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いっすいのゆめ。 -09- // 2127年3月25日(火) PM1:30

〜あるいはしゅくやむび。

 春を迎える季節。


 晴れた日に姿を現す日光連山の長い尾根は、まだ雪で覆われているけれど。


 関東平野の北部であっても、雲が途切れて日が顔を出してくれれば、冬とは違う、春の温かみを感じられる。


 その日、朝間ナヲミと森(もり) 葉子(はこ)と言う婦々(ユニット)が暮らす終の家は、二人が共に目を覚ました頃は、春雨と形容するに相応しい、優しげな、霧雨ほどに細かい雨粒によって、屋根と外壁にたっぷりと湿り気を与えられていた。


 雨が、例えば"春雨"であろうと、"催花雨"であろうと、"桜雨"であろうと、午前中は日が出なかったので寒かった。気温は14.4℃までしか上がらなかったので、森(もり) 葉子(はこ)にしてみれば少し肌寒かった。


 だが、昼過ぎには雨が上がった。快晴とまでは言えないが、雲の切れ間から僅かながら日も差してきた。結果、気温は17.2℃まで上がった。


 微かに、雲が薄くなった所であれば、少しだけだが青みがかった「向こう(あちら)側」が透けて見えた。


 その日、朝間ナヲミを森(もり) 葉子(はこ)を軽自動車の助手席に乗せて、昼過ぎに家を出た。


 小さな山と田んぼを抜ける、路面が少し荒れた自動車道を北上して、真岡鐵道の西田井駅の踏切を渡る。その後は左折。出来るだけ、架線施設のない線路添いの細い道を進む。目的は北真岡駅付近。線路沿いに植えられた、歴史ある桜並木だ。


 まだ少し寒いが、軽自動車の窓ガラスを全開にして走る。森(もり) 葉子(はこ)が車外の風景に身体ごと引っ張られそうになる。だが、キッチリと閉めるシートベルトのせいで、上半身を窓から乗り出すなんて言う、少年誌では馴染みの不良生徒(ヤンキー)の真似は出来ない。


「危ないから顔も手も外に出さないでね」


 物理的な条件で、森(もり) 葉子(はこ)にはそんなことは決して出来ないと変わっている。だから、朝間ナヲミは口で言っているほどに危険を感じてはいない。もし、そいうでなかったならば、落ち着いた声で森(もり) 葉子(はこ)に自重を即すなんて余裕を持てなかっただろう(もし、少しでも危険を感じていたならば、直ちに急ブレーキを掛けて軽自動車を停車させていただろう)。


「さくら、きれいだねー」


「そうだね」


「さくらの花の香りがする」


「そうなんだ」


 朝間ナヲミには桜の花の香りの有無が分からない。


 おそらく、桜の足下に毎年の様に自生している菜の花が漂わせる強烈な香りに、桜の花が出しているらしい繊細な香りが完全に掻き消されてしまっているせいだろう。


 普及品レベルの人工の嗅覚センサーでは、強い香りと弱い香りが嗅ぎ分けられない。それがちょっとだけ寂しい。だが、無邪気に喜んだり、興奮している森(もり) 葉子(はこ)の姿を眺めていると、そんなことはどうでも良いことなんだと思える。


 ーーー慰められるなあ。


 半世紀前の擬態と比べても、圧倒的に高性能を獲得している22世紀の擬体であっても、桜の花の香りの様な淡い刺激の感知は難しい。


 ただし、最近ではこの問題に対する別口の解決策がある。擬体が遭遇する様々な状況に応じて、相応しい、或いは本来あるべき(・・)欺瞞信号を、嗅覚センサーからではなく、第二小脳から知覚野へ送るように設定出来る擬体用のOS(ITRON)やアプリケーション(HMIトロン系)が普及しつつある。


 OSやアプリが、擬体に搭載されている五感センサーと生体脳の刺激を常時監視し、「こういうシーンであればこういう五感情報を、一般的な消費者(・・・)は必ず求めるに違いない」と言う推論を行う。そして、推論を発展させて、消費者(・・・)が求めるであろう「刺激」を、最も欲するだろう(相応しいを認識される)タイミングを測って、予め仕込んでおいた欺瞞信号を割り込ませて、消費者様(お客様は神様)の五感情報を「補完(誤認)」してくれるのだ(させてくれるのだ)。


 これは、"綺麗な嘘(ハッキング)"を用いて"充実した人生(架空の幸福)"を"醸成(創出)"てくれる「幸福認知促進機能」であるとも言える。少なくとも20世紀の価値観では「あかんやつ」であるに違いない。だが、21世紀以降のドーパミン容認社会の文化(・・)では、擬体メーカーや厚生労働省は、これをクオリティ・オブ・ライフ(QOL)を高めるのにたいへん有効なシステムであると判断している。


 一方で、22世紀であっても、大抵の全身擬体保持者は様なこの種の欺瞞への嫌悪感を表す。特に、これから全身擬体保持者となる者達や、全身擬体保持者へなったばかり者達にこの傾向は顕著に表れる。


 少なくとも、嫌いだと表明する。詐欺だと憤る者もいる。


 だが、それはあくまで表向きである。統計によれば、全身擬体保持者としての人生を重ねれば重ねるほどに、建て前と本音のズレが大きくなる。例外はある。だが、それが誤差の範囲と言える程度の規模にしかならない。


 実は、多くの場合、この種の欺瞞に対する拒否感はそう長くは続かない。


 擬体の作り手側の販売攻略(コーディネート)は狡猾であり、攻略対象である消費者様(お客様は神様)も「まんざら」ではない。そして、それが結果的には消費者様(お客様は神様)の御満足度を高めてしまうのだ。


 ーーー欺瞞されたくないけれど、欺瞞されるのは案外心地良いものだと知る。或いは溺れるのだ。


 人類全般に対する評価であるが、心の奥底に秘めている本音と言う欲望には、極めて素直(ややツンデレ)なのだ。そして、全身擬体保持者であって、人類であることの証明として、変わらず欺瞞に溺れやすいのだ。


 この五感の「補完機能」は出荷状態=デフォルト仕様では、「弱」モードで「オン」設定されている。一部の擬体保持者がそれに気付いて、「補完機能」を一時的にオフにする場合もあるだろう。だが、ほとんどの全身擬体保持者は、気付いても面倒なので「オフ」設定に切り替えない。


 このような事情で、全ての全身擬体保持者は、目覚めた後、必ず五感の「補完機能」を体験してしまう。「補完機能」による何らかの印象を与えられてしまう。そして、その印象の大部分は「ポジティブ」なものである。


 そして、擬体の利用や設定などのレクチャーを受けた後に、能動的に「補完機能」をオフにする全身擬体保持者はそれなりの数に上る。しかし、彼等の中のほとんどが、何故か、一定期間以内に「オン」設定へと復帰することになる。更に、数年のうちに、「オン」設定を選んだ全擬体保持者の七割強が、「補完機能」のモードを「弱」から、「中」または「強」へ再設定することが判明している(メーカーによる非公表のログ解析によればである。逆に、消費者庁が行う公表前提の意思表明式(記入式)意識調査によれば、その数値は五割強まで下がる)。


 真実(本当)と綺麗な嘘は境界は極めて曖昧であり、多くの人間にとって、そう言う哲学的な問題は、本音ではどうでも良いことである。むしろ、真実(本当)でも綺麗な嘘であっても構わない。


 結果良ければ全て良し。


 答えは簡単だ。「補完機能」のお陰であろうが、なかろうが、幸福の体験回数の向上を喜ぶ。犬の一生と同じで、尻尾を振る数の増減こそが最も大切なテーマなのだ。何のテーマか? 人生のテーマである。これこそが、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)の高い低いに直結する一大事なのだ。


 そして、主観的なクオリティ・オブ・ライフ(QOL)が上がったり、高い満足度を長く維持出来る様であれば、擬体メーカーとしては"大成功(計画通り)"だ。自社製品に満足してくれた全身擬体保持者は、自分が宿っているメーカーの製品を、全身擬体化を検討している身近な人々へ、必ず、推してくれる。それが、擬体メーカーの粗利益が微増を地味に繰り返し続けてくれる。業績維持どころか、拡大だって夢ではなくなる。


 日本国はどこかの社会主義国家と違って、計画経済を採用していない。だから、こういう消費者からの反応(商品の売り上げ実績)によってのみ、次世代製品の開発方向は影響を受ける(左右される)。そして、それが消費者が望む製品を生み出し、市場へ供給される様になる。


 ーーーマクドナルドのハンバーガーは世界で最も消費されている食品なので、マクドナルドのハンバーガーこそが世界で最も優れた食品であると言う理論だ。


 需要と供給。それらのバランス。人類はそれ以外に効率的な社会の運営方法を知らない(もっともっと効率の悪い運営方法ならば熟知しているが・・・)。だから、仕方がない。情けない事だが、これこそが暫定的に、もっとも優れた社会の運営手段なのだ。


 これは、日本国が誇る擬体メーカー最大手の富士見重工の開発部が、「生身の人間の中でも特別に鋭いレベルの嗅覚を市販品レベルの擬体へ実装する可能性を否定している」ことを意味している。


「これでまだ五分咲きって感じかな?」


「雨に濡れて花びらが光ってる」


「雨が止んでなければ花時雨(はなしぐれ)が見れたかもね」


「何、それ?」


「桜の咲く頃に降る春の雨の別名。風流でしょう」


「あめあめふれふれだね」


「クスっ。そうね」


 義手で軽自動車のハンドルを握る朝間ナヲミの、安全運転をしているので無感動になってしまっている顔から、思わず、飛び切りの笑みが零(こぼ)れた。


 ーーー自分は幸福だ。


 自分が自分自身を、幸福であると自覚することはとても難しい。それも即座には極めて難しい。


 朝間ナヲミは、事実、若い頃は、自分自身はけっこう不幸だと感じていた(事故で全身を失ったのだから、少なくとも飛び切りの不運の持ち主ではあろう)。だが、それが今では、自分自身は他人よりも、とてもとても幸福であると確信して止まない。


 ーーー森(もり) 葉子(はこ)が何時如何なる時も共にいてくれるからこそ、ずっとずっと幸福のままであり続けられるのだ。


 若い頃に悩んでいた不幸、不満、不運、不遇、不服、不快。それらすべてが今の幸福へ繋がる為の道だったのではないか? 「そうではなかったのだろうか」などを朝間ナヲミは、最近になって、ついつい、不意に考え込んでしまう。


「じゃ、予約してあるヘアサロン行こうか」


「わかった」


「本物の髪はちゃんと手入れしないとパサパサになっちゃうからね」


「帰りにアイス買っても良い?」


「お手入れしている間、ずっと良い子にしててくれたらね」


「・・・がんばる」


 軽自動車が真岡鐵道の線路沿いの道から離れた。行き先は、小山の麓の街にある行きつけのヘアサロンである。


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