迫る猟犬
スパイからの報せは、まっすぐ“帝国の情報塔”へと届く。
この領都の外町、そのさらに奥――
誰も近づかないスラム街の、廃教会の地下。
そこに“狩りの司令塔”はいた。
「……鳴ったか」
受信専用の《マジックギア・レシーバー》が低い唸り声のような音を立てている。
フードの男はその報告をじっくりと聞き終えると、背後に立つ影に声を投げた。
「――準備を。今使えるのは……“三匹”か」
コートの裾を翻し、暗がりから現れた3人の影。
彼らは、静かにうなずき、無言で装備を整え始めた。
それはまるで、野に放たれる猟犬のような――
「……獲物は、二頭引きの荷馬車だ。現在東の街道を進んでいる。
殺すな。捕らえろ」
「我らが迎えるのは――帝国の未来そのものだ。
軽々しく扱うことなど許されん」
「必ず……“丁重に”連れて帰れ」
その言葉に、3人の“猟犬”が小さくうなずき音もなく、消えていく。
フードの奥で光る眼。まるで、漆黒の夜に潜む獣のような眼差し。
「……今、お迎えにあがりますよ、フィリア・アルステリア」
その名を、囁くように。
だが、そこにはぞっとするような執念と熱量が籠もっていた。
“狩り”は、始まった。
気配を消し、武器を研ぎ、影の中から迫る。
静かに、そして――確実に。
◇
セラさんが戻ってきて、再び馬車はゆっくりと動き出す。
車輪が時折ガタンと跳ねるけど、なんかもう慣れてきた。
「あー、でも次こそ街に来たら、いろいろ回りたいなぁ……」
遠ざかる町並みを見ながら、俺はつい口元が緩んだ。
(だってな、めちゃくちゃいい匂いしてたんだよ。肉と焼きたてのパンと、なんか甘い果実の匂い……)
腹は減るし、目にも毒だしで、ちょっと地獄だったぞ。
そんな俺の内心を見透かしたかのように――
「ふふっ、はい。おみやげです」
セラさんが笑顔で、布包みを俺に差し出す。
「おお……これは……!」
受け取ったのは、見た目ホットドッグっぽいパン。
でもただの肉パンじゃない。ぎっしり詰まってる具材がまた食欲をそそる。
「ガルドパイです。
この辺の名物で、旅人にも人気なのだそうですよ」
パンに挟まれた肉は香ばしく焼かれ、玉ねぎと酸味の効いたトマトらしきソースが絡んで――
「……うっま!!」
かぶりついた瞬間、うなる俺。
フィリアも「んっ……」と目を丸くしてる。
「これ、をチョイスしたセラさんの感性に痺れちゃいます!」
「ルクスくんが嬉しそうで、良かったです」
笑うセラさんの横顔がちょっと誇らしげで、俺も思わず笑ってしまった。
◇
だけど、その後方――
遠く離れた城壁の影に、“3つの影”が馬車の車輪跡を静かに辿り始めていた。
狩人たちは、もうすぐそこまで来ている。
◇
馬車は、平原のど真ん中を一直線に走っていた。
地平線まで見渡せる空間に、馬蹄の音がこだまする。
「……風が気持ちいいですね、ルクスくん」
干し草の上でフィリアが微笑む。
帆布を開け放った荷台に、春の風が通り抜けていく。
けれど、その穏やかな時間は長くは続かなかった。
「……ん?」
ふと、後方から馬蹄の音が迫ってくるのに気づく。
ちらりと振り返ると、2頭の馬に乗った男たちがこっちに向かって走ってきていた。
(同じ方向か……にしても、なんか速くね?)
不安になってセラさんに声をかける。
「セラさん、後ろから馬……2頭、けっこうなスピードでこっち来てます」
御者台のセラさんが振り返りもせず、静かに尋ねた。
「……ルクスくん、先ほどから近づいているんですか?」
「はい、けっこうな距離を縮めてきてます」
するとセラさんの声が一段と硬くなる。
「お願いがあります。――念のため、矢を“当てずに”、その馬たちの“前”に威嚇射撃してください」
「……威嚇?」
「もし普通の旅人であれば、それだけで減速するはずです。
ですが、それでも距離を詰めてくるようであれば――“敵”と判断できます」
(……そう来たか)
確かに、ずっとこっそり進んできた俺たちが、いきなり馬に追われるなんておかしい。
でも普通の人だったら可哀想だって気持ちもある。
けど――もしも本当に“追っ手”だったら?
(……ここで油断して、何かあったら)
そのとき俺は、フィリアの笑顔を思い出した。
「……了解」
すぐさま荷台の後部へ移動。
水樽を横に移動させ、即席の遮蔽物にする。
風を孕んだ天幕を、両手でばっと開けた。
――見える。2頭の馬、そして武装した2人の男。
(やっぱ怪しい。……いくぞ)
ギザドロン弓を構える。
風を読む――
「……行けッ!」
矢が、ピュッと音を立てて飛ぶ。
馬の“前方”の地面に数本――パスパスッと連続で突き刺さる。
通常の旅人なら、ここで驚いて止まる。
だが――
「減速しない……!?」
2人の男は、速度を一切落とさずこちらに突進してくる。
そのうちの一人が――腰から抜いたのは、黒い弓。
「マジか……! こっちに撃つ気かよッ!」
やっぱり――あれはただの旅人じゃない。
俺たちを狙ってる、“狩人”だ。
(フィリアを――守るッ!!)
◇
シュッ――ッ!
すぐさま屈む。
鋭い風切り音がして、バシュッと嫌な音を立てて矢が水樽に突き刺さった。
「チッ……撃ちやがったな!」
危ねぇ! マジで容赦ねぇ……こいつら、完全に“狙って”きてやがる。
即座にギザドロン弓を構える。
「――我は求む、風の精霊よ。この矢を導け!」
風除けの魔法を矢に纏わせ、すぐさま放つ。
狙いは――馬の脚!
ヒュン――ズガッ!!
見事に命中。前足をやられた馬が悲鳴のような嘶きをあげ、騎士もろとも地面に転がる。
「よっし、一匹目ダウン!」
だが、安心する暇もなかった。
もう一頭が――そのまま猛スピードで迫ってくる。
「くそっ、止まれ……止まれっつってんだろ!!」
ルクスはすぐさま矢を番え、風の流れを読みながら引き絞る。
狙うは馬の前脚――だがその瞬間、敵が何かを叫んだ。
「――□□、風の精霊よ……!」
聞き取れなかった。けど、風がざわついた。
ルクスの矢が放たれた馬に着弾する瞬間、矢の周囲に突風が巻き起こる。
矢は風に弾かれた。
(……矢避けの魔法ってところか? くそ! 厄介だ)
ならこれならどうだ。
ルクスはすぐさま魔力を練り直し、矢に集中させる。
(だったら、こっちは“真空”でいく)
「我は求む、風の精霊よ――この矢の道を、風なき空間へ変えたまえ」
風除けとは逆の概念、“風を断つ”ことで空気の抵抗すら削る。
真空状態の道を進み続ける矢が――音もなく、鋭く放たれた。
突風は反応できず、そのまま――馬の胴体に、ドスッと突き刺さる。
「――ッ!」
馬が悲鳴のような声をあげて崩れ落ち始める。
(……当たった)
だが、男は――
「……え?」
代わりに、馬を捨てた。
跳躍一閃。地面に飛び降り――
ズシャッと砂埃を蹴りながら、すごい速度でこっちに走ってくる!
(バケモンかよ……馬より速ぇぞ!?)
荷馬車の後部に、そいつの手がかかる。
このままじゃ、フィリアが――!
「セラさん!! 馬車に取り憑かれました! 荷台に登ってきます!」
俺の声に、御者台のセラさんが鋭く指示を飛ばす。
「ルクスくん! お嬢様をこちらに! すぐに!」
「了解!!」
干し草をかき分け、まだ驚いた表情のフィリアの手を取り――御者席へ!
セラさんが手綱を俺に押しつける。
「ルクスくん、お願い……! しばらく真っ直ぐ走ってください!」
「マ、マジっすか!? お、おれまだ半人前の馬操縦士なんですけど!?」
「ルクスくんなら、できます!」
……そう言い残して、セラさんが荷馬車の後部へ跳ぶ。
振り返ると、荷台の登り狙いすましたように相手の剣が抜かれていた。
そして――静かに火花が散る。
セラさんと“猟犬”の激突が、始まった。
耳をつんざくような金属音――
剣と剣が交わる鋭い音が、俺のすぐ後ろで連続する。
(くっ……ヤバい、近い! めちゃくちゃ近ぇ……!)
咄嗟に手綱を握りしめ、肩に力が入る。
馬をまっすぐ走らせるのもすごく難しい!
ちょっと間違えたら道から外れそうだ。
ちくしょう、自動車免許持ってたんだぞ!
全然勝手が違う!
と、心のなかで泣き言が出る。
そんな状態で後ろを見ることはできない。
その剣戟は、激しさを増す。
終わりは、唐突に訪れた。
ギィインッ……ギャッ!
甲高い断末魔と共に、静かに終わりを告げた。
「……終わった?」
どっちだ、どっちが勝った……
一瞬だけ反射的に後ろを振り返ると、天幕が揺れて――
そこに立っていたのは、血の飛沫を一切浴びていない、
凛としたセラさんの姿だった。
(……勝ったんだ)
前を向きながら、聞く。
「……セラさん! 無事ですか!」
「はい、大丈夫です。あちらは、もう動きません」
安堵の息を吐いた俺に、セラさんが少しだけ穏やかな声をかけてくる。
「ルクスくん……運転、もう少し頑張れそうですか?」
「……うん、もうちょっとなら!」
(心臓バクバクだけど、フィリアが横にいるから、なんか――踏ん張れる)
ちらりと視線を落とすと、フィリアが俺の膝に小さく体を預けて、肩を震わせていた。
目は伏せられ、手は服の裾をぎゅっと握っている。
「大丈夫だよ、もう……終わったから」
そう言って、そっとその頭に手を乗せた。
フィリアはこちらを見上げて、それから小さくうなずいた。
(絶対、守るから)
風が、荷馬車を抜けていく。
さっきまでの剣戟の残響も、今はただの幻だったように消えていた。




