旅の始まりと、聖女の眠り
急いで教会へ戻ると、薄暗い聖堂の中、セラさんが静かに祭壇の前で祈っていた。
背筋を伸ばして立ち尽くすその姿は、いつもより少し――儚く見えた。
「……お待たせしました」
俺の声に、セラさんはゆっくりと振り返る。
静かに頷いて、やわらかく言った。
「……では、行きましょう」
教会の扉を開けて外に出ると、既に馬車が待っていた。
(おぉ……)
馬が二頭。どちらも大きく、筋肉質で、いかにも長旅に耐えそうな逞しさがある。
……いや、俺が子どもだから余計にそう見えるのかもしれないけど、それにしても足が太い。地面を踏む音にも重みがある。
後ろには屋根付きの荷馬車が連結されていた。
全体はアーチ状の骨組みに、淡い白の布が張られていて、光をほどよく通しながらも雨風はしっかり遮りそうだ。
入口と後ろ側は同じ布で覆われているけど、簡単な紐で固定されていて、ほどけば出入りできるようになっている。
(盗難対策か……いや、それだけじゃないな。中を見られないようにって意図もあるか)
内装はまだ見ていないけど、少なくとも見た目は完全に“行商人の荷馬車”そのものだった。
物資も、人も、何もかも“外からは分からないように”作られている。
セラさんが、俺の方に振り返って言った。
「ここから先は、“危険な旅になります”。……覚悟は、いいですか?」
俺はしっかり頷いた。
「……行きます。迷いは、ありません」
荷馬車の準備が整い、俺たちが乗り込もうとしたそのとき――
「……セラ」
振り返ると、教会の司祭様が、ゆっくりとこちらに歩いてきていた。
顔はいつも通り穏やかだけど、目元は赤く、涙が滲んでいた。
「……どうか、気をつけて行くのですよ」
そう言って、セラさんの手をそっと握る。
その手に、セラさんが静かに頷いた。
「後のことは……わたくしに任せなさい」
言葉にこめられた覚悟と想いの深さに、胸が締めつけられた。
次に、司祭様の視線が俺に向く。
しっかりと、真っ直ぐに。
「ご両親には、私からきちんと説明しておきます」
その声が震えていた。
「……子供のあなたに、こんなことを託す私たちを、恨んでくれても構いません。
それでも……どうか、どうか、フィリアさまをお願い致します」
「フィリアさまは、“人種に連なる者たち”の――未来への希望なのです」
その言葉の重さに、ぐっと喉が詰まる。
でも――逃げる理由にはならなかった。
「……恨みませんよ、司祭様」
ちょっとだけ笑って、肩をすくめる。
「頼られちゃうと、断れないんですよね。見かけによらず」
でも、最後は真面目に。
「だから……ガロン師匠に誓って。命ある限り、フィリアのことは俺が守ります」
そう言いきった俺の目を、司祭様はじっと見つめた。
その表情には、わずかに混じる不安と、それ以上の安堵があった。
「あなたが、そう言ってくれるだけで……どれほど救われるか」
司祭様がそっと手を掲げ、祈るように目を閉じた。
そして――静かに、けれど確かな声で告げた。
「――あなたたちに、愛の神のご加護があらんことを。
迷いも恐れも、どうかその光で祓われますように……」
俺は黙って一礼し、セラさんと共に馬車へ乗り込んだ。
旅が、始まる。
未来と希望と、想いを乗せた旅が。
◇
馬車に乗り込んだ直後、ふと疑問が浮かぶ。
そういえば――
「……セラさん。肝心のフィリアは?」
俺が尋ねると、セラさんは静かに頷いた。
「馬車の中にいます」
そして、ほんの一瞬だけ――少し迷うような沈黙。
「……ルクスくん。
一緒に来てくれるあなたに、もう隠し事はできません」
その声音は、今までよりも少しだけ硬くて、でも真剣だった。
「これからお見せすることは、決して他言無用でお願いします」
「……わかりました」
俺が頷くと、セラさんは馬車の後ろ――荷台部分へと歩み寄り、
後部の布で覆われた入口をゆっくりとめくった。
馬車の中は意外にも広く、大人が三人は寝られそうなほどの奥行きがある。
食料や水が入った樽など旅に必要な物や、
内側には干し草がたくさん敷き詰められており、その上に布を掛けてふかふかの布団のような感じになっている。
その中に――
「……フィリア……!」
フィリアが、静かに眠っていた。
額には汗が滲み、眉間には苦しげな皺。うなされるように、小さく呻き声を漏らしている。
けれど、もっと異常だったのは――
彼女の体のあちこちから、かすかな光が溢れていた。
洋服から透ける光。
胸元、両腕、指先、そして足元までもが、ほの白く、淡く、規則的に点滅している。
「な、これ……っ」
俺が言葉を失っていると、セラさんが――背後から、静かに語りかけてきた。
「フィリア様は……アルステリア王国の王女なのです」
一拍おいて、さらに続ける。
「そして――フィリア・アルステリア様は、“聖女”でもあります」
その声には、確かな覚悟と、どこか祈るような響きがあった。
「そして今――その“聖女”としての覚醒が、始まっているのです」
言葉の意味が、すぐには飲み込めなかった。
でも、目の前で光を放つフィリアを見つめる。
「……細かな話は、追ってお話します。
でも、まずはこれだけは知っておいてください」
言葉を選ぶように、一拍おいてから続けた。
「フィリアさまは、“聖女”です。
そして――その力を狙っている者たちがいます」
セラさんの視線が、苦しげにうなされるフィリアへと向かう。
「聖女は、生まれつき力を持っているわけではありません。
本当の力を使えるようになるには、“覚醒”という過程を経なければならないのです」
「運悪く……今が、まさにその時なのです」
ゆらゆらと、フィリアの体に宿る淡い光が揺れる。
◇
馬車が動き出した。
ゆっくりと、だけど確かに、村の石畳を踏みしめながら前に進んでいく。
その振動が、旅の始まりを実感させた。
(……ルレイ村)
俺が生まれて、育って、笑って、泣いて、喧嘩して――
そんな毎日がぎっしり詰まった場所。
(思い出、いっぱいあるな)
(次に帰ってくるときは、絶対――)
(金持ちになって、でっかい顔して帰ってきてやるぜ!)
少しさみしい。でも、それ以上に――
(ワクワクのほうが勝ってる)
俺は今、御者席に座っていた。
セラさんが手綱を握り、馬はのんびりと坂を上っていく。
「……さみしいですか?」
セラさんが、不意に声をかけてくる。
「ううん、ワクワクしてます。
やっと、始まる気がして」
「ふふ……ルクスくんらしいですね」
その柔らかな笑い声が、少しだけ胸をあたためてくれた。
そして――村の外れに差しかかった、その時だった。
「……あれ?」
道の入口に、誰かが立っている。
金の髪が風に揺れて、凛とした姿が浮かび上がる。
「――レティ!?」
俺が叫ぶと、レティが拳を握って、まっすぐこっちを睨んできた。
「絶対、絶対に帰ってきなさいよ!!」
「家臣は! 主に手柄を立てて報告するのが義務なんだからねっ!!」
「……私も、絶対に追いつくから……!!」
「だから……言ってらっしゃい!!!」
胸が熱くなった。
涙が出そうだった。
「……絶対、帰ってくるから!!!」
「ありがとう!! レティーーー!!」
俺の声が、空に吸い込まれる。
でも、それでも届いたってわかる。レティの瞳が、少しだけ潤んでたから。
こうして――馬車は、町へと向かう。
(……また、会おうな。絶対に)
◆フィリア・アルステリア
年齢:9歳
性別:女性
身分(秘匿):アルステリア王国 王女/“聖女”
身分(表向き):ルレイ村教会・見習いシスター
種族:人間
■人物概要
アルステリア王家の正統な姫であり、次代の“聖女”として予言された少女。
現在は政争と帝国からの脅威を避けるため、辺境ルレイ村に見習いシスターとして身を寄せていた。
村人たちには「フィリアちゃん」と呼ばれ慕われている
■性格
穏やかでおっとりした物腰、丁寧で品のある言葉遣いが印象的。
幼いながらも他人を思いやる優しさを持ち、聡明さと誇り高さを秘めている。
自らの使命、そして祖国のために――と、幼いながらに強くあろうとする一方で、
その重責は子どもにはあまりに重く、気づかぬうちに心に静かな負担を積み重ねている。
ルクスには初対面から特別な興味を抱いており、彼の自由さやまっすぐさに強く惹かれている。
本人は気づいていないが、それは“初恋”に近いものになりつつある。




