いっすいのゆめ。 -07- // 2127年1月15日(水) AM6:30
〜あるいはしゅくやむび。
明日はもっと良くなる。
明日はもっと賢くなれる。明日はもっと大きくなれる。明日はもっと上手く出来る。明日はもっと速く走れる。明日はもっと強くなれる。明日はもっと綺麗になれる。明日はもっとお金持ちに・・・。
もっと良く、もっと賢く、もっと上手に。もっと・・・。
世界には色々で沢山の"もっと良く"に満ちている。満ちあふれている。
誰であっても、全力で努力さえすれば、成果の量に個体差は有れ、人間という生き物は間違いなく"もっと良く"を叶えられる。
確実、昨日よりも良い明日を迎えられる。
意外にも、これは我らが世界の、数少ない真理の一人である。
全力で努力した跡で、明日が、明日に迎える新しい今日が、どれだけより良くなるのかは、その人物の持つ"特質"に左右される。これは仕方がないことだ(※1)。
さらに大局的な視点から見れば、努力の量がもたらす成果の量が、努力:成果、正確には、成果=α(努力^2)として、二次方程式的に成果(=効果)の増減が現れる。そして、Y軸からどれだけ離れたかで決まる。
離心率で考えると、X軸方向へ向かって、どれだけ大きな楕円を描けるかが成果(成長)のテーマである。
だから、αへ代入する個体の"特質"、或いは"個性"が成果へ与える影響=Y軸から最終的にどれだけ離れられるかは、努力の量と比べて見掛けは華やかでも、実質はそうではない。(※2)
"特質"が与える影響の本質は、おそらく、成果へ与える影響が目に見えて現れる時期が、早いか遅いか、早熟か晩成かではないだろうか。どちらにせよ、ある一定の高みへ到達するには、誰であっても相応で、相当量の努力の積み上げが不可欠だ。
ーーー早熟がそのまま早々に完熟出来る程、我々の生きている世界や社会は優しくないし、物理法則は甘くない。
結局、早熟者は、早晩に伸び悩む。
逆に、晩成者は、最初は伸び悩み、「こんなに簡単なことも出来ないか」と心なき一般人達から馬鹿にもされる。しかし、彼等は、壁を越えた後に見せる熟成の速度は、目を見張るものがあるのが大抵だ。
そうやって、凡人は凡人であることを止めて非凡となる。同時に、新しいレベルの初心者へと昇る事を許される。結果、心なき一般人達には生涯見たり、想像したりすることもない新しい問題と直面する権利を得ることが出来る。
平凡な人生と非凡な人生。どちらが良いかは、人それぞれ。在り来たりな人生をひっそりと生きるか、挑戦と敗北が連続する波瀾万丈な人生をハデに生きるか。得てして、皆、自分の物ではない、逆の人生に憧れ合うものだけれどね。隣の芝生は青い、の典型だよ。マジで。
人類の一員であれば、誰もが微々たるものかも知れないが、日々を通じて進歩出来る(精神的に、後ろ向きに生きていなければ)。
これだけは保証されている。まあ、まずは努力だ(※3)。
だが。
ある時期を境に、人類の一員は、人類は今日よりもっと良い明日を手に入れられなくなってしまう。驚いたことに、嘘偽り無しにだ。
身体も精神も生まれてからずっとずっと進歩を繰り返す。だから、努力は必ず報われると言う構図が維持出来た。30代でも、40代でも、50代でも、努力すれば、努力量に見合ったレベルで、昨日より良い自分になれたし、なれるし、なれるだろう。
だがだが、"ある年齢"を境に、人類の一員の全ては、つまり、全人類は、例外なく、身体も精神も成長を終え、逆に衰退へと転じる。
「退化」と言う言葉は使いたくはない。もっとも正しい表現であるが、それを正しいと大声で訴えられるほどに筆者は若くはない。
もし、それの人生の経験に反して、今日よりもっと良い明日を手に入れられなくなってしまったら。我々はその事実をすんなりと受け容れられるものだろうか。
まともに考えられれば、絶望しかないだろう。だが、救済策は既に施されている。策の内容をここで公言出来るほどに、筆者は非政治的ではない。マキャベリと違って、「これ全神経」みたいな文章は、書けるとしても敢えて書かない。
ーーーもうこれ以上進歩は不能。それどころかこれ以下への衰退は不可避。
最初は誰にもこの冷たい事実を受け容れられない。最後まで受け容れられない人もいるだろう。しかし、渋々ながら、受け容れる胆力の持ち主もいるかも知れない。
誰だって、今日よりもっと良い明日を手に入れられないなんて嫌だ。明日からは何に希望を持って生きて行けば良いんだろう。いや、希望なしで生きて行ける毎日などあるのだろうか。
まあ、あるんだろう。それが諦め、諦観と言うものだろう。人間は、"ある年齢"を境に、「昨日は今日より良かった」と言う現実の確認を強制されながら生きる運命にある生物種なのだ。
これは、長命種だけが知る贅沢な悩みである。成虫となったウスバカゲロウにはまったく無縁な悩みである。だって、アイツ等には口も消化器官もないんだぜ。
"ある年齢"、その衰退が何時始まるのかは、人それぞれである。個体差である。遺伝子による運命の要素だけでなく、心持ち、生活習慣の善し悪し、社会環境、社会保障、社会文化、それと何より「運」に左右される。
過去、この問題はあまり重要視されて来なかった。国鉄の蒸気機関車の機関士達は、定年退職後に労働環境が祟ってすぐに寿命の終わりを迎えた。だから、問題が表面化する前に世代交代が成し遂げられていた。しかし、最近では世代交代が遅々として進まず、問題が表面化しつつある。
この問題を指す、或いはオブラートに包んだ専門用語は「高齢化社会」。或いは「高齢社会問題」である。
高齢化社会とは、単純な話、社会が含有する「今日より良い明日」と言う希望の量が極端に減少する時代を指しているのだ。
そうやって、「高齢社会問題」は成立した(※4)。
希望が枯渇すると、社会はそれを限りなく薄めてしまう。希望を発生させる者だけでなく、させる機能を喪失した者であっても、希望は不可欠な要素だ。だから、社会に属する誰もが分配を要求する。
結果、甘い味がしないほどに薄いカルピスみたいな、有るのか分からない程に、無いんじゃないかと疑うほどに、薄味の希望しか見いだせない社会へと成り果てる。
とは言え、希少物質である希望を発生させる機能を失った者に「遠慮しろ」と言うのも酷だ、何故なら、彼等もかつては希望を発生させる者であった。そして、希望を搾取されていたと言う経験を持つのだ。「今度は自分達の番である」と主張するのにも理は十分にある。
社会インフラを支える維持費の捻出をお願いすると言う話ではない。もっと、根本的な、推しのアイドルを応援している時のような、ものすごい自己肯定感の分泌を促すような「若者らしさ」を世間に振りまくことを、圧倒的に少数の若者に強要する将来が訪れるかも知れない。まあ、これは戯れ言である。
朝間ナヲミと森 葉子が、終の棲家から下る石葺きの階段で立ち往生する約4時間前の出来事。
目覚めると、違和感。
朝間ナヲミは、擬体内時計は「AM6:28」を差している。
おかしい。
朝間ナヲミは、擬体のデフォルト設定を二つ編集してある。
(1)起床時間「AM6:00」。
(2)異常事態が生じた場合は「強制的に目を覚ます」。
(1)は19世紀からある時計の目覚まし機能そのものである。
(2)は複数定義可能な異常事態を擬体が感知した場合、どれほどに深く眠っていたとしても自動的に目を覚まさせる機能だ(脳内血管と接続された人工分泌器官から、覚醒ホルモンや電気的な刺激を使って睡眠を強制終了させる)。
複数定義可能な異常事態とは、朝間ナヲミが編集した設定は、「森 葉子が寝返りの範囲を超える寝相を示した場合」、「森 葉子がベッドから抜け出した場合(暗に、ベッドから下りた場合を指す)」、「森 葉子が一人でトイレへ行こうとした場合」、「森 葉子が悪夢を見ていると関知した場合」などなど。つらつら。
設定の目的は、全ては森 葉子の安全関係である。
なお、就寝中の状況把握に用いられるセンサーは、擬体に内臓されたものだけでなく、終の家の屋内に設置した多数のセンサーも含まれる。全ての情報を統合した状態で判断が下される。
屋内にいる限り、最近は、森 葉子の全ての行動が朝間ナヲミへ筒抜けとなっている。
にも関わらず。
「ハコちゃんがいない・・・」
ベッドの上で目を覚ました朝間ナヲミは、久しぶりに一人だけだった。
しかも、「寝坊」までしている。約30分も。
気が付くと、何か良い匂いを嗅覚センサーが関知している。屋内は全ての扉を撤去済みなので、部屋の外から、カチャカチャと言う音や、水音が途切れ途切れに聞こえる。
朝間ナヲミは寝間着のまま、音のする方へ歩いて行く。擬体の自動歩行機能の発露であるので、肉体に宿る人間の様に、フラフラしている印象は与えない(だから、不具合、損傷、挑戦不良が無ければ、擬体保持者は足の小指を絶対に箪笥の角に打つけない)。
壁の角を曲がると、ダイニングにあるシンクのところで、森 葉子が一人で朝食を作っていた。
朝間ナヲミは、久しぶりに森 葉子がエプロンを着けている姿を見た。後ろ姿だったが、その容姿は本来は自分のものだが、それでも、ついつい見蕩れてしまった。
すぐに森 葉子が気付いた。
「おはよう。ナヲちゃん」
森 葉子が振り返る。両腕にマグカップが一つずつ。右手には自分用の粉のコーンスープをお湯で溶いたものが入ったカップ。左手には擬体保持者用のコーンスープの風味で作られた栄養補給液が入ったカップ
ーーーチン!!
通販で買った安物のトースターから、生身用のパンと擬体用の風味を楽しめるパン風栄養板が、それぞれきつね色に焼けた状態へ吐き出された。
「座って。朝食にしましょう」
冷蔵庫からバターを取り出して、森 葉子がテーブルのところにあった椅子に座る。
「うん」
朝間ナヲミは髪も解かさずに、起きたままの姿で、テーブルを挟んで森 葉子の反対側の椅子に座る。
対照的に、森 葉子は、朝間ナヲミから爪先まで完璧に整えられている。着古してはいるが、よく手入れされた襟付きのシャツ、カーデガン、スカート、厚手のソックスにスリッパだ。
「いただきます」
そう言って、森 葉子はコーンスープを一口飲んで、「熱っ」とか言いながらカップを口元から離して、そっとテーブルの上に置いて、トーストを手に取ってバターを塗り始める。
「風味はマーガリンの方が好きなのよね」
何やらに独り言の様に文句を言いながら、カリッと焼き上げられた表面にバターをふんだんに塗ったトーストを一口二口と囓り、飲み込んで行く。
不思議そうに、今の状況に戸惑っている朝間ナヲミに向かって、森 葉子の方から喋り始めた。
「今朝はとても調子が良かったの。気分も良くて・・・」
そう。今現在の森 葉子の様子は、朝間ナヲミにとってはとても当たり前の振る舞いだ。二人で共有していた日常そのもの。だが、最近では、その長年続けていた日常を忘れかけていた。
そんな、比喩的には「今日より良かった昨日」の"再現"だった。
「いつもありがとう。助けてもらっているの、今は分かる」
森 葉子が感謝の言葉を述べた。朝間ナヲミは、そこでやっと理解が追いついた。
ーーー最近の子供みたいなハコちゃんじゃない。
一時的に、知性レベルが戻っているのだ。老齢の方々に突然訪れる「覚醒期」だ。まるで、それまでの、知性レベルが低下した状態の彼女しか知らなければ、まるで別人が現れたとしか思えない「変化」である。
「多分、これ。長く続かないと思うんだ。だから、今の中に出来るだけの事をナヲちゃんにしてあげたくてね」
朝間ナヲミには分かった。「寝坊」の原因は森 葉子にあるのだ。朝間ナヲミより早く目が覚め、「覚醒期」のただ中にあることを悟り、朝間ナヲミの起床設定を一時的にキャンセルし、寝たいだけ寝かせようと言う心遣いを発揮したのだ。
そして、簡単で質素かも知れないが、心の籠もった朝食を出来るだけで短時間で用意しようと思い付いたのだ。
朝食の準備に長い時間をかけて、その間に「覚醒期」が終わってオロオロしてしまっては、戦略的に大敗北となるとの判断だろう。
朝間ナヲミも飲み物に手と付ける。そして、たわいのない会話を始める。
忘れかけていた長年続けていた日常の"再現"に努める。
次に何時この機会が巡ってくるか分からない。もしかしたら、最初で最後になるかも知れない。
今は本当に一分一秒が、束の間、刹那こそが何ものにも代えがたい。砂金よりも貴重な一瞬が、どんどん指と指の間からどんどんと漏れ落ちて行く。だが、気にしない。気にする、そちらに気を割く時間がもったない。気にするのは後からにすれば良い。
唯一無二の、それでいてたわいのない経験の連続。
気が付くと、老後の資金確保のために死ぬほど買い込んだ大量の株が大暴落中で、SOR指定で一瞬でも早く手放したい時。ある投資家は「コマンドを打つ一瞬を、一時間以上に長く感じる」こともあると言う。
それもそうだろう。
ーーー青い馬が走った。ブルースター。(The blue horse has run. Bluestar.)
現在のストックマーケットの運営は、チャーリー・シーンとマイケル・ダグラスがこれ見よがしにサスペンダーでズボンを吊り上げながら戦っていた頃ほどに悠長に行われてはいない。
逆もまた然り。宗教上の理由で逆指値を拒否して、上がり調子の株価がガラスの天井を叩いた瞬間に、利確の売りのコマンドを打つ一瞬が、一時間に感じることもあるとも言う。
一瞬のズレが巨大な損失や利益を生み出す機会。
朝間ナヲミにとって、森 葉子の「覚醒期」は、まさにそんな一瞬。機会が終わる最後の瞬間まで、この日常と言う幸福を噛み締めたい。
ーーーそうすれば、この先、長く長く、次の機会、新たな「覚醒期」を待って生きる為の糧となる。
「ねえ、覚えてる?」
「何でも覚えてるよ」
「ナヲちゃんが転校して来た日のこと」
「リハウス」
「そうそう。可愛かったなあ。そして綺麗だった」
「ありがとう」
「その時に思って、気付いて、願ったの」
「自分が朝間ナヲミになりたいって」
「・・・そうなんだ。ありがとう」
「夢は叶ったよ」
「良かったね。本当に良かった。嬉しいよ」
「私たちはどっちの願いも叶ったんだね」
「そうだね。幸運だった」
「この先も幸運が続くと好いね」
「絶対に続くよ」
「そう?」
「そうでないなら、運命の裁定者に向けて今すぐ長射程のAI-ARHミサイルを撃ってFOX4宣言するよ」
「まあ、怖い」
「ハコちゃん以外には怖くて良いんだよ」
「何か、"彼女にだけ優しいヤンキー彼氏"みたい」
「大丈夫。ハコちゃんには見えない様に暴れるから」
「あははは。それでお願いね。子供達の教育にも悪いから、出来るだけ見せないで」
「分かった。約束。そうするよ」
ーーー認知している現実に、時間軸的なズレがややありか。
朝間ナヲミは、話題の誘導戦略に「時間軸」に関わる話題の受け答えに慎重になった。
どうとでも取れる。森 葉子が、どう理解しても認識に矛盾を生じさせない様に話すと言う戦術を追加で採用した。
たわいのない会話がたわいなく訪れ、通り過ぎて行く。ちょっと前まではこれは当たり前だった。望まなくてもこれが繰り返されて来た。しかし、今では望んでも当たり前を手に入れられなくなっていた。
ーーー失って初めて、失ったものの大きさを正確に評価出来る。
朝間ナヲミだって、当たり前を低く評価したり、どうでも良いものと考えたり、邪険に扱ったりはいていない。むしろ、それを手にしているに関わらず、とても大切で、掛け替えのない、最高の幸運の結果であると評価していた。
だが、失ってみて分かった。自分の高評価を遙かに上回る程に、失いがたい、本物の生き甲斐の一角を占めていたと言うことを。
肋骨の内側の奥で、何か、甘い刺激物が絶え間なく分泌し続ける様な時間。
朝間ナヲミだって知っている。弁えている。もう、自身には肋骨どころか、胸部、いや、首から下の生身なんて付いてはいないことを。
ーーー何て甘い幻肢痛なんだろう。
幻肢に近い症状なのだろう。朝間ナヲミは、この痛みを治療で失いたくないと思う。このまま、ずっと、死ぬまで耐え続けたいを願う。
体性感覚野のエラーに過ぎないと医師は言うだろう。だが、万人が死ぬ権利を持って生まれて来る様に、自分一人くらい甘い幻肢痛に悶え死んでも良い筈だ。
だって、世界中の誰一人だって、直接的にこれから被害を受けることはないんだから。
朝間ナヲミは、この倒錯行為を多幸感をもって肯定した。肯定し続けた。人生を通じてだ。
森 葉子の「覚醒期」は思った以上に長く続いた。
朝間ナヲミは、擬体体内時計の情報を表層意識へ書き込ませた。時間はAM9:30であると認知した。
「これから麓まで買い出しに行かない?」
「二人で」と言う情報は確認しない。それが大前提で当然なので。
朝間ナヲミの提案を、森 葉子は快諾した。
そして・・・この婦々は、これから一時間後に石葺きの階段で行き詰まってしまう。
人生と言う路線を走る列車が、ターミナル駅直前の、最後の分岐点を通過しようとしていると言う、運行スケジュール。そこから先が長い、二人の出会った盆地、会津地方まで伸びる新藤原駅方面への乗り入れは許されないと示された。
運命の実在とその詳細と、それがもたらす人生の最後局面を、最も認知を拒み辛い状況を示された上で知らしめられることとなる。
※1= 単に早熟に過ぎなかったと見なされる子供達。辛いだろうなあ。でもね。逆境に屈しないで、絶対に諦めないで努力を、それこそ愚直に続ければ、時間は掛かるけれど・・・明日は今日より良くなるよ。きっと。千里の道も一歩からなんだからさ。
※2= 大きな数値のαは、Y軸に沿って昇龍拳した後で廬山大瀑布する様な株価グラフを描く。理想は太陽系外縁〜内惑星を縦断する1000年周期の惑星「ラーメタル」の様な、何かの弾みで第三宇宙速度へ達する可能性のある軌道線かも。あれ、近日点距離短過ぎ、遠日点遠過ぎ。由来は太陽系外から来た元浮遊惑星(元惑星質量天体)なのかなあ。失敗したインターステラー。まあ、歴史上、希に、そう言う種類のヤバイ天才が現れたこともあるし。
※3= 屁理屈では、努力を出来る出来ないも才能。努力する才能の持ち主が有利なんだってさ。魂まで潔癖な左派系教育者なのに、日●組と職場から追い出されてしまった知り合いの元・教師がそう呟いていたよ。
※4= 一人の若者に、十人の老人がぶら下がれる程に「巨大な希望を抱いて生きろ」と言うのは酷だ。それは分かる。しかし、「高齢化社会」では「正しい行為」となる。もし、若者がそれを拒むというのならば、老人は自ら貯蓄した富を持って生まれ育った社会を捨てるだろう。そして、残された若者は、、希望を発生させる燃料である老人が保有する富の供給を絶たれて、昨日より良い明日を獲得する効率を著しく低下させた社会運営を余儀なくされるだろう。どっちも得はしない。しかし、人間とは意外に双方が得をしない選択を好む習性を持つ。歴史がそれを証明している。




