第11章──思わぬ客人Ⅲ
Ⅳ
天翔虎慈之尊はずっと疑問を抱いていた。矢羽走彦が狡狗に〝無〟にされてしまったなど、どうしても信じることができなかった。
天甦霊主は、秘宝〝全気滅消の瑠璃玉〟を何者かに盗まれたという。その後矢羽走彦は無になり、やがて拗隠の国では抜け穴が塞がったらしく、狡狗も攻め入って来なくなり、もとの静かな白の国に戻った。
聞けば確かに天甦霊主は秘宝を盗まれていた。だが矢羽走彦が無にされたことと、拗隠の国の抜け穴が塞がったことについては、照陽龍社王尊の話に基づいてのことであり、それを裏付けるものは何もなかった。
誰が天甦霊主の秘宝を盗んだのか──虎慈尊でさえそのことは気になっていた。だが照陽尊は我関せずといった様子だ。矢羽走彦が無にされたことに関しても〝奴は狡狗との戦いの最中、手強い狡狗どもに囲まれて無にされた。助けてやりたがったが、こっちも窮地に追い込まれていてどうしようもなかった〟と状況を説明している。そして狡狗がぱったりと攻めて来なくなったことに関しては〝これは抜け穴が自然に塞がったとしか考えられない〟と自分の考えを主張していた。どの事柄に対しても、あまりにも出来過ぎた答えが淡々と返ってくるので、虎慈尊は逆に照陽尊に不自然さを感じてならなかった。
そして年月だけが過ぎていった──。いつしか二柱の霊神が白の国の新たな四天王に加わり活躍していた。一柱は錫雅美妙王尊、もう一柱は智信枝栄命と名乗る霊神だった。錫雅尊を矢羽走彦の後に据えたのは虎慈尊だった。泉坂乃雫姫は、いつしか四天王からその姿を消していた。天甦霊主は智信枝栄命を雫姫の後釜に就かせのだった。
天甦霊主は重要な任務があれば、最年長の照陽尊より虎慈尊に任せていた。照陽尊は天甦霊主が自分を頼ってこないことに不満を感じていたようだった。おまけに虎慈尊は若い錫雅尊の指導に付きっきりだ。その錫雅尊には智信枝栄命が常にへばり付いている。同じ四天王でありながら、一人浮いた状態の照陽尊は鬱憤が溜まっていた。
「矢羽走彦は私の邪魔ばかりしていたが、今度は虎慈尊か…」照陽尊にとって、虎慈尊が目の上のたんこぶになっていた。身勝手な照陽尊は、虎慈尊に人間界へ修行に行くことを勧めることが多くなった。〝お前は霊力も秀でていて将来有望なのだから、人間界で一回り大きくなってこい〟と、ことあるごとに嗾けるのだった。もちろん虎慈尊は照陽尊の深意を見抜いていたが、それはそれとして〝白の国も穏やかな今、人間界に行くのも良いか…〟と己自身のために、その選択肢も頭にあった。
──「だが…もし人間界に行くならば、その前に一つだけ確かめておかねばならないことがある…」
ある時虎慈尊は、“大事な話がある”と言って照陽尊を呼び出した。なんとその内容は虎慈尊が人間界に行くというものだった。これで邪魔者がいなくなると心の中で諸手を挙げて喜んだ照陽尊だったが、その後の話に血の気がひいた。
「今まで黙っていましたが、私は矢羽走彦様失踪の理由を知っております。その内容を洗いざらい天甦霊主様に報告してから人間界に行くつもりです」虎慈尊は、きっぱりと言い放った。
「な、なんだと?ど、どうしてお前が奴の失踪の理由を知っているんだ?」
「聞いていたからです…矢羽走彦様が消える前に直接…」
「そ、そうか……。で……どんな内容だった?」
「それは天甦霊主様に直接話します。…というよりその内容は照陽尊様が一番よく存じておられるのでは?」
「な、何……?どういう意味だ!?」照陽尊は明らかに動揺を隠せないでいた。
「そのままの意味です」虎慈尊は澄まして答えた。照陽尊は何を口にしても藪蛇になりそうなので言葉が出ない。
「…その失踪の理由とやらは、まだ誰にも話してはいないのか?」
「はい。今は私の胸に留めております。…ですが明後日、私は人間界に向かいます──それまでに天甦霊主様に全てを話しておくつもりです。全気滅消の瑠璃玉のことも全て…」そう言い残して虎慈尊はその場を後にした。
一人残された照陽尊は、全身の霊気が冷たくなるのを感じていた。
──「奴は秘密を全部知っている。天甦霊主様に真相がバレたら全てがおしましだ…」照陽尊が次に起こす行動は決まっていた。
Ⅴ
大ムカデと別れ、秩父の銅山から帰宅した錫にのんびりしている暇はなかった。なにしろ地獄にある新天地を探すという新たな使命を担うことになったのだ。
おまけに帰ってきた早々、乾丸の家政婦から電話があったと鈴子から聞いた錫は、急いで乾丸の家に電話をかけた。家政婦の話だと乾丸婦人が早急に錫に会いたいと言っているらしく、錫は地獄旅行に出かける前に取りあえず乾丸宅を訪ねることにした。
気障りの婆は〝頼りないションベンたらしが行き詰まったら、仕方ないからいつでも助けてやる〟と、相変わらず毒舌を吐いていたが、その後すぐに須勢理毘売が主導権を握ると、金子八枝に憑依して帰っていった。
錫は乾丸宅に出かける前に、龍門の部屋を覗いた。
──「パパ…必ず助けるからね!」目頭をうっすらと潤ませた錫は、そのまま部屋を出て乾丸宅へと向かったのだった。
以前にも通された広い和室で錫は待たされていた。迎賓のために用意された一室だろうが、その高級感が落ち着かない。それに二つ折れの足も限界が近かった。
もう足を崩そうかと思ったとき、顔全体を覆い隠した乾丸夫人が部屋に入ってきた。「お待たせして申しわけございません。主人の体を拭いていましたもので…」
錫は痛い足を辛抱して挨拶すると、早速用件を尋ねてみた。「あの……今日はどうして私をここへ?」
「えぇ、呪いを解く手がかりが見つかったかどうか気になったもので…」
「そのことですか…。残念ながらまだ何も…。乾丸先生は?」
「はい。主人は今のところ前と変わりないのですが…」深々と被った帽子、大きなサングラス、そして口も鼻もすっぽりと覆っているマスク──婦人の顔の表情は分からないが、どこか口ごもっているように感じた。
「…けれども越知が…越知英資が倒れました…」
「越知さんが倒れた…?」
「えぇ…。会ってやってもらえますか?」
「もちろんです」乾丸婦人に促され、慌てて立とうとした錫だったが、足がシビれて感覚がなくなっていた。
──「ぐわぁ~…ビリビリしゅる…」錫はロボットのような動きで部屋を出た。
錫を先導しながら、乾丸婦人は妙なことを口にした。「越知と会っても、平常心を装って普段どおりに接してやってください──お願いします」錫は〝はぁ…〟とだけ言葉を返したものの、その意味はまったく分からなかった。
部屋に入ると越知はぐっすり寝ていた。乾丸夫人が静かに声をかけると、越知はうっすらと目を開け錫の顔を見た。
「あっ、巫女さん…。私眠っていたようです…」そう言って越知は寝ていた体を起こした。
「越知さん…」以前の越知と何も変わりはなかった──ただ一つだけを除いて。
「喉がカラカラだ…」乾丸婦人は水差しからガラスのコップに冷えた水を注ぐと、そっと越知に手渡してやった。「あっ、奥様すみません」越知はコップを受け取ると甘そうに一気に飲み干した。錫はその越知の一部始終を、ただポカンと口を開けて見守った。
錫のそんな様子に気づいていない越知は〝ほっ〟と息を吐いてから話し始めた。「とにかく眠いんです…。先生の部屋で倒れてから、私はこの部屋から出ていません。やたらと眠くて眠くて……こうしていてもまた…まぶ‥た‥が落ちて……きま…す…」弱々しく呂律も回っていない越知を錫は気の毒に思った。
「また眠ったようですね……出ましょうか、巫女さん…」乾丸婦人は小声で錫に話しかけ、そっと部屋の障子を開けると、広い廊下へ出た。それから間を置かず、人差し指で〝つんつん〟と並びにある和室を指さすと、錫にそっちに行けと目で合図した。
錫は誘導されるままその部屋の前まで来て立ち止まると、声を荒げないようにして乾丸婦人の耳元に囁きかけた。「平常心でいろと言われたからそうしていましたが…さっきの越知さんは何なんですか…?」
乾丸婦人はそれには答えず、部屋の障子を静かに開けると、中に入れと錫の背中をそっと押した。
部屋には布団が一組敷いてあって、誰かがすっぽりとかけ布団を頭までかぶり、錫たちに背を向けた状態で横向きに寝ていた。乾丸婦人は錫を枕元に座らせると、かけ布団を静かに捲った。
「ひぃっ───!」錫は両手で自分の口を強く押さえて、叫びそうになるのを必死で我慢した。「こ、これは…!?」
錫が驚くのも無理はなかった──布団を被って寝ていたのも越知英資だったのだ。
★
「思ったより上手く事が運ばんな…」蚣妖魎蛇は虫の居所が悪かった。
「もっともっと上玉の霊気をかき集めてこい!」
「ですが蚣妖魎蛇様、なかなかそのような霊気はありません。それに見つかったとしても、こちらは雑魚ばかりで負けてしまいます…」
「まったくお前たちは役に立たんな…」
「すみません…。ところで蚣妖魎蛇様…そろそろ牢獄に捕らえている化け物の実験成果を試してみては如何です?知能も力も優れた新種になりつつありますが…」
「ダメだ…まだ足りぬ。実験はもっともっと強い化け物に仕上がってからだ」
「もともと獣型で危険な奴ですが…。妙におとなしくしているのが却って不気味でなりません…」
「うむ、そうか……よぉ~し、今度は毒気の強い悍しい堕羅の魂もかき集めてこい――そいつを化け物に掛け合わせて最後の仕上げだ…。それまでしっかり見張っておけ!」
「分かりましてございます――蚣妖魎蛇様!」
Ⅵ
もう引き下がれないところまで追い詰められていた。「奴は知っていてはならないことを知っている…。これは由々しき事態だ」照陽尊は一人呟いて〈紫光霊槍〉を強く握った。紫光霊槍は照陽尊が持つ〈神霊界賜尊具〉で、その刃先で突かれた者は、たとえ邪気のない霊神であろうとも邪身玉と化してしまう恐ろしい代物だ。
「この紫光霊槍に霊気をたっぷり吸わせてやる…」自らの気配をできるだけ消し去って、照陽尊はゆっくりと獲物に近づいた。触れるほど接近する必要はない──長さを誇る紫光霊槍の届く位置まで近づけば充分ことは足りるのだ。
照陽尊は自慢の槍を今一度力強く握りしめると、躊躇いもせず槍先を獲物に突き刺した──。
幸いだったのは虎慈尊が口の軽い霊神ではなかったことだ。それに虎慈尊は嘘をつくような霊神ではない。奴が他言はしていないと言うのなら、それに偽りはないだろう──その点に関しては余計な穿鑿をする必要はなかった。
矢羽走彦が拗隠の国に行く前に、虎慈尊に全てを打ち明けていたことには驚いたが、もっと驚いたのは、真実を聞かされていた虎慈尊が今までそんな素振りを微塵も見せなかったことだ。よくも長い年月、知らぬ顔ができたものだと虎慈尊に呆れながらも感心した。それと同時に、虎慈尊に自分が今までどんなメガネを透して見られていたのかを想像すると気味が悪かった。
照陽尊は確かに強い霊力の持ち主だった。さらに霊神として用いられていたということは、一応それなりの品格も備わっていたはずだ。それがどこからおかしくなったのだろうか?争う要素がない白の国にあってこのように心が歪んでしまうのは珍しい。しかもそれが霊神となると、なおのことあり得ないこと──いや、あってはならないことだった。こうなった発端は、やはり泉坂乃雫姫に恋をしてしまったことなのだろうか?もしそうならば、白の国にあっては何人も恋をしてはならないという理不尽ともいえる掟は、ある意味間違っていないということなのか。原因がなんであるにせよ、照陽尊の心が徐々に歪んでしまったことに違いはない。最初は小さかった心の歪みは、やがて波紋が広がるように大きくなり、取り返しのつかない事件にと拡大してしまったのだ。
「よしっ!………手応えはあった。お前に罪はないが天甦霊主に知られては困るのだ。気の毒だが邪身玉に封印されるがいい…」照陽尊は〝ふんっ〟と鼻を鳴らしてその場を立ち去ろうとした。
「やはりあなただったのですね…」上空後方からあまりにも聞き覚えのある声が飛び込んできた。照陽尊は瞬時に魂が強ばり──そして震えた。
「な、なんだと……お前がどうして?……ではこれは?」
「そいつは白の国に悪さをしに来た地獄からの脱獄者だ。あなたと話をする少し前に捕まえていたのですが、そいつに少しばかり私の霊気を匂わせておきました」
「んぐぐっ……汚い真似をを…」
「あなたにそんなことが言えた義理ではないでしょう」
「何故だ…?何故こんなことをした?」
「初めからおかしいと思っていたのです。天甦霊主様も全気滅消の瑠璃玉は盗まれたと仰っていたが、そうだとしても誰にでも盗めるものではありません。あの頃天甦霊主様はかけ持ちで忙しくされておられたので、自分にも隙があったと自らを責めておられましたが……それにしても不自然です。それに矢羽走彦様が無にされた時の話をしていたあなたの淡泊な態度も疑問でした。極めつけはあなたが私を執拗に人間界に行かせようとしたことです…。こじつけるわけではありませんが、私にはあなたが矢羽走彦様をこうやって拗隠の国に追い遣ったのではないかと思えてならなかったのです」
「すると矢羽走彦が失踪する前、お前に全てを話していたというのは…」
「もちろん嘘ですとも!ですがあれで確信しました。そもそも矢羽走彦様失踪の理由など最初から存在しないではありませんか…。矢羽走彦様は狡狗との戦いで〝無〟になった──そう仰っていたのはあなた自身なのに…。けれどあなたは明らかに動揺した。唯一矢羽走彦様が無になるのを目撃していたはずのあなたが、どうして〝失踪の理由〟と聞いて焦ったのでしょう?」
「…んぐ………」
「墓穴を掘りましたね…。カマをかければあなたは必ずここに来ると思いました……私の口封じのために…。案の定あなたは私に刃を向けた。これ以上の確たる証拠はありません…。あなたも四天王と呼ばれた霊神でしょう──潔く罪を償ってください」
それから両者に沈黙があった──。
「あぁ、分かった……すべて認めて罪を償う…。そのかわり一日だけ時間をくれ。一日経てばこの魂を必ずお前に差し出すと約束する…。だからこの事はまだ誰にも口外しないでくれ……天甦霊主様にもだ…。私の最後の頼みだ…」
「……いいでしょう…承知しました」虎慈尊は照陽尊の最後の願いを聞いてやった。
だが──照陽龍社王尊は、それを最後に白の国から姿を消してしまった。




