いっすいのゆめ。 -01- // 2126年12月15日(火) PM1:55
〜あるいはしゅくやむび。
今日は、六曜、または六輝、或いは宿曜に照らし合わせれば「大安」。
縁起の良い日とされている。
しかし、どの様に良いのか。
それは「大安」に当たる日であれば、終日、一日を通して、不吉とされる時間帯が存在しないことが約束されているからだ。
もし、貴方が、人事を尽くして天命を待つ的な、人間の努力だけではどうにもならない何か。例えば、人生の挑戦や運命との戦いに挑むのであれば、「大安」の日こそが相応しい。
人生の挑戦や運命との戦い、それは結婚式、または引っ越し、或いは起業、などなど。
もしも、選べるなら、死ぬ日も「大安」でありたい。そして、「友引」に当たる日の午の刻(11時〜13時)は出来るならば避けたい(ただし、厳格な義務ではなく努力目標で)。
縁起は大切である。尊重できるならばしておいた様が良い。気にする人は酷く気にするものなのだから。
だからと言って、敢えて、熟考して、その日を選んだわけではない。
だが、偶然と言うよりも、きっと必然的にこの日になったのだろう。図らずも。
朝間ナヲミ、そして森 葉子。
二人はこの街へ戻って来た。
終の棲家と決めた、「私立会津高校小美玉校・学生寮118号室」へ。
二人がまだ将来を模索していた頃に共に暮らしていた、約一世紀前には被災者向けの簡易住宅のなれの果てへ。
一生の成れの果て。
人生の最終点。
廃棄物を再利用し、それこそが終の棲家であると、誰でもない二人が決めた。
法的にも、歴史的にも、公的にの、「それがそうである」と決める事が出来るのは今では彼女達だけである。
おそらく、約一世紀前に公的機関が、それを被災者向けの簡易住宅とすると選んで決めた過程であれば、キチンとした記録は残されているだろう。例えば、それを選定するに当たって、必要とされる条件。例えば、それの入札から落札までに関わった業者のリスト。例えば、どこの業者がそれの施工を担当したか。などなど。
しかし、それのそれらの過程に関わった者達は、既に全員が鬼籍へ入っていると考えるのが自然だ。
もし、ご存命であるならば100歳を超えている筈だから、住民基本台帳を基準として、「百歳高齢者表彰」の対象者となっている。厚労省から敬老の日に名前入りの銀杯を贈られた記録が、各自治体からお祝い状や敬老祝金が贈られた記録が残されている筈である。
この表彰は日本国外であっても行われる。例えば、2025年に在トロント日本国総領事館から現地在住の日本人女性が105歳の長寿を祝われている。
そして、既に鬼籍にある彼等は誰一人として、「百歳高齢者表彰」の対象者とはならなかった(普通の寿命を授かり、普通に老いて、普通に見送られたと推測出来る)。
何を今ここで描きたいかと言うと、朝間ナヲミ、そして森 葉子以外の当事者が現存してはいない。だから、もし、二人が「それがそうである」と決めれば、直ちにその選択こそが唯一の正解となるのだ。
最後まで生き残った者。それは、誰もが、徳川家康的に、あらゆるもの全部取り出来るのだ。
ーーーThere can be only one.(生き残れるのはただ一人)
クリストファー・ランバートとショーン・コネリーに二人が演じたあの推敲な物語(※)同様に、人間社会の根本には「ハイランダー・ルール」が適応されている。
その日、朝間ナヲミと森 葉子の二人は、約二ヶ月ぶりに愛車でお山を下りて、麓にある移民達が住民のマジョリティーとなっている街を訪れていた。
街の人々は、以前と変わらず態度で二人を突かず離れず。余計な干渉をしない様にを気遣いながら見守っている。だが、そんな彼等も二人の構成に変化が生じている事に十分に気付いていた。
以前は、背の高い西欧人風に妹と、背の低い日本人風の姉と言う構成だった。
しかし、今日は、背の高い西欧人風の双子の姉妹と言う構成である。
一人は、彼等にとっては見慣れた、亜麻色の神とブラウンの瞳を持つ北欧系少女。
もう一人は、彼等にとっては初見の、金髪碧眼を持つ北欧系少女。
見慣れた少女が回った店で商品を選び、交渉を行って、気に入れば買い上げる。
そして、初見の金髪碧眼少女の背嚢に買い上げたものの全てを入れる。
何も変わらない日常の再現である。しかし、その実は、激しく揺れるタイトロープを素足で歩く特殊技術者が支えるお盆の上にある程に際どい日常こそが「今」である。
そして、お盆の上にある「日常」は、常に、何時にこぼれ落ちても不思議がないほどに再現と継続が危うくもあった。
「日常」は調整の果てにやっと再現された。ゼロから修復されたと言っても過言ではない。
現実の都合と不都合の間には膜ほどに薄い脆さしかなかった。その薄く脆い膜を破ることなく、都合の良い現実だけを取り寄せた結果、「今」がある。
ただし、現在の「今」も危急ではないが、以前、心もとないままではある。
その日、二人は普段とは異なり、お気に入りの喫茶店で紅茶で休憩をすることなく、そのままお山へと引き返して行った。
喫茶店の主人は酷く残念がっていた。
だが、二人が彼等の街へと戻ったことをそれ以上に喜んだ。
そして、喫茶店の主人とそれ以外の街の住人の全てが、彼等の街が誕生した事情と、存在すべき理由を思い出し、意義を再認識し、「上がり」を迎え入れる心の準備をしなければならないと悟った。
※= ただし、第一作のみ。あらゆる続編とTVドラマは含まれない。




