第7章──分かれ道Ⅱ
分かれ道Ⅱ
Ⅱ
〝鬼〟は〝隠〟が転じたものとされ、姿なきもの、この世のものではないものという意味があったようだ。故に鬼は怨霊であったり邪悪そのものであったり、あるいは心なき者、強い者を鬼と例えたりと様々《さまざま》だが、総じて得体の知れぬ恐怖を鬼とし表現されることが多いようだ。
我々の身近な鬼の姿は、牛のようにガッチリした大きな体に尖った角、ちりちりの頭髪に鋭い虎の牙、そしてイボイボの付いた金棒に虎の毛皮の腰巻き。色は赤と青が主流だ。牛と虎が鬼の体を司っている理由は、鬼門の方角を〝丑寅〟と呼ぶことからだそうだ。
仏教では、鬼は閻魔様の配下として獄卒の役を務めているが、獄卒でも一応閻魔様に雇われた役人だ。人間社会で例えれば公務員といったところだろうから、よくよく考えてみれば大したものではないか──。
それからこれは既婚男性に限ってだが、身近に大きな角を持つ鬼がいる話をよく耳にする────世の奥様方ごめんなさい。
○
黒龍が地獄に向かっている間に、錫と信枝は智信枝栄から予備知識を得ていた。
「私も地獄の恐ろしさを詳しくは知りません。ただ聞いた話しによると、あそこは魂が固まるらしいのです」
「固まる…?どういうことだ?」錫も少しずつ男言葉に慣れてきた。
「分かりやすい例えは……そう…肉体があるようなものです」
「通り抜けたりする事ができないということか?」
「そうです。実際は霊体ですが、通り抜けることや、隙間から抜け出ることはできません。ですから地獄の亡者たちは逃げづらいのです」
「私たちもそのようになるのか?」
「はい。例外はないはずです…。それともう一つ──今は地獄へ通ずる道がたった一つしかありません。この黒龍はその道へと導いてくれます」
黒龍が景色のない白い雲の中を鬼門の方向に進んで行くと、白の国とはまた違った風景が現れた。
「白の国の方向なのに、違う場所に出てくるなんて不思議ですね錫雅様」信枝はまるでデート気分だ。
「まったくです信枝殿…」とりあえず話を合わせる錫だ。
「白と黒の龍神は、それぞれが異空間に存在していますからね。同じようでも実はまったく違う世界を通っているのです…」
「そういう仕組みが私には今一つ理解できない…」錫はこの手の類が苦手だ。
「錫雅様はお偉い霊神なのにご存じなかったのですか?」
「私はこんな話を聞くと頭の中がピッピッピーになるのだよ…」
「えぇ~…錫雅様ったらぁ…時々面白いことも言われるのですねぇ…くふふふ。さすが天然スンの守護神様…うふふ」
──「…………………だぁ~~~」錫は会話をする元気さえ失った──。
智信枝栄といしは互いに目を合わせて笑ったが、綿は相変わらず我関せずだった。
「ほら…下をご覧ください」智信枝栄に言われて、錫と信枝が黒龍から下を覗き込むと、魂たちが同じ方向を向いて路傍を歩いていた。
「死したばかりの魂は必ずあそこを歩きます。そしてずっと先に見えております、あの川に似た〝天気流〟を渡らねばなりません」
「白の国に行く時にもあんな川があったが…」
「以前錫雅様が見た川とはまったく別のものです……。天気流は文字どおり天界から流れくる清らかな気のこと。あそこを通ることで、天国か地獄かが決まります。俗にいう三途の川とは天気流のことです」
「あれが三途の川……。我々もあそこを渡るのか?」
「はい、黒の国へ行くにはどうしても一度は天気流を渡らねばならないのです。天気流を渡った先が白の国と黒の国への分かれ道です。人間の一生が問われる場所でもあります…」
「なんだか私、恐ろしい物語を聞いているようです…。錫雅様と一緒じゃなければ、どうにかなってしまいそうです…」信枝は口実を作っては錫の体に抱きついた。
──「だんだんあんたが分からなくなってきたわ……信枝ちゃん…」
ほどなく黒龍はゆっくと下降し、天気流の手前で止まった。
「さぁ、ここからは歩きます。天気流を渡り切ったらそこで待っていてください。白の国に行ける者には選択権があります。地獄行きを希望する者など、まずいませんが、我々はそっちを選びますので…」全員が神妙に頷くと、そろそろと天気流を渡り始めた。
──「亡くなった人たちは一体どんな思いでここを渡っているのだろうか…」いつの日か、また渡る日が必ずくる三途の川を、錫は複雑な思いで渡り始めたのだった。
錫が向こう岸に渡り切ると、全員の魂は仄かな白色発光をしていた。けれども当の錫だけは、まるで蛍の光のように、消えては光り消えては光りを繰り返している。
「どうして私だけ点滅しているのだ…?」自分の体を不安気に見回していると、不意に両腕を誰かにつかまれた。
「すまんがチョイとこっちへ来てくれるかのぅ…」
「へっ……!?」驚いて左右を見上げると、でっかい図体をした男が二人──錫の両手をがっちりつかんだまま見下ろしている。尖った角にちりちりの髪の毛、赤い肌に纏っている衣服は虎の毛皮だ。持っているイボイボの金棒もかなりの重さがありそうだった。
「鬼…!」それは絵本などでよく描かれている鬼の姿そのもので、錫のイメージどおりの鬼だった。
「何をするのだ…」錫は恐ろしくてジタバタするばかりだ。
「錫雅様に何をするの!?」瞬時に険しい顔つきになった信枝が鬼を睨みつける。
──「わっ!いつもの信枝に戻った」
「ご主人様を放せ!」次いでいしが叫び、飛びかかりそうになるのを智信枝栄が制した。
「そのお方を放しなさい!私たちはどのみち黒の国へ行くのですから…」
「えっ!?みんな揃って黒の国へ行くのか…?変わっとるのぉ…。だがそれでも〝はいそうですか〟と通すわけにはいかんのだわ…。一応決まりでのぉ…点滅発光した魂は、あそこまで来てもらうでな…」そう言って指さした先には、こぢんまりした城があった。
「あそこは円満の城だわの。たとえ黒の国に行きたいにしても、点滅してしまった以上、あそこでお裁きを受けてもらう決まりになっておるでな。悪く思わんでくれな…」
「なんだか事務的ね…。鬼も見た目より恐くなさそうだし…行ってくるわ…」
「ご主人様、いしも行きますけん」
「あっ、悪いが駄目だわのぉ。結果が出るまでここで待っておくように…」
「錫雅様…」。「ご主人様…」とりわけ信枝といしは、心配そうに錫を見送るのだった。
智信枝栄も黙ってその後ろ姿を見送ったが、彼女にさえ錫の魂だけが点滅発光した理由が分からなかった。
Ⅲ
沖縄に行ったまま音信不通だったミツがひょっこり帰ってきたのは、錫たちが黒の国に旅立って間もなくのことだった。
帰宅早々、鈴子から娘婿の一大事を聞かされたミツは、取るものも取りあえず龍門の寝室へ様子を見に行った。
「何だねこりゃ…」ミツは変わり果てた龍門に驚きはしたものの、至って冷静だった。
「錫が原因の究明を急いでくれているけど、今の時点ではこれといった進展はまだ…」
「今まで私もいろんなのを見てきたけど、こんなのは初めてだね…」ミツは眉間に皺を寄せながら、龍門をしげしげと見つめた。
「ねぇお母さん…この人に憑物が憑いているの?」
「そんなんじゃないね……。何かを感じるんだけどね…憑物とは思えないんだよ…」
「お母さんでも分からない?」
「う~ん…憑物に憑かれたというよりも、逆に一さんの気が憑物に抜き取られたように感じるねぇ」
「助かる?」冷静にしている鈴子だったが、やはり心配は隠せないでいる。
「一さんの一大事じゃないか…。助かってもらわなきゃ。とりあえず錫に相談してみようかね…。見習いでもあの子は一応聖霊師だからね…ほっほっほ」ミツは何か含みを持たせた言い方をすると、淡々とした表情で部屋を出て行った。
ミツが〝トントン〟と錫の部屋をノックしてみたが返事はない──鍵もかかったままだ。ミツにはそれだけで大凡見当がついた。
「行ったんだね…。今度はどこまでだい?………まったくあんたは……とんでもない聖霊師だよ…」ミツはドアノブから手を放すと、ゆっくりと振り向いて呟いた。「久しぶりにあの子に会って相談してみるかね…」




