第14章──堕羅の門番Ⅱ
Ⅲ
「もしかして黒の国では鬼のことを一匹とか一頭とか一羽とか数えるのかなぁ…とも考えた。だけどそう考えてたことも満更ムダではなかったわ──そう…数え方なのよ。いしの説明を聞いて解ったの。北は〝子〟つまりネズミ…ネズミは一匹と数えるわよね!?」
「はいです…」
「同様に南は〝午〟つまりウマ…ウマは一頭」
「……!なるほどぉ、この暗号文は東西南北を意味していたのですね!干支の動物たちには決められた方角があるので、それを当てはめてやれば自ずと答えが出る。やっぱりご主人様はスゴイですけん――牢獄に囚われていながら秘宝を手にするという破天荒な離れ業を見事にやってのけるお方だけのことはあります!」
「大袈裟すぎるわよ…いしは…」錫は照れながら、一緒に横を歩いているいしの頭を撫でた。いしは嬉しそうに尻尾を大きく振ると、また続きを話し出した。
「一匹でも一頭でもないとすると、北と南は消えます。残りは東西のどちらかですが──〝二羽はいるけど羽はない〟つまり何羽と数えて羽のない動物の方角が答えだったのですね?」
「そのとおり!東は〝卯〟西は〝酉〟ウサギとトリよね。ウサギは羽は無いけど一羽二羽と数えるわ――昔食べ物の無い時代に、鳥の代わりにウサギを食べていたからだという説があるらしいけど……それはどうでもいいとして…。〝二羽はいるけど羽はない〟…東の〝卯〟と西の〝酉〟の二羽のうち、羽のない動物は〝卯〟ウサギ――すなわち〝東〟がこの暗号の答えだったのよ!」いしは感心して錫の回りを駆け回った。
「最後の一行──これはぎりぎりまで解らなかった…。だけど、いしと綿が匂いが違うと言ってくれたおかげで〝花咲き漂う香り〟はこれだと思ったの。でも花の匂いとは違うと言うし……またわけが分からなくてちょっと焦ったのよ…」
「すみません…いつもご主人様にばかりご苦労をおかけして…。なのにわたくしは……このいしは…とんでもないことを…」
今だけではない――再会した時から、時折どうもいしの様子がおかしくなる。おそらくは、人間界に来て真っ先に主人に会いに来なかったことが引っかかっているのだろうが、いつまでも気にしなくてもよいのにと思う錫だった。
「そんなに落ち込まないで…。その答えを教えてくれたのは、いしたちなんだから!」
「わたくしたちがですか?」
「そうよ…いしは違う次元の匂いをかぎ分けて、その世界に行けると言ったでしょ!?〝花咲き漂う香り〟は花の香りのする異次元の匂いか、あるいは異次元の入り口に目印として咲いている花だろうかとも考えた…。だけど花も無ければ、花の匂いとも違う…。途方に暮れながら、いしが匂いをかぎ分けている姿を〝ぼや~〟っと見ていたその時〝ピン〟ときちゃった…〝花咲き〟は〝鼻先〟かもしれないと…。あそこは鼻が利かなければ見つけられない場所だった──そう…いしや綿のような能力を持っていないとね!乾丸婦人は〝花咲き〟と〝鼻先〟を掛けていたのよ」
「なるほど。〝鼻先に漂う異次元の匂いをかぎ分けて東に進め〟──それが答えだったのですね…」
「うん、そしてここに辿り着いた!大ムカデさんの言っていた〝唯一植物が存在する新天地〟――それは間違いなくここよ!」
「ご主人様には感心しますけん!」
「そうじゃないわ。乾丸婦人のおかげ。…そして信枝やいしや綿がいなければここに辿り着けなかったのは事実よ。やっぱり私はみんなに支えてもらってる。またそのことを教えられたわ…」そう語った錫の目はどこまでも澄んでいた。いしは錫のその目を見て、自分の目を潤ませるのだった。
謎解きの説明が一段落した頃には、島が目前に迫っていた。山も川もない坊主頭のような形だが、島の中央に大きな木が一本だけ生えているのが見えた。
「到着!ねぇいし、この木を見て…ヤシの木そっくりだけど、葉っぱは普通の形…しかもいっぱい茂ってる…。〝実のならない樹になる木の実〟ってこれのこと?」
「どうでしょう?そもそも〝実のならない樹になる木の実〟って、どう解釈すればいいのでしょうね?」
「それを言っちゃぁ、おしまいよぉ~」錫が誰かをマネしてそう言うと、葉っぱが一枚左右に揺られながら落ちてきた。その葉っぱは錫の目の前をとおり過ぎて地面に落ちると、そのまま消えて無くなってしまった。
「……な、何…今の…?消えちゃったわよ…。そう言えば変だと思わない…?こんなに葉っぱが茂っているのに一枚も落ち葉がないわ…」
「たしかに…。でもご主人様、ここは人間界ではありませんから、常識で考えてはダメなのかもしれません…」
「う~ん…それもそうねぇ…」その時だ――遠くから叫び声がしたので振り向くと、さっきより、もっと小さな赤鬼が〝はっせはっせ〟と走って近づいて来た。しかも体に釣り合わないでっかいイボ付きの金棒を二本、それぞれ片手に持ち肩に担いでいる。
「ずいぶん小さい鬼だわね。あれが親分…?」。「でしょうね…」金棒を二本担いで小股で走る様があまりにも滑稽で、錫は笑いをぐっと堪えた。
「お待たせいたしました、旦那…」
――「旦那って……その言われ方が一番違和感を感じる…」レディの錫には酷のようだ。
「旦那…どうしてここへ?」
「どうしてと言われると、どう答えていいのか分からないんだけど…。新天地にある〝実のならない樹になる木の実〟を探しに来たの…。…この木がそう…?」
「確かにこの木がそうですが…」
「やった――!いし、ビンゴよビンゴ!まず一つ見つけたわ!」
「どうして旦那はそんなにはしゃぐのですか?」
「どうしてって…嬉しいからに決まってるでしょ!」
「そんなに嬉しいのですか?」赤鬼は怪訝な顔で錫を見た。
「それでさぁ…どういう意味なの〝実のならない樹になる木の実〟って?」
「……旦那、からかってるんで?」
「からかってないわよ…大まじめよ!分からないから聞いてるの!」
「………そ、そうなんですか…?では一応説明しますが、この木には葉っぱはありません」
「葉っぱは無いって……葉っぱしかないじゃない!」
「これは葉っぱではなく木の実です…」
「ゲ――ッ!これが木の実?」
「そうですよ…これは葉っぱのように見えますが、全部木の実です」
「だから〝実のならない樹になる木の実〟…そういうことでしたか」
「さっき葉っぱが…じゃなくて木の実が舞いながら落ちてきたんだけど、地面についた途端消えちゃったのよ…」
「えぇ…そうです。この実は地に落ちると消えて無くなります」
「だったらこの木の実が欲しい時はどうするの?」
「欲しかったら飛びついて取るしかありませんが、こんなに高くてはとてもとても届きません…」赤鬼はぴょんぴょん跳んで飛びついてみせた。どう頑張っても木の実に届くとは思えなかったが、それでも飛びつこうとするその姿が、またまた滑稽で面白い。錫は笑いたいのを堪えるのに必死だった。そんな錫にいしが珍しく取り乱して言った。
「ご主人様…こ、この姿…まさに弐の木札に書かれてる内容にぴったりだと思いませんか!?」いしの言葉に錫の顔色が変わった。慌てて懐から弐の木札を取り出すと、改めて目をとおしてみた。
『ひらひら散る木の実は鬼様も飛びつく実』
疑う余地もなかった。弐の札の示すものはこれだと確信した錫は、すぐさま赤鬼に尋ねた。
「ねぇ、赤鬼の親分さん…私はこの葉っぱのような実も欲しいんだけど、実はもう一つ別に探しているものがあるの?」
「別にですか?」
「そうよ…今堕羅の大門が大変なのは知っているでしょ?私は堕羅の大門を封印したくて三つの玉を探しているの。でも玉の在処は堕羅の大門の門番しか知らないわ…。ところがね…どうやら玉の一つがこの場所にあるようなの…。赤鬼の親分さん、堕羅の大門の玉について何か知らない?」
「旦那……最初っからずっとそんな調子ですが………やっぱり私をからかってるんでしょ?」赤鬼は何か言いたげな面持ちで錫を睨んだ。
「からかってなんかないわよ…大まじめです…。私は本当に堕羅の大門を封印したいの!なんでもいいから知ってることを教えてくれない?」
「知ってるもなにも…玉は私が持っています…」
「ヒェ――!赤鬼の親分さんが持ってるの!?」錫は飛び上がって驚いた。もう少しで木の実に届きそうな勢いだ――。
「ねぇ、赤鬼の親分さん……まさかその玉〝門番にしか渡さない〟なんて言うんじゃないわよね…?」錫は尋ねた答えを聞くのが恐かった。
「当たり前のことを言わないでくださいな…玉は門番さんにしか渡さないに決まってます!」
――「あぁ~…やっぱりこれだ…」一気に疲労と脱力と倦怠に襲われた。
これで玉の在処はすべて分かったことになる。だが、その一つも手に入れることが不可能なのだ。錫はどうにも歯がゆくてならなかった。
「どうしたら…どうしたら、その玉を私にくれる?」やっと辿り着いても、徒労に終わってしまう無念さをどうしていいか分からず半泣きで赤鬼に訴えた。
「旦那、いい加減にしてくださいよ…ホントにもう…私をからかってるんでしょう?…私はちゃんと門番様に渡しますよ!預かっているだけですから…。なのに何で泣くんです…?」赤鬼は腑に落ちない様子だ。
「だって門番は…門番はもういないのよ……無になってしまったの…」
「えぇっ!?」赤鬼は驚いて顔を顰めた。
「か、からかっちゃいけませんて…旦那…」それを聞いてとうとう我慢できず、いしが割って入った。
「ご主人様はからかってなんかいない!本当に困っておいでなのだ」
「そう言われてもねぇ……旦那は錫雅尊ですよね?」
「そうよ…」
「……そうだよな…どっから見ても錫雅の旦那だよな…。やっぱりからかってるんでしょ?」
「だ・か・ら…からかってないってばぁ!」錫がとうとう癇癪を起こして大声を出した。
「だって…だって旦那は錫雅尊でしょ?門番は無になったって言うけど──堕羅の大門の門番は旦那じゃないですか!」
「あぁ…そうだったの?…………………んなっ……なんですってぇ――――!?」
青天の霹靂だった――。
Ⅳ
以知子のハンカチは涙でびしょびしょに濡れていた。あの時の朋希の言葉と仕草が鮮明に蘇ってくる──。
「母ちゃんありがとう!お外に出られるようになったら、このステキなおクツを履いて母ちゃんと歩きたい…」五歳の誕生日に買ってもらった靴を嬉しそうにしっかりと胸に抱くと、満面の笑みを浮かべて朋希はそう言った――その日から枕元にはいつもその靴があった。
「もう少ししたら朋希ぜったい元気になるからね。そしたらこのおクツ履くから…だから待っててね、母ちゃん…」その言葉は病気に負けそうな自分自身を励ましているように聞こえた――。母親がせっかく買ってくれた靴を、未だ履けずに申しわけなく思う詫びの言葉にも聞こえた。どちらにしても幼気な子供が、こんな心情を抱えているのかと思うと、以知子は居たたまれなくなって病院の廊下で一人泣いた。
「母ちゃん…朋希…母ちゃんのお靴…履けないかもしれない…」いつしか朋希の言葉はそんなふうに変わっていった。
それから幾日かして以知子の愛娘──朋希は逝った。
「どうして神様は私のたった一つの大切な宝物を取り上げるの!?」どこにぶつけてよいのか分からない悲しみを、責めても仕方ない存在に向けて狂乱した。
それからずっと今日という日まで、その思いを引きずったまま以知子は生きてきたのだった――。
以知子が朋希に買ってやった靴は、乾丸婦人が言い当てたとおり白いエナメルの靴だった。もう疑う余地など微塵もない。本物の霊能力者夫妻から、紛れもない娘の存在とその思いを教えてもらった以知子は、乾いてひび割れていた心に、たっぷりの水を注いでもらって潤ったような気持ちになった。
「漸く抱えていた苦しみから解放された…」ポツリと呟くと、また以知子は布団をかぶったまま涙した。
帰り間際に乾丸夫妻のしてくれたことが頭をよぎる──。
以知子は何度も何度も頭を下げて乾丸夫妻に礼を言いながら玄関で靴を履いた。追いかけるように乾丸夫妻も草履を履いて玄関先に出てきた。
「さぁ…もう一つだけ娘さんに喜んでもらおう」乾丸がそう言うと、婦人が徐に以知子の両手を握った。
「上手くいくかどうか私にも分からんが、娘さんに対するあんたの強い霊気を少し減らして、逆に娘さんには強い霊気を送ってみる…」
「そんなことができるんですか?」
「私もやったことがないから自信はない…だが妻にも協力してもらえばあるいは…」静かに答えて以知子の近くに立った乾丸が、娘の霊体に自分の霊気を送り始めると、同時に婦人も以知子の霊気を取りにかかった。
時間にしてわずか数十秒だろうか――以知子がいきなり〝あっ!〟と叫んだ。
「娘が………朋希が私の目の前に…」
「……上手くいったようだ」乾丸がほっと息を吐いてそう言うと、婦人も黙って微笑んだ。
「さぁ…あんたも無念だったろうが、娘さんもこの日を待ち望んでいたんだ。親子ふたり仲良く手をつないで帰りなさい…」
「あまり時間がないわよ…急いで!」婦人が以知子にそう忠告した。以知子は軽く頷いてそっと右手を差し伸べた。
「母ちゃん…」朋希は母以知子の手を取ると、同じ方向を向いて以知子を見上げにっこり笑った。以知子も娘に微笑みかえすと、二人はそのまま歩き出した。乾丸夫妻は以知子親子が見えなくなるまで、その後ろ姿を暖かく見守っていた。
白いちっちゃなエナメルの靴は、この瞬間を待ち望んでいたかのように〝トッツタッツ〟と楽しげな音楽を奏でているようだった──。
――「生きて果たすことなどできないと思っていた願いを果たすことができた。そして今も朋希は私の側にいる…」以知子は二度とわが子の姿が見えなくても満足だった。
そして乾丸夫妻に対して、尽くしても尽くし切れない恩義を抱いた。
乾丸正嗣は除霊師であって聖霊師ではない。晶晶白露なくして聖霊はできない。それは自分が師と仰ぐ人からきっぱりと言われて心得ていた。だが乾丸は除霊ではない方法で以知子親子を助けた。独自の方法で人も霊も助けたのだ。もちろん乾丸本人はそんな意識は持っていないだろう。自分はどこまでも除霊師だと思っているはずだ。だが、以知子から見れば違う――乾丸は霊を追い払うだけのただの除霊師ではなかった。彼は自分や亡き娘を共に助けてくれた〝聖なる除霊師〟なのだ。
明かりの消えた狭い部屋――けれど以知子の心の中には、ほっこりとした明かりが灯っていた。




