第39話 逃走
夜霧の中、辛うじて敵の包囲網を破ったロディ達は、起死回生をかけて懸命に走っていた。
宿の近くは、宿を燃やす炎のおかげで周囲の様子が分かるが、離れれば明かりは山の端に沈みかけた満月だけになる。
だが、この濃霧では、月の光がどれほど役に立つか分からない。
道案内と周辺警戒は精霊だけが頼りだが、彼女達は謎の現象で弱っている。
敵は、仮に住民全て怪物なら百数十いる。
一旦は窮地を脱したが、立ち回りを誤れば、簡単に皆殺しにされるだろう。
楽観できる点は何も無いが、生き残りたければ何とか道を切り開くしか無い。
今回、幸運だったのは、宿が町の中心から離れた場所にあった為、目指す町の門は、ここからそれ程遠くない事だ。
何故、宿があんな辺鄙な所にあるのかと思っていたが、多分、怪物共は万一にも自分達の正体がバレないよう、余所者が近くに滞在するのを避けたのだろう。
ロディは、しんがりとして皆の最後尾を走っていた。
宿を出てから敵が追ってくる気配は無く、今のところ罠も待ち伏せも無い。
朽ちた家や、それに近い家が、まばらに並ぶ通りを駆けながら、何とか最初の山は越えたかと一息ついた時、少し前を行くアネモスが、何かに気付いた様に振り返り、後方を凝視して緊迫した声を上げた。
「……奴等、追いかけてきたみたい! 動きが速いわ! このままじゃ、追いつかれるかもっ!」
「思ったより、出てくるのが早いわね!」
アネモスの声が聞こえたのか、前を走るアリシアが、後ろを振り向いて忌々しそうに呟く。
やはり、敵が追ってくるのは時間の問題だったようだ。
「ロディさん! オレ達が足止めを作る! 時間は掛からねぇ。良いかい?」
「お願いします!」
何か手があるなら、何でも良いから敵を止めたい。
ルパートの問いかけにロディは即答した。
「了解だ! ターナー! トニー! カルトロップを!」
頷いたターナーが立ち止まり、しんがりを務めるロディの横で、大きなウェストポーチの中身を、背後に広くバラまいた。
小さな金属音を立てて道に落ちたそれは、両端が尖った太い針金を絡めて、四方に先を突き出したような形の、握り拳の半分位の大きさの物体。
鋭く尖った先端の三つが地に着いて、残りの一つが真上を向いている。
普通の靴で、硬く鋭い棘のようなアレを踏めば、タダでは済まないだろう。
「よし、行こうぜ! 少しは時間が稼げる!」
「有難うございます!」
走り始めると、少し距離を置いて、今度はトニーがカルトロップを撒いた。
距離を取ったのは、先の罠を突破して安心した所を再び罠に嵌め、敵を一層警戒させる工夫だろう。
しばらくして、後ろから苦痛に満ちた絶叫が幾つか響いてきた。
あの凄く痛そうな、カルトロップを踏んだらしい。
これで奴等は用心するだろうが、所詮は地面に撒いただけの物。
突破や除去に、時間は掛からないと思う。
「……奴等、何匹か、あの罠を突破してきたわ!」
アネモスの焦った声の後、少しして再び敵の悲鳴が聞こえた。
トニーが撒いた、二番目のカルトロップを踏んだようだ。
距離が縮ったせいか、悲鳴が少し近くなっている。
ルパートに促されて、ネリーがカルトロップを撒き、先程と同じように、距離を置いてクレアがカルトロップを撒く。
「アネモスさん! 近くまで来た敵は何匹です?」
「二匹よ! その後ろは五、六十パスル(約十五から十八メートル)離れて二匹! その後ろも、そんな感じでゾロゾロ来てるみたい! 底なし沼と罠のお陰で、ばらけたみたいね」
このままでは追いつかれる。だが、敵はバラバラ。
再び纏まるのを待たずに追いかけてくるのは、少しでもロディ達を足止めして逃がしたくないからだろう。
数匹の襲撃なら、自分なら渡り合える。
自分が食い止めれば、他の皆は安全に退却できる。
敵は徐々に増えるだろうが、自分も銀灰奪還後に使うつもりで、逃走に役立ちそうなカートリッジを、幾つか買ってきた。
皆の安全の為に、自分が敵を食い止めるべきだろう。
「その位なら僕が倒す! 止まったら、また囲まれるかもしれない。皆は先に行って下さい!」
ロディの声に、前を走る皆が心配そうに振り向く。
「ロディ君! それは私がやるわ! 君は、皆と一緒に先に行って!」
「いえ、アリシアさんは皆を守って下さい! 敵が、次にどんな手で来るか分からないですから!」
案ずるようなアリシアに、ロディは有無を言わせぬような口調で口を開いた。
「アリシアさんは、宿が燃える中、的確な手を打ったでしょう? でも僕は、あの時何も手が浮かばなかったんです……あの時、アリシアさんがいなければ、今頃、皆あそこで死んでました」
ロディの言葉を、振り向いた皆が聞いている。
「アリシアさんの冷静さと強さ、それにシルフさん達がいれば、僕が皆を守るよりずっと安全だと思います。それに、僕も撤退戦用の道具を持ってきてますし、今までの任務で、逃げる時のしんがりは何度もやりましたから大丈夫です」
「でも、一人なんて無茶よ。奴等を止めるなら、せめて、もう二、三人いないと」
「母さん。あたしがロディ君を援護するわ。あたしも何度か撤退戦をやったし、あたしの力じゃ母さんの代わりは無理でしょ? とても皆を守れないわ」
「……分かったわ……じゃあロディ君、マーシアやサラと一緒に敵をお願いね」
少し悩んだアリシアが、苦悩の表情で呟いた後、腰に下げた小さな筒を一つマーシアに渡した。
精霊籠とか言う、精霊の依り代だ。
「サラ! 今からマーシアの指示に従って頂戴。そしてあの子達を護ってあげて。腕利きの貴女なら任せられるわ。頼むわね」
「お任せを」
重々しく頷いたサラマンダーが、マーシアと共に走る速度を落とし、ロディの横に並んだ。
「ロディ君。サラは人の姿でも多くの戦場を戦った強者よ。こんな局面も何度も経験してるし、冷静で腕も立つから彼女の意見はよく聞いて。それと離れすぎには注意して! 絶対に、無茶はしちゃダメよ!」
「了解です……でも、それだとアリシアさんが危険に……」
「私なら大丈夫。シルフ達がいるわ。それにいざとなったら他の強い精霊も喚べるから安心して」
「分かりました。では、お二人を、お借りします!」
「ええ。皆、気をつけて!」
「ロディさん! これを持ってけ!」
ルパートが速度を落として横に並び、腰のポーチを渡した。
「カルトロップだ。あんたの判断で全部使ってくれ! あんたの道具と二段構えなら、より安全に逃げられるだろ?」
「有難うございます! 助かります!」
その時、それ程遠くない後ろから絶叫が轟いた。怪物が、三つ目か四つ目の罠を踏んだのだろう。
その後ろからも次々と悲鳴が上がっている。
「じゃあ、奴等を止めます! 皆は行ってください!」
「君達……くれぐれも気を付けてね! 絶対に無茶はしちゃダメよ!」
アリシアの表情には、心の底からの心配が窺える。
しばし皆を、そしてマーシアを見た彼女は、未練を断ち切るように前を向き、ルパート達と共に夜霧の中へ走って行った。




