ホワイトゴブリンの巣へ
雪の丘をすべる白い影を見つめながら、師匠がぽつりと呟いた。
「……このあたりに、魔物は生息してねぇはずなんだがな」
「え、それって……?」
俺が聞き返すと、師匠は険しい顔で頷いた。
「つまり――どこかから流れてきたってことだ。そんで、どっかで繁殖してやがる」
(……マジかよ)
ホワイトゴブリンは寒冷地の魔物で珍しい。この辺はそもそも寒冷地じゃない。ってことは、本来ここにいるはずのない魔物だ。つまり最近、このあたりへ移ってきたと考えるのが自然だろう。
「ひとりで動いてるんで、はぐれじゃないですか?」
「ちがうな。群れの先遣か、食料調達中か、もしくは偵察個体だ」
師匠の目が、鋭く細められる。
そして、低く唸るように言った。
「いいか、ルクス。これは――《僥倖》だ」
「……僥倖?」
聞き慣れない単語に、俺はつい首をかしげる。
「つまり“運に恵まれた巡り合わせ”ってやつだ。あのホワイトゴブリンがここに現れたってことは、巣が近くにある可能性が高いと思っている」
レティが、はっと息をのむ。
「巣……って、あの魔物が、いっぱい……?」
「そうだ。今のうちに見つけて潰せれば、この一帯での繁殖を止められるかもしれねぇ」
師匠の声は、低く熱を帯びていた。
「ホワイトゴブリンが繁殖するってことは、この辺の食物連鎖そのものが崩れる。鹿も、猪も、果ては村の家畜まで狙われるだろう」
(……そしたら、飢え死にする人も出てくる)
師匠が言った「僥倖」ってのは、つまり――
(俺たちが“間に合う位置にいる”ってことか)
風が、ゴウと唸った。
俺は弓を握りしめて、頷く。
「……行こう。巣を探そう、師匠」
師匠はにやりと笑った。
「ああ、そうだな。あのゴブリンを追えば、きっと巣が見つかるはずだ。――レティ、お前も行けるな?」
「もちろん!」
と凛とした声で答えるレティ。その手には、無骨な剣がしっかりと握られていた。
俺たちは、鹿をその場に放置し、最低限の荷を背負って、雪の斜面を下りはじめた。
(雪の中の狩人三人。目指すは、白き魔物の巣――)
◇
狩人――それも、腕利きが二人いれば、偵察なんてお手の物だ。
そして、見つけた。
うっすら雪をかぶった景色の中に、ぽっかりと開いた黒い穴。小高い山の根元に、口を開けた洞窟がそこにはあった。
(……あれが、ホワイトゴブリンの根城か)
洞窟の前には、二体のゴブリンが見張りのように立っている。片方は槍を持ち、もう片方はキョロキョロと辺りを警戒していた。
そんな中、師匠がひそひそ声で言う。
「……なぁ、ルクス」
ガロンが小声で続ける。
「中がどうなってるか、まだ分からん。だから――まず一体だけ倒す」
「様子見、ってことっすか?」
「ああ。巣の規模がわからねぇ以上、下手に突っ込むのは危険だ」
師匠が顎で、入り口の見張りを指す。
「まず一体を仕留める。すると、もう一体は巣の中へ逃げ込むだろう」
レティが、こくりと頷く。
「仲間を呼びに?」
「ああ。そんでな――その“出方”で、巣の規模が読める」
ガロンの声は、狩人特有の冷静な響きを帯びていた。
「群れが大きけりゃ、迎撃のために何体も出てくる。逆に数が少なけりゃ、警戒して引っ込むか、無理してでも集団で飛び出すか、だ」
つまり、一体を“おびき”に使うってわけだ。
「……分かりました。じゃあ、俺が撃ちます」
矢を番える。
標的は、厄介そうな槍を持っているやつを潰す。
風除けの魔法を矢にかけ、弓を引く。身体強化で肘の関節にぐっと力を込め、視界を一点に絞った。
「いくぞ――」
シュッ。
矢は無音のまま宙を滑り、――ズドン。眉間に突き刺さった。
一体がその場で即死。
もう一体が咄嗟に振り返り、倒れた仲間を確認すると、即座に洞窟の中へ逃げ込んだ。
師匠は目を細めて、つぶやく。
「……さて、“巣”の姿を見せてくれ」
◇
静まり返る雪の森。
洞窟の中は生きているように沈黙を保ち、微かな音すら漏れてこない。
「……動きがない。出てこないですね」
「ああ。となると、隠れて待ち構えてるな」
(くそ……やりにくい)
外は静かでも、洞窟の奥には――牙を剥いた何かが、潜んでる。
「……俺の経験上だが、あれは出来たばっかの巣な気がするな」
確信めいたその声に、俺はちらと師匠を見た。
「よし、俺が巣に入って様子を見てくる。中の数と構造を把握できれば、作戦も立てられる」
思わず、俺は前に出た。
「ちょっ、ちょっと待ってください! 危ないっすよ、師匠!」
師匠は苦笑しながら、鞘から黒の刃をちらりと覗かせた。
「大丈夫だ。魔道具の短剣もある。咄嗟の魔力障壁くらいは張れる」
その横で、レティが一歩踏み出す。
「わたしも行きます」
師匠は一瞬だけ考え、少しトーンを落として言った。
「まぁ……お前がいると、確かに心強いな」
その声には、かすかな甘さが混じっていた。
「だが覚えとけ。洞窟は狭い。お前のその剣じゃ、小回りが効かねぇかもしれねぇ。逆に危ねぇぞ」
それでも、レティはまっすぐな目で見返す。
「……でも、わたし、強くなりたいんです。いろんな経験がしたい。怖いことも、全部」
(……ほんと、こういうときだけ頑固だよな)
師匠は、ひとつ深くうなずいた。
「分かった。無理はするなよ」
そして、俺のほうに向き直る。
「ルクス。お前は――外で待機だ」
「え、俺も……」
「ダメだ。俺たちが中に入ってる間に、他の個体が戻ってくる可能性もある。挟み撃ちは勘弁だ。お前には“外”を守ってもらう」
「それにな、弓はもともと遠距離武器だ。洞窟内じゃ、使い物にならねぇ」
(……分かってる。理屈は分かってる。けど……)
師匠の目が鋭くなり、続けた。
「それと――俺たちが洞窟から急いで出てきた時、油断するな。中から敵が一気に出てくる場合もある。そん時は、お前が援護だ」
俺は口を閉じて、ぐっとこらえたあと――
「……了解。絶対、見張ってます」
師匠とレティは、視線でうなずき合い、ゆっくりと洞窟の入口へ向かっていく。
俺はその背中を見送りながら、いつでも矢を構えられるようにする。
(……行きたかった。俺も、あの先に――)
風が、冷たく吹き抜けた。




