やればできる男だからさ
ガロンとレティが、洞窟の奥からゆっくりと戻ってくる。
魔物の巣は壊滅。マザーも討ち果たし、作戦としては完遂――の、はずだった。
だが。
――風の音が違った。
外気に混じる、金属のきしみ、獣の唸り。
微かに、雪の匂いに混じる鉄の臭い。
ガロンの表情が、ぴくりと動く。
「……外で何か起こっている?」
言い終わるより先に、ガロンは走り出していた。
その動きを見て、レティもすぐに剣を握り直して後を追う。
洞窟を抜け、視界が開ける。
そして――
「……ルクス……ッ!!」
そこにいた。
血まみれの少年が、片手で棍棒を振るい、ボロボロの身体で立ち続けていた。
頭部から血が滴る。白い雪に赤が溶け、“血の花”が鮮やかに咲いている。
服は破れ、腕と腹から滲む出血。左手は庇っていて動かない。
矢筒は空、弓も地面に転がっていた。
(なんで……こんな……ッ!)
彼の周囲を囲むのは、ホブゴブリン――ゴブリンの上位種。
ゴブリンより一回り大きく、身長は平均的な大人とほぼ同じ。
人間以上の筋力と、武器を自作する程度の知能を持っている。
彼の足元には、無惨に倒れたホブゴブリンの死骸が七体。そして、異様に膨れた腹を持つメス個体が一体、すでに絶命していた。
(……ルクスは、一人で……全部やったのかよ)
血に染まりながらも、ルクスはまだ睨み据えていた。
そして今、残っているのは、さらに四体。
生き残ったホブゴブリンたちが、低く唸りながら、ルクスを包囲している。
そのうちの一体が、棍棒を振り上げ、ルクスの背中へ――
「させるかよッ!!」
ガロンが叫ぶ。
その手の弓が、唸りを上げた。
――ズドンッ!!
矢は一直線に飛び、ゴブリンの後頭部を撃ち抜いた。
脳漿と血が雪に飛び散る。魔物は前のめりに崩れ落ちる。
残り三体。
◇
「ル……ク、ス……っ」
その光景を、洞窟の入口から出てきたレティが見ていた。
血まみれで立ち尽くすルクス。肩を揺らし、歯を食いしばって、それでも棍棒を握っている――その姿が、傷だらけで、痛々しくて。
「レティ!! 走れ!」
レティの心が、音を立てて“切れた”。
「……わたしの……ルクスに……」
「なにしてくれてんのよぉおおおおッ!!!」
ドガンッ!!
地面が砕けた。
足元から雪と氷と石が跳ね上がる。爆発するような加速。
視界から一瞬で姿が消え――そのまま、あり得ない速度でホブゴブリンの一体に突っ込む。
「グガァッ!?」
ホブゴブリンが振り返るより早く、レティの剣が上段から振り下ろされた。
――ズドォン!!
その一撃は、“斬る”というより“叩き潰す”に近かった。
剣の重みと魔力をまとった勢いが、ホブゴブリンの頭部と肩ごと、その巨体を雪へと押し潰す。
ぐしゃっ、と嫌な音。
骨が砕け、内臓が押し出されるように溢れ出し、脳漿がぶしゅりと飛び散る。
巨体はバランスを失う間もなく、その場に沈んだ。
地面には、血と肉と雪が混じり合った、ぐちゃぐちゃの跡。
(邪魔)
雪を蹴り、その身体は一直線にルクスと残るホブゴブリンの間へ滑り込む。
残ったホブゴブリンたちは、もはや成す術もなかった。
一体は横薙ぎの一撃で胴を両断され、もう一体は喉元を突き貫かれ――あっという間に全滅。
辺りに残るのは、血の匂いと、蒸気の立ち昇る死体だけ。
そして――
ルクスは……すでに限界寸前だった。
膝をついた彼の身体は、まるで糸が切れた操り人形のようだった。
震える手で棍棒を支えようとしても、力が入らない。
吐く息は白く、浅い。体温が、急速に奪われていくのが分かった。
ガロンが駆け寄り、彼の身体を見て顔をしかめる。
「……やべぇな。こいつ、このままじゃ……」
服は破れ、腹には深く赤い引っ掻き傷。
ゴブリンの長く硬い爪で切り裂かれたのだろう。ナイフで裂いたような鋭く深い傷からは、まだじわじわと血が滲んでいた。
さらに、腕は腫れ上がり、角度がおかしい。
棍棒で思いきり殴られたのだ。
「……骨、折れてんな……こりゃ……」
額にも青黒い腫れ。何度も頭をぶたれた形跡。
出血、骨折、打撲――しかも気温は氷点下。
「……クソ、こんな状態で……よく立ってたな……」
このままじゃ本気で死ぬ。出血もひどいし、体力の消耗も桁違いだ。
早く処置しなければ――
「急いで村に戻るぞ。ルクス、喋るな、動くな――とにかく、今は休め」
だがその言葉に、ルクスが小さく笑った。
「……洞窟の入口は……守ったからさ……」
ガロンが目を見開く。
「なに言って――」
「俺、やればできる男だからさ……ほら、褒めていいぞ……」
レティが、ぐしゃっと顔を歪める。
「……バカ……ほんとに、バカ……」
震える声で呟くと、ぽろぽろと涙をこぼしはじめた。
そのまま、ルクスの手をぎゅっと握る。
だが、ルクスはその手をゆっくりと引き上げた。
「……まだ……言わなきゃいけないことが……あるんだ……」
「いいから休め!」
「……だめ……あれ……放っといたら……また出てくるかもしれない……」
ルクスはかすれた声で、指先を震わせながら地面を指さした。
「あの辺で……魔法陣が……出てきて……」
「……あれが……光って……奴ら……出てきたんだ……石が……並んでて……順番に光ってた……」
「多分……あの石を壊せば……止まる……お約束……だからさ……」
その言葉に、ガロンとレティの表情が固まった。
「……マジかよ、おいおい……」
ガロンは小さく息を吐き、目を細める。
「わかった。確認してくる。だから……もう喋るな、ルクス」
レティはルクスの手を包み込むように握りながら、泣きじゃくるようにうなずいた。
◇
ガロンはルクスの言葉を信じ、すぐさま現場へ向かった。
(魔法陣、だと……?)
雪原の一角――そこだけが、ぽっかりと円形に雪が消えていた。
地面にはうっすらと焼け焦げたような跡があり、微かに魔力の残滓が漂っている。
そして、その周囲には長方形の石が五つ。
どれも同じ大きさで、地面にめり込むように配置されていた。
不自然なほど整った並びに、ガロンは思わず眉をひそめる。
石の表面は厚く苔で覆われており、その上にうっすらと雪が積もっていた。
指でなぞると、しっとりと湿った苔が剥がれ、下から滑らかな石肌と、刻まれた魔法文字が現れる。
長い年月、誰にも触れられず眠っていた――そんな空気が、そこにはあった。
ガロンはそのうちの一つに近づき、指で表面の苔をそっと擦る。
――その下に現れたのは、見慣れない魔法文字。
まるで焼き刻まれたような精緻な線が、古代語のようなリズムで並んでいた。
「……間違いねぇ。転送魔法陣、それも――かなり古い時代のモンだ」
構造は、現代の術式では見られない手の込みよう。
だが、確かにここから奴らは現れた。
「……悪いな、誰が作ったか知らねぇが――止めさせてもらうぜ」
ガロンは短剣を抜き、魔法文字の刻まれた部分に刃を当てる。
ガリ……ガリリッ……
刃が石を削ると、魔法文字の一部が崩れ、魔力の流れがぷつりと切れた。
それに呼応するように、空気に漂っていた魔力がふっと霧散する。
「……よし、一か所潰せば十分だ。こういうのは案外繊細なんでな」
他の石も確認はするが、残りは無傷で問題ない。
大規模術式は、一点でも崩れれば全体が機能不全を起こす――それがガロンの経験則だった。
「ルクス……あんだけボロボロでも、よくここまで見抜いたな……」
小さく呟くと、ガロンはすぐさま踵を返し、重傷の少年が待つ場所へと駆け出した。
◇
――ルクスの顔は、もはや青白く、唇さえ紫がかっている。
「……チッ、時間がねぇ!」
迷うことなく、その身体を抱き上げる。
その腕の中、ルクスのまぶたがゆっくりと持ち上がった。
「……俺……ちょっと……かっこよかった……だろ……?」
にやり、と笑うその顔は、相変わらずの負けず嫌い。
「……寝てろ、クソガキ」
ガロンはそう言いながら、腕に込める力をほんの少しだけ強めた。
「レティ、行くぞ! こいつ……このままじゃ、本当に死ぬ!」
「はいっ!」
二人は全速力で駆け出す。
吹きすさぶ雪を切り裂いて、村へ――命を繋ぐために。




