、後ろ髪引かれる思いをどうやって断ち切るかと言う、或いは情の遣り取りと言う、もっとも辛いシーンへと移行する。


 これを上手に行える者こそが大人と言う、自制心の扱いの妙を見せつけるべき段階である。


 ーーーグレートヒェンをナヲミへもたらしたは私の意思ではない。これだけは誓っておこう。ハコちゃんと言う救いは、自分の力で手に入れたんだ。


「一つだけ、ご存知であるなら教えてください」


 ーーー何だい?


「私はハコちゃんより1秒で良いから長く生きたいんです。この願いは叶いますか?」


 ーーーそれは分からない。神ならざる身だからね。しかし、その願いが叶うことを私も自分のこととして願うと約束するよ。


 朝間ナヲミは、これで安心した。中世の一神教の信者が死後の安息、天国への移住を教会から約束された時の安念を獲得したのではない。人事を尽くして天命を待つと言う境地へとやっと到達出来た。たったそれだけのことだ。


 ーーーコンコン。


 そこで、朝間ナヲミはガラス越しに自分の頭を叩く者がいることに気付く。


 振り向くと、ガラスの向こうから、髪のトリートメントも終えて、艶々になった亜麻色の髪の少女がこちらを見つめている。


 思った以上に長電話をしていた事に気付いた。


 朝間ナヲミは義父へ別れるべきタイミングが訪れたと知った。


「ハコちゃんの用事が終わったようです」


 ーーーそうか。


「今までの全部、本当にありがとうございました」


 ーーー何がだい?


「今の身体(全身擬体)を与えてくれたこと。母国を失った私を引き取ってくれたこと。何より、ハコちゃんに出会える人生を与えてくれたこと。これらの沢山の幸運は、何から何まで貴方がいてくれなければ、何も始まらなかった」


 朝間ナヲミの義父は、「どういたしまして」とは答えなかった。まるで、「お互い様だ(ギブアンドテイク)」と言う感じで応じた。


 ーーーこちらからもありがとう。


「何がです?」


 意外な言葉に、朝間ナヲミは困ってしまう。義父に対しては、自身をテイカーでしかなかったという認識は間違いだったのだろうか。


 ーーー人間の可能性を新たに示し続けてくれたことに。


 もしかしたら、義父は自分のことを養女としてよりも、有望な投資先の一つとして資本を投入したのかも知れない。朝間ナヲミは、だから、自分は泳がされていた。義父が養女に対して最低限の干渉しか行ってこなかった理由もこれだったのかも知れないと考えた。


 だったら、そういうことならば、それはそれで良い事だ。自分は義理とは言え家族に対して、思っていたよりも迷惑を掛けていなかったと言うことになるのだから。


「相互利益の関係であれた様ならば私も嬉しいです」


 ーーー正確には、三方(・・)良しさ。


 養女と義父は、そこで互いの人生が分岐器を通じて別れたと知った。互いが互いの関係を解消したと言う訳ではない。ただ、互いにまったく異なる目的地を目指した道を歩み始めたというだけのことだ。


「じゃ、ハコちゃんのところに戻りますね」


 養女と義父は、もう二度と出会うことはないかも知れない。しかし、それでも、一度結んだ縁は残る。命が消えてもなお、三業(カルマ)として世界に蓄積され、その後の因果の法則へ影響し続ける。


 ーーー左様であるならば。


「これで失礼します」


 朝間ナヲミはコードレス・フォンを耳から外した。そして、通話終了スイッチを押そうと探した。


「え?」


 おかしな事に、コードレス・フォンは通話中になっていなかった。通話終了スイッチを押しようがない。着信履歴を表示させて見ても、前回の着信は3時間以上も前であるとして、たった今終えた通話は全く記録(リスト)されていなかった。


 更に、コードレス・フォンがまったく熱くなっていない。通話直後であれば、使用した搭載バッテリーや出力スピーカーがある程度発熱している筈だ。だが、それがまったく擬体の触覚から感じられない。


 念のために、義眼からの信号に赤外線フィルターを掛けて処理してもコードレス・フォンの表面温度に偏りが見つからない。朝間ナヲミの場合、コードレス・フォンを掴んでいたのはヒンヤリと冷たい(・・・・・・・・)義手なので、森(もり) 葉子(はこ)の生身の手と違って、体温に相当する温かみはない。つまり、コードレス・フォンは、省電力モードで待機状態にあっただけでの様だ。


 しかし、確かに、ついさっきまで朝間ナヲミは義父と通話していた筈だ。そういう認識だった。だが、実際にはどうだったのだろうか?


「ナヲちゃーん」


 ヘアサロンのガラスの内側から外側へ森(もり) 葉子(はこ)が出てきた。そのまま抱きつく。まとわりつく。


「今の電話誰から?」


 朝間ナヲミは、後から店外へ続いて出て来た受付嬢にコードレス・フォンを左手に手渡す。


 ーーーまあ、良いか。


 朝間ナヲミは、この件に関して拘ることを諦めた。


 森(もり) 葉子(はこ)に戯れ付かれたまま、無言で、受付嬢が右手に持っていた接触式のオフライン決済機に、自分の右義手をかざして会計を済ます。コビタさんはガラスの向こうで手を振っている。


 受付嬢は、「またのご来店を」を告げて、そのままサロンの生へ引っ込む。仲睦まじい二人の邪魔はしないと言うポリシーを実践しているのかも知れない。


 朝間ナヲミは、自由になった両義腕で、森(もり) 葉子(はこ)を潰さない程度(目一杯)の力で抱きしめる。


「私達の"おとうさま"からの電話だったよ」


「何て言ってた?」


「私達のことを今までも見守っていたし、これからも見守っていてくれるってさ」


「へー。すごいね」


「ハコちゃん良い匂いがするねえ」


「今日のはアウトバストリートメントなんだって。洗ってないの」


「へー。よかったね」


「ケーキ食べたい」


「じゃあ、チョーラスター行こうか」


「良いの?」


「案外、"おとうさま"のツケで食べられるかもよ」


 森(もり) 葉子(はこ)は、朝間ナヲミの義手を引っ張って前へと進む。


 朝間ナヲミはバランスを崩しながら、ふと気になって空を、天上(真上)へ視線を送った。


 ーーー見えない。


 市販品レベルの義眼と動画処理エンジンでは、流石に日中の空を飛ぶ人工衛星の姿は捉えられない。


「あっ」


 だが、低軌道を落下し続ける物体と同じくらいの速度で移動する光を一瞬だけ捉えられたような気がした。すぐに、衛星リモセン(Tellus)記録標((テルース))で調べたが「該当衛星無し」と出た。


「どうしたの?」


 森(もり) 葉子(はこ)が、不思議そうに朝間ナヲミのイレギュラーな行動を見守っている。


「何か今ね。"おとうさま"と目が合った様な気がしたんだよ」


「私のことも見てたかな」


「絶対見てたよ」


「"おとうさま"もヒマなんだねー。宿題も課題も監査も・・・なんかいろいろないんだろうね」


 一瞬だけ、森(もり) 葉子(はこ)は覚醒モードへ入りかけた様だった。しかし、知性の波はちょっと持ち上がっただけで、いつものレベルへ戻り、元へ戻った。まるで、最初から何も起こらなかったかの様に。


「一番怖いのは会計検査院がチェックだよ。次は住民監査請求かな」


「何それ」


「昔の仕事の話。あいつら。何もないところから何かを見付けるんだよ。本当に性格悪く・・・」


 航空自衛隊や民間警備会社の幹部だった朝間ナヲミの部隊は、何度か、防衛監察本部から特別防衛監察まで行われたことがあった。


 そんな俗世における些末なイベントへ興味を持てない森(もり) 葉子(はこ)は、早々に話を切り上げて、メニューに並ぶ中の何(ど)のケーキを食べるかを検討し始めてしまった。


 朝間ナヲミとしても、過去のトラウマよりも、ちょっと先の未来である森(もり) 葉子(はこ)とのティータイムを思い浮かべる方が建設的であると判断した。


 そんな二人を、上空から、ついさっき東南アジアの街からこの街へ、大きな海を越えて到着したばかりの、一組のツバメの雌雄(ユニット)が見下ろしていた。


 そのツバメの雌雄(ユニット)は、やがて、去年も世話になった民家の軒下へと降りた。警戒していた蛇などの脅威の気配はない。念入りに左右上下を確認し、今年も去年と同じ場所に産卵用の巣を築けると判断し、いったんは近くにある雑木林の中へと姿を隠した。


 なお、そのツバメの雌雄(ユニット)が、既に子育てを超えて久しい人間の婦々(ユニット)の姿を、もう一度飛来するだろう翌年に再び目にすることはない。


※1= 類似するのは利根川水系を東西へ貫くパキスタン人で構成される三つの街。通称、パキスタン・ベルト。埼玉県八潮市の市役所付近のヤシオスタン、埼玉県三郷市の中川東岸に沿うミサト・カントメント、千葉県野田市の五駄沼付近のネオ・パキスタン。もちろん、22世紀の話である。


※= 高カーストであるバウンさん達には、特に地方に住む彼等は、文化的に他人の髪をいじるみたいな職業を選択しづらいみたな文化が根強い。なお、バウンさん達はネパールでは貴重なネパール語を第一言語として習得する群である。バブラムみたいな顔におっさんがいれば、まず間違いなくバウンだよ。カトマンズ周辺にはバブラムそっくりさんが沢山いるよ。



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