旅立ちの前に、君に伝えたかったこと
スー……ハァ……
ようやく、呼吸が整ってきた。
鼓動も、さっきよりは落ち着いている。
視界もクリアになってきた。
セラさんの腕が、まだ俺をそっと支えていてくれる。
「……ありがとう、セラさん。もう、大丈夫です」
俺がそう言うと、セラさんはふわっと微笑んだ。
でも、その表情の奥には、まだ緊張と警戒が残っていた。
「……セラさん。いったい、何があったんですか?」
尋ねると、セラさんは少しだけ視線を伏せてから、言葉を選ぶように口を開いた。
「……詳しくは、お話できません。でも――」
ふっと、彼女の瞳が真っ直ぐに俺を見据える。
「フィリアさまを、狙っている者たちが……いるんです」
その言葉に、背筋がゾワッとした。
(フィリアを……攫おうとしてる!?)
「だから、お願いがあります。
ルクスくん……あなたに、フィリアさまを護っていただきたいのです」
その目は真剣だった。
命を懸けて戦ってきた人の目。
そして、信じてる。俺に預けてもいいって、そう言ってる目だ。
「行き先は、まだお伝えできませんが……
私たちが信頼する方のもとで、フィリアさまを一時的にお預かりいただきます。
その場所であれば、安全は確保できるはずです。
今回の同行は、私ひとり。
ですから……ルクスくん、あなたの力を、どうか貸してください」
俺は、迷わなかった。
「……もちろんです」
真っ直ぐに答えた。迷いも疑いもない。
守りたいって思った。フィリアを。
あの子の笑顔を、泣き顔を、全部――守りたいって。
「俺が、フィリアを守ります」
その瞬間、セラさんの表情が少しだけ緩んだ。
「ありがとう、ルクスくん……」
(――フィリアとセラさん二人を助けたい)
そう思いながら、俺は背負っていた弓を握り直した。
これはもう、“狩り”じゃない。
“戦い”が始まる。
◇
「……行き先って、今領主様が調査に行ってる場所ですか?」
俺がそう聞くと、セラさんは静かに首を振った。
「いいえ。そこではありません」
その言い方が、妙に重たかった。
「……さきほど襲ってきた者たち、王国騎士団の正式な甲冑を着ていたんです」
「……は?」
聞き間違いかと思った。けど、セラさんは真剣な目で続ける。
「つまり……ヴェイル・エルトネス子爵と共にここへ来た王国騎士の中に、
スパイが紛れ込んでいたということになります」
(まじかよ……)
「今回の“転送の魔道具”の調査団にも、
おそらく同様に、何者かが紛れ込んでいる可能性が高いと思っています。
おそらく……その技術を奪って、別の勢力へ持ち帰る目的で」
(マジかよ……ってことは、内部から情報が漏れてるってことか)
「ですから……わたしたちは、信頼できる“別の場所”へ向かいます」
セラさんの声は落ち着いてたけど、その奥には決意と焦燥が滲んでいた。
「移動手段は――馬車です。商人に偽装していきます。
ルクスくんには“小間使い”に偽装して同行してもらいます」
「分かりました。俺にできることなら、何でもやります」
「ありがとうございます。お昼の鐘が鳴ったら、出発です」
(意外と、時間ないな)
「……ルクスくんのご両親には、正式な説明ができず申し訳ありません。
でも、これはこの国の命運にも関わること。
改めて……あなたの力を、貸していただけますか?」
セラさんが、深く頭を下げる。
「……いやいや、頭上げてくださいって。俺がやるって決めたんですから」
ちょっと口角を上げて、軽く肩をすくめる。
「それに……ちょうど外の世界に行きたかったんだよね。
ま、予定がちょっと早まっただけ。俺的にはむしろ歓迎ですよ」
(まさか、こんな形で旅立つとは思ってなかったけどな)
風が少し吹いて、教会の窓から光が差し込んだ。
俺の旅が――始まる。
フィリアを守るために。
この国の未来のために。
(……さて、小間使いルクス、出動準備っと)
◇
(……とにかく、時間がない)
俺は教会を飛び出して、一直線に家へと駆け戻った。
土埃を巻き上げ、心臓がまだ落ち着かないまま、玄関を開ける。
「兄貴たちはいないな」
家の中じゃ、親父が畑仕事から戻ってきて、いつもの椅子で麦茶啜ってた。
「ただいま――いや、違うな。……行ってくる」
「……あ?」
事情を、できるだけ手短に説明した。
国の危機、教会襲撃、フィリアの護衛。
そして、今から村を出るってこと。
親父は黙って聞いて、ふぅ、とため息をついた。
「……そうか」
そして、つぶやくように言った。
「べつに、国のことなんてお前が背負う必要ねーじゃねぇか。
行かねぇ方がいいぞ。絶対、ろくなことにならねぇ」
その言葉に、ちょっとムカッときた。
「俺は、この村で終わりたくねぇんだよ。
それに……フィリアのこと、気になってんだ。
あの子を……守ってやりたいって思ったんだ」
親父は眉を寄せて、しばらく俺を見つめたあと――低く、言った。
「……あの子は、お前とは身分が違う。
一緒になんて、なれねぇよ。
それで命張るなんて、バカのすることだ。
見返りもねぇ。死んだら、全部終わりだぞ」
(いわれてみれば、ばかだよな....でもさ)
(やらなくて後悔するのはもうやだからさ)
「バカでもいいさ。
でも、フィリアもセラさんも困ってんだ。
……だったら、助けたい。
それに、向こうに行って金持ちになってさ、
いつか親孝行してやるから――だから、黙って待っててくれよ、親父」
親父はしばらく何も言わず、また深いため息をついた。
「……ったく。ちょっと待ってろ」
ぼやきながら、家の奥に入っていった。
いつの間にか話を聞いていた母さんにも、別れの挨拶をする。
「母さん……俺、行くわ」
母さんは、優しい目で俺をじっと見つめたまま、何も言わず、ただうなずいた。
「……必ず帰ってくるんだよ」
そう言って、ぽろぽろ涙を流しながら、俺の手を握ってくれた。
胸が締めつけられる。俺だって、悲しいよ。
そこへ、親父が戻ってきた。
手には、なんか高そうな紙を二つ――いや、羊皮紙?
「これ、持ってけ」
一枚は、赤い印が押された封筒。
もう一枚は、蜜蝋で封印されてて、どっかの家紋みたいなのが彫られてた。
「いいか。何か人間関係とか、食いもんに困ったり、どうにもならんトラブルがあった時は――こっちの“印のある方”を開けろ。
渡すべき相手も書いてある。多分……お前の力になってくれる。多分だけどな」
「……多分かよ」
「もう一枚の“封印の方”は、絶対開けるな。
開けたら絶対に相手は受け取らない。できれば、使うな。……それが一番いい」
「……了解」
重みのある封筒を懐にしまい、俺は最後に家を見渡した。
(……帰ってくるからな)
心の中で、そう誓って――
俺は家を後にした。
(……レティにも、ちゃんと挨拶したい)
ちょっと気まずい雰囲気だったとはいえ、
俺にとって――いや、きっとレティにとっても、
“何も言わずに行く”のは、後味悪いままだろうから。
(師匠にも会いたかったけど……あの人は、領主様と一緒に出たって話だしな)
すでに村を離れた後。さすがに、もう追いつけない。
(レティが、街の方にいてくれりゃいいけどな)
山までは、時間的にも距離的にも厳しい。
それに、今から山に入ってまた遅れたら――フィリアを護るどころじゃなくなる。
(ダメもとで村の中だけでも探してみるか)
身体強化を発動。足に魔力を集中させて、一気に教会へ向かって走り出す。
土の道を蹴って、風のように駆ける。
すると――
ガンッ、カンッ……
乾いた金属音。鍛冶屋の前。
(……あれ?)
音に釣られて顔を向けると、そこに――
「……レティ!」
いた。
こっちに気づいて、レティも目を見開いた。
「……ルクス?」
予想外に、すぐ会えたことに驚きつつも、なんかこう、胸の奥が熱くなった。
(よかった……ちゃんと、言える)
別れの言葉を、ちゃんと――伝えられる。
◇
「レティ!」
俺が声をかけると、レティはちらりとこっちを見て――
「……なに」
短く、ちょっとムスッとした返事。
まあ、レティらしいっていえばらしい。
(なんか……最後かもって思うと、余計に可愛く見えるな)
俺は深呼吸して、一歩踏み出す。
「今日さ……お別れ言いに来たんだ」
レティの眉がぴくりと動いた。
俺は、教会での襲撃のこと、フィリアが狙われてること、
セラさんの願い、これから馬車で旅立つってこと――全部、簡潔に話した。
レティは、黙ったまま聞いていた。
いつもなら途中で口を挟んできそうなところだけど、今日のレティは、妙に静かだった。
やがて、ぼそりと口を開く。
「……じゃあ、私も行くわ」
「バカ言えよ」
俺は笑った。
でも、それは本気の“拒否”だ。
「お前が、いつも一緒にいてくれたのは嬉しかったよ。
正直、どんだけ助けられたかわからん。……でも、今回は違う」
言葉が、喉につっかえる。
でも、ちゃんと伝えなきゃ。そう思った。
「……今回ばかりは死ぬかもしれないし、おばあちゃんもいる。
それに――お前、母さんに会いに行くんだろ?
だったら……ここで、さよならだ」
レティが何か言いかけたけど、俺はそれを手で制して、続ける。
「俺さ、ずっとお前のこと、好きだった」
レティの目が、揺れる。
「一緒にいてくれて、楽しかった。
訓練も、山登りも、ケンカも、勝負も。
ぜんぶ、すげぇ楽しかった」
「……でも、同じくらい、いや、それ以上に――すっげぇ、嫉妬してた」
「いつも負けてた。何やっても敵わなかった。
天才って言われて、お前ばっか褒められてさ……
それが、めちゃくちゃ悔しくて、納得いかなくて。
でも、本当は――すごいって、ちゃんと認めてる自分もいた」
「2歳上のくせに、時々子供っぽくなるとことかさ、
ムキになって怒るとことか、
……そういうとこ、すっげぇ可愛いって思ってた」
「お前のこと、大好きだったよ。
仲間としても、友達としても、女の子としても――ずっと」
「だから、今までありがとう、レティ」
言い終わった俺は、レティの顔を見ないまま、背を向けた。
足が勝手に前へ進む。返事は聞かない。振り返らない。
そうしないと――きっと、もう行けなくなるから。
(また……いつか、会おう)
走り出す。教会へ向かって。




