巣の中の牙
師匠とレティが、黒い洞窟の中へと消えていく。
(……さて)
残された俺は、弓を握りしめたまま洞窟の前にしゃがみ込んだ。風がひゅう、と冷たく吹き抜けていく。雪が舞い、耳の奥がじんわり痛くなる。
(暇だな……)
でも、これが“戦い”ってやつだ。何もしない時間こそ、次の一手を決める間になる。
ふと、気配。
何かが動いた。
木々の間、雪を蹴って現れたのは――2体のホワイトゴブリン。どうやら、巣から離れてた個体らしい。
(戻ってきやがったな)
俺はゆっくりと息を吸って、矢を番えた。
一体がこっちに気づいて、顔を上げる。その瞬間。
――ズバンッ!
ギザトロンの弓がうなりを上げ、矢が一直線に飛んだ。
ゴブリンの頭部が――弾け飛んだ。
「……オーバーキルだな」
ギザトロンの弓、強すぎんだろ。矢の先端が肉を裂く音も、骨を砕く感触も、遠くからでも伝わってきた。
もう一体が、ギャアアッ!と叫びながら突っ込んでくる。爪を剥き出しにして、腰を落とし、まるで獣のようなフォーム。
だが――
(遅い)
俺は静かに2射目を準備した。
風はない。だから、風除けの魔法も必要ない。あれは強風の日か、超遠距離射撃の時が使いどころ。今みたいな近距離なら、矢の性能だけで十分だ。
引き絞る。重く、確かに引けるのは――身体強化の恩恵。
――ヒュン!
矢が真っ直ぐに走り、ゴブリンの胸に突き刺さる。呻きも出せず、雪の上にぐしゃりと崩れた。
……静寂。
(なんだ、魔獣と戦った時よりあっさりだな)
あの時は、殺されるかもしれないって本気で思った。ヒリヒリした緊張、汗が止まらず、息も上手くできなかった。
でも今は――落ち着いてる。
(俺、あの頃より確実に“強く”なってる)
矢筒の残りを確認しながら、俺は再び洞窟の方へ目を向けた。
(……さて、そっちはどうなってる? 師匠、レティ)
◇
ガロンは洞窟の前で止まり、外から慎重に中を確認する。
冷気と湿り気が混じる、ひんやりとした空気。足元は岩と雪が交互に入り混じり、天井は奥の方が低く、ところどころ狭まっている。
(……広さの割に、圧迫感があるな)
奥行きはあるが、通路が不規則だ。広い空間と狭い通路が交互に続く構造は、潜伏や待ち伏せにはうってつけ――敵が罠を張るには最適。
目視ではホワイトゴブリンはいない。
問題は、入口を入ったすぐの天井が見れないこと。手前の天井は高そうである。
「レティ、待ってろ」
そう言って、彼女の前に手をかざす。
レティは剣を構えながらも、小さく頷いて後ろで息を殺す。
ガロンは腰の短剣を抜き、すっと駆け足で奥へと進む。
――その動きはまるで音がない。
一瞬で洞窟の奥へ走り、そこで反転。すぐに入口方向の天井を見上げた。
(……いたな)
見張りもいない、足音もない――だが、それは“いない”んじゃない。
“潜んでいた”のだ。
洞窟の入り口上。岩肌にぴったりと張り付いていた白い影。それは――ホワイトゴブリン。
まるでゴキブリのように、手足を広げて天井にへばりついている。
気配を完全に殺し、獲物が中に入るのを待ち構える――その姿を見て、ガロンは眉をひそめた。
(……気持ち悪ぃな)
遅れて気配を悟ったホワイトゴブリンが、ギリ、と喉の奥で唸り声を漏らす。剥き出しになった爪が、空中でギラリと光った。
「……来るか」
奴は天井に張り付いたまま、瞬間的に壁を蹴って加速――飛びかかってきた。2体のホワイトゴブリン。
だが、ガロンは微動だにしない。
(こっちは何十年、魔物と殺り合ってきたと思ってんだ)
身体全体に魔力を流し、全身強化。
その瞬間、時間がゆっくりになったかのように、視界が研ぎ澄まされる。
飛びかかってきたゴブリンの軌道を読み、すっと一歩横へ回避。すれ違いざま――
ズブッ!
短剣が、寸分の狂いもなく心臓へ一刺し。素早く短刀を引き抜く。
ギギ、と喉を震わせたまま、ゴブリンはそのまま崩れ落ちる。
(1体目)
遅れて地面に着地した二体目が、足を滑らせるように構えをとる。
だが、ガロンは既に動いていた。
脚へ集中して魔力を流す。足裏から感じる反動を一点に凝縮し――
ドガァッ!
鋼のような蹴りが、ゴブリンの頭部を吹き飛ばす。バギィッと骨の砕ける音。
ゴブリンはその場で絶命し、岩床へ沈んだ。
「――よし」
ガロンは軽く血を振るい、短剣を納める。
「レティー、入ってきていいぞ」
入り口に静かに立っていた少女の姿が、すっと動き出す。
巣の奥へと、白の魔物を刈る足音が進んでいく。
◇
洞窟へと足を踏み入れたレティは、周囲を見渡してから、血に染まった床の先に立つ男の背中を見て、ぽつりと呟いた。
「……やっぱり、ガロンさんって強いんですね」
ガロンは肩をすくめて、血のついた短剣を拭いながら笑う。
「まぁな。伊達に年は取ってねぇよ」
そのまま洞窟の中をゆっくりと歩きながら、レティがさらに問う。
「でも、なんで……あのゴブリンが、入口の天井にいるって分かったんですか?」
ガロンは、少しだけ顎を撫でて、それからレティのほうをちらと見た。
「……あいつらはな、基本的に弱い魔物だ。正面からじゃ人間の戦士にはまず勝てねぇ」
「だからこそ、奴らは“工夫”するんだよ。群れで襲う、物陰に隠れる、死体に紛れる、天井に張り付く――」
そして、少しだけ目を細めて言う。
「弱いから、知恵を絞る。生き延びるためにな」
レティは、小さく息をのむ。
「……まるで、人間みたいですね」
「その通りだよ」
ガロンはふっと笑って、短くうなずいた。
「人間だって、魔法もねぇ時代は、工夫だけで生きてきた。魔物もな、頭を使う奴のほうが厄介だ」
(そしてその手口は……何度も見てきたってことだ)
レティは黙って頷き、手の中の剣を少し強く握りしめた。
――敵を侮らない。それが、生き延びるための“本当の強さ”だと、レティは少しだけ分かった気がした。




