第18章──封印
封印
Ⅰ
錫がゆっくりと目を開けると、ミツが心配そうにのぞき込んでいた。
「気がついたかい…?」
「あれ?……私…なにがどうなったんだっけ?たしか乾丸先生と越知さんを助けて…」
「それから乾丸婦人が、毒に侵されて眠ったあんたの霊体をここに連れて来たんだ。そして聖水とやらを肉体のあんたの額にかけた──すると霊体があんたの肉体に戻って、こうして目を覚ましたっていうわけさ。もっとも聖水をかけたのは今から三日も前の話だけどねぇ…」それを聞いて錫はベッドから飛び起きた。
「大変…パパの呪いを解かなきゃ」錫は慌てて龍門の寝室へと急いだ。
「パパ…。ごめんね、遅くなって…」錫は自分の考えが正しいことを祈った。あのとき鬼は絶対に龍門を捕獲する構えだった。戦いを避け、尚且つ鬼が手出しできない安全な場所はあの祠以外になかった。龍門の毒気が消えてなくなれば、拘束されていない霊体はここに戻って来れるはずだと錫は踏んだのだ。
──「神様、私の予想が的中しますように…」錫は醜いウロコの皮膚と化した龍門の額に聖水を〝ぽたぽた〟と垂らした。
「………どうだい?」あとを追いかけてきたミツが恐る恐る錫に尋ねた。
「…おかしい……戻らない。乾丸先生も越知さんもみるみる元の肌に戻ったのに…」錫の頬が余裕のない険しい顔つきに変わった。
「やっぱり…」ミツは含みのある物言いで〝ぽそり〟と呟いた。
「えっ?おばあちゃん…やっぱりって?」
「確たるものはないんだよ…。ただね…私は一さんが呪われた理由がどうしても腑に落ちないだけなんだ…。どうして一さんだったのかがね…。もしかすると一さんは、乾丸よりもっとやっかいな奴に呪われたのかもしれないよ…」顔を顰めているミツを見て、錫の不安は募る一方だった。
こうなれば祠に引き返して龍門を連れて帰るしかない。取る物も取りあえず部屋に戻って肉体から離脱した錫だったが、もう一つやり残していたことに、はたと気がついた。
──「いけない…信枝と綿のことをすっかり忘れてた」黒の国に向かいかけた錫は、一旦行き先を変更して、信枝の家へと急いだのだった。
Ⅱ
錫は信枝の部屋へそっと入り込んだ。純和風の信枝の部屋には、一般的な女の子が好みそうな物は一切置いていなかった。部屋の隅に置いてある丈の低いタンスの上には空手道大会で勝ち取った豪華なトロフィーが窮屈に並べられてあった。壁を見てもアイドルのポスターなどは張られていない。その代わりヌンチャクやトンファ、棍棒などの武器が飾られ、その少し上には優勝、準優勝の賞状がズラリと額に納めて並べられていた。
信枝のことだから、もし錫雅尊の写真でもあれば、等身大に引き伸ばして壁にベタベタと張っていたことだろう。いやそれではまだ足らずに天井まで錫雅尊だらけにするに違いない──と錫は勝手に想像するのだった。
信枝は枕を抱いて熟睡していた。錫は時間のことをすっかり忘れていたが、今は人間の世界では真夜中だ。
──「すっごい寝ぞう…。そういえば旅行の時も、信枝におもいっきり頭を蹴られたっけ…」錫は心の中でクスクス笑った。それからゆっくりと信枝の横に座ると、念を送って綿に声をかけた。
「綿…綿…聞こえる……?」
「はい…聞こえてますよ!こんな時間にどうなさったのです?しかも錫様のお姿のままで…」
「あ…これ?離脱していない信枝には私の姿は見えないと思って」軽くウインクして錫は話を続けた。「解毒する聖水を手に入れたのよ。これであんたも自由になれるわ」
「………はい…」どこか返事に元気がない。
「どうしたの?嬉しくないの?」
「い、いいえ…嬉しいに決まってます…。ただ…信枝殿の中もまあまあ悪くないかなぁ~っと…」
──「ふふ…そういうことか…分かりやすい。強がりなところは信枝と一緒ね…」
「またいつでも一つになれるわよ。信枝だって綿と一緒にいて悪い気はしなかったと思うけど?」
「そ、そうでしょうか!?………い、いや…あたいは誰にも従いませんが…」
「はいっはいっ!とにかく聖水をかけるわよ」錫は信枝の手にポタポタと聖水を垂らした。
「うん!これでよし!じき信枝から出られるよ。じゃ、私は急ぐから信枝によろしくね…」
「あ、あの…錫雅様はどこへ?」
「またまた地獄よ…パパを助けに行かなくちゃ!」
「あっ、あぁ…はい…。ありがとうございました…」
錫は天から黒龍を呼び出すと、今度こそ黒の国へと旅立って行った。
★
「よいな…奴は必ず現れる。そしたら一気にたたみかけろ!」堕羅の亡霊たちは蚣妖魎蛇の言葉に従った。亡霊といっても、その容姿は蛇と蚣だ。人間として生まれながら、どうして死した後このような姿に形を変えたのか──それは彼ら自身も知らぬことだった。
堕羅の大門の入り口では、何百もの亡者たちが大門の封印を阻止しようと待ち構えている。この場所がもうじき戦場となるのは明らかだった。その戦の火付け役となる堕羅の大門の門番は、何も知らずにこの場所へ向かおうとしていた。




