第11章──思わぬ客人Ⅰ
思わぬ客人
Ⅰ
今から約千三百年も昔――――秩父で和銅が発見された。
純度の高い和銅発見は、日本の歴史に秩父の名を残す慶事であった。和銅発見及び献上を喜んだ朝廷は、銅山の山上に金山彦尊を祀るも、改めて吉方に純度の高い和銅石をご神体とする聖神社を創建した。神社創建を祝って都からは勅使が遣わされ、なんと和銅で造られたムカデが元明天皇から下賜された。これは今も御神宝として、和銅石と共に宝物殿に収められている。
現在の聖神社の社殿は、今宮神社旧本殿を移築改修したもので、元の旧本殿は脇に移されて、大国主命を祀る和銅出雲神社として奉斉されている。
さて、元明天皇から下賜されたムカデ型の銅にはどのような意味があるのだろうか?一説によると朝廷は聖神社の鎮座祭に文武百官を遣わす代わりに、和銅のムカデを参列させたということだ。ムカデは百足と称されることから、和銅ムカデを文武百官に見立てて代参させたらしいが──これはなかなか洒落ている。
○
急ぎ足で白の国の最南端へと向かっていた錫だったが、いしの背中に乗ればひとっ走りなのにと、いしを恋しく感じていた。
──「錫雅がいしを可愛がっていたのも頷けるわ…」あれこれと考ているうちに、長く連なった塀が見えてきた。ここにも大きな門が存在していたが、見るからに開放的だった。なにより堕羅の大門のようにおどろおどろしくない。
須勢理毘売の言うとおり、門の左脇に大きな祠があった。錫はこの中にも魔物がいるのかと恐る恐る覗き込んでみたが、嫌な気配は感じなかった。
──「なんと言ってもここは白の国だもんね…」恐がりの錫にしては珍しく勇気を出して祠に足を踏み入れた。何歩も歩かないうちに祠の奥から声が聞こえてきた。
「ほほう、客人とは珍しい…。だがそこで止まったほうが良いぞ!」言われるまま錫は一旦足を止めた。「そこから奥へ進めば、たくさんの蛇や毒虫たちがお前をお出迎えするだろう…それでも良いなら奥へ進むがいい」錫はその一言で足が竦んだ。
「こ、ここまでにしておきます…」
「がっはっはっは…。用はなんだ?」
「あの…私は須佐之男命を訪ねて参りました。どこに行ったらお会いできますか?」
「須佐之男に会いたいのか?…ならばお前がそのまま奥に進めば会えるわ!」
「えっ!?…ではあなたが須佐之男様?」
「そうだが…お前は誰だ?」
「私は香神錫と言います」
「ふんっ。……で、何しにここへ来た?」錫は須勢理毘売に言われてここに来ることになった経緯を話した。
「なんと……堕羅の大門のことは私の耳にも入っていたが…。まさか門番が存在しなくなっていたとは……ならば治まりがつかないのは当たり前だ…」須佐之男命はかなり動揺しているように錫は感じた。
「はい……それでその堕羅の大門をなんとかしたくてここに来たのです。〝地獄からムカデの鬼が来る〟という短文から何か思い当たりませんか?」
「わっははは!そのようなことを私が知らないはずがない。その類の生き物をこよなく愛するこの私がな!」
「分かるのですか!?」
「当たり前だ!教えてやろう……。私は人間界にいた時から、蛇やムカデといった体の長い生き物に対しての愛着心が異常だった。それゆえ誰からも敬遠され、変わり者だと罵られ続けた。けれど奴らのことを知りつくした私は、薬草を組み合わせ、毒を中和させる薬を何種類も作りだしたものだ……。普段は私を変人扱いしていた奴らも、自分たちが毒に冒されると助けを求めてやって来る。極めるということは凄いものだ──それが滑稽であっても馬鹿げていても、英雄になってしまうのだからな」
「…それが……それが須佐之男命が古事記に名を残すことになった所以?」
「他に何がある?私は今でもこいつらが可愛くて仕方がない。こいつらが毛嫌いされると可哀想でならんのだ」
「神話の物語はまったくのデタラメだったのか…」
「まったくでもないぞ。大国主命という奴は私と違って小動物を好んでいた。物語では因幡で白兎を助けてみたり、私が野原で奴を火あぶりにするところをネズミが助けたりしているが、そんな作り話ができるほど、あの大国主命という奴は小動物を可愛がっていたのだ。私は気味の悪い生き物を好むだけの理由で悪者扱いだ。それゆえ蛇やムカデを使って奴に嫌がらせをしてやった──これは事実だ」
──「やっぱりこの神様は陰湿…」錫は密かにそう思った。
「さて…そろそろお前が一番知りたいことを話してやろう」錫は須佐之男命の声のする方に耳を傾けた。
須佐之男が人間として生きていた時代、恐ろしい魔物が武蔵の国の山奥に現れるとの噂が立っていた。その噂は遠く出雲の国にまで下り、いつしか須佐之男の耳にも届いた。
須佐之男は毒気のある生き物──とりわけ蛇やムカデには異常なほど執着心があり、村人から毛嫌いされていた。しかしこの度の一件で、村の連中が須佐之男に興味を示し、お前なら魔物を退治できるかもしれないと面白半分で持ちかけてきた。須佐之男は村の連中に嗾けられる前からすでに食指が動いていた。
渡りに船だった。須佐之男は村の連中から餞別をもらい、一人武蔵の国へと向かった。たとえ何百里とて疲れることはなかった。それどころか目的地が近くなるにつれ、むしろ足は軽くなっていった。
武蔵の国付近では民たちが和銅の話で持ちきりだった。詳しく話を聞いてみると、秩父の山奥から純度の高い銅が採掘されたとのことで、これが本当なら極めて瑞祥なことだと大騒ぎになっていたのである。
ところが一部の民からはこんな話も聞かされた──。
「和銅の採掘は永遠に無理だ。あそこには鬼のような大ムカデが銅を守っていて近づくことさえ儘ならない。命が惜しければあんたも近づかないことだ」この話に須佐之男は胸が躍った。足早に歩を運び秩父に到着すると、さらに休む間もなく目的の山を目指した。漸く山の麓まで辿り着くと、一刻も待てない体で枯れ草をさくさくと踏みながら、鬱蒼とした山道を登り始めた。
実は須佐之男には誰にも話したことのない秘密があった。それは見えないモノが見える──ということだ。黙っていたのは、これ以上気味悪がられるのを恐れていたからではない。そんな事がきっかけになって、村の連中と余計な関わりを持ちたくなかったからだ。
道なき道を歩みながら須佐之男は考えていた。この山に棲むムカデの魔物の噂を広げたのは誰なのかを…。
やがて少し見通しの良い場所に辿り着いた須佐之男の正面に、切り立った岩場が姿を現した。
「あそこが銅の採掘場所だな…」須佐之男は岩場から少し離れた場所に腰を下ろすと、やっと一息ついた。
──「おそらくムカデの噂を広めた奴らは、私と同じように見えないモノが見えている連中だ。其奴らは魔物の姿を見るなり恐れ慄いて這う這うの体で逃げ帰り、銅山にはムカデの魔物が棲んでいると噂を広めた。そうした類のモノがまったく見えない奴らは、気の毒だが魔物の存在に気づかずに、あの岩場に近づきすぎて襲われた……そんなところだろうか…」想像していた矢先、断崖になっている岩場の底から一匹の大ムカデの魔物が現れた。その大きさは須佐之男の三倍はありそうだった。大ムカデは何十本もある足を器用に動かしながら須佐之男に近づいてきた。だが須佐之男は恐れる様子も見せず、体はもとより眉一つ微動だにしなかった。
「なんと美しい──!」それどころか口を吐いて出たのは感嘆の言葉だった。
大ムカデの魔物の背は、どす黒い紫色で、腹は見事な橙色だ。そしてその所々に銅の緑青が付着していた。どこから見ても毒々しいとしか喩えられなかった。
大ムカデは須佐之男の頭から足まで舐めるように睨んでから、顔面が張り付くほど近くに寄った。それから大きな口を開け、牙を剥きだして威嚇してみせたが須佐之男はまったく動じなかった。
「ふんっ……お前もここの銅を欲しさにやって来たのか?」
「私はそんなものになんの興味もない…」
「では何を目的にここに来た?まさかワシに喰われに来たわけではあるまい」
「当たらずとも遠からずと言ったところだ。私はお前を一目見たかっただけだ……その後どうなろうとかまわん」
「ワシを見に来た?変わった奴だ…」
「誰もがそう言う…」
「……本当にそれだけが目的か?」
「他に何もありはしない…。その姿、その美しさをこの目で確かめられただけで本望だ……もういつ私を喰っても良いぞ」
「ますます変わった奴だ。ワシは遥か昔よりこの銅山を人間の手から守ってきた主だ。だがもうそろそろ里へ引き上げたいと考えていた……お前のように面白い人間がいることを知ってやっと踏ん切りがついたわ。この銅山を人間に譲ってワシは里へ戻るとする…」
「どうしてそんなに長い年月ここに住み着いていたのだ…?」
「……断崖の端から下を覗いてみるがいい…」須佐之男は言われたとおりの場所に立って下を覗いた。
「番いか!?」魔物であってもやはりムカデなのだと須佐之男は胸が熱くなった。
「その雌はワシと違って、この人間界で物の怪と化したムカデだ。故にワシの里には連れてはゆけぬ…。かといってこの雌を置いてゆくこともできなかった。お前に一つだけ託してもよいか?」
「何をだ?」
「ワシの里とはムカデの棲む地獄のことだ。今はどうにもならぬが、この雌をわが里に連れてゆける手段が必ずあるはず…。何百年…いや何千年かかってもよい……いつかその手段を見つけて永遠に番いとして暮らせるようにしてはくれまいか?」
「相わかった。私が死した後であろうと必ず約束は果たそう」
「そうか…ならばこれからは人前に姿を見せることなく、地獄に鎮まってその時を待つことにしよう」気の遠くなるような長い年月──和銅を守り続けてきたムカデの魔物は、須佐之男の言葉に安堵して断崖の底へと消えていった。
ムカデの魔物が地獄へと帰った後、雌の大ムカデも地下深くに姿を消した。だが事情を知らない民たちは、その後も大ムカデを恐れて誰も銅山を訪れようとはしなかった。
それからまた長い長い年月が流れた──。和銅のこともムカデの魔物のことも、人々の記憶にない遠い遠い過去となった──。
改めてこの場所から銅が出ることを知った民たちは、驚くべきモノを掘り当てた──なんと雌雄一対のムカデ型の銅だった。
見つかったムカデ型の銅は、早速内々に朝廷に献上されたが、時の元明天皇は、夢でムカデの魔物から銅を大切に扱ってほしいと頼まれたという。
そこで天皇は、腕の立つ職人に命じて、見つかったムカデ型の和銅とまったく同じ物を対で五十、計百体を拵えさせ、聖神社の鎮座祭に文武百官を遣わさず、和銅で造られたそのムカデを代参させた。これを以てムカデの願いに誠意で応えたのである。
「ふぅ~ん……〝地獄からムカデの鬼が来る〟ってそういう意味なのか…」
「けれども私は未だに約束を守っていない。二体のムカデは離ればなれのままなのだ…」
「それは一緒にさせてあげる方法が見つかっていないってこと?」
「そうだ。いや………そうだったと言うべきだ…」
「えっ!?それじゃ、一緒にしてあげる方法が見つかったの?」
「そのはずだった……。だがお前の今の話で、果たせそうだった約束も儚く消えた…」
「はい…!?ちょっとごめんなさい…私…何か良くないこと言いました?」
「そうではない……。もうだいぶ前のことだが、私の願いを叶えてくれる者が突然現れたのだ」
「わっっっ!そ、それで!?」
「すまんがこれ以上は話せん………その者との約束なのだ……」錫はわずかな会話の中で、須佐之男が消沈する話の内容など、それしかないだろうと察しがついた。
「ねぇ、須佐之男様──須佐之男様の願いを叶えてくれようとした者って門番様でしょ?違う?…これは想像だけど、門番様が大ムカデさんを番いにしてやると約束したんじゃない?ただしその代わりに須佐之男様は堕羅の大門の玉を預かった……どう?」
「ふんっ…半分は当たりで半分は間違いだ…。とにかく私ができる話はここまでだ。これ以上何か知りたいのであれば、自分で和銅遺跡を訪ねてみることだ」
「うん、分かった。須佐之男様ありがとう!」
「私もここで死した嫌われものの生き物たちの監視役をしている身だ。久しぶりの客人もまた良いものであったわ」
錫は須佐之男命と別れて帰路に就いた──。帰る道中、話の整理をしていた錫は、須佐之男の言葉が引っかかった。
──「何気なく聞いていたけど、死んだ蛇やムカデたちは白の国の一画に棲んでいるのよね…?だとしたら堕羅の蛇やムカデたちと何が違うんだろう?」
あれこれと考えながら我が家に帰ってきた錫をいち早く出迎えたのは、もちろんいしだ。
「ご主人さまぁ~…お帰りなさい!ご無事でしたか?もう心配で心配で…」
「ばかねぇいしは…。白の国が人間界より安全なのはいしが一番よく知っているでしょ?」
「そ、そうですが…やはりご主人様が帰ってくるまで安心できませんし、寂しいですし…」
「もう…いしったら…しょうがない子ね…」そう言いながら満更でもない錫だ。
「それでご主人様、何か収穫はありましたか?」
「うん。次に行くべきところは決まったわ!」錫がいしに白の国でのことを話しかけた時、ケータイ電話が鳴った。着信は明日香紗樹からだった。娘の美鈴がまた暴れ出したとの連絡に、錫は休む間もなく立ち上がった。「聖霊に出かけるよ………いし!」自分が見当違いをしているとは知らずに、錫は準備していたある物を大きめのバッグに詰め込んで勇んで出かけたのだった──。
★
小鬼稚はわなわなと震えながら耳を塞ぎ、牢獄の入り口で縮こまっていた。
「あぁ~…もう来る…奴が…奴が来る…。おしまいだ…何もかもが無にされてしまう…」牢中に閉じ込められたそいつはずっとそればかり叫び続けている。
「おい…静かにしてくれ…。そうやって気味の悪い声で叫ばれると、こっちが変になりそうだ…」
「私のことは気にしないでくれ…。お前たちが気の毒でならんだけだ……あぁ…来る来る…」
「やめろと言ってるだろうが…。そんな芝居なんかに引っかからんぞ!」
「信用してくれとは言っていない…。けれど、せめてお前が犠牲になってこれを奴に返してくれさえすれば、被害は最小限で食い止められるのに…それが残念でならないだけだ…」
「誰がそんな手に…。オ、オレは絶対ダマされんぞ…」小鬼稚は強く両耳を覆った。




