第15章──カン違いⅠ
カン違い
Ⅰ
信枝が清々しく帰った後、錫は錫が部屋に戻ってくるのを待った。いつもの自分なら食事にこれほど時間はかからないはずなのにとやきもきしていると、やっと食事を終えた自分が戻ってきた。ベッドに寝ころんで、のんきに単行本を読んでいる。
「あんた…錫?」霊体の錫が尋ねると、人間の錫は活字から視線をそらして返事をした。
「私は錫よ。あなたは誰?」。「わ、私は錫よ…」
「私も錫よ。私が本物だから、あなたはどこかに行って…」。「私はその体に戻りたいのよ…」
「これは私の体よ!」。「何言ってるの。その体は私のよ!」
「違いますぅ~。この体は私のですぅ~!」霊体の錫が見ても錫だと思うほど仕草も言い方もそのままだ――。このままでは埒があかないので、少しばかり霊気を強めてみた。するとそこにはなんと憑き物が憑いているではないか。しかもあまりにも見覚えのある憑き物が――――。
「ひろこぉ――っ!」
「うっふふふっ………バレちゃったかぁ~」正体は智信枝栄だった。
「もう~…バレちゃったかじゃないわよ…。私、自分が錫じゃないのかと思ってパニックになりかけたんだからね…もう!」
「ゴメンゴメン、スンをからかってみたくなって…つい」
「つい…じゃないわよ。信枝みたいなこと言ってぇ~」
「けど、その信枝に正体がバレなかったんだから感謝してよ」智信枝栄は人差し指を立てて自慢げに言った。
「し、知ってたの…!?ど、どうして…?」
「綿よ。綿が前もって教えてくれてたの!」
信枝は綿に頼みごとをしていた――〝錫雅尊がどこかに行くことがあれば必ず教えてくれ〟と。信枝の目的を察していた綿は、錫が地獄に行くことになったと信枝に報告しに行く前に、智信枝栄のところに立ち寄って事情を話していたのだった。智信枝栄は、錫が尾行されてもボロが出ないように付き添うことも考えたが、それでは帰ってきた時に困る。仕方なく地獄でのことは運に任せることにして、二人の帰りを待つことにした。やがて二人の霊気が強くなり、帰ってきつつあることを感じると、智信枝栄は急いで錫の肉体へ取り憑き、錫になりすましていたのだった。
「…と言うわけなの。信枝を欺くのは心苦しいけど、錫雅様への恋心が燃え盛っている今はこれが最善だと思って…」
「そうだったの…ありがとう浩子!――それにしても綿もやるわねぇ」
「あの子は信枝に似ているところがあるわ…。我関せずという態度をしていても、私たちのことをいろいろと考えてくれてるのよ」
「ねぇ、いし……綿は態度と違って、案外あんたに好意を持っているかもよ!?」
「ご、ご主人様…からかうのは止めてください…」尻尾を股の下までさげてオロオロするいしに、錫と智信枝栄は声を出して笑った。
「それはそうと、浩子に急ぎの話があったの。居てくれて助かったわ」膝が擦れ合うほど智信枝栄に近づいて、錫は小声で話し始めた。
「実はね…とんでもない事実が判ったの…」その一言で何故か智信枝栄の顔が引きつった。「あのね…堕羅のね…」更なる一言に、智信枝栄はますます引きつった。「浩子大丈夫…気分悪いの?」
「大丈夫よ…大丈夫…。──それで…だ、堕羅の…?」
「うん…堕羅の大門の門番はね……なんと私だったの!」
「…あ~…そうだったのぉ」智信枝栄は一変して顔の表情を緩めた。
「ふぇ~……それだけ?ちゃんと聞いてた?あのね……堕羅大門の門番が私だったんだよ?」智信枝栄は〝はっ〟と我に返って、錫の言ったことを今度はしっかり聞き入れた。
「えぇ――!ま、まさか…うっそでしょ?」
「テンポがズレてる………浩子本当に大丈夫…?」
「ちょ、ちょっと他のこと考えてて…ごめんなさい…」智信枝栄は軽く笑って舌をぺろりと出した。「それにしてもスン…それ本当なの?だとしたら私たちは大きな勘違いをしていたことになるわ。…ううん、私がスンに勘違いをさせていたことになるわ」
「どうして浩子が?」
「だって天甦霊主様は、虎慈様が堕羅の門番を他の者に託しているかもしれないから、スンに探してほしいと言ってたでしょ?なのに私は、もし虎慈様が他に門番を託しているならこの非常事態に出てこないのはおかしい――と言って、天甦霊主様の推測を否定してしまったわ」
「それは仕方ないわよ…誰だって門番が現れないのはおかしいと思うわ…」
「結局のところ、スンは私の推測に惑わされ、堕羅の大門の門番がもう存在していないという前提で玉を探していたのよ…。バカだったわ…もっと早くに気づくべきだった…」
「と言うよりさあ…浩子ぉ………誰も私を堕羅の門番だって気づかなかったよね?」
「うん……思い返してみたらそうよね…。まずあの保鬼さんは以前の門番に雇われていた大門の看守…即ち今の門番である錫雅様の顔は知らない。それに現在の保鬼は堕羅の蟒蛇に呑まれてしまっていたから当然錫雅様と顔を合わせることはなかった…」
「そして須佐之男命に会いに行った時は、最初から薄暗い洞窟でお互い顔を突き合わせることもなく話をしていたから、私が堕羅の門番だと気づかなかった…」
「それから大ムカデ殿ですが、堕羅の大門の門番の顔はよく知っていたはずです。ですが……その門番であるご主人様は、あの時錫雅様ではなく、錫様のお姿でしたから、結局気づかず仕舞いだったですけん」
「それにしても…私ったらまったく………虎慈様が門番を託す最も可能性のある霊神………そう考えたらスンを…錫雅様を一番に疑ってかかるべきなのに…」智信枝栄は情けなさそうに首を小刻みに振った。
「堕羅がてんやわんやの時に肝心な門番が現れなければ、誰だって門番は存在しないと考えるわよ…。でもまっさか存在してたなんて……それもこんな身近に…。〝灯台の根もとはまっ暗〟っていうやつねぇ…?」
「…堕羅の大門が一大事でも人ごとの門番……なおかつ、堕羅の門番だと本人も知らない門番…。一人だけそれに該当する門番がいた…それがスンだったんだわ…。スン…〝灯台下暗し〟よ、ふふっ…」
「それよぉ……それそれっ、キャハ!」
堕羅の大門の門番が存在したことで、一から整理して考え直してみる必要がある──錫も智信枝栄もいしも同じことを思っていた。
「私の手元に玉が一つあるわ。あとの二つの玉については、その在処は分かっていても、手に入れるのは不可能だと思っていた。だけど急転直下…状況は変わった。そう…私が堕羅の大門の門番だったことで、私は残りの玉を手に入れる権利を得たのよ。それぞれ問題はあるけどね…」
「ご主人様、それぞれの問題とはどのような?」
「まず大ムカデさんに関しては番いにしてあげること。そのために〝実のならない樹になる木の実〟を探して、めでたく木の実は手に入れたけど、もう一つの〝闇に眠る生命の源〟はまだ手にしていない…。これが手に入れば、大ムカデさんとの約束が果たせて玉が手に入る」
「それじゃ、最後の一つの玉を手にする問題点はなんなのスン…?」
「祠に棲む化け物が持っている玉を貰えるのは、ただ一人だけ…堕羅の大門の門番──つまりこの私。私は一人であの祠に入らないといけない……問題はただ一つ…」
「何………?なんなの…?」。「わたくしも気になりますけん…」
錫は二人を相当焦らせてから、たった一言だけ呟いた──
「……………………………こわい」
Ⅱ
地獄から帰ってきた次の日の早朝、錫はケータイの電話で目を覚ました。目覚まし役は信枝だった。
「スン久しぶり…突然だけど今日空いてる?」
「おはよう……うん…空いてる…」
──「久しぶりって……昨日ずっと一緒だったわよ……ふぁ~、ねむい…」
「だったら家に来ない?バーベキューをするの。お肉をたらふく食べさせてあげるわよ!」半寝ぼけで聞いていた錫はいっぺんに眠気が吹っ飛んだ。
「行く行く!行くわよ…行きますぅ~……最近お肉に飢えてたんだぁ…錫ちゃんは危うく肉食怪獣〝スズラ〟になるところだったわ…」
「…また意味不明なこと言って…。浩子も誘ったから今日は三人揃うわね。それじゃ、五時に待ってるね」寝起き早々バーベキューと聞いただけでお腹が空いてしまう健康体の錫だった。とりあえず朝食はしっかり食べておいて、その後五時までは何も食べず空腹にしておく計画だ。
納豆とツナ入り大根おろし、それにワカメのみそ汁をおかずにご飯を二杯食べて箸を置いた錫は、それでも腹六分目だった。「バーベキューのために、朝食はこれくらいにしておいてやるか」偉そうな物言いでお腹をポンポンと叩き、お茶を飲み干した。鈴子からは〝女の子なのになんて口が悪いの〟と叱られたが、憎めない笑顔でぺろりと舌を出して、食後のバナナを一本たいらげた。
それから錫は、龍門の顔を見に部屋に入った。龍門は皮膚が青いウロコへと変化し、気力をなくして心身ともに別人と化していた。
「パパおはよう……もう少し待っててね。必ず解毒する聖水を見つけるから……それまでもう少しだけ…」涙で大きな黒目が潤む。錫は二~三日体を休めて霊力を回復させてから聖水を探しに行くつもりでいた。
自分の部屋に戻った錫は、一つ気になることあって乾丸の家に電話をかけた。電話に出たのは家政婦の原越以知子だった。以知子は錫の声を聞くと、すぐに乾丸婦人に取り次いでくれた。
「先日はお世話になりました。龍門の助手の巫女です……。電話で失礼だと思いましたが、一言お礼が言いたくて…」
「ではあれがお役に立ちましたか?」
「はい!それどころか…あれがなければ前に進まないところでした。解毒するのに何が必要なのかも分かりました。まだ手にしていませんが、これから必ず見つけ出します…」
「頼もしい巫女さんですこと。ところであなたは龍門先生のお弟子さん?…ただのアルバイトでは無さそうだけど…。どちらにしてもあなたからはすごい霊気を感じます。どうか主人を…乾丸を助けてやってください」錫は必ず乾丸を助けると約束して電話を切った。
その後、いしを相手に聖水の在処について話し合った。いしは常にでしゃばらず錫から一歩ひいているが、差し向かいで話をすると鋭い切り口で錫にアドバイスをしてくれる頼もしい狛犬だ。
「えっ…?同じもの!?」
「はい、絶対とは言えません……ただわたくしが勝手にそう思っているだけですけん…」
「では…いしがそう思う根拠を述べてみよ!」そう言って錫は左の人差し指をピンと立てた。
「根拠と言えるかどうか分かりませんが…。まず〝聖水〟──これは文字通り水です。そう考えて一旦置いておきます。そしてもう一つの探し物〝闇に眠る生命の源〟──これは祠の泉を指しているのではないでしょうか?祠の中は闇…。そしてそこに眠る命の源…。わたくしは生命の源とは水だと思うのです。如何なる命であろうとも生きてゆくために絶対に欠かせないもの…それは水ですけん…。そして魔物によって誰にも汚されることなく守られ続けている祠の水はまさしく聖水。わたくしが同じものではないかと思う理由はそういうことですけん…」
「いし……持つべきものは賢い家来だわ!だとすれば大ムカデさんを番いにすることも、乾丸先生やパパを元に戻すことも、祠の泉さえ汲んでくれば解決するということね!?」
「あくまでもわたくし考えですけん…」
「間違いないわよ!霊気を蓄えたら早速出かけよう──黒の国へ!」
「いよいよ大詰めのようですね…ご主人様」いしはほっと胸を撫で下ろす様子を見せた。だがその真意は当然錫に分かるはずもなかった。




