第12章──つけ狙う影Ⅱ
Ⅲ
「くわぁ~っ……退屈だ退屈だ。なんかオモシロいことでもないかな…」黄色の鬼は、とげとげした岩場の洞窟を見張りながら、自分の肘を枕にごろんと寝そべって鼻の穴をほじっていた。
「ご主人様あれを…。門番の教えてくれた鬼に違いないですけん」
「本当だ…なんかぼやいてる…」錫たちが近づくと、鬼は面倒臭そうに目玉をぎょろっと向けて口を開いた。
「なんだお前たちは…?」
「私たち門番の鬼さんから教えられてここに来ました」
「あ~……奴は元気か?」
「はい、元気そうでしたけど…」
「そうか、元気だったか……今朝会ったばっかりだが……くわっはっはっは!」
──「へんな鬼…」
「実は、門番の鬼さんが物知りなあなたを訪ねてみろと…。あのぅ~…地獄にある新天地のことを知りませんか?」
「あ~なんだ、新天地か…お前たちはあそこに行くためにここに来たのか?」
「はい!では場所を知ってるのですね?」手応えありと感じた錫は目を輝かせた。
「いんや…知らん…」ズッコケた──。
「ウワサに聞いたことはあるが、見た奴も行った奴もいない…」
「まるで知っているような物言いだったのに…」落ち込んだ錫の手の平を、いしはペロペロと舐めて励ました。
沈黙のまま途方に暮れていると、洞窟の中から呻き声ともすすり泣きとも思えるような、気味の悪い声が漏れ聞こえてきた。
「また地獄の亡者たちが苦んでいるな。罪の重さだけ苦しみを与えられている…」
「ここの亡者たちはどうやって罰を受けてるのですか?見たところ、血の池地獄も針山地獄も釜ゆで地獄もないから不思議だったの…」
「あんた白の国で仮想したことがあるか?」。「えぇ…あります」
「では話が早い。ここでも同じように仮想をするのだ──いいや、〝させられる〟と言うべきか…。この黒の国にはたくさんの洞窟がある。その中には驚くほどの亡者たちが放り込まれておって、それぞれの洞窟で一斉に同じ地獄を味わうのだ。例えばワシが今見張っているこの洞窟は〝圧迫の地獄〟だ。四方の壁にはどこにも出口はない。亡者は回避することもできず、上からゆっくりと落ちてくる天井に押し潰される。しかも天井には一尺間隔で長い刃が突き出ているのだ。この恐怖と苦痛に亡者は耐えねばならん」
「…だけどあくまでも仮想でしょ?」
「そこだ!」鬼は大声で叫んだ。
「えっ!どこっ?」錫は辺りを見回した──。
「いいか…亡者どもは文字どおり死者なので死ぬことはない。だが霊体に直接強い霊気でいたぶり続ければ忽ち無になってしまう。だがこれが仮想ならば別だ。言うなれば恐い夢を見るようなものだ。だが夢とは思えないほど現実感を帯びていて、痛みさえ伴う錯覚を起こす。それどころか実際に血を流すことさえあるのだ…。そしてこの方法の最も惨いところは──何百回何千回とそれを繰り返せることだ」
「く、繰り返すの………?何千回も…?」
「そうだ、奴らは同じ恐怖、同じ苦しみ、同じ痛みを何度も何度も繰り返し味わう……それが大罪を犯した償いなのだ」錫は聞いているうちに血の気が引き、胸が悪くなってきた。
「わ、私は決して良い人間じゃないから……もしかして罪を償わないといけなくなったら……圧迫地獄行き?」
「ふんっ…ついでだから何が罪なのか──その定義を教えてやろう。この〝圧迫地獄〟に放り込まれている亡者どもは、生きている時に人を傷つけた奴らが主だ。舌を切り取られる〝舌切り地獄〟は詐欺などで他人を騙した奴らだ。自然の恩恵を知らず無礼粗末を繰り返した奴らには、飢餓の地獄が待っている」
「無礼粗末……?そ、それでも地獄行き…?」
「あぁ、そうだ…。もちろんそれが著しい場合だが、生きている人間にとって自然の恩恵に背を向けることは大きな罪だ」
「………」錫には今一つ理解しがたかった。
「分からぬなら砕いて教えてやろう。人間界は自然で成り立っている──生命を生み出す場所だ」
「そのことなら以前聞いて知っています」
「肉体を持つ魂はその世界でしか生きられんのだ。陽の光を浴び、空気を吸い、水を取り込む。またそうした自然から生み出された生き物や植物を食物にして命を繋ぐ…考えてみれば神秘な世界だろう?そんな大きな恩恵に与っていながら、それを粗末に扱うことは許されないことなのだ」厳つい顔をした鬼の講釈とは思えない話の内容に、錫は違和感を覚えつつも尤もだと納得した。
「今話したのは特殊な例だが、地獄に落ちる亡者は、おもに人間界で社会に迷惑をかけたり人を傷つけたりした魂だ」
「肉体的にも精神的にも?」
「もちろんどちらもだ。例えば誰かを騙して金銭を奪い取ったとすれば、それだけでも罪は重い。だがそれが元で人生を崩壊させたとすれば、かなりの大罪になる。要するに人を苦しめたり傷つけたりすれば──その何倍も…場合によっては何十倍もの地獄が待っているのだ」
「なるほど……生きている時、人に地獄を味わわせた奴は、今度は死して自分がその地獄を味わう──それが地獄という場所か…」いしが誰に言うでもなく、ぼそりと呟いた。
「言い得て妙だ!正にそれが定義だ」
「わ、私………生き方を変える…」引きつった顔で錫が言った。
「ご主人様は地獄に落ちることなどしていないですけん」いしは笑いながら慰めている。
「今、人間の世界では〝いじめ〟という問題が多く発生しているようだ。表沙汰にされにくい傾向があり、いじめる奴らは陰湿に、そして実に巧妙に水面下で標的を追い込む…。だが、標的にされた人間は生涯消えることのない心身の傷を負って生きてゆく。場合によっては〝死〟という選択をするほどの生き地獄だ。こうした卑劣なことをする連中はそうとう長い年月地獄で罰を受ける…なぜだか分かるか?」
「間接的に人を殺めたことになるから?」
「いいや、最終的に相手を死に追いやらなくてもその罪は重い。それは自分がどれだけ重い罪を犯しているかを自覚していないからだ」
「反省していないってこと?」
「そうだ。いじめに限ったことではないが、それがいかに悪質であるかが分からぬ奴は、ここへ来て後悔することになる」
「何となく地獄がどんな場所なのか分かってきたわ」
「あぁ…地獄とはそんな国だ。死してここに連れて来さされて後悔せん奴はいない」
「生きている時に人を地獄に陥れたら、死して今度は自分が地獄に落とされる…。仕方ないとはいえ、恐ろしい場所…。ねぇ、いし…決めたわ!香神錫はこれから〝清廉潔白〟〝品行方正〟に生きる!今まで犯した罪は──そう…円満大王さまに頼んで多めに見てもらう…」かなり都合が良い。
「それで…お前たちはこれからどっち向いて行くんだ」
「とにかく新天地がどこにあるのか分からない限りどうしようもないし……仕方ないから一旦堕羅の様子を見てきます」
「堕羅か……今は堕羅だけに限らずこの黒の国でも亡者が凶暴になっている。気をつけて行くがいい…」
「はい。ありがとうございます」
「あ~あぁ…また退屈だ…」鬼はまた洞窟の前にごろんと寝そべると、地獄の亡者が逃げ出さぬよう見張りを続けた。
錫といしはあちこちの洞窟から漏れ聞こえる亡者の声を耳にしながら再び歩きだした。
遠巻きにじっと様子を窺っていた二体の何者かは、錫たちが歩き始めると、またその後を追い始めた。
いしはそれとなく気配を察していたが、まだ不確かであることと、錫に余計な恐怖心を与えまいという理由から黙っていた。
Ⅳ
鈴子が龍門の介抱をしている姿をミツは黙って見ていた。
ごはんは消化に良いお粥だ。おかずも喉に詰まらせないよう小さく刻んである。暖かいタオルで顔や体を拭くときは、ウロコを逆撫でしないよう注意していた。
──「どうして一さんが呪われてしまったんだろう…」あわれな龍門を見ながら、ミツは静紅とのやり取りを思い返していた。
「…………そういうことです姉さん」
「驚いたよ……間違いないのかい?」
「はい。間違いなく狙われているのは霊能力を生業にしている人たちばかりです」
「ふむぅ……だけど静紅の話だと、襲ってくる邪霊の強さに斑があり過ぎるねぇ……。どんな悪霊…はたまた憑物が悪さをしているのかは知らないけど、同じ邪霊の仕業ではなさそうだねぇ…」
「私もそれは姉さんと同じ考えです。調べてみると霊力の弱い除霊師や霊媒師が、邪霊を追い払って難を逃れた例がいくつもありました。それを考えると霊力に秀でた乾丸正嗣が呪われたのは合点がいきません…」
「つまり…乾丸さんを襲ったのは、かなり手強い邪霊だった……そういうことだね?」
「えぇ、間違いなく邪霊は、奴ではなく奴らです。何がしたいのかは分かりませんが、奴らは人間の霊力を嗅ぎ分け、それを奪うのが目的なのは確かだと思います。姉さんも気をつけてくださいね…」
「人の心配より自分の心配をしなよ…。明日は我が身かも知れないよ…」
──「奴らの目的は人間の霊力だ…。それなのに……どうして一さんなのかねぇ…?」
龍門がどうして呪われたのか──ミツにはその理由がどうしても理解できなかった。
Ⅴ
錫はいしの背に揺られて堕羅を目指していた。その背はゆりかごのように心地良かったが、それ以上に幸福に満ちていたのは錫を背中に乗せているいしの方だった。大好きな主人を背に乗せてお供できるなら、そこが地獄の何丁目であってもかまわなかった。ただただこんな一時がいつまでも続いてくれたら良いと願いながら、ゆっくりと目的地を目指して歩んでいた。
錫はいしの背中でひと息吐いたまではよかったが、その心のゆとりを待っていたかのように、錫の奥底でおとなしく眠っていた心配事が一気に芽吹くのだった。
錫が一番懸念していることは、今の自分の行動が、果たして意味のあるものなのかどうかということだった。三つある堕羅の大門の玉の一つは、未だ隠し場所が分かっていない。だが、今後それがすんなり手に入ったとしよう──そうだとしても残りの二つはどうやって手に入れるのか?大ムカデは自らが守っている玉を門番との約束で絶対手放さないと言っている。そしてもう一つ──祠の泉に棲むカエルの魔物が守っている玉も同様だ。堕羅の大門の門番である虎慈尊にしか手渡さないらしい。つまりどう頑張ってみたところで錫が手にすることは永遠にできないのだ。それを考えると、錫は自分の行動が意味の無いものに思えてならなかった。
「ねぇ、いし……決して弱音を吐いているわけではないのよ…。だけど堕羅の門番だったおじいちゃんしか入れない祠にどうやって入る?それに魔物が守っている玉をどうやって手に入れる?大ムカデさんとの約束を果たして、ちゃんと番いで地獄に行かせてあげたいわ…。でもその後は?その後はどうすればいいの?パパの呪いはどうやって解くの?」
「ご主人様…」いしは返す言葉が見つからなかった。今何を言っても空虚な慰めにしかならないからだ。
「ゴメンね…やっぱりこれは弱音よね…。とにかく堕羅に行ってみよう。パパの呪いを解く方法だって堕羅に行けば分かるかもしれないし…」
「はい、ご主人様。お力になれなくてすみませんです…。それにわたくしは……わたくしは…ご主人様を苦しめている大バカ者なのです」
「そんなこと言わないで。いしは私の支えよ」
「そうではないのです…。あのぉ…そのぉ…」いしが何かを言おうとしたその時だ──。突然真っ黒い大蛇が目の前の岩陰から飛び出してきた。当然会話も中断だ。
いしは慌てることなく錫を背中に乗せたままひらりと体を躱し、素早く動けるように前傾姿勢に構えると、錫にしっかりと掴まっておくよう伝えた。
「ほほう…狛犬は意外とすばしっこいのだな」八㍍はありそうな大蛇は、凍りつくような冷たい目でそう言った。
「ふん。どうもさっきからおかしな気配がしていたのだ。お前は堕羅の亡者だな?」いしも負けじと大蛇を睨みつけて言い返した。錫はというと、“チュル”と舌を出す大蛇が気味悪すぎて、それはそれで視線を外せない。
「このワシの姿に見惚れているのか?どうしてこうなったか教えてやろうか?チュル」
「べ、別に見とれてないわよ。それになんにも聞きたくない」錫はかろうじて強気に返した。
「この姿になれたのはなぁ…」
「どっちみち喋るつもりですね…」。「……うん」
「蚣妖魎蛇様がワシに霊気を与えてくださったからだチュル」大蛇は得意そうに自分の姿を見せつけた。
「蚣妖魎蛇……あの気持ちの悪い奴ね…」
「はい…その名のとおり、蚣と蛇の両方の姿を持つ化け物でしたね…」
「あのお方は、たかが堕羅の亡者のワシに強い霊力を与えてくださった。たくさんの霊気を集めてくることを条件にな…チュル」
「どうやら目的はそれのようですね…ご主人様」。「…うん」
「さぁ、分かったらおとなしくワシに霊気を差し出せ」
「あんたなんかにすんなり霊気を渡すなんてまっぴらゴメンですぅ~」恐いくせに、わざと相手を挑発させるような口調で返した──早い話が強がりだ。
「ふんっ…そんな態度をしていられるのも今のうちだ…チュルチュル」大蛇はニヤケながら悠々ととぐろを巻き始めた。その余裕がなんだったのかが分かったのは次の瞬間だった。錫の体が何かに巻かれて〝ふわっ〟と宙に浮いたのだ。
「いし、助けてぇ~」咄嗟にそう叫んだ。
慌てていしが振り返ると、赤黒い大蛇が錫を宙で絞め上げていた。「しまった!後ろにもう一体隠れていたのか…」いしは反射的に錫に巻きついている大蛇に飛びかかろうとしたが、最初の黒い大蛇がそれを阻んだ。錫に気を取られて隙だらけのいしに素早く巻きついて宙で絞め上げたのだ。
「くっくっく……少し前からワシらはお前をつけ狙っていたのだ。その霊気が欲しくてな。今度から用心することだ…相手が一体だけとは限らないということをなぁ──あぁ~そうかぁ、すまんすまん…お前たちに今度はないなぁ、くっくっくっくチュル…」
「なんてわざとらしい…」錫は吐いて捨てるように言った。
「何を言っても手遅れだ。あぁ閃いた──面白いお遊びをしてやろう。ワシが捕まえた狛犬をお前の牙で噛め。ワシはお前が捕まえたその女を噛む。互いの相手の獲物を同時に噛み、毒で呪ってやるというのはどうだ?」
「そりゃいい、そりゃいい!早速やろう」錫の両手は大蛇に巻かれて自由を失っている。自慢の晶晶白露さえ取り出すことはできない。よしんば取り出せたとしても、この国では晶晶白露などの特殊な霊力は禁止されている。錫にとっては八方ふさがりだ。
「ねぇいし…こんな非常事態でも晶晶白露は使えないのかな?」
「正当防衛とはいえ、禁じられているのは事実ですから…」錫といしは必死で藻掻いてみたが、逆に大蛇の長太い胴体が縄のように食い込むのだった。
「観念しろ。ここは地獄…誰も助けなど来んわ。ワシらがお前たちの霊気をたっぷりと吸い取ってやる…チュル」互いの大蛇は、捕まえている獲物に近づくと、大きな口を開け上顎に隠してあった長い二本の牙を立てた。牙の先からは黄色がかった毒がポタポタと流れ落ちている。錫はそれを見ただけで身の毛がよだった。
そして二体の大蛇は、互いの相手の獲物に飛びかかった──。




