第41話 罠
アリシアは、一家の皆を引き連れて何とか町を抜け、夜霧に包まれた道を懸命に走っていた。
町を抜ける時、門にいた十匹ほどの伏兵を撃破した後は、一度も敵と遭遇せずに済んでいる。
恐らく残りの怪物共は、必死でこちらを追いかけていて、後ろを行くマーシア達に阻まれているのだろう。
夜明けまで、後一時間ほど。
霧の向こうの空は、まだ明るさを取り戻す兆しも無く、濃密な夜霧の中、おぼろな月明かりでは視界がほとんど効かない。
周囲の警戒と道案内は、シルフとウンディーネが頼りだが、彼女達は、こうしている間もなぜか徐々に弱っている。
今、周囲の物音は、近くの川が流れる音や虫の声だけだ。
あれだけいた怪物共の気配も消え、周囲は先程の激戦が嘘の様な平穏さだが、危機を脱して、落ち着いて考える余裕が出来たアリシアの心には、徐々に不安が渦巻き始めた。
少し、上手く行き過ぎていないだろうか?
包囲した敵にとって、足下が急に底なし沼に変わるなど、予想もしない事態だっただろうが、大量の怪物を出して奇襲を掛け、それが失敗すると家を燃やす事を厭わなかった奴等の策にしては、配置した兵が、宿を包囲した兵と門にいた伏兵だけとは、脱出不可能な策だったとしても、詰めが甘すぎる気がする。
今回襲われたのは、多分、自分や見張りをしていた精霊達が気付かない内に、使い魔か何かに忍び込まれ、自分達の目的等を探り当てられたせいだと思う。
その証拠に、奪還隊も銀灰を奪還しようとして殺されている。
用心していたシルフ達や自分に悟られる事無く情報を掴む辺り、奴等は手強い敵だと思う。
後ろのマーシア達の気配が、感じられなくなった事も気になる。
不安になって振り返ると、遠くで小さな炎の閃光が見えた。
その閃光を見るに、彼女達も町から出られたようだが、追っ手と戦っているとはいえ、少し離れすぎだ。
敵には土地勘がある。兵力も圧倒的多数。
家を燃やす二度目の襲撃までに、時間もあった。
二度目の襲撃で宿を包囲した怪物は、シルフから聞いた数を計算すると六十匹位の筈。
門で倒した伏兵は、十匹位。
今頃気付いたが、住民の大半が怪物なら数が少ない。
術や精霊が弱体化したのは、怪物の作った未知の罠だと思う。
幾らかの怪物は、それを担当しているのかも知れないが、他の怪物共は、どこにいるのだろう?
(まさか奴等……私達が、あの包囲を抜ける事を、想定していたのかしら?)
目的地の鉱山は、街道へ出て少し進んだ先にある。
自分達が街道へ向かっているのは、逃げた方向から敵も気付いているだろう。
もう少し走れば、町から街道へ出る、唯一の出入り口となる橋につく。
宿から町の門までは、それほど距離が無く、町の門以外に罠を張る場所が無かったのかも知れないが、再び罠を張るなら、町を抜けた後に必ず通る橋の周囲は、格好の場所では無いか?
町を囲う石壁では、門に隠れた敵がいる事を簡単に予想できた。
なので、念の為に、光を出さず爆音も立てない最強の鎌鼬術を放った事で、弱体化した術とは言え先手をとれ、隠れていた敵に対して戦いを優位に進められた。
だが、橋に伏兵や罠があったとしても、先手は取るのは難しい。
なぜなら、町の外は刈り入れの終わった麦畑や草原が広がっていた筈で、この夜霧で視界が効かない中では、周囲のどこに伏兵がいるかなど、全く分からないからだ。
自分達や弱った精霊達が、使い魔や伏兵に気付くのが遅れれば、闇の中で相手を察知する敵の群れに先手を食らう。
その結論に至った時、背筋が凍り付く思いがした。
視界の効かぬ中、隠れる場所も無い広大な畑や草原で、闇でも目が利く大勢の敵に先手を取られればどうなるかなど、火を見るより明らかだ。
なぜか術や精霊が弱体化した所を襲撃され、それを何とか撃退したと思ったら一分一秒を争う絶体絶命の罠に掛けられ、脱出方法を考えるだけで精一杯で、そこまで頭が回らなかったが、今更悔やんでも遅い。
伏兵に備え、急いで対抗策を考え始めた時、突然、先を行くシルフの叫び声が聞こえた。
「皆さんっ! 伏せてっ!」
その声と共に横殴りの突風が吹いたが、その風をものともしない沢山の何かが、咄嗟に伏せたアリシアの上を、鋭い音を立てて飛んでいく。
直後、後ろから男女の苦痛に満ちた悲鳴が上がった。
「おいっ! ターナーーーッ! ネリーーーッ! しっかりしろっ!」
ルパートの、声を抑えた悲痛な叫びが上がる。
「シルフ! 敵の戦力と位置は?」
アリシアは、様子を見に来た彼女に小声で問いかけた。
「百三十パスル(約三十九メートル)ほど先に多数。半包囲されていますが、今のところ動く気配はありません」
「了解。敵が動いたらすぐ教えて!」
「承知しました」
頷いたシルフが姿を消し、敵の方向へ微風が吹いた。
背を低くしたアリシアが、ルパート達に駆け寄ると、弱い月明かりの下で、横たわるターナーの胸に二本、ネリーの腹に一本の矢が刺さっているのが見えた。
ターナーは、既に意識が薄れつつある様だ。
トニーが彼に刺さった矢を投げ捨てる横で、クレアが、鞄から治療薬らしき小瓶を出して使おうとしている。
ネリーは、まだ意識がある様だ。
ルパートが、横たわるネリーの矢を引き抜き、自分のウェストポーチをまさぐって薬か何かを探している。
痛恨の極みだが、ターナーは、もう間に合わないだろう。
彼は、クレア達に任せる事にした。
アリシアはネリーの治療に加わるべく、ネリーの側に駆け寄って跪いた。
ネリーの傷は、腹に刺さった矢が一本のみ。
場所と傷を考えると、すぐ致命的な事にはならないと思ったが、気のせいか彼女は急速に弱っている気がする。
何かおかしい。
思ったより、出血が多いのだろうか?
「ネリーさん! 治す前に傷を確認させて!」
「……はい……」
苦痛に顔を歪めるネリーが、小さく頷く。
それを見たアリシアが、彼女の皮鎧を脱がし、シャツの傷口近くのボタンを外そうした時、シャツの穴に触れた手に微かな違和感を感じた。
矢が貫通した穴に、血に混じって何かねっとりした物が少し付着している。
他に異常は見当たらないのに、彼女が急速に弱っていく原因は、これかも知れない。
匂いを嗅ぐと、血の臭いに混じって、微かに甘ったるい妙な臭いがした。
(……これ、何かしら? 毒か何かだと思うけど、心当たりが無いわ……)
長年傭兵をして毒も色々見てきたが、この物質が何なのか全く分からない。
正体が分からないと適切な治療が出来ず、誤った治療をすれば、毒の種類や強さ、それに回る速さによっては、後遺症が残ったり手遅れになりかねない。
「ルパートさん! 傷口に変な匂いの物があるわ。何か分かる?」
囁きかけられたルパートが、差し出した指に付いた何かを触り、匂いを嗅いだ途端、彼の顔が強張った。
「最近、出てきた毒だ! 二級以上の毒消しはあるか? あれば金は払うから使ってくれ! 一刻を争うんだ!」
「了解!」
アリシアの返事を聞いたルパートが、ターナーの治療に当たるトニーを見た。
「トニー! 矢に毒がある! 密輸屋のコリンが、先月、見せに来た奴と同じだ。薬はあるな?」
「あります!」
「よし! 頼む!」
彼等の声を聞きながら、アリシアは、おぼろな月明かりの下。懸命にウェストポーチを探った。
二級以上の高価な毒消しが必要とは、毒の強さや回る早さが凄まじいのだろう。
同等以上の効果の解毒術を使えるが、謎の現象で術が弱体化している今、一刻を争う強烈な毒の治療に使うのは博打に過ぎる。
その様子を横目で見ていたネリーが、息も絶え絶えに口を開いた。
「……も、もう良いです……アレなら……もう……間に合わないかも……」




