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第6章──謎Ⅱ

 謎Ⅱ



 Ⅲ


 錫は一流ホテルの高級エステサロンでスペシャルコースを楽しんでいた。

 ここのところ、なにかと精神的に落ち着かない。気分をリフレッシュさせるために、かなり背伸びして芸能人もお(しの)びで(かよ)う有名なエステサロンを選んだのだった。リッチなお店にいるだけで、人間までリッチになったような気がするから不思議だ。

 遠くから心地よく耳元に伝わってくる、(やさ)しいオルゴールの音色(ねいろ)に心を洗われ、柑橘系(かんきつけい)のアロマオイルの香りに()わされながら、エステシャンの指先が魔術のように錫の全身を(いや)してゆく。いつの間にか錫は、魔法にかけられたおとぎ話の美女のように深い眠りに落ちていた。

「お客様…そろそろ目を覚ましましょうか?」。「でも…もう少し太もものあたりが…」

「もしもし…お客様…」。「もうちょっと左の腰…」

「香神さま…香神錫さま…」。「マッサージごちそうさま………」


「何言ってるの……スン、スンってば…起きなさいよ!」。「………へえっ!?」

「へえっ、じゃないわよ…もう……」。「……あっ浩子……いつエステシャンに転職(てんしょく)したの?」

「はぁ…………?もう…スンってば……ふふふ」。「………………げっ、夢?──今何時!?」

「もう九時だよ…。おばさんにスンを起こしてやってって言われたわ…ふふっ…」

「あっちゃ~…ごめん浩子。堕羅(だら)の話を聞いてもらうつもりだったのに……完全に寝坊したわ」

 錫の優雅(ゆうが)一時(ひととき)は一瞬で消え去った──。


「くっそ~……高級エステは夢で、堕羅の話は現実かぁ…。反対だったら良かったのに…とほほ」(へこ)んだ気持ちのまま大急ぎで顔を洗い、ピンと跳ね上がった愛らしい寝ぐせをそのままに、朝食を食べに外に出た。向かう先はお馴染(なじ)みの喫茶『リンネ』だ。厚切りのトーストにたっぷりのサラダ、それにゆで卵まで付いて三百五十円と嬉しいモーニングサービスだ。もっともたっぷりのサラダは、錫たちが常連であるが(ゆえ)のサービスだが──。

 錫は早く浩子に話を聞いてもらいたかったが、手紙や木札も見せたかったので、食べながらの説明は止めて、まずは空腹の胃袋を満たすことに専念(せんねん)した。浩子は錫の半分くらいのスローペースで食事をしながら、仕事場での悩みを錫に打ち明けていた。浩子が珍しく愚痴(ぐち)にも取れる悩みを口にしたので、仕事が相当(こた)えているのだろうと察して、錫も真剣に話を聞いてやった。

 二人がモーニングを食べ終わる頃には、浩子も一通り錫に胸の内を聞いてもらってすっきりした様子(ようす)だった。

 お腹もそこそこいっぱいになり、次は錫が本腰を入れて話をしようとした時、二人の話が長期戦(ちょうきせん)になるのを予感したのか、マスターが〝今日は特別だ〟と言って()れ立てのコーヒーを()いでくれた。二人はマスターの気の利いた(はか)らいに礼を言うと、格別(かくべつ)美味いコーヒーを片手に話し始めた──。

「………ふう~ん…〈除霊師〉(いぬい)丸正嗣(まるまさつぐ)…その人に虎慈様は晶晶白露を?」

「うん。…そして同じ晶晶白露を持つ二人は、同じ憑物に(のろ)われた…。二人ともまったく症状が同じなの。まるで爬虫類(はちゅうるい)…目も皮膚も…。それに体はほとんど動かさない。まるで(せみ)()(がら)のよう…」

「ふぅーん…」錫は浩子の様子がいつもと違うと感じていた。普段の浩子なら錫が恥ずかしくなるくらい視線を合わせてくる。だが、今の浩子は錫の目を見ようとしないからだ。

「浩子…大丈夫?いつもと様子が変じゃない?」

「う、うん…いやっ…その……実をいうと…私も得意な方じゃないから…その…」

「なんだぁ、そうなのぉ~!?」錫は共感(きょうかん)できる友を得て、俄然(がぜん)元気が出たようだ。

「私だってパパが巻き込まれてなかったら、こんな気味の悪いことに首を突っ込むのは絶対にゴメンだわ。でもパパを放って置くわけにはいかないし、それにね…実はもう一つこのタイミングで驚くことがあってね…」錫は〝伝説の待ち人〟の話を浩子に聞かせた。

「えぇ!?じゃ、虎慈様が堕羅の大門の玉の在処(ありか)を示す手がかりを残していると?」

「うん…堕羅と関係しているのはたしかだと思う。…まずこれを読んでみて」錫は持ってきたバッグの中から封筒を取り出すと浩子に手渡した。浩子は封筒の中の白紙の手紙を開くと、いとも容易(たやす)く目をとおした。


 もしこれを読む者があれば、晶晶白露さえも脅かす何者かが現れたということだ。

 万が一、それが堕羅と関わることなら木札を頼れ。

 記 燃える鍛冶  


「さっすが浩子、白紙の手紙をいとも簡単に読んじゃうのね」錫は感心していたが、浩子はそれにはお構いなしだ。

「このタイミングでこの内容の手紙…スンが驚くのも無理ないわ。だけど、晶晶白露も歯が立たない存在が現れたなら、まず堕羅を疑うよう助言している虎慈様にはもっと驚かされるわ」

「んじゃ、この手紙はおじいちゃんが最悪の事態を想定して残したおいた、いわば保険のようなもの?」

「まさにそれ!だとすると…〝記 燃える鍛冶〟って虎慈様のペンネームってことかしら?」

「私はそうだと思うわ。一見(いっけん)、久間谷泉治郎のペンネームのようだけど、この本文にはそぐわないもん」

「そうね…それに霊視(れいし)でしか読めない文字を残せるなんて虎慈様くらいのもんよ…」ペンネームについては同意見で纏まった。

「あともう一つ、木札って何?」

「あっ、これだよ…」錫はバッグから、今度は大きな木札三枚と小さな木札一枚を取り出した。浩子は興味深げにそれを受け取った。


 壱 地獄からムカデの鬼が来る

 弐 ひらひら散る木の実は鬼様も飛びつく実

 参 大門の赤鬼は祠泉(ほこらいずみ)飲んで襲われる


「…どれも鬼が(から)んでいるから黒の国に関わりがありそうだけど、それ以上は…。虎慈様なら黒の国にも精通していたんでしょうけど…」

「おじいちゃんは黒の国に(くわ)しかったの?」

「だって虎慈様が堕羅の門番だったならば、堕羅は黒の国の中にあるんだから、当然精通(せいつう)していたはずよ」

「なるほど。浩子は黒の国に行ったことないの?」

「あそこは(ぞく)にいう地獄よ。それこそ門番でもない限り好んで行かないわ。でも今回はそうも言ってられないみたいだけど…」その言葉に、錫は地獄へ行かずして龍門を助ける方法はないものだろうかと思った。


「もっと分からないのは、この小さい方の木札ね。地獄も苦手だけど、霊神は暗号がもっと苦手…ふふっ」浩子は自分の冗談に笑いながら、何度も木札をぱたぱたと返しては首を(かし)げた。

「表は〝記〟、裏には〝(けが)れなき(うつわ)に清き泉をすくいて我にたらせよ〟──錫ちゃんまったく意味不明…」

「スン、想像(そうぞう)だけどね…今は意味が分からなくても、そのうち謎が解けてくる仕掛(しか)けかもしれないわよ」

「な~るほどぉ!三つの木札を順番に紐解(ひもと)いてゆけば暗号の意味も(わか)仕組(しく)み?」

「あくまで想像よ、想像…。まっ、今のところ…浩子ちゃんもまったく意味不明…」二人はくすくす笑い合っていたが、先に真顔になったのは錫の方だった。

「浩子…どうしても避けて通れない?」その言葉に浩子も真顔で答えた。

「ムリ!」

「なんてドライでシャープな…」浩子の返事に、錫は地獄行きを覚悟せざるを得なかった──父・龍門を助けるための選択肢が他に無いのならば、地獄の何丁目でも行ってやろうと腹を(くく)った。


「ちょっとお手洗いに行ってくるわ…」浩子が席を立ったので、錫はいしに声をかけた。

「いしぃ…どこ?聞いていたでしょ?」

「ここですけん、ご主人様」いしはテーブルの上で、ぬいぐるみのようにちょこんと座っていた。

「目の前じゃん!」

「さっきまでは邪魔にならないように、ご主人様の足下(あしもと)で話を聞いておりました」

「あら、そうだったの。ねぇ…地獄まで一緒に行ってくれる?」

「はい!いしはご主人様と一緒なら地獄の果てまでついて行きますけん」

「あんたが一緒なら心強いわ!それに頼もしくて、おまけに可愛い…」それを聞いたいしは、毎度のことだが舞い上がり、テーブルの上でコザックダンスを踊りだした。「狛犬のコザックなんて初めて見たわ…うふふふ」

 愛らく()滑稽(こっけい)ないしの踊りに癒されているところに、浩子が戻って来た。「あら…い、いし…ひ、久しぶり…」

「ど、どうも…ひ、浩子殿…お久しぶりですけん」

「あんたたち…何か挨拶が不自然ね…?」

「そ、そんなことないわ…お互い照れてるだけ…ね?いし…」

「はい。浩子殿はとってもお美しいですけん…照れますです…はい」

 いやにギクシャクしている両者に対して、錫は大きな目を怪訝(けげん)そうに細めて(つぶや)いた。「(あや)しい‥‥」

 浩子といしは同時に顔だけを錫に向けてにっこりと笑った──。




 Ⅳ


「今日は私の人生で(もっと)憂鬱(ゆううつ)な日になりそうだ」信枝は洗面台の鏡に映った覇気(はき)の無い自分の顔を見ながら(つぶや)いた。

 父・段乃原正立に心配をかけまいと、自分の気持ちをごまかしてお見合いを決意したものの、いざその日を迎えると気が重くて仕方なかった。まるで胸の奥に漬け物石でも乗せられている感じだ。

 信枝の見合い相手道部(みちべ)良文(よしふみ)は、有名私立大学を卒業の後、大手企業にエリート社員として就職したものの、どうしても(わく)(はま)った仕事に馴染(なじ)めず、十才の時から打ち込んできた常生拳空手を極めて道場を開こうと決意した。尊敬する正立に心身を鍛え直してもらい、師範となり道場を立ち上げて今に至っている。

 年齢は二十八歳──真面目(まじめ)頭脳(ずのう)明晰(めいせき)、空手の腕前は正立のお墨付きだ。この男ならば信枝も気に入るだろうと、浮かれ気分になっていた正立だったが、当の信枝は道部の釣書(つりしょ)と写真に目を通しても、まったく魅力を感じることはなかった。

 もちろん信枝は正立に自分の本心を伝えてはいない。おそらく今も(こころよ)く見合いをすると信じていることだろう。

 このまま好きでもない人と結婚をするより、生涯独身(しょうがいどくしん)をとおして愛している人を胸に秘めて死んでゆきたい──それが信枝の心の内だった。過去に生きている自分自身に嫌悪もしたが、どうやっても(ぬぐ)えなかった。

 けれどその思いも今日までだ──。見合いを機に今度こそ後ろを振り向かず、(いさぎよ)く父の(すす)める相手と生きてゆこう──信枝はこの数日間そのことばかり考えていた。

 今の信枝には錫雅尊を絶ち切ることが恐怖だった。これさえ克服(こくふく)できれば他に大きな障壁(しょうへき)はない。今日の見合いは、自分の力ではどうにもならない錫雅尊への思いを絶ち切るために、父が用意してくれた助け船だと思うことにしていた。

 錫雅尊を絶ち切る恐怖、そのための覚悟、父への感謝、それに失意(しつい)──様々な感情が複雑に()(みだ)れた信枝の心の中で、ただ一つだけ()るぎないものとして決意していたもの──それは、この見合いを絶対に断らないことだった。


 見合いの場所は道部良文の道場だ。そこを選んだのは正立だったが、特に深い理由はなかったようだ。二人とも料亭やホテルが似合うようなタイプではないし、互いに肩を張らずに顔合わせができる最も適した場所といえば、(おの)ずと()(した)しんだ道場より他なかった。この二人には最も自然で、なるほどと(うなず)ける場所だ。

 道部が正立の愛弟子(まなでし)でありながら、信枝はこれまで一度も彼と会ったことがなかった。しかし、道部の方は何度か信枝を見ているという。おそらく年に一度、代々美体育館で開かれる常生拳空手道大会や、昇段試験などで一緒だったのだろうが、信枝は道部の顔さえ見た記憶がなかった。

 信枝から見た道部は父から聞いていたとおり、誠実(せいじつ)で真面目そうだった。悪い印象も嫌な印象もなく、いわゆる清廉潔白(せいれんけっぱく)といった感じだ。

 向かい合ったまま黙っている二人に気遣(きづか)って正立が口を開いた。

「道部は子供たちからも人気があるんだ。学校や家庭のことなんかも相談されたりしてな…。〝師範師範〟といつも(ひと)(だか)りができる。強くて優しくて頼りになる男だ」

 道部は苦笑いしながらポケットからハンカチを取り出すと、汗をかいてもいないのに(ひたい)(ぬぐ)った。「総師範…褒めすぎです…。私はそんなにできた人間ではありません…」

「まぁ、そう謙遜(けんそん)するな…。信枝、道部はこういう男だ。私が信頼(しんらい)できる奴だから安心して良いぞ」

「はい、お父様……。あの…すみません、私ちょっとお手洗いに…」そういうと信枝は席を立ち、静かに部屋を出て行った。



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