第16章──危険な化け物Ⅰ
危険な化け物
Ⅰ
明日香美鈴に取り憑いていた浪子を聖霊することができた錫は、自宅に帰ってくるなり取る物も取りあえず体から抜け出すと、いしの背中に乗って一路秩父の銅山へ向かった──大ムカデに会うためだ。
「いし急いでね!」。「はい。お任せくださいご主人様!」
いしにとって大好きな主人を乗せて疾走するのは、たまらない幸福だ。景色がみるみる後ろに飛んでゆく。建物も車も人もすり抜けてゆく。次元が違うので事故など起こらない。たちまちいしは目的の場所へと辿り着いた。
「サンキューいし…あそこが大ムカデのおじさんの隠れ場所…」錫は切り立った岩場に近づき大ムカデに声をかけた。
「大ムカデのおじさん…おじさんてば!」錫の声に誘われて大ムカデはその姿を現した。
「おぉ、お前か…。どうした?…こんな夜更けに…」
「よふけ?…いや~ん…よりによって真夜中にこんな深い山奥に来ちゃった……お化けが出るよぉ~こわいよぉ~…」
「…お前、ワシのことを恐くないのに、なんでお化けが恐いんだ!?」
「……あっ!?それもそうか…にゃはは」
「おかしな奴だ…。それでなんの用なんだ?」
「玉を貰いに来たの!」
「あーっ!?前にも話したろう…ワシは」
「堕羅の大門の門番にしか玉は渡さない………でしょ?」
「分かってるんならどうして玉を貰いに来たなどと?」
「大ムカデのおじさん、よく聞いて。堕羅の大門の門番は私のおじいちゃんじゃなかったの──本当はこの私なの」
「あぁ…?──馬鹿な……お前が…?ワシを騙して玉を奪うつもりか?」
「ダマしてなんかいないわ!」錫は大ムカデの困惑した顔がおかしくてクスクスと笑った。「私は門番の生まれ変わりだったの。つまり生まれ変わる前は私が門番だったってこと!」
「証明することができるか?」
「うん、もちろんよ!──見ててね…」錫は牛若丸宛の錫雅尊へと姿を変えてみせた。
「おぉ~…その姿は正しく門番…。ふむ…若干…いや、相当霊気は弱いが、確かにあの時の霊神と同じ気だ…」
「でしょ!?でしょ!?」。「うむ…少し凛々しさが抜けているが、確かに同じ姿だ…」
「でしょ…!?」。「あの時よりもナヨナヨしていているが、確かに門番と同じ匂いだ」
「で…でしょ…」。「以前より頼りないが間違いなく…」
「もう…大ムカデのおじさんてば…そのへんで勘弁してよ…。私は門番の錫雅ですって!」
「かっかっかっか…分かっておるわ!本当におもしろい奴だ。なぜだかお前と一緒だと心が和む──門番もそうだった。実は以前お前がここに来た時も感じていたのだ…門番と同じ何かを感じるとな…。まさかお前があの門番だったとは…だが頷ける」大ムカデは長い胴の半分をもたげると、飲み込んで胸に収めていた堕羅の大門の玉を口から器用に吐き出した。「これが、門番から…いや、お前から預かっていた玉だ。急ぐのであろう──早く大門を封じてこい」
「えっ!…いいの?──大ムカデのおじさん…ありがとう」堕羅の大門の玉をその手に受け取ると、錫はちょっとの間も惜しむようにいしの背中に跨りかけた。けれどその動作を止めて、今一度大ムカデに向き直ると凛として告げた。
「大ムカデのおじさん……私…約束は忘れてないから…。必ず雌の大ムカデさんとムカデ地獄で暮らせるようにしてあげるから……必ず。だから待っててね!」
「あぁ、お前を信じている。ワシはここから離れることはできんが、お前の無事をひたすら祈ろう──微力ながら唯一それが今のワシにできることだ…気をつけて行ってこい」
──「微力…?ううん、なんて心強い言葉!どれだけ離れていても、こうして私を祈ってくれている。強力な霊具を手渡されるよりもずっとずっと勇気が湧いてくる!……ありがとう大ムカデのおじさん!」自分の姿を元の愛らしい香神錫の姿に戻すと、今度こそいしの背中に跨り、もと来た道を帰って行った。
醜い姿をした大ムカデの化け物は、自分のために必死で約束を守ろうとしてくれている錫の後ろ姿を、いつまでも祈り続けるのだった。
Ⅱ
秩父の山奥から帰って来た錫は、体を休めて霊気を蓄えていた──三度黒の国に行くためだ。
だが錫には一つだけ気がかりなことがあった。我が家に帰ってきて早々のこと──〝ご主人様、わたくしに少しだけ時間をくださいませ〟いしはそう言ってどこかに行ったっきり、未だに帰って来ないのだ。いしの安否を心配しつつ、錫は一人で地獄へと旅立つしかなかった。
今まで二度黒の国を訪れて、深閑とした中におどろおどろしさを感じていた錫だったが、今回はまるで別世界だった。
錫の最も苦手な蛇やムカデの形をした堕羅の亡者たちが、ところ狭しと走り回っては、黒の国の亡者を捕まえ霊気を吸い取っている。まさに正真正銘の地獄だと錫は思った。
──「この修羅場をかき分けて、堕羅の大門に辿り着けるのかな…」尻込みしてしまう錫だったが、行くしかないと覚悟を決めて走りだそうとしたその瞬間──後ろから〝がつっ〟と誰かに肩を掴まれた。驚いて後ろを振り向くと大きな赤鬼が厳しい形相で錫を見下ろしている。
「どこに行く?」
「堕羅の大門の近くにある祠まで…。そこに用があるんです」
「ならん!お前を捕まえる」今までと違う鬼の厳しい対応に錫は些か戸惑った。「今黒の国では厳戒態勢が敷かれている。他の国の奴らはすべて捕らえるのだ。悪く思うな…」
「どうしてそんなことに?」
「かつて見たこともない危険な化け物が脱獄して、黒の国に潜伏中とのことだ。流れてきた情報によると、恐ろしい武器を持ち、頭も切れる化け物だそうだ…。手下を使って何かを仕掛けてくるかもしれんから、よそ者は絶対に捕らえろとの命令だ。お前が奴の手下だという可能性もある…。だから悪く思うな──お前はここでお縄だ」
「ちょっと…やめて…」鬼が伸ばしてきた丸太のような太い手を素早くすり抜け、錫は間合いを取って睨みつけた。
「鬼に逆らうとは大した度胸だ。ではこっちも容赦はすまい…」鬼は腕よりも太い金棒を振り上げ、錫目がけて襲ってきた。一旦ひらりと体は躱したものの、このまま襲われ続けたら、そのうち一発喰らいそうだと思った錫は、違う方法で鬼を説得してみることにした。
「私を誰だと思っているの…?私は堕羅の大門の門番!私がここに来た目的は堕羅の大門を封印するため…。さぁ…どうする?私を行かせる?それとも捕まえる…?まだ襲ってくるようなら今度は私も容赦はしないわ…」そう言うと錫は徐に晶晶白露を取り出し、鬼に向けて攻撃の態勢をとって身構えた。だがこれは錫のはったりだ。本気で鬼に晶晶白露を突き刺すつもりは毛頭なかった。
──「お願い大人しく引き下がって…」鬼は晶晶白露を警戒しつつ、無言でじわりじわりと間合いを詰めてくる。錫はそれに合わせて後ずさりしたが、背後には突起した大きな黒い岩があり、とうとうそこへ追い詰められるかたちになってしまった。
さすがに鬼だけのことはあった──正真正銘、恐ろしい鬼の形相だ。行き場を無くした錫に容赦なく金棒を振り上げ、錫の頭目がけて振り下ろしてきた。〝 もうダメだ〟と観念した錫はギュッと目を瞑ってその一瞬を覚悟した。
「止しなさい…」金棒が錫を餌食にする寸前、誰かが素手でそれを止めた。「この子は大丈夫だ!」
「だ、大王様!」
「えっ……大王様!?」鬼の言葉に、錫が大きな目を開けた。
「お嬢ちゃん恐かったね…。この鬼にはよく言って聞かせるから早くお行きなさい…うんうん。以前お嬢ちゃんにあげた朱色の丸い木札はまだ持ってるかな?何かあったらあれを見せると大丈夫だからね、うん大丈夫だから…」
「円満大王様…ありがとう…大好きよ!」錫はその言葉を残して走りだした。目指すは堕羅の大門だ。
円満大王はまたしても涙をボロボロと流して錫を見送った──。
★
「じき大門が閉まる…戻るのだ!」辰夜代は黒の国で暴れていた堕羅の亡者どもに叫んだ。
──「さて…上質ではないが、これである程度の霊気は集まった。帰ったらあの牢獄の化け物のことを蚣妖魎蛇様に知らせなくては…」辰夜代は気が重かったが、正直に伝えるしかないと覚悟していた。




