みつせがわのだくりゅう。 -07- // 2126年10月23日(水) AM11:50
森 葉子が、ヘッドアップディスプレイを被って、三次元のホログラフィー表示式インターフェイスを操作している。
徹夜続きで目を赤く腫らしているいのだが、ヘッドアップディスプレイを外すヒマがないので、誰もそれを目視では確認出来ていない。
だが、彼女を取り囲む助手達も全員が、ちょっと前までは似たような状況にあった。五十歩百歩。即味噌一緒。
もちろん、彼等、彼女等は、森 葉子と違って替えが効かない存在、『頭』でない。だから、隙を見付けては短時間睡眠を取っていた。だから、肉体的にも精神的にも傷は浅かった。
それでも、不十分な休息時間によるストレスは確実に身体を締め上げて、なんだかんだで眼球を酷く充血させていた。
森 葉子はすごいのは、情報のスキャン精度を上げるために、自身の第二小脳経由で吸い上げたデータをダウンロードしていた。同時に、操作系の指示コマンドのアップロードは、半アナログ系であるヘッドアップディスプレイによるジェスチャーで行っていた。
まともな人間であれば、データのダウンロードとアップロードは同一の系統を使う。その方がユーザーへの体力・精神的な負担が軽くなるし、応答処理である程度の自動化を頼ることも出来る。
しかし、森 葉子は、約1秒差のタイムラグ排除を求めて、人間(の意識)の処理能力の限界を極めると言う選択をした。
一瞬でも早く、治療中の患者、彼女の嫁の状況の変化を察したかったからだ。そう、その一瞬がことの成否=朝間ナヲミの生死を分けてしまいそうだったからだ。
何故、そこまで自らの精神を酷使し続けるのだろうか?
それは、森 葉子自身が、22世紀になってなお、仮想現実世界による最大深度のフルダイブ記録保持者(非公式)であると言う自負もあったのかも知れない。
ーーー森 葉子が高校生だった頃にフルダイブして見せた情報密度(情報圧)の高い環境は、合衆国の第三世代、最上級情報オペレーター「寺社巫女」であっても、未だに追従出来ないレベルだった。
だが、レコード・ホルダーとしての自負以上に、森 葉子は、自身が一色触発のヤバイ事に挑戦していると言う自覚があった。
森 葉子がやろうとしているのは、大量のナノマシン(ピコマシンも含む)のスウォーム操作(現場でのマシン個体の群れないでの自律活動と連携指示とAI学習の促進のマネージング)である。
人類の技術は、やっとドローンの群れを万の単位で自在にスウォーム操作出来るところまで到達していた。森 葉子は、ドローンではなく、ナノマシンの群れ単位で操作していた。そう、たった今、それを実行中だ。
全ては、朝間ナヲミの生体脳の組織の全更新の為である。
刻一刻と死滅して行く生体脳の細胞組織を代替物(人工細胞)へと置き換え、同時に置き換えるべき痛んだ細胞が留めている情報を出来る限り搾り取って、置換する代替細胞へとハンドオーバーさせる。
それも、外部サーバーなどを利用せず、朝間ナヲミの生体脳を取り囲んでいるナノマシンの群れに、それら二つのタスクを行っているのだ。
森 葉子は、この治療法を長年に渡って計画していた。基礎研究としてなら、治療用ナノマシンの群のスウォーム操作は検討されていた。元細胞から代替細胞への情報のハンドオーバーも検討はされていた。だが、いずれかの治療法に限った実験を齧歯類で行った論文が何本が話題となるレベルで終わっていた。
つまり、森 葉子がやろうとしている挑戦は前人未踏であり、ぶっつけ本番で人体に対して行うと言う、倫理的に問題が大きそうな治療だった。
ーーー人体実験。
そう追求されたら、おそらく三審制度をフルに使った末に、最高裁で有罪が確定しそうなほどに深刻な問題を孕んでいた。
だが、森 葉子がヤバイと認識しているのではなく、失敗すれば人生のパートナーを失い、一人で世界に取り残されると言う恐怖の方だった。
ーーー医師免許の剥奪、大学教授の解任、更生施設への収監、非進歩主義者のヒステリーの爆発などは比較的にどうでも良い話だった。
もし、朝間ナヲミをこの世界へ戻ってきてくれるならば。であるが。
これらの時代を超える、まるで、実現した場合はその成果が科学の成果ではなく、黒魔法の奇跡であるかの様に見えてしまう隔世的挑戦には、かつての教え子である黄 紀子の存在が不可欠だった。
彼女は、ナノマシンへの有機細胞の操作依託など、血中からのアプローチによる遠隔治療開発分野でのトップランナーである。
今回は。森 葉子が描いたラフをブラッシュ・アップして現実性と実現性を高めるなど、依頼者と同じくらいに、目を真っ赤に腫らす大活躍していた。
ただし、黄 紀子が積んで来た経験の多くは、単機能を目的としたナノマシン操作依託である。森 葉子が構想し、着手したナノマシンへのスウォーム操作依託ではない。
だから、誰にとっても今回の作業は前人未踏の分野で挑んだ冒険であった。森 葉子の目論見は理論的には実現可能だ。しかし、人類がこれまでに蓄積した経験が、不足どころか皆無であるため、必ず起こる数々の想定外が予期できない。そして、想定外の問題の連続に対して、即時決断の対処を繰り返す必要がある。
場合によれば、問題には対処不能の場合もある。即決した対処方法が誤りである場合もある。上手くいっていると思ったら、自治は完全に見込み違いだったことが後から分かる場合もある。
それらの不都合も、森 葉子には想定内であった為、迷いが生じた場合は複数の対処策を平行で行い、後からハズレを捨てて、アタリを選んで採用した。また、予言者として知られる「水前寺清子」の言葉に従って、「三歩進んで二歩下がる」と言う治療選択をも採用していた。
何事もぶっつけ本番。まだ突いてもいない藪からヤバイ何が何時飛び出てきても不思議はない。
黄 紀子は、ヘッドアップディスプレイではなく、ホログラフ機能搭載グラスを掛けて、森 葉子の研究室の端に置かれているコーヒーメーカーのボタンを押す。
エスプレッソ、トリプル。ボタンに三重か四重くらいに張り殴られたシールには、その様な禁断の呪文が手書きで書かれている。
最初はシンプルなエスプレッソだったに違いない。徹夜が重なるほどに、ダブルになり、砂糖とミルクが追加され、トリプルになり、最後に砂糖とミルクが取り除かれた(タンクが空になってからは放置された)。仕事が佳境に入り、どんどん強い刺激が必要になったと言う過程が、貼られたシールから読み取れた。
黄 紀子は、ゴミ箱から溢れた使用済み紙コップを一瞥してから、比較的マシに見える使用三回目くらいの紙コップにエスプレッソ、トリプルが縁まで注がれたことを確認する。
そんな二つのカップをお盆の上に乗せて、ゲーミングチェアの様にも見える安物の背の高い椅子に腰を埋めて、何となく夢遊病患者の様に両腕を振り回している恩師・森 葉子へと近付く。
森 葉子の両腕が届かない円周外に置かれている収納式のテーブルへお盆を置く。
現実の世界に重ね移される仮想現実を映し出すグラスの、三次元グラフ表示のホログラフを眺める。
(コウ) 紀子は、小康状態にあると判断していた。最初の2日間は蜂の巣を叩いたように、次から次へとトラブルに襲われた。
森 葉子が率いるチームは、それを人海戦術で乗り越えた。同時に、人工知能に見学学習させ、対処の出来る限りの自動化を目指した。50時間が過ぎたあたりで、人工知能による選択の効率が人間の群れを上回った。
そこで、ナノマシンへのスウォーム操作依託へ全面的に切り替えられた。その後は、ネットへの常時ダイレクトリンクは森 葉子と黄 紀子の二人だけに絞られた。
残りのメンバーは、今はちょうど一時帰宅したり、リモート参加へ切り替えたり、外へのお使いへと作業参加スタイルを変えた。ただし、何かあれば直ちに森 葉子と朝間ナヲミの生体脳の元へ戻ると言う段取りになっていた。
黄 紀子は、グラスの柄の付け根のタッチセンサーをダブル・タッチしてネット上でつながった『呼び鈴』を鳴らした。
「教授、引き継ぎます」
「・・・」
森 葉子は、両腕を動かすのを止めたが返事はしない。まるで、陸にあげられて半日も経過した魚のように、背骨の構造を無視しているんじゃないかと言う姿勢でぐたっと、背中を外側に向けて脱力した。
「"You have control."」
肉声ではなく、仮想現実の方からコールが来た。黄 紀子は、くまが浮かんだ目元を緩ませた。
「I have.」
仮想現実を映し出すグラスの、三次元グラフ表示の操作権が委譲されたことを、黄 紀子は第二小脳経由で自覚する。表層意識を微妙に上書きされ、森 葉子の表層意識の興味の対象に限り完全に引き継いだ。
これが起こると、まるで、今まで3時間以上ぶっ通しで行っていた森 葉子の作業を、自分自身がやっていたかの様な錯覚に陥る。しかし、それは作業場の問題とはならない。
黄 紀子は立ったまま、第二小脳経由で朝間ナヲミの生体脳再生、一進一退期を乗り越え、徐々にルーチンワーク化されつつあるナノマシンへのスウォーム操作依託作業を続ける。
森 葉子と比べれば、受け取れる情報密度は圧倒的に低い。しかし、ここまでくれば、つまり既に峠を乗り越えているので、そうそう事態の急変の起こり様はない。
「人工知能さんもだいぶ賢くなったなあ・・・」
黄 紀子は、現実世界へは目も向けていないのに、お盆の上の激濃度のエスプレッソ・コーヒーのカップに手を伸ばす。危なげもなく左手で掴み、口元へと寄せる。
ーーー慣れたものである。
彼女は、この技術を森 葉子の研究室、ゼミ生だった事に習得した。もちろん、この盲牌的な技術は特別なものでなく、森 葉子の下に長く付いた研究生や研究者であれば、誰でも習得済みであった。
操作権を委譲してから5分後、森 葉子はやっと動き出した。ヘッドアップディスプレイを脱ぐのも面倒だったらしく、黄 紀子の視界へ割り込んで、激濃度のエスプレッソ・コーヒーのカップの位置を確信して、右腕だけ動かして掴む。それをすこしこぼしながら口元へと持って行く。
「止めてくださいよー。教授−」
激濃度のエスプレッソ・コーヒーを一気飲みした後で、森 葉子はやっとヘッドアップディスプレイを脱ぐ。
「良いではないか。良いではないかー」
冗談のつもりであったらしい。続けて、ゾンビも驚いて後ずさりしそうな動作で椅子から立ち上がる。
「ごめん。30分寝る」
「おやすみです」
森 葉子は、椅子から約3m離れた床の上にある、やれた段ボールハウスへスライディングの要領で滑り込んだ。
そして、1秒もしないうちに静かな寝息を立て始めた。
黄 紀子は、森 葉子が自分に操作権を完全に委譲して、睡眠し始めたことに驚いた。
それで、「もしや」と思って朝間ナヲミの生体脳の再組み上げ具合のオーバー・ビューを人工知能へ依頼した。
「ーーー!!」
黄 紀子は、森 葉子が、やりたかった事を全て達成し終えたことに気が付いた。
人事を尽くした。だから、後は天命を待つ。
作業が終わった訳でもなく、完全終了のタイミングが見えた訳でもない。しかし、全ての大きな問題を解決し、人工知能もその道筋を完全に理解するほどに学習を終えていると納得したのだ。
「やっちまいましたね」
黄 紀子は、森 葉子が、自分に操作権を渡したのは、実は「勝利宣言」であったと知らしめられた。
森 葉子は一言も告げなかった。告げる余裕もなく夢の世界へとダイブしてしまった。
朝間ナヲミの生体脳で起こった事。
全細胞レベルで崩壊(自壊)し始めた。脳全域へ広がりつつあった崩壊ベクトルを力業で押さえ込んで、ナノマシンによる再構成ベクトルで上書きし始めた。
明らかな劣勢から始まったが、今では、三次元勢力図の攻防を見れば10%以上の優勢を勝ち取っていることは明白。
そして、優勢は、今後は加速的に広がって行く気配であった。
ーーーここまでくれば、朝間ナヲミの"生体脳の復元"に限ればほぼ確実に実現するだろう。
そう言えるところまで、圧倒的に不利な状況を覆して、ネイチャーに10部連続で掲載さる質の論文を書ける程の偉業を達成しつつあった。
しかも、大規模な国家プロジェクトでもなく、日本国の大学院ではありふれた低予算のプロジェクトとしてだ。
「これは・・・学会、荒れるなあ・・・」
黄 紀子は、世界が忘れつつある森 葉子医学博士の権威に復活を予見した。
そして、少し不安になった。
ーーー果たして、これに再現性は求められるのだろうか?
まるで、錬金術で人造人間を作り下てしまったような錯覚に陥る。
神経外科医のワイルダー・ペンフィールドが1930年代に提唱した、脳の運動野・感覚野が身体の各部位を支配する割合を視覚化した「機能局在」の感覚野と運動野に分けた小人を、模型ではなく、二野を統合した生き物として作り出してしまったのかも知れない。
てんかん手術中に(覚醒下手術!!)閃いた様なペンフィールドの、脳が司る感覚や運動の領域を可視化した地図。
人類は、脳と身体とそれらの馴れ初めを解するために不可欠な地図を手に入れるチャンスを得たのだ。
脳の「機能局在」を完全に理解し、感覚野と運動野の全情報群のクローン化に成功し、更に記憶のハンドオーバーが可能になると言うならば、人類が、過去の大帝国の支配者達が夢見てなお届かなかった永遠の生命や不老不死と言う妄想が妄想ではなくなるのかも知れない。
ーーー伝説の錬金術師#パラケルスス#の再来。
ルネッサンス期以来の人類の夢を、森 葉子主導のチームが成就。
もし、黄 紀子の抱いた『不安』が真実であれば、かつて世界を騒がせた、今や都市伝説化しつつある、人民共和国で不死を求めてサイバー技術を無制限に施したと言う、日本国の大学生が好むイベント、深夜の肝試しや文化祭の幽霊屋敷の定番キャラとして知られる『偉大なる党の亡霊』の果たせなかった夢、或いは無茶を叶える道筋が立つかも知れない。
森 葉子は、確かに朝間ナヲミの生体脳を元に治療を行った。しかし、今も置き換えられつつある生体脳はほぼ100%が人工物へ達する事が確定である。
無から有を作り出す。
人工的な有機物で人体を構成する。
果たして、そこに魂は宿るのか?
森 葉子は、必ずそうなると信じている。しかし、黄 紀子は未来をそれほどまでに楽観視は出来ない。
もし、それが可能となるならば、人間はいつまで人間でいられるのか。どこまで人間でいられるのか。
そして、どのようにあれば、人間でいられるのか。
黄 紀子は、段ボールハウスの中で、おそらく朝間ナヲミとの再会を夢見ているだそう恩師の心持ちを慮った。
今、人類は黄泉の国の扉に手を掛けた。
もちろん、分厚い扉を叩き壊す為にだ。
目的は、出入りを自在にしたいが故に。
黄 紀子は、徹夜二日目であるに関わらず、今晩は眠れそうにないと感じた。
そして、今、幸せそうに就寝中の恩師の無邪気さを羨ましくも思った。




