第15章──カン違いⅡ
Ⅲ
信枝の家の真裏にある広い空き地は、大勢の人たちでごった返していた。錫は約束の五時が待ちきれず、三十分も前に到着してしまったが、それでも早くも五十人以上は集まっていた。
この日は常生拳空手道創立記念日として、道場に通う門下生たちが楽しいひとときを過ごす。準備をしているスタッフだけでも相当な人数だ。その中に信枝も加わっていて、忙しそうにスタッフに指示を出して走り回っていた。信枝が錫に気づくと、にっこり笑って錫を手招きした。
「いらっしゃい!さっすがスン、こういう事にはいつもより早いわね」
「もう、いつも信枝はひと言多いんだから…でも今日は許しちゃう…きゃはは」
「あんたのためにお肉の量を十キロ増やしたんだからしっかり食べなさいよ」
「あのねぇ……十キロってどんな胃袋よぉ~…」
──「やれやれ…信枝ったら、錫雅と一緒の時とはまったく別人だねぇ…くふふふっ」
「さぁて…段取りは伝えたし、これで私も放免。あとは浩子を待つだけだね…」
時計が五時五分前になると、待ち構えていたかのように時間に正確な浩子がやって来た。するとたちまち三人は高校生に戻ってはしゃぎだすのだった。
「おしゃべりも良いけどそろそろお肉食べようよぉ…。お昼抜きだったから死んじゃうわ…」錫が情けない声で訴えた。
「一食抜いたくらいで死んだりしないわよ…」
「もう、信枝ってば…そんな意地悪言わないで早く食べようよぉ~…」錫は肉汁の焼ける煙りの匂いに釣られて紙皿を手に取った。「ヒャ──!なんじゃこりゃ……うっまそう~」錫は持っていた紙皿と同じくらい目を皿のように大きくして叫んだ。錫が感嘆の叫びをあげたのには二つの理由があった。一つは食材だ──さしの入った見るからに高級そうな肉・ぷりっぷりの車エビ・肉厚のイカの丸焼き・大型のサザエ・それに新鮮な焼き野菜等、普段は口にすることもない豪華な食材が、所狭しとバーベキューグリルの上で踊っている。もう一つ驚いたのは、そのバーベキューグリルの大きさだ。三百人以上が集うこのパーティーには市販の小さなグリルではとても間に合わない。そんなわけで錫の目の前には大型グリルが設えてあった。そのグリルの正体は────なんとドラム缶だ。縦に真っ二つに切ったドラム缶の切り口を上にして、その中に大量の炭を入れ、大きな網を三枚並べて拵えた大型バーベキューグリルだ。しかも同じものが六機も並べられていて、どのバーベキューグリルからも食欲をそそる美味そうな煙りが立ち込めていた。
「ど、どれでもいいの…?」
「どうぞ…好きなだけ召し上がれ!隣にはドリンク、その向こうにはデザートもあるからね」
「うっひゃ~!」どれを見ても美味しそうで目移りする錫だったが、まずは肉を山盛り取ると、おしゃべりもそこそこに、ひたすらジューシーな肉をほおばった。
二人が相変わらず気持ちの良い錫の食べっぷりに見惚れていると、ジーンズに紺色のポロシャツを着た優しげな男性が信枝に声をかけてきた。
「信枝さん…お久しぶりです!」爽やかに挨拶をしてきた男性に信枝も気持ちよく返事をした。
「お久しぶりです!お元気そうで何より…」
「はい……さすがにちょっと落ち込みましたが、もう元気になりました。…でもいつか私に分かる説明をしてくださいね…では」青年は笑ってそう言うと、錫と浩子にも優しい目で軽く挨拶をしてその場を去った。
「…………」信枝はそれには答えず無言で頭を下げて挨拶しただけだった。
「だ、誰…今の誰?ちょっとぉ、誰よぉ……?」食べ物にしか興味を示さなかった錫が、このやり取りには食いついてきた。「好感度の高い男性じゃないの……信枝も隅に置けないわねぇ~…このこのぉ~」さらに突っつく。
「そんなんじゃないわ…。あの人は私のお見合いの相手だった人…」
「あぁ~──あの人が信枝のお見合い相…」錫が口を滑らせかけたので、浩子が思わず持っていた紙コップを落とした。まだほとんど口をつけていないオレンジジュースは、乾いた地面が全部飲み干した。
「ごめんなさい…。信枝がお見合いだなんて……私たち何も聞いてなかったから驚いちゃって、つい手が…」浩子の言葉に錫はハッと気づいて、冷や汗をかいた。
──「いっけない……これは錫雅と智信枝栄のみ知る話だったっけ…。気をつけないと…」
「あ、あぁ~…そ、それじぁ…い、今の人が信枝とお見合いをした相手だっていうの?」錫はさっきと違うリアクションで仕切り直した。
「うん。本気で結婚も考えたわ……だけど…………」それから信枝は道部良文とのことを詳しく話し始めた。
「えぇっ…それでお見合いを途中ですっぽかしたの!?錫雅なんとかっていう幽霊のために…?」わざと大げさに驚いてみせる錫だ。
「信枝…どうしてもその幽霊さんじゃなきゃダメ?」浩子も突っ込んで聞いてみた。
「ダメ、どうしてもダメ!たとえ異国の人でも私にはあのお方しかいないの…」
「い、異国の人って……異国すぎない…?それに、道部さんって人、とってもステキ!錫雅さんよりずっとイイんじゃない?」
「見たこともない人に錫雅様の良さなんて分からないわよ!」
「私もスンと同じ意見よ。いくら何でも異国すぎるわ…。それにどこまでが真実なのか…」
「全部真実よ!…とにかくあんたたちに私が体験したことを話したって理解できないでしょうね…。今の私の体の中にもう一つの命が宿っていることも…」これには錫も浩子も本気で驚いた──。黙ってその場に加わっていたいしでさえも口をポカンと開けている。
「えぇ──────!?の、信枝……断ったお見合い相手と…そ、そんな深い関係に!?」錫が顔を赤らめて尋ねた。
「はぁ!?…スン、深い関係って…何が深いのよ!あんた頭の中が十八禁になってるんじゃないの!?」信枝は錫の頭を軽く手のひらで叩きながら笑った。
「私だってもう立派な大人の女ですからね…ちょっとくらいそんなことも考えますぅ~」
「で、でもスンはすごいことを考えてるんでしょ…?」浩子の顔は真っ赤に火照っている。
「あのねぇ…浩子まで…。二人とも脱線しすぎだよ!実はね…信じられないでしょうけど、私の中には架空の生き物が宿っているの…」
「あ~………綿ぁ!?」
「えっ!?スン……今なんて?」
──「ヤバい!口が滑っちゃった…」
「わた…わた……わたしはてっきり信枝に赤ちゃんが…」苦しいなりになんとか繕った。横でやり取りを聞いている浩子といしがハラハラしている。
「はぁ?あり得ないわよそんなこと。…だけど驚かないの?私に架空の生き物が取り憑いているのよ?」
「……ひ、ひぇ──!」
「あんたと話してると調子が狂うわ…」
「ごめんなさいねぇ……天然で!」錫は長い舌を〝べ~〟っと出して顔を顰めてみせた。
その後も気の置けない三人はずっと囀り続けていた。錫はごちそうを食べる口も休みなく動いているので、他の二人の口よりもさらに忙しそうだった。
「あんたのその豪快な食べっぷりに、こっちが胸やけしてくるのは気のせいかしら…」
「気のせい気のせい…」錫は信枝の言葉など気にせずにご馳走をほおばり続けた。
記念パーティーもそろそろお開きの時間だ。信枝と浩子はとっくに満腹だったが、錫もそれなりに満足していた。
招待してくれた信枝に何度も礼を言ってご満悦で帰路に就いた錫に、途中ミツから電話が入った。
「分かった…一旦帰って車で向かうわ…」
──「のんびり気分もここまでね…」錫は自分にそう言い聞かせて足を速めた。
Ⅳ
蚣妖魎蛇はすこぶる機嫌が良かった。堕羅の大門が開いて堕羅の亡者が暴れ回っていたからだ。
「鬼どもが慌てふためいているようだな?もっと堕羅の亡者に振り回されるがよいわ…くっくっく」
「ですが、今回は鬼どもの騒がしさが尋常ではありません…。何かあったのでは?」
「そうか…まぁそんなことは放っておけ。それよりも堕羅の大門も今は時間によって閉じたり開いたりだが、そろそろ完全に封印が解かれて開きっぱなしになる日も近いはず…」
「はい、私もそう思っております」
「くっくっ…よいな辰夜代よ──新たに私の右腕となったお前には伝えておくが、堕羅の封印が完全に解かれたら、私は次の段階に入る。より強靱な力を得るためにな」
「分かっております。準備は整っておりますから、いつでも声をおかけください」
「よし。ではお前も堕羅を出て黒の国でひと暴れしてくるがいい。人間の霊気だけでは追いつかん……霊気の強い地獄の亡者をさらってくるのだ」
「承知いたしました──仰せのとおりに…。ちょっと肩慣らしらしに行ってまいりましょう…むふふっ」辰夜代と呼ばれた堕羅の亡者は不敵に笑うとその場から去った。
「ふんっ…今に見ていろよ。白の国は必ずこの私が支配してやる」蚣妖魎蛇はその姿を蚣と蛇とに交互に変えながら苦々しい口調で呟いた。
辰夜代が蚣妖魎蛇の命を受けて黒の国に向かおうとした時、慌てて手下が何かを報告しに来た。
「何事だ──取り乱して?」
「伝令です……。じ、実は…牢獄に捕らえていた化け物が…」ただならぬ様子に辰夜代の顔つきが変わった。




