いっすいのゆめ。 -08- // 2127年1月25日(土) PM1:30
〜あるいはしゅくやむび。
朝間ナヲミが運転するの軽自動車は、東京都を取り囲む様に敷かれた外環自動車道の外回り線を進む。
綾瀬川を渡り、中川を渡り、江戸川を渡った先で、自動車専用道から一般道へと下りた。
そこは既に千葉県である。
その時、彼女が嫁と二人だけで暮らす終の棲家の建つ栃木県を出発してから、3時間近くの時間が経過していた。
軽自動車は、外環自動車道に沿って敷かれた国道298号の次の交差点で、信号に二回捕まって、右回りで転回。298号の内回り側へと進み、交差する国道6号線をトンネル道で潜り抜け、ついさっき渡ったばかりの江戸川をもう一度渡り直す。
彼女がハンドルを握る軽自動車は、一瞬だけ東京都へ入り、直ぐに埼玉県へと抜けた。
やがて、軽自動車は唐突に左折した。続いて今度は右折する。すると、左手に流れる大きな川(※)を挟んで、二つの自然公園に出会した。対岸にある公園の方がより規模が大きそうだった。
朝間ナヲミは、迷うことなく、川沿いにある"みさと公園"の駐車場へ軽自動車を入れる。もっとも出口に近い優先駐車場へと車を回して駐車した。
車外に出た朝間ナヲミは、どことなく、懐かしそうに周辺を見回す。
ーーーいる筈もないか・・・。
ここへ初めて来た時とは違って、義父の朝間医師やお手伝いさんの百合子さんは待っていてはくれなかった。
ーーーまあ、当然か。
がっかりした。少し気落ちした。
ここで会う約束なんかしてない。それにもう既に何十年も音信不通のままである。二人とも、今、どこで何をしていることやら。
だから、それが無茶な望みであると承知していた。それでも「もし、ここでもう一度会えれば良いな」と言う淡い夢が結実しなかった。ただ、それだけのことである。
ーーー大した事ではない。
そう考える事にして、気分を、出来るだけ車を運転していた頃に戻そうと努力した。
そして、森 葉子に沈んだ気分を悟られない様にと祈りながら、軽自動車の助手席の方へと移動する。
朝間ナヲミは、助手席周辺の安全を確認してから、擬体にインストールしてあるアプリでドアのロックを外して、中に居る人のためにドアを開いてあげる。
車内には。助手席の上には、森 葉子がちょこんと、縮こまって座っていた。朝間ナヲミがシートベルトを外してくれるのを待っている。
「良い娘ね」
作業が全て終わると、朝間ナヲミが森 葉子の頬に軽くキスをする。
「はい。ご褒美」
そこで森 葉子は動き出す。ずっと我慢して静かにしていたのだろう。緊張が解かれ、満面の笑みを浮かべる朝間ナヲミを見返す。
「もーいっかい!!」
オカワリを要求する嫁に、すこぶる弱い朝間ナヲミ。即座に要求に従う。それで森 葉子は満足した様だ。
「車下りて良い?」
「良いよ。でも直ぐに走っちゃ駄目。下りたら手をつなぐこと」
「うん。分かった」
森 葉子は、お尻と太もも周辺の臀筋の力だけで助手席から勢いよくジャンプして、力強く駐車場のアスファルトへと飛び降りた。
良く見ると、森 葉子は全身を喪服で包んでいた。
「じゃ、手、つなごうか」
「うん」
森 葉子が朝間ナヲミを手を取る。手を差し伸べた朝間ナヲミの方も喪服だった。
朝間ナヲミと森 葉子は手をつないで、みさと公園の駐車場を出て、車道を渡っ先にある「メモリワール・みさと公園」の敷地へと入って行った。
森 葉子の足取りは先日と違って、しっかりとしている。まるで、あんなことなどなかったかの様に、ちゃんとしている。
朝間ナヲミはこの場の勝手を知っているので、目的へ向かって迷うことはない。視線も姿勢も最適解で乱れることなく、目的地へ向かって進む。
一方、森 葉子は、目に見えるものが物珍しいらしく、キョロキョロと、アチラコチラを眺めては首を動かしている。
二人は、やがて、大きな二本の木の枝の下を潜って、かつては園内の端、拡張された結果として今は円のかなり手前へと位置的印象が変わった、相当に年季の入った石塔(墓石)の前で足を止めた。
墓石には何も書かれていない。そこに誰が入っているのかも分からない。だが、墓参者は完全に途絶えないのか、荒れた雰囲気はまったくない。
おそらく、事情を知る者は、朝間ナヲミ達だけではないのだろう。
本当は墓石を洗ったり、いっぱいの花束も供えたかった。だが、森 葉子から目を離すわけにいかないので、そのあたりの礼儀は省略させてもらうことにしていた。
清めの意味や、故人の喉を潤す為に、ひしゃくで水ぐらいは掛けてあげたかった。
ーーーごめんなさい。
チタン外殻内の生体脳ユニット内でそんな複雑な想いを抱きながら、朝間ナヲミは線香の束にチャッカマンで火を付けて、その1/3を無名の墓石に手向けた。そして、両手を重ねて、目を瞑って拝む。
森 葉子は、三歩下がった所から、普段とは違う振る舞いの朝間ナヲミを心配そうに眺めている。
「何してるの?」
故人との会話を終えた朝間ナヲミは振り向いて、森 葉子を腕の中に入れて、無名の墓石で眠っている人について簡潔に語った。
「ここにはね。私たちとっての心のお母さんがみたいな人が眠っているの」
「そうなの?」
「そう。朝霧 和紗って言う人。すごい有名人なんだよ」
「そんなんだ」
「そう」
「・・・ん?」
「どうしたの?」
「・・・えっと・・・日本人形? 全ての擬体の母として世界中の機械化身体保持者からの尊敬を集めた・・・あれっ?」
「思い出したの?」
「わかんない。何か・・・あたまに浮かんできた」
「そう」
婦々は、墓石からさらに一歩下がった。
「因幡さんと仲良く。次はそちら側で」
婦々は、隣にある、右隣の墓石へ移動した。その墓石も無名だった。先の墓石と違って、ゴミなどは落ちていないが、やや荒れた雰囲気があった。
「久しぶり・・・」
そう言って、朝間ナヲミは火を付けた線香の次の1/3を線香台に置いた。
「ここには誰がいるの?」
森 葉子が尋ねる。
「万条 菖蒲。私たちの友達。そして・・・」
"朝顔を産んだ本当の母親"と言う言葉は敢えて飲み込んだ。
森 葉子にしてみれば、万条 菖蒲と言う存在は泥棒猫であり、自分が育てた次女を産んだ女であり、ポジティブ・ネガティブ両方の感情を抱かずにはいられない人物である筈だった。
実は、万条 菖蒲の遺骨はここにはない。欠片すら存在しない。遺品も含めて、それら全ては、会津にある本家の菩提寺の墓地や本家の倉庫の方へ収められている。
この無名墓地に収められているのは、極々僅かな遺髪だけである。もちろん、それらは朝間ナヲミと朝顔が、故人から託され、沖縄から命がけで持ち帰ったものだ。また、彼女に遺髪以外、彼女自身が手塩に掛けて育てた双子の妹の「マヤ」と「アイ」の遺髪も共に収められていた。
万条 菖蒲としては、本音では、朝顔や朝間ナヲミの遺骨や遺品が収められる森 家の墓に入ることを願っていただろう。だが、本人はそれを一度たりとも口にはいなかった。そして、朝間ナヲミとしても、ケジメとして、かつての愛人の本音への理解を、最愛の嫁に対して求めなかったし、臭わせたりもしなかった。
結果として、遺族であった双子の妹の「マヤ」と「アイ」が、朝霧和紗の墓石を間に挟んで、隣の隣の区画を永代使用権付きで用意した。そして、今に至る。そんな双子達も、疾うの昔に鬼籍入りしてしまっている。
だが、この世界のあらゆる悩みから解放され、"悟った人"への階段を順調に上り続ける森 葉子は、実にそっけない反応しか示さなかった。
「ふーん」
先に参った墓石の主に対しては只ならぬ想いが残っているのか、普段はつながっていない記憶野と表層意識が突然につながった。それには朝間ナヲミも驚いた。
それに対して、人生の間で最も敏感だった高校時代を共に過ごし、共に会津震災を生き延びた万条 菖蒲に対しては、その限りではなかった。
そして、最後に、婦々は、朝霧和紗の墓石の左隣にある墓石へ移動した。
それは流石に無名の墓石ではなかった。
ーーー森家。
墓誌には二人に右側から、廿里 千瀬。その隣に、朝間 朝顔。
「朝顔。それからチーちゃん。久しぶり」
朝間ナヲミは最後に、残っていた線香の全てを線香台に置いた。そして、周辺の石をいくつか動かして、開閉式の扉を露出させた。
ーーー納骨室だ。
最後に、扉を閉じる鍵を開ける。
「やっぱり・・・」
そこに収められる「骨」は一欠片もない、あるのは、廿里 千瀬の遺髪と、僅かに残された、遺体とはとても呼べない様な有機物の"澱"が収められた小さな壺が一つ。そして、硬質チューブが二本だけだった。
朝間ナヲミは知っている。ここにある硬質チューブは天体物質用のサンプル一時保管器。現場に身を置く宇宙飛行士ならば、誰でも身に着けている携帯器具の一つだ。
それぞれの硬質チューブには天体物質ではなく、詰めた人にとっては、それよりも貴重で尊いもの、それぞれの人物の髪の毛が収められていた。
一本目は黒髪。
朝間 朝顔の黒髪。母親である万条 菖蒲譲りの太く、しっかりとした、漆黒の人髪だ。
「向日葵らしい。ありがとう」
チューブに収められた黒髪が、末期治療中の朝顔を見舞った際に、姉の向日葵が朝顔本人から託された遺髪であることは一目で分かった。
婦々が産んだ唯一の遺伝子継承者、実子、長女である森 向日葵。
万条 菖蒲が産んだただ一人の、日本国総理大臣経験者の遺伝子継承者、実子、であるにも拘わらず、森家の次女として育てられた朝間 朝顔。
向日葵と朝顔と言う二人の姉妹に、血縁関係は一切無い。だが、二人の間にはそれ以上に強い絆が確かに存在していた。
ーーー万条本家としては、それがまだ腹立たしかった様だ。
朝顔の葬式には、婦々は何とか参加することは出来た。だが、あまり歓迎される待遇ではなかった。そして、当然ながら、遺骨の欠片どころか、遺髪の一本も託されることはなかった。
それは、婦々にとっては次女である朝顔の遺骨も遺品も何もかも、全ては、まるで聖遺物か何かの様に、万条家へ嫁いだ朝顔の実子が相続してしまったからだ。
全ては、表向きは実子を持たなかった万条 菖蒲の系譜を、会津の万条家へ取り込む為であった。そして、彼等にとっての万条 朝顔、婦々や故人にとって、朝間 朝顔が、森家で育てられたと言う歴史的事実は大変によろしくないストーリーであったので、政治的な動機によって「どうしても上書きしたい黒歴史」として扱われていた。
ーーー少なくとも、万条本家では。
故に、朝間 朝顔が、万条 朝顔として、万条 菖蒲と共に祀られている会津の菩提寺へ、婦々が訪れる事を非情に迷惑がっていた。
朝間 朝顔本人も、生前から「そうなるだろうこと」を予期していた。だから、共に育てられた姉である向日葵に、「死に際が来たら遺髪を託したい」と予め伝えておいたのだ。そして、せめて、魂くらいは自身を育ててくれた婦々の元へと帰りたいと願ったのだ。
困った家族達の総意に対する、せめてものささやかな抵抗であった。
朝間ナヲミは、次女の願いが長女によって叶えられたことを確認した。姉は妹との約束を最後にしっかりと守ってくれた。それを知る事が出来て、朝間ナヲミは久しぶりに心の底から「良かった」と感じた。
そして、驚いた事に、二本目の硬質チューブには、生身だった頃の自身とそっくりの金髪が収められていた。まず間違いなく、長女の向日葵のものだろう。
向日葵は、今や大ベテランの宇宙飛行士だ。たった今、この瞬間も、地球圏にはいない。
ーーーだから、地球と火星の間か、或いはもっと奥の宙でか、どこでどんな事故にあって死ぬかも分からない。
だから、自分の妹を姉として守る為に、自分の髪を地球に残して去ったのだろう。
「これで家族全員の集合だ」
全てを納骨室へ戻し、肩掛けのハンドバッグから和紙で折った封筒の様なものを取り出し、新たに、娘達と、旧友の数学者が残した生きた証の横へとゆっくりと置いた。
扉を閉め、鍵でロックして、動かした石を元に戻して、元通りにした。
朝間ナヲミは満足した。今日、ここまで来た目的の総てを達成出来た。
気が付くと、線香が燃え尽き、すべて白い灰となっていた。
火は完全に消えていた。朝間ナヲミは、何かが、また一つ完全に終わった様な気がした。
ーーー何か。まだ終わっていない何かとは。あといくつ残っているのだろうか?
朝間ナヲミは、ハンカチで手に付いた汚れを拭き取りながら、そんなことを考えていた。
「さあ、帰ろうか」
朝間ナヲミは、暇そうに一人で良い娘にして待っていてくれた森 葉子に声を掛けた。
「終わったの?」
森 葉子の質問に対して、朝間ナヲミは首を振って応えた。
「まだだよ。まだ、私たちには、もう少し続きが残されいるよ」
「そうなんだー」
その時の森 葉子は、何を言われたのかよく分からなかった。だが、対した興味も無かったので、そのまま受け流した。
「まずはトイレに行こう。その後家に帰るよ」
「はーい」
「晩ご飯は何が食べたい?」
「カレー」
「渋滞で遅くなっちゃったら、帰り道のPAで食べても良いかも?」
「それ良い。行きたい。PAのカレーのお店」
婦々は、手をつないで、そのまま駐車場へ戻り、軽自動車に乗って、外環経由で小山の上に建つ終の棲家へと帰って行った。
森 葉子は気付かなかった。
朝間ナヲミが、歩き出した直後に、並んで建つ三基の墓石に向かって一度だけ振り返ったことを。
そして、婦々が埼玉県・三郷市まで墓参りをすると言うイベントは、この後に再び発生することはなかった。
ーーーこれが最後の機会となったのだ。
婦々は、機会を一切を無駄にするなく、もっとも有効な形で使い切った。
※= 正確には川ではなく、「小合溜井」と呼ばれる元・農業用の溜め池。実はどこの河川とも繋がっていない。給水は組み上げポンプを使用して行う。なお、小合溜井は"鯉ヘルペス注意"である。生きている鯉の持ち出しや移動は厳禁。




