いっすいのゆめ。 -12- // 2127年6月30日(月) PM2:30
〜あるいはしゅくやむび。
ベッドで眠るハコちゃんの姿.
寝れば芍薬。目覚めれば牡丹か。
或いは眠り姫。
そう。最近の私の嫁は、欧州民話「眠れる森の美女」の「いばら姫」そのものだ。
「いばら姫」なるプリンセスは、茨の森の一番奥で夢を見る。
長い長い眠りについて、そう簡単には目覚めてくれない。
原因は糸車の毒針。刺さってしまって、そのまま100年の眠りへと落ちてしまったらしい。
類似する眠り姫に、グリム童話の「白雪姫」も存在する。こちらの方が有名そうでなくもない。例の名前を口にすることも許されないお城の遊園地でも、大人気のコンテンツであるらしいい。
グリム童話の「白雪姫」は、口にしたリンゴに仕込まれた毒物が引き起こす中毒性疾患が原因なんだか、喉(気道)に詰まったリンゴの欠片による窒息が原因で。物語のクライマックス寸前で仮死状態へと陥る。チアノーゼとか体温の低下が起こっているだけなのかも知れないけれど。
兎に角、意識不明なのは間違いない。そう言う誤診で・・・死んでしまったと勘違いされて、棺へ収められたと言う笑い話こそが「白雪姫」のメインストーリーだった筈だ。多分。
何故か、原作よりも有名なアニメの方では、純粋に、毒リンゴによる急性の中毒性疾患が引き起こた末の死亡状態にあったと内容が書き換えられていた。
その後の流れも原作とアニメでは異なる。原作通りだと「白雪姫」が目覚める切っ掛けが、家来達が棺を運ぶ際に謝って転んで、棺が転がって、そのショックで白雪姫の喉に詰まっていたリンゴが外れる→目覚める→めでたしめでたし、である。
これではロマンティック皆無だ。ただの喜劇である。
必要なのはロマンスだ。ロマンティック…わはは、だ。だから、王子様のキスが呼び込んだ奇跡によって、死者が生き返ったと言う荒唐無稽なストーリーへと書き換えられた。
(確か、原作には、王様はストーリーの流れに関与していたけれど、王子なる人物の関与は一切無かった様な気がするんだけれど。)
神聖不可侵であるべき原作は、何故ここまでハデに改竄されたんだろう? と私、朝間ナヲミは首を傾げる。喜劇のロマンス劇化。これじゃ、グリム童話は原作じゃなくて、原案じゃん。
ーーーウィルヘルム・グリムに謝れ。
作者はもうご存命ではないけれどね。死者に口なしか!! 酷い。あれ? 著作権延長法? パブリックドメイン?
きっと、アニメ制作者にとって、原作通りでは、商売する上で非常に都合が悪かったからだろう。そして、世界中の女の子達の夢である「王子様のキスで目覚める」と言うスペシャル☆ハッピーエンドへと導くことこそが重要な課題だったのだろうと邪推する。
まあ、アニメの制作会社の決断は正しかった。あの改竄のお陰で、「白雪姫」とい言うアニメは二世紀に渡って世界中の女の子達の夢ナンバーワンであり続けている。そして、沢山のお金を合衆国へ集めるビジネスを絶え間なく生み出し続けている。まさに、無限エンジンである。
それにしても、「継母の魔女」とか、「パーティーに呼ばれなかった魔女」とか、昔話や童話には危ないオバサンが多過ぎる気がしてならない。
きっと、あれらの怖い彼女たちは(私と違って)、人生で良いパートナーに出会えなかったのだ。だから、小さな出来事であっても怒りゲージMAXで苛ついてしまうのだろう。
「イライラしてやった」と言うニュースや新聞でお馴染みのあのフレーズを思い出す。
そんな、なんだ、かんだで、最近、世界に眠り姫が一人増えた。
私のハコちゃん。彼女こそが、今、一番新しい、誰よりもイケている眠り姫だ。
今の私、久しぶりの思考力に余裕が持てている。それで、こんな余計なことにまで頭を回す余裕がある。
「白雪姫は仮死状態からの蘇生だったのかも知れない。だとすると、症状の数々は喉つまりの窒息ではなく、毒リンゴの毒が喉の粘膜から吸収されたことが原因であると推測出来るか・・・」
ーーーSome day my prince will come.
これは良くない。自分の将来に対する無責任であってはいけない。
この英文は、白雪姫が、世界中の女の子達に、呪いのように深く刻み込んだ恐ろしい戯れ言だ。
超大物ヒロインの余りに強気な姿勢に、私達も「それで良いんだ!!」と脳を焼かれたモブ達は、面倒臭いことは全てお相手に押しつけて良いんだと勘違いしてしまった。
何と、「いつの日か王子様が」と言う、一方的な長期待機モードへ生き方を変えるに足りる大義名分を得たのだ。
誰にとっても、自分からそこら辺にいる誰かを見付けて、白羽の矢を立てて、人生のパートナーになってもらうのは楽な作業ではない。
声かけるだけでも、恥ずかしいし、勇気が要るし、失敗の確率は高いし、失敗したら精神的な打撃を受けてしばらくは挙動不審人物になってしまうかも知れない。
しかし、自己感覚ではこの世界の九割の人間は、挙動不審人物になって社会から後ろ指指される巨大なリスクを承知で、自助努力と自己責任で自分からそこら辺にいる誰かに、最高の人生のパートナーになってもらうべく途方もない努力を注ぎ込み、重ねるのだ。頑張るのだ。
ハイリスク・ローリターン。これが九割の人間の恋の日常である。古今東西。古往今来。往古来今。天下海内。だから、ラブコメはどの時代でも需要がある。花織さんでなくてもケンカくらいしたくなる。
ヒロインとモブは違うのだ。自助努力あるのみ。壁に咲く花と言うポジションに甘んじることなく、一歩前に出て、カーテシーで挨拶するべき誰かを探索しなければ、何も始まらないのだ。
ヒロインとモブの、何が、何処か違うのか・・・を指摘してしまうと大変なことになるので、そこは加齢にThroughする。
まあ、この盛大に拡張解釈されたモラトリアムの後に、後期適齢期の独身女性が大量に婚活市場へと託される。しかし、どうやっても前期適齢期の独身女性の圧倒的なパワーには叶わない。どれほどに素晴らしい銘柄の株であっても、欲しい人が手を上げなければロウソクは垂下し続けるしかない。
おそらく婚活市場も株市場もまったく同じ法則が働いているのだろう。
危なかった。私も危なかった。ハコちゃんが一手打ち違えれば、一歩足の踏み込みが足りなければ、後期適齢期の独身女性の一人としての運命を謳歌していだろう。
全く、すべてハコちゃん次第だった人生。振り返ると、ちょっとどころか、かなり申し訳なく・・・はい。反省してます。
ーーー私は運が特別に良かった。
朝間ナヲミは、ベッドで眠り続ける森 葉子の寝顔を見つめる。
だって、ただ、待っているだけで、貴女のおかげで、勝ち組人生へ乗り換えられたんだから。
ーーーThat day my princess has come.
あの日、一方的な長期待機モードに入っていた私の元に、私だけの姫がやって来た。
ハコちゃんは、とにかく、とことん、都合の良い恋人だった。私達の結婚、切っ掛けは全部ハコちゃんが頑張ってくれたお陰。私は何も頑張らなかった。
実際、私はお祭りの射的の景品みたいに、棚の上に澄ました顔で立ってただけ。で、ハコちゃんは何発のコルク弾を撃ったのか知らないけれど、最終的に私を棚から落としてくれた。そして、おうちへ連れて帰ってくれた。そして、今へと至る。
ーーーWhat do you do when things go wrong? Oh! You sing a song!
もし、貴女が私の前に現れてくれなかったならば、あの時に諦めずに私を棚の上から打ち落としてくれなければ。「物事がうまく行かなかったらどうするの? そうねえ。歌を歌うのよ。」ばりに、どこかの映画館で「ありのまま〜」とシャウトして、何度もチケットを買い直して入場して、自己肯定の歌を歌い続ける人々の仲間入りをしていたんじゃないかなあ。
想像するだけで背筋が寒くなるバッドエンドだ。
出会った頃は分からなかったけれど、今なら分かる。貴女はHotでPerfectだった。もちろん、今もそうであり続けてるけど。
良かった。貴女の努力が実って、私、人生の袋小路へ自分の意思で落ちなくて済んだよ。
義胸をなで下ろす。ちょっとだけ背筋が凍るかと思った。
あの日、前回の覚醒期を迎えた5月25日から、ハコちゃんの睡眠時間が突然に長くなった。一日の2/3は確実に寝続けている。2〜3日寝続けることもある。
一週間もすると、寝過ぎが原因の床ズレで、背中などの一部の皮膚が赤くなり始めた。だから、定期的に寝返りを打たせる様になった。
ハコちゃんは、昼夜関係なく、たまに目を覚ます。その時は何とも朦朧とした感じで、何かを話したりするけれど、こちらが返す言葉へのリアクションはほとんどない。ただ、一方的に話し続けるだけ。
口元にスプーンで食べ物を運ぶと食べてくれる。でも、自分から食べ物に手を伸ばすことはない。食に関する興味を失ってしまった様だ。
車椅子で野外へ。狭い庭へ連れ出すと、半分くらいの確率で喜んだり、不満な態度を示したりする。
しばらく起きていると、また寝てしまう。
二週間目、寝ているままのハコちゃんの頭を私の膝の上に乗せて、強制的に口腔ケアを行う様になった。
三週間目、いろいろと緩くなった。仕方なくなって、テープ止めタイプ成人用オムツの使用を始めた。
これは、私に思った以上の辛い思いを与えた。久しぶりに泣いた。こんなものをハコちゃんに対して使わなければならない自分の至らなさに、腹を立てるより、悔恨の打撃によって自尊心が凹む。
納得出来ない。愚痴を吐こうにも、この自分への怒りを共有出来る誰かなんて知らない。
最愛のパートナーから、自分が、人間としての尊厳を奪っているかの様な錯覚に捕らわれる。
そんなことはない。もちろん、分かってはいる。しかし、論理的な考え方を捨てて、情理的な考え方に身を投じた方が、ほんの少しだけだけれど心を押して潰そうとする呵責が軽くなるのだ。
五週間目。今日、何とか人生最悪の鬱状態から脱した。呵責に耐えかねて、精神的に崖っぷち状態を一人で楽しんでいる余裕なんかなかったと言うことに気付いた。
今さっき。目を覚ましていたハコちゃんがお休みのキスを要求した。私はすぐに応えた。
すると、ハコちゃんは天使の笑顔で微笑んでくれた。
「大好き」
そう呟いてから、そっと目を閉じて、すぐに夢の世界へと帰ってしまった。
一人で現世に取り残された私は、自分がハコちゃんを「大好き」だったことを、ここしばらく、一カ月近く忘れていたことに気付いた、思い出した。
ああ、どれほど惨め同士であっても、私達は、それでも好き合って、幸せを共有出来ている。
私達はまだ引き離されていない。
社会は私達を放置していてくれる。引き離そうなんて素振りすら見せない。
一緒にいることは出来る。このことにはなんの障害はない。
今のハコちゃんは、本当に私だけのもの。私一人だけのもの。
そんな、最愛の嫁は、私に自分自身全てを託し切った。だったら、私は期待に応えるべく努力を続ければ良いのだ。
わざとらしいくらいにシャンと背筋を伸ばす。本当は肺なんて無いけれど、有る振りをして息を深く吐き切る。続けて、鼻からゆっくりと息を吸う。最後に、口から出来るだけ長い時間を掛けて吐き出す。
普通の人間だった頃の習慣。いえ、生身の人間の真似事。
病は気から。鬱も気から。こういうのは、お呪いみたいなもの。やってみると、どんな身体であっても、心に効くものである。
気分の切り替えの儀式は恙なく終わった。
盛大に勘違いしていた。
気を張り過ぎていた。自分に厳し過ぎた。緊張を和らげる努力を怠っていた。一方で、自分が緊張していた事を認めて、真正面からそんな風に弱い自分を認めて上げよう。
やがて、崩れ気味だった私の顔に張りが戻った。洗面台の鏡に映った自分を見たときに気付いた。
地獄の沙汰も、極楽の沙汰も、それを受け止める自分次第。
なあに。目が覚めたら全身が人工物へ置換されていたことと比べたら、昨日も今日も大した問題はない。そして、明日も等しくそうだろう。
さあて。ハコちゃん。今度は何時目覚めてくれるんだろう?




