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最後の一矢

――ざわざわと、騒がしい音。

「ルクス、ルクス……起きて!」


誰かの声に肩を揺すられ、俺はバッと目を覚ました。

「……出たのか!?」


息を切らしながら問いかけると、レティが首を振る。

「わからない。でも……さっき、“遠吠え”が聞こえたのよ」


「絵本にも出てくる、不気味な夜に聞こえる遠吠え。そのあと……狼が、襲ってくるの」




――アオォォォォォン……




闇の奥から、空気を震わせるような長い咆哮。

(……来た、のか?)


外ではすでに大人たちが集まり始めていた。

「……でたか?」

「わからん、でも“あっち”から聞こえたぞ」


そんな声が、次々と飛び交う。


俺は急いで荷物を確認する。

薬師のおばあちゃんからもらった小瓶を取り出し――月明かりに透かして中身を見る。


(こっれが痺れ薬)


黄色味がかったペースト状液体。

前世でいうとマスタードのような感じかな?

爪の先ほどで効果が出る、強烈な麻痺効果。

馬すら動けなくなるって話だ。ただし効果は一時間ももたない。

相手はかなりの格上だ。もし毒だと気づかれたら?

間違いなく次はない。つまり気づかれる前に絶対に当てろってことだ。


ごくりと息を呑んだとき――

「……大丈夫。ルクスは私が守るから」


レティが、横でそっと声をかけてくれた。

「……ありがと」


その瞬間だった。

「出たぞーっ!!」


教会前に響き渡る叫び声。

辺りが一気に緊張に包まれる。

「行くぞ!」


俺たちはすぐに納屋を飛び出し、村の外れへと駆けた。


――そして、そこにいた。


食われた村人が血だまりの中で横たわり、その上に“それ”はいた。

(……でけぇ……)


まるで乗用車一台分くらい。

全身を黒い毛皮で覆った、狼の化け物。

血のついた口元を引き上げ、俺たちを見て――にやりと、笑ったように見えた。


俺はすぐに弓を構える。

身体強化で、全力で引き絞って――狙いは肩!

「――ッ!!」


ギィィンッ!


矢は確かに命中した。

が、鋼のような毛皮に弾かれて、無惨に落ちる。

「……くそ、前と同じかよ!」


周囲には村の男たちが集まり、槍や鍬を手に、囲むように立っている。


だが――その巨体と、圧倒的な威圧感に、誰も動けない。

足がすくんでいるのが分かる。俺も含めて。


だけど――もう、逃げられない。

(やるしかないんだ……!)


俺は、痺れ薬の瓶に手を伸ばした。



――ドレイザ・ハウンドは、俺たちを見下ろしていた。

まるで“王”のように。


威嚇も、怒りもない。ただ冷ややかに、ゆるやかに――“当然のように”そこに立っていた。

(……バカにしてやがる)


こいつ、自分が強いって知ってる。

矢が通らないことも、誰も本気で向かってこないことも、全部分かった上で――

俺たちを、“脅威じゃない”と判断した。


そして、まるで餌が勝手に集まってくるのを待っているかのように、その場を動かず、ただ目の前の人間を食べていた。

まるで言ってるみたいだった。

(逃げる気も、戦う気もないなら……早く喰われろ、とな)


バリバリ。

骨が砕ける、生々しい音。

さっきまで息をしていた村人が、奴の巨大な牙に貫かれ、ゆっくりと捕食していた。



(……今しかない!)


奴は完全に人間を舐めきっていた。

反撃してくるわけでもない、逃げるでもない、ただ震えて集まってくるだけの“餌”。

ドレイザ・ハウンドにとって、ここはただの“食堂”だった。


(この油断……ここを突かなきゃ、もうチャンスはこない!)


俺は痺れ薬の瓶を開け、矢の先にたっぷりと黄色い液体を塗りつけた。

べっとりと濡れた矢じりが、かすかに光を反射する。


――でも。

(……どこに撃つ?)


目を狙えば、倒せるかもしれない。

けど――外したら終わりだ。皮膚じゃ通らない。かといって動いてるあいつに、確実に命中させるのは……無理がある。

(考えろ……考えろ……)


震える指先。

飛びそうになる思考を、必死に押しとどめる。

(毒を……食わせりゃいいんだ)


直接、体に刺すんじゃなくて――飲ませればいい。

だったら、今まさに食われてる村人と一緒に――喰わせてやる!


俺は歯を食いしばり、矢をつがえた。

狙いは――まだ食べられていない胴体。かろうじて形を保っている、その中心。

(……ごめん)


心の中で、死んだ村人に謝る。

勝たなければ、明日はない。誰も、もう生き残れない。


ピュン――!

矢が一直線に飛び、肉塊に突き立った。


ズルズルとむさぼっていたドレイザ・ハウンドは、まるで何も感じていない。

矢ごと、血まみれの胴体を――喉の奥へと呑み込んでいった。


満足そうに舌をぬぐい、ぐるりと辺りを見回すその目。

(……“次は誰を食おうか”って顔しやがって)


村人はそれぞれの得物を構えながらも、恐怖で足が下がる。

「……効かないのか?」


いや、そんなはずはない。

矢にべっとりと大量につけた。矢も飲んだ。

……お願いだ、効いてくれ!


そのときだった。

ドレイザ・ハウンドがピクリと痙攣した。

「……!」


頭が揺れ、口元からよだれが垂れ落ちる。

次の瞬間――


ドレイザ・ハウンドの口から、白い泡がどろりと溢れた。

よろけながら後ずさり、グラリと体が傾ぐ。

「……!」

(効いてる! 確実に効いてる!)


けれど、奴はまだ倒れない。

何が起きているのか分からないように、ぐるぐると首を振り回し、喉の奥から濁った唸り声を漏らす。

「グルゥ……グガァ……ッ!」


泡混じりのよだれを垂らしながら、足元をふらつかせるその姿。

明らかに、毒が体を蝕んでいる――

だが、それでも――


(……まだ、立ってる)


巨体を引きずりながら、ドレイザ・ハウンドはうなるような声を上げる。

まるで、王としての威厳を、意地でも保とうとするように。

そのプライドだけが、あの怪物を支えていた。


――今ならやれると思った。


俺は最後の矢を取り出し、残った痺れ薬をすべて塗りつけた。

手は震えている。でも、目だけはしっかりと奴の右目を捉えていた。

(これが……最後の一発)


心を無にする。

風が止まる。

周囲の音が消える。

世界が矢の先だけになった。

「――いまだ!」


スッ――!

矢がドレイザ・ハウンドの瞳に吸い込まれるように飛ぶ。


ピシャァッ!!!

鋭い音とともに、矢はドレイザ・ハウンドの右目に突き刺さった。


「グオオオオオォォォォッ!!!」


村全体が震えるような咆哮が響き渡る。

次の瞬間、ドレイザ・ハウンドはのたうち回り、狂ったように暴れ出した。


ドガァン!

巨体が家の壁をぶち破り、土壁が崩れ、火が跳ね、叫び声が上がる。


バキッ! ドンッ! ズザザッ!

あたりをなぎ払い、泡と血を撒き散らしながら暴れまわるその姿を――

誰もが、ただ呆然と見ていた。


あの、絶望の象徴だった怪物が、今――倒れようとしていた。

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