第13章─手練手管Ⅰ
手練手管
Ⅰ
小鬼稚は〝わなわな〟と震えていた。「どうしたらいいんだ…」牢獄の前で頭を抱えて同じことを何度も考え続けた。
牢獄の危険な奴は、見たこともない強い霊気の道具を見せて、それを早急に返さねば得体の知れぬ化け物がここまで取り返しにくると言った。しかも怒り狂った化け物は回りを巻き込んで、片っ端から〝無〟にしてしまうと言うのだ。
さらに奴はこう言った。〝今更嘘をついても仕方ない。私はどのみちその化け物に無にされるか、この牢獄で無になるかだ…。だからせめて最後にこの事実を伝えておいてやりたかっただけだ〟──と。けれど奴は、その最悪の事態から回避する策も教えた。〝この道具を奴に返して必ずここに戻って来る──〟と。小鬼稚はきっぱりと〝お前の言うことなど信用できない〟と突っぱねた。それっきり牢獄は沈黙のままだ。
堂々巡りで答えの出ない小鬼稚は、覗き窓から中を覗いた。「そんな隅っこで、今度はダンマリか?」気になって声をかけてみた。
「私を信用できない奴にこれ以上何を言ってもムダだ…。だが気の毒でならない…お前が私を信用しなかったがために、ここ一帯の連中はみんな無にされてしまうんだ…。お前が後悔するのは一瞬だ――すぐに無にされるのだから…。だが、事柄は大事件として永遠に残るだろう――そう…お前の汚点としてな…」
小鬼稚はまた考えて考えて考えた――。兄鬼には〝融通が利かない〟〝頭が固いくせに、誰の言うことでもすぐに信用してころっ騙される〟と言われた。この場合どっちを優先させれば良いのかまったく判断がつかなかった。奴の言ってることは本当なのか――それとも嘘なのか…。
また牢の奥から声がした──。
「もう悩むことはない。お前の考えは間違っていないのだ。信用できない奴の言うことなど聞かぬ方が賢い」
「そ、そうだよな………?」
「あぁ、そうだ。ただ結果として仲間を救った英雄になるか――無にされた上、前代未聞の笑い者になるかの違いだけ…ただそれだけだ…」
小鬼稚は何度も何度も同じことを思い返していた。そうやって、まだ頭を抱えて牢獄の前に座り込んだままだった。
「どうしたらいいんだ…どうしたら……。奴の言ったことは本当だったのか嘘だったのか…?一時間もすれば帰って来ると言った…。やはり……やはりこれ以上は待てない――兄鬼に早く伝えないと…」
もう半日が過ぎていた──────小鬼稚が奴を逃がしてから。
Ⅱ
錫はもうお仕舞いだと目を瞑った。ここまできたら早く済ませてほしかった。〝今くる…今くる〟と何度も最後の一瞬を自分に言い聞かせて待った。だが、待てども待てどもその一瞬がこない──〝ふっ〟と錫の体を絞めつけていた大蛇から力が抜けた。〝何かおかしい…〟ゆっくりと薄目を開けてみた。わずかな隙間から飛び込んでくる光景にビックリした錫は、今度は眼球が飛び出るほど目を見開いてしまった。二匹の大蛇相手に誰かが戦っていたのだ。いや──〝誰かが〟というような曖昧模糊な言い方はこの際止そう。間一髪で自分たちを救ってくれたのは、大親友──栗原信枝だった。
錫は傍観している場合ではないと我に返り、大蛇退治の助けに加わった。地獄の亡者に晶晶白露が使えない錫は、自分の霊力で戦うしかなかった。とはいうものの、その霊力は凄まじく、手のひらに溜めた霊気を黒い大蛇に当てただけで、暫く動きが止まり藻掻き苦しんでいた。
「錫雅様……お怪我はございませんか?」。「大丈夫、かたじけない…助かりました!」
お互い顔を見合わせた隙を見つけて、赤黒い大蛇が背後から襲ってきた。
「ご主人様…後ろです!」話をする余裕もない──いしが叫ぶと、二人は素早く身を躱した。いしは二人を庇おうとして赤黒い大蛇に飛びかかったが、太い尻尾にはじかれた。背中から地面に叩きつけられたいしに、容赦なく太い尻尾を振り下ろしてきた。
「くっ…」いしは我慢強い狛犬だ――声を荒げず苦しむ姿が錫には余計辛かった。
「私の大事ないしに何するのよ!」錫は言葉が終わらないうちに、溜めていた霊気を赤黒い大蛇に投げつけた。いきなり飛んできた霊気を避けきれず、赤黒い大蛇は顔面にそれを食らうと低い呻き声をあげながら、長い体を捩らせてのたうち回った。
「さすが錫雅様の攻撃はスゴいわ!でも私の攻撃は相変わらず見かけ倒し…。そうだ、綿お願い…私の手足になってくれる?」
「はい、おやすいご用です。あたいに任せてください!」綿はなぜだか嬉しそうに信枝の胸元に飛び込むと、そのまま自分の霊力を信枝の両手足に振り分けた。
「さぁ、どっからでもいらっしゃい!」信枝は綿の霊力を借りて、まさに水を得た魚の如く生き生きとしている。
「この女、バカだなぁ…チュル。自分が強いと思ってるぞ。パンチ力があるだけで痛くも痒くもないないのになぁ…チュル」
「チュルチュルうるさいわねぇ…つべこべ言わずにかかってきなさいよ。面倒くさいから黒いのと赤いのといっぺんにいらっしゃい!」信枝は手のひらを上にすると、指を〝くいくいっ〟と曲げて大蛇たちを嗾けた。
「望みどおりにしてやろう……調子に乗るとどうなるか思い知らせてやるわ」二体の大蛇は裂けるほど大きな口を開け、信枝の左右から同時に飛びかかった。対して信枝の次の行動は一瞬だった。なんと二体のそれぞれの牙を同時につかむと、一気にへし折ってしまったのだ。
「信枝殿大丈夫ですか?」。「うん、毒がちょっと手にかかっちゃったけど、なんともなさそうよ…」信枝は綿と余裕で会話をしている。
「へっ!?…今のナニ…?」驚いたのは錫だった。
「信枝殿が牙をつかんだ瞬間にスナップを利かせて牙を折ったのです。信枝殿の人並み外れた空手の技と、綿の霊気が相俟って、あんな芸当をやってのけたんでしょう…」痛みを堪えながらいしが錫に説明した。
牙を折られた二体の大蛇は、グニョグニョと身をクネらせてのたうち回った。けれども牙の一本くらいでは大きなダメージにはならないのか、体勢を立て直して再び信枝に攻撃を仕掛けてきた。信枝は華麗に演武を舞うように、二匹の大蛇の攻撃を躱しながら鮮やかに反撃した。錫は加勢したかったが、かえって信枝の邪魔になりそうで手が出せない。
「これじゃ、私は逆に足手まといね…」錫がそう思って信枝の戦いぶりに感心した矢先―――油断したわけではなかったのだが、信枝の両足が黒い大蛇の尻尾に払われた。よろめいた信枝の隙を見逃すことなく、赤黒い大蛇はぐるぐると信枝の体に二回巻き付き、宙づりのまま絞め上げた。
「ちょこまかと手こずらせやがって」赤黒い大蛇は鎌首をもたげて大きく口を開けた――まるで信枝をひと飲みにしてやろうかと言わんばかりだ。錫が信枝を助けようとすると黒い大蛇がそれを制した。
「おっと、そっちの小僧は動くな…。動いたらかわいいお姉ちゃんを思いっきり絞め上げるぜ!」どことなくやくざ映画のワンシーンのようだ。
「なんて汚いまねを…」
「ふん…戦いに汚いもきれいもあるかチュル…。勝てばいいんだ勝てば」そう言って黒い大蛇は錫にゆっくり近づき、信枝同様ぐるぐると二回胴体に巻き付くと宙で絞め上げた。錫は黒い大蛇を睨みつけていたが、一切抵抗はしなかった。
「ご主人様たちを放せ」いしが叫ぶと大蛇は小馬鹿にして笑った。
「お前はそのままお寝んねしていろ。妙な気を起こすと大事なご主人様がぺちゃんこになるぞ」黒い大蛇はそう言って錫の顔面を真っ赤な二股の舌でチョロリチョロリと舐め這わせて反応を楽しんだ。絞めつけられて肌に感じるザラザラとした冷たいウロコだけでも気味悪かった錫には、長い二股の舌で顔面を舐められるなど、それこそ生き地獄だった。
しかしそのことで錫は一つ踏ん切りがついた。体中に感じる寒気を必死で抑え、余裕を見せて二匹の大蛇にこう告げた。
「最初に私が絞めあげられた時と、今のこの状態と…何が違うか分かるか?」そう問われて黒い大蛇が高笑いした。
「ぐわっはっはっ…分からいでか。最初はお前を助けてくれる仲間が隠れていたが、今度は誰も助けてはくれん…ぐわっはっははは…チュル」
「そのとおりだ…もう助けてくれる仲間は来ない。だがな…さっきと違って私の両手は自由なのだ」
「だからどうしたというのだ?それでいったい何ができる?」
「…この両手が自由なら、私の分身を呼び出すことができるのだ!」
「はったりか…?」。「それとも強がりか…?」二匹の大蛇は小馬鹿にして鼻で笑った。
「どちらでもない――事実だ!今なら許してやる……さぁ、私たちを放せ。さもなくば後悔することになるぞ」二匹の大蛇はますます錫をバカにして笑い飛ばした。
「この状況で〝はいそうですか〟と獲物を逃すバカがいるか?お前に教えておいてやろう――はったりを噛ますなら、もっと上手にやることだ!あまりにも幼稚すぎて片腹痛いわ」錫の話をまともに聞くつもりはないようだ。それでも錫は顔色一つ変えず、今一度静かに問うた。
「本当に私の忠告に耳を傾ける気はないのだな?」
「付き合いきれん…バカもそこまでいくと本物だ。お前ら仲良く同時に絞め上げてやる!」
「待て!これが最後だ………本当に私の忠告を聞かないのだな?」
「がっはっは……何が“分身”だ。この場に及んでチャンチャラおかしいわ」二匹の大蛇はまったく錫の話を聞き入れるつもりはなさそうだ。
「分かった……ならば致し方ない…」錫は徐に右の手のひらを上にして霊力を集め始めた――たちまちリンゴ大の塊と化した霊気は、いったん手のひらに沈んで、すぐに形を変えて迫り上がってきた。柄を頭にその姿を見せたのは、いたってシンプルだが力強い霊気を秘めた短刀だった。まるで自分の出番を待っていたかのように、赤く眩しい輝きを放つ短刀〈晶晶白露〉は、まさに錫の分身といえた。
錫はいつもと変わりなく晶晶白露を左手にしっかりと握ると、その刃先を真っ直ぐ黒い大蛇の視線に合わせてピタリと止めた。
「情けとして最後に今一度尋ねよう…。本当に私たちを解放する気はないか?」黒い大蛇は答えようがなく黙っていたが、赤黒い大蛇は明らかに狼狽した様子で黒い大蛇に囁いた。
「こ、こいつ…はったりじゃないかもしれないぞ…。あの短刀は半端な代物じゃなさそうだ…」
「…そ、そうか?…た、大したことはないだろう…」強がってはいるが、黒い大蛇も晶晶白露に恐れを成しているのは事実だ。だが他にもこの状況を違う意味で案じている者があった。
――「ご主人様、ならんですけん…。ここでは晶晶白露を使うのは禁じられているはずです。もし使ってしまったらご主人様はどんな処罰を受けるか…。けれどもこのままではご主人様も信枝殿もどうなるのか分かりませんし…」
「さぁ、どうする?私たちを放すのか?……放さないのか?」
「は、はったりもいいとこだ…。その手は食わぬぞ」
「…分かった。仕方ない…では覚悟するがいい…」錫は法を破る自分自身にも覚悟すると、体に巻きついた黒い大蛇の胴体に晶晶白露を突き刺した。
「な…なんだこれは?熱い…熱い熱い…焼けるようだ…助けてくれ~…」黒い大蛇はのたうち回り、錫は間もなく自由になった。やがて放射線状に放たれた白い光が黒い大蛇を飲み込むと、今度は映像を巻き戻したように、徐々に小さくなり発光を終えた。あとに残ったモノは、いつものとおり邪身玉だった。だが、それとは別に四つの玉が人魂のように〝ふうふう〟と飛んでいる。おそらく黒い大蛇が取り込んでいた魂が行き場を失い彷徨っているのだろうと想像できた。錫は手のひらに霊気を集めて邪身玉を作ると、人魂をその中に封じ込めた。それからすぐに赤黒い大蛇に向き直ると、わざと余裕をもって尋ねた。
「おい赤蛇、お前もこうなりたいか?それとも私の仲間を解放するか?」その言葉を聞くや否や、赤黒い大蛇は信枝を即座に解放し、力無く答えた。
「わ、悪かった…。おとなしく堕羅に帰るから許してくれ…」
「ならば蚣妖魎蛇に伝えておけ。いつでも相手になってやる……とな」錫は勢いでそう言ったものの、あんな気持ちの悪い奴と再び対面することなどご免被りたいのが本音だった。
「シビれちゃう~ん!やっぱり錫雅様は私の理想の男性だわぁ♡」信枝の胸は“キュンキュン”と鳴りっぱなしだ。
赤黒い大蛇がすごすごと逃げてゆくと、錫は堰を切ったように口を開いた。「信枝殿大丈夫ですか?助けてもらったことは心から感謝します。…だが…どうしてこんなところに来たのです?ここは黒の国――地獄ですよ。どういうことか説明してください。綿もどうして信枝殿をこんな危険なところに連れて来たのだ?ここが今どんな状況か分かっているだろう?」
「錫雅様…すべては私が企んだことです。綿は私の言うとおりに動いただけで、なんの罪もありません…」
「どうしてこのようなことを…?」
「それは今は申せません…。ですが結果的に錫雅様といしをお助けすることになったのですから、今回は許してください…」そう言われると錫もそれ以上は何も言えなくなる。
「信枝殿、それならせめてこれだけ教えてもらえるか?いつから後をつけていたのだ?」錫のその質問は、いしも知りたかったことだ。
「錫雅様が地獄に入った時からです…」
――「良かったぁ~!私が錫雅の姿になったのは円満大王様と別れて地獄に来てからだ。どうやらバレずにすんだわ…」いしもホッとした表情を錫に向けた。
「そ、そうか…。地獄に入った時から私の後を尾行していたのか…」
「はい…。錫雅様が地獄へ行くと綿が知らせてくれて、急いで後を追いかけました」
「またいらぬことを…」いしが信枝の手足となっている綿にそう言った。
「いし、さっきも言ったように全部私が頼んだことなの…この子を責めないでやって」そう言って信枝は自分の両腕を見つめながら綿を庇った。「幸運だったのは地獄に着いてすぐ錫雅様を見つけられたことです。やっぱりあれでしょうね……私と錫雅様とは深い絆で結ばれているのでしょうね…うふふ♡」
「は…ははははっ………」
――「信枝ったら…また少女マンガの目になってるわ…」普段はクールな信枝だけに、錫はこのギャップが滑稽でならない。
「信枝殿…あまり無茶なことをしてはなりませぬ。大事な命なのですからね」
「錫雅様…そんな優しい言葉を…。私はそれだけで…胸がキュンと痛く…」
――「ダメだこりゃ………」
「ところで綿…もう信枝殿から出てきたらどうなのだ?」錫が呼びかけても綿は沈黙したままだ。
「綿…どうしたの?出ていらっしゃい」信枝も同じように呼びかけた。
「…あたいもそうしたいのですが、出られないのです…。さっき信枝殿の手にかかった大蛇の毒のせいかと…」
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「もっと堕羅の亡者どもに毒を巻き散らかせろ。近頃は獄卒の鬼でさえ、毒で操れるようになった。ふふっ…貴様のようになぁ…。ところで、強い霊気は順調に集まっているのか?」
「はい、蚣妖魎蛇様の目論見どおり、堕羅の雑魚どもに少しばかり霊気を与えてやったらよく働きます」
「ふむっ、堕羅の大門の封印が解かれたといっても、のんびりはしていられん。それをまた封印しようとする奴が現れたからな…。ところで奴の様子はどうだ…?」
「はい…相変わらず静かでおとなしいのが気になりますが…。ときに蚣妖魎蛇様、奴の正体を知っておいでなのですか?」
「あぁ……知っているとも。拗隠の国に棲む狡狗という種だ。見たところ、その狡狗の中でもかなり強者のようだが、奴らは邪な心をエサにする冷酷で狡い魂だ。それには理由がある…狡狗は人間の悪心邪心が源となって発生した霊体なのだ…」
「…堕羅の魂より質が悪いのですか?」
「さぁな…。お前はどうして堕羅の魂が醜い姿をしているのか。どうして黒の国とは別に隔離されているのか。そして堕羅の魂とはなんなのか――その理由を知っているか?」
「いいえ、考えたこともありません…」
――「だろうな…知る必要もないが、あわれな連中だ…」蚣妖魎蛇は心の中で呟いた。だがそれは同情心など微塵もなく──ただバカにしているだけだった。
「そんな話はどうでもいい。化け物の様子を見てこい」
「承知しました。私の子分が見張っているはずなので…」
「……むふふふっ…今に見ていろよ。奴らに一泡吹かせてやるわ…」




