第7章──分かれ道Ⅲ
分かれ道Ⅲ
Ⅳ
「本人が地獄に行くと言っているのに、それ以上何を調べるんでしょうね…」いしは動物園のクマよろしく右に左に落ち着かない。綿はそんないしを冷ややかに見ていた。
「本当よ…いしの言うとおりだわ…」信枝も同じく動物園のクマ状態だ──まったく落ち着きがない。
「あっ!ご主人様…」間もなくして城門から出てきた錫に逸早く気づいたのはいしだった。
「みんなぁ──!ごめんねぇ、お待たせしましたぁ~」嬉しそうにこっちを向いて手を振っている。
──「スンてば…女に戻ってるわ…」智信枝栄がそう思っていると、いしが透かさず錫の元へ駆けて行った。
「ご主人様…今は男ですけん」
「あっちゃ~……いけない…」錫はペロリと舌を出した。
白色発光して戻ってきた錫は、みんなの合流を喜びはしたが、城の中での出来事を語らず〝時間がもったいないから先を急ごう〟と、いつもの錫と違ってクールだった。智信枝栄はそれが少々気になったが口に出せずにいた。
天気流を渡って真っ直ぐ進むと、やがて左が細い道になっているY字路に出くわした。その分岐点で複数の鬼たちが白色発光していない魂を見つけては、細い道へと引きずり込んでいる。錫たちはその細い道へと進みかけた。
「おんや…あんたさん方は黒の国行きか?」発光している一行を見て鬼が尋ねてきた。
「実は地獄に用事があるもので…」智信枝栄が代表で答えた。
「あらら…ワシが言うのもなんだが、あんな所に用事があるなんて気の毒なのぉ…」鬼は顔を顰めて同情している。
「ねぇ、いし…鬼って意外と優しいねぇ」錫が小声で耳打ちした。
「はい…わたくしもびっくりしてますけん」
親切な鬼は、黒の国への入り口まで錫たちに付き添った。
「あそこにでっかい穴が空いてますでしょう?」鬼の太い指先の延長線には、でっかい穴が道の端から端まで陣取っていた。穴の向こう側には大きな黒い岩が道を塞ぐように突き出ているところを見ると、どうやらこの細い道もそこが行き止まりのようだ。
「あの大穴が黒の国への入り口ですけぇ」鬼の説明を聞いて、錫は智信枝栄に小声で尋ねた。
「ねぇ浩子…白の国には黒の国に通じる臍と呼ばれる穴があったんじゃなかった?」
「そのとおりよ。だけど臍は互いへの行き来が容易すぎて秩序が乱れるから、今は封鎖されてるわ」
「そうか…今はここの穴だけが地獄に通ずる道なんだ」あれこれ話しているうちに大穴の前まで来ると、鬼が穴を覗き込みながら言った。
「見てのとおりですけぇ。ここがこの道の終わりであり、地獄への入り口になっとりますのぉ」錫も小刻みに歩を進めて大穴へ近づき、恐る恐る穴の中を覗き込んだ。深い闇に覆われた大穴は、まるで獲物を丸飲みしてやろうと、下から大口を開けて待ち構えている蟒蛇を想像させた。
「こ、ここを飛び降りるのか…?」
「はいです。決して帰って来れない奈落の底へと通じる穴ですのぉ…」
「ひぃっ……」毎度のことだが錫は今すぐ家に帰りたくなった。
「ぐわっふぁふぁふぁ…冗談です、冗談ですけぇのぉ…」
「ウソなのか?あまり驚かすでない…」信枝が側にいなければ、錫は間違いなく大声で泣いていた。
「帰りたい時は、ひたすら鬼門と逆方向──つまり裏鬼門に向かって進むんです。そうすると門が現れて、そこに鬼の門番が立っておりますから〝用は済んだ〟と言えば門を開けてくれます。罪を犯した亡者以外には、鬼は優しいですけぇのぉ」
「心得た……では行って参る…」とは言ったものの、〝いつでも飲み込んでやるぞ〟と言わんばかりに待ち構えている大穴には、やはり足が竦む。
「世話が焼ける団体さん方だのぉ…。どーれ…ワシが放り込んでやる」大きく両手を広げた鬼は、有無も言わさず、まるでブルドーザーよろしく錫たち全員をいとも簡単に大穴へと放り込んでしまった。
「…………」全員叫ぶ間もなく真っ逆さまに闇の中を落ちてゆく。その時──幼い頃の想い出の一コマが錫の脳裏を過ぎった。
それは転んでヒザをすりむいた時のことだ。生傷にガーゼを当てたままにしていたら、ねったり張りついて取れなくなったことがある。新しいガーゼと交換しようにも痛くて剥がす勇気もない。母の鈴子も手を焼いて大騒ぎになったあげく、かかりつけの病院で診てもらったら、有無も言わさず一瞬で〝ピッ!〟っと剥がされて──それで終わった。〝痛い〟と叫ぶ間も〝えーん〟と泣く余裕すらもない。医者の荒療治というが、まったくそのとおりだった。〝ピッ!〟──その一瞬で恐怖が取り除かれるのだから大したものだ。錫にとって、鬼に突き落とされたのはこれとよく似ていた──忘れていた想い出が、こんな時に蘇ってくるとは滑稽だった。
「ご主人様…ご主人様……目を覚ましてくださいな…」
「あっ、いしぃ………〝ピッ!〟と剥がしてね〝ピッ!〟と…」
「……はい?……ご主人様…また夢を見ておられたのですか…?」
「…夢?…な~んだぁ、そうか夢かぁ!あのね、いし…地獄に行く夢を見てたの…恐かったわぁ」
「……もう来てますよ…地獄…。ご主人様……夢は〝ピッ!〟の方だけですけん…くふっ」いしは〝ピッ!〟が何のことだか分からずに、笑いながら調子を合わせて答えた。
「あ~ん…またこれかぁ……。地獄は夢じゃないんだ…トホホ…。それじゃ、他のみんなは?」
「それが見当たりません。わたくしはご主人様に引っついておりましたから同じ場所に出られたのかもしれません」
「そう…。浩子は堕羅に向かうことを知っているから心配ないけど…問題は信枝が一人だった場合ね…」
「はい…信枝殿はここに来た目的をご存じないですから…」
「一刻も早く見つけ出さないと」錫は急いで腰を上げると辺りを見渡した。「さすが地獄…気味が悪いわね。どす黒い血に覆われているような世界…抑えつけられるような静けさ……とっても不気味だわ」
「ここは地獄でも端っこの方です。おそらく堕羅の近くはもっと酷いことになっているでしょう…」
「毒蛇や毒虫で…?」
「はい…堕羅の国を窮屈に思う毒気のある魂たちが、モゾモゾと大門を抜け出して悪さをしているかと…。急ぎましょうご主人様」
「イ、イヤらぁ~…」錫がへたり込んで恐がる姿を見て、いしは口が過ぎたと後悔した。
「…ご主人さまぁ~…お気の毒に…」だだっ子のように、投げ座りして足をバタつかせている錫を、いしは困り果てて見守っていた──。




