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いっすいのゆめ。 -04- // 2127年1月5日(日) AM11:30

〜あるいはしゅくやむび。

 今日の森(もり) 葉子(はこ)は「悪い子」である。


 お世話をしてくれる朝間ナヲミのお願い(言うこと)を聞かずに、ダイニングと言う名の、食堂として使っている一番大きな部屋にある大きなテーブルの上から動いてくれない。


 ーーー本当はベッドの上でテレビ(動画)でも見ててくれれば安心(・・)なんだけれど。


 朝間ナヲミは、森(もり) 葉子(はこ)に背中を監視されながら、今と寝室を遮っている開閉式のドアを撤去中だ。良く見ると、玄関や3点ユニットバス(トイレ+ユニットバス)沿いの廊下を遮っているドアはもう無くなっている。


 森(もり) 葉子(はこ)が右足の小指を打つけた箪笥も見当たらない。代わりに、一回り小さな、柱がプラスチック製の、安価で軽量な収納チェストが置かれている(何と、引出し部分はポリプロピレン製と言う念の入れ様だ)。


 箪笥に限らず、テーブル、椅子、モニター用ボード、ベッドなど、屋内のほとんどの家具の膝から下の位置には、厚手のクッション(高弾力ニトリルゴム)を伴うコーナーガード(L字形安全クッション)までが奢られている。


 全て、朝間ナヲミが一つ一つ貼り付けた。適当なサイズに切り分けて、粘着テープで固定してある。


 注意深く屋内を見渡すと、人間が移動に多用する、生活動線が以前と比べてかなり拡張されている。これなら、不注意に屋内を歩き回っても手足を打つける心配はないだろう。そして、今、朝間ナヲミが貼り付けているコーナーガード(L字形安全クッション)が、万が一強く手足を打つけてしまっても、打撃部のダメージを最低限に抑えてくれる筈である。


 ーーー少なくとも、朝間ナヲミはそんな目論見通りの作用を期待して作業を行っている。


 実は、新しい家具やコーナーガード(L字形安全クッション)などの安全グッズは昨日のお昼頃に、小山の自宅の玄関前に置き配されていた。朝間ナヲミとしては、翌日にでも終の棲家の改装作業を始めようと考えていた。


 ーーーしかし。


 完璧に見える計画とは、完璧を目指して立てれば立てるほどに確実に瓦解するものである。


 ーーーだいたい、自分以外の要素と言う、不断の注意を払っても防ぎ切れない不幸が発生するのだ。


 1月4日(土) AM11:59。朝間ナヲミが、ダイニングの端にある小さなキッチンで二人の昼食を作っていると・・・。


「痛ーーーいっ!! ナヲちゃーんっ!!」


 と何時か何処かで・・・聞き覚えのある悲鳴が聞こえた。


「ハコちゃん、大丈夫?」


 エプロンをしたままの朝間ナヲミは、反射的に一瞬で(擬体の安全機能で)ガスの火を消して、小走りで悲鳴がした方へ移動する。


 そして、足下には、足の先を抱えて蹲(うずくま)る森(もり) 葉子(はこ)が転がっていた。


 デジャブ。既視感と脳裏に浮かべながら、朝間ナヲミは森(もり) 葉子(はこ)の上半身を抱きしめる。


「どうしたの?」


「わかんない。歩いてたら足が痛い」


 まさか。朝間ナヲミが森(もり) 葉子(はこ)の足の先へ、恐る恐る視線を向ける。


「ーーー!!」


 森(もり) 葉子(はこ)の左足の親指の爪が割れていた。


 ーーー右の頬を打たれたら、左の頬をも向けなさい(だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。マタイ(5章39節))。


 世界で最も有名な大工の息子が歴史に刻み残した、意味不明な格言を脳裏に浮かべながら、本気で嘆きたい気分になる。


 ーーー二度あることは三度ある。


 続けて、経験則として、戦場でも、政治でも、私生活でも証明済み(Proven)な知恵が、おそらくは第二小脳が管理している外部補助脳から表層意識へアップロードされる。


 その日、朝間ナヲミは、森(もり) 葉子(はこ)の左足を氷水で冷やし続けた。急性期をアイシングで乗り切り、左親指全体の炎症による腫れを最小限に抑えて見せた。応急処置と事後処置としては完璧に努めた。しかし、患者からは大変に不評だった。


「冷たい」「寒い」と騒ぎ立てられた。しかし、短期間の間に救急キットのナノマシンの多用は推奨されない。更に、一目で、放置したら酷い内出血+パンパンに腫れるほどに盛大な炎症を起こすことが分かった。だから、もっとも確実な、伝統的なアイシングによってピンチを乗り切ることにしたのだ。


 しかし、悪いことばかりではない。飛び切りの不幸の中にも、ほんの少しだけれど、ちょっとした幸運が混じっていた。


 森(もり) 葉子(はこ)の新しい傷の、出血や腫れなどの症状が、想定を遙かに下回る規模でしか進まない。


 ーーーおかしい。不思議だ。あっ。


 そこで、朝間ナヲミは、「なるほど」と察して、納得した。


 どうやら、先日にインジェクトした救急キットのナノマシンの一部が、機能待機状態のままで生き残っていたらしい。アイシング中に黒に染まり掛けた患部の症状に、明らかに速過ぎる改善が見て取れる。


 どうやら、骨髄(※)だか、血液中に潜んで静かに休眠していた(自然分解を待っていた)医療用ナノマシンが、今日の傷を察知(免疫機能の動きから察したのだろう)。そして、新たな肉体損傷を、先日の負傷の延長であると個々(それぞれ)に判断して、個々(それぞれ)が偶然に団結して、激しく傷付けられた細胞群の修復を「過去の命令の延長処置」として行っているらしい。


 ーーーさすがハコちゃん。


 朝間ナヲミは、ここで初めて自分の擬体が呼吸を模倣(・・)する動作を行っていないことに気付いた。そして、大きな安堵の息を付いた。


 朝間ナヲミは知っている。何故か、森(もり) 葉子(はこ)は昔から知性(またそれに近いもの)を持つ機械類に愛されている。高校生だった頃は、ほんの短期間で終わったが、どこの交差点や横断歩道でも「信号が青色」と言う珍事が頻発した。だから、朝間ナヲミは、自分が森(もり) 葉子(はこ)を求めるのは、自身が機械であるからではないか? と考えて不安な日々を送ったこともあった。


 朝間ナヲミの義父は、森(もり) 葉子(はこ)の特性を以て「祝福(Gifted)」と評した。


 ーーー久しぶりに義父のことを思い出したな。


 朝間ナヲミは、何十年ぶりに、合衆国へ渡ってから音信不通となって久しい元・保護者のことを思い出した。どうやら、津田沼博士と同様に、まだご存命どころか、何かの守秘義務だらけの役職に就いているらしい。そして、保護者としての義務は果たし終えたとして、養子である朝間ナヲミへの興味を完全に失っているのか。或いは、干渉を自制しているらしかった。


 ーーー便りのないのは良い便り。


 義父が緊急の連絡をして来ないと言うことは、朝間ナヲミに対する巨大な脅威は今のところ(・・・・・)迫ってはいない。朝間ナヲミは、そう思うことにして、義父に関する想いを横に置いて、森(もり) 葉子(はこ)に集中することにした。


 その日は、アイシング用の素材と弾力包帯で左足が団子状態にされた森(もり) 葉子(はこ)を、朝間ナヲミは日が昇るまで、抱いて眠った。足が痛い、冷たい、寒いと最初はグズっていた森(もり) 葉子(はこ)だが、朝間ナヲミに抱かれている内に「これはこれで心地よい」と満足したらしく、当然に温和しくなった。お陰で、医療用ナノマシンは、宿主に作られた新たな傷を最も効果的に塞げる環境を迎えられた。


 朝間ナヲミは、義手の左腕上腕部に森(もり) 葉子(はこ)の頭を乗せて、森(もり) 葉子(はこ)を抱いて横たわる。新たに作られた怪我のある左足を護るように、義足の右足で森(もり) 葉子(はこ)が下半身を跨いで寝返りを防ぐ。


 色々と苦心している朝間ナヲミの配慮をよそに、森(もり) 葉子(はこ)は穏やかな吐息を立てて、何やら、都合の良い夢を見ているらしい。聞き取れない寝言を繰り返し、微笑んでいる。


 昼間と違って、まさに天使の所業だ。この、自分の義手(腕)の中で眠る嫁の中には天使と悪魔の二柱が確実に同居しているのだ。


 幸せを噛み締めていると、朝間ナヲミは突然に突拍子もない「If」を思い付いてしまった。


 ーーー義父ならば、相談相手となり得るだろうか?


 現状を整理して正しく認識し直すには、善意と明晰さを併せ持つ相談相手が不可欠だ。もし、お手伝いさんの百合子さんと連絡が取れるならば、彼女こそ最もその条件に相応しい相手だろう。だが、朝間ナヲミは。何故か、今は(・・)、いくら探しても百合子さんを見付けることが出来ないだろうと直感していた。


 根拠はない。だが、経験則ではこの挑戦は必ず残念な結果しか齎さないだろうと分かってしまっていた。


 虫の知らせ的な、暴落中の株価がプラ転する絶妙のタイミングを嗅ぎ分ける野生の感の様な、万人への説明は難しいが分かる人には分かる感覚と言うものは、確かにある。


 ーーー今は良い。私がいくらでもハコちゃんを護ってあげられる。しかし。


 今の状態がこの先、どれだけ続けられるのか。朝間ナヲミのスーパーエゴ(超自我)的な知性は、残された二人の時間は、お互いにそう長くないと囁き続けている。朝間ナヲミは、少なくとも彼女自身は、"終わり"に対する恐怖はなかった。十分に長く生きたし、もう新たにやりたいことは残っていないし、社会も自分に長く生きてもらわなければならない理由や事情は持ち合わせていないと、嫌になるほど深く理解していた。


 ーーーもう、互いが互いを互いで求めるだけで終わる、とても簡潔な社会に生きている。


 それでも、にも関わらず、朝間ナヲミとして、たった一つだけ絶対にやり残したくないたった一つの事業があった。それは、森(もり) 葉子(はこ)を看取ること。そして、送ること。自分一人だけが一足先に"終わり"を迎えて、森(もり) 葉子(はこ)をたった一人この寒い世界に残して"消え"たくはないと言うこと。


 ーーー果たして、この願掛けを誰に送れば良いのか。誰ならば、どの神ならば、責任を持って叶えてくれるのか。


 自分一人がこの寒い世界に取り残されるのならば、それはそれで構わない。そのくらいの罪ならば、十分に積み重ねて来た。しかし、森(もり) 葉子(はこ)はその様な罪を重ねてはいない。


 もし、森(もり) 葉子(はこ)に何かしらの罪があるとするならば、それは、次から次へと罪を重ねた朝間ナヲミを心の底から受け容れ、汚れた魂に救いをもたらし、更に次の罪を重ねる力を与えたと言う一時に尽きる。心配はそこにある。死後に審判を行う勢力には、連帯責任制と連座制を採用している疑いが濃いのだ。


 歴史上最も有名なの大工の息子が残した言葉によれば、金持ちが天国の門をくぐるのは、ラクダが針の穴を通るより難しいらしい。


 だったら、と朝間ナヲミは願う。


 ーーーハコちゃんだけで良いから、天国の門でも針の穴でもいいから、ちゃんとくぐらせてあげて欲しい。


 気が付くと、寝室のカーテンの向こうが白みつつあった。


 腕の中で森(もり) 葉子(はこ)が、何やらもぞもぞしている。寝返りを打とうとして、打てないままに諦めて、そのまま静かになってしまった。


「良い子ね」


 朝間ナヲミは、ふと、考え過ぎてしまったことに気付き、反省した。そして、擬体に搭載されている裏メニューの睡眠導入コマンドを叩いた。


 まだ、眠りと言う救いだけならば、残されていた。


※= 熱帯熱マラリアの原虫は、骨髄内へも潜伏する。血管中の原虫の駆除は可能である。しかし、肝臓や骨髄と言った一部の人間の器官は折角の投薬を無効化してしまう特性を持っている。だから、2026年現在でも抗マラリア薬でも原虫の徹底駆除が出来ない。マラリアが再発性の高い熱病である理由はそこにある。ソースは順天堂大学の紳士達。22世紀ではその特性をナノマシンに模倣させている。一部の医療用ナノマシンではあるが、市販品でも骨髄内へ潜んで長期待機を行えるモデルも実用化されている。特に、軍用などの特殊な環境に特化した、打ちっ放しの医療用ナノマシンにとって「潜伏」機能はとても重要である。

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