第36話 絶体絶命
怪物共が去って、五分は経っただろうか?
相変わらず夜霧が濃いが、多分、黒い奴は、こちらが見えるだろう。
闇で目が利く奴を前に意味は無いかも知れないが、ロディは矢で狙撃される危険性を少しでも下げるべく、マーシアに頼んで光精霊に消えて貰っていた。
一つのランタンが底面からこぼす弱い明かりの中、皆は休息を取っている。
シルフを再び偵察に出した後、ロディとマーシア、アリシアとルパートは窓と扉から用心深く外の様子を覗っているが、他の一家の面々は床に座り込み、疲れからか力無く頭を下げていた。
彼等を見たロディは、これから先を考えると少し気が重い。
怪物共は、諦めた訳では無いだろう。
奇襲に失敗した奴等は、このままでは犠牲が大きいと判断して、一旦退いただけだと思う。
住民の大半が怪物なら、まだ敵は大量にいるはずだし、人がいたとしても助けは期待できない。ヘタすれば、怪物の協力者の可能性もある。
長年、警備局員として鍛錬と経験を積んだロディは、まだ体力に余裕がある。
傭兵のアリシアとマーシアも、疲れたそぶりすら見せない。
彼女達も、まだまだ戦えるだろう。
心配なのは、ルパート達だ。
ルパートは気丈に振る舞っているが、慣れない怪物との戦いのキツさと、先の見通しの立たない精神的な辛さに、いつまで耐えられるか分からない。
敵が、数の利を活かして、こちらを消耗させるように五月雨式に襲ってくれば、このまま立てこもっても、いずれ疲労の限界が来る。
仮に上手く戦えたとしても、いつまでも飲まず食わずという訳にはいかない。
隙を見て、携行食や水を口に出来たとしても、水筒の水が尽きれば本格的にマズくなる。
どうやって事態を打開するか、思案しながら慎重に外の様子を窺っていると、窓から風が吹いて、物陰にシルフが姿を現した。
「怪物共が接近してきました。三匹程の群れが六つ、別々に接近中です。他の怪物共は、四十匹程が宿から二十五パスル(約七・五メートル)程の距離を取り、宿を包囲しています」
「な、何をする気かしら?」
ネリーが、不安げな声を漏らしながら立ち上がった。
「皆さん、また奴等が来たら、さっきと同じようにして下さい」
ロディの囁きに、皆が頷く。
全員が、無言のまま怪物の突入に備えて身構えていると、どこからか焦げ臭い匂いが漂い始めた。
「……ロディさん……この匂い……煙じゃねぇか?」
ルパートが、怪訝な顔で匂いの元を探すように鼻で息を吸い、周囲を見回す。
「ええ……まさか!」
「……あれだと思う。マズいわっ!」
慎重に窓から外を見たマーシアが振り向き、顔を強ばらせて小さく声を上げた。
「あいつら……この家に、火を点けたわよっ!」
ロディは慌てて窓へ行き、慎重に顔を出して彼女の指す方向を見た。
夜霧の向こうに大きくなっていく炎が見え、パチパチと木の爆ぜる音がする。
素早く左右を見渡すと、炎は二カ所から出ている様だ。
多分、奴等はこの家が早く燃えるよう、六カ所に火をつけたのだろう。
怪物共は、家ごと自分達を焼き殺すか、家から飛び出た所を襲うつもりだ。
家一軒を灰にしてでも、ロディ達を絶対に生かして帰さないつもりらしい。
「……大雨の後なのに、火の勢いが強すぎる……奴等、油か何か使ったな!」
家を燃やす炎の勢いを見たロディの顔から、血の気が引いた。
「アリシアさん! 水精霊さんなら、あの火を消せないですか?」
ロディの問いに、アリシアが水精霊を喚んで尋ねたようだが、表情が冴えない。
「ダメみたい。今みたいに力が出ない状態だと、あの黒魔法の火は消せないって」
「……ちっくしょう!」
炎を見つめるルパートの目に、怒りと苛立ちが宿る。
「あいつら……嬲り殺しか、焼け死ぬか選べって事かよっ!」
外は、闇でも敵を察知する怪物が、大勢で包囲している。
濡れた家を燃やす黒魔法の火は、信じられないほど勢いが強い。
宿全体に火が回り、焼け落ちるのはすぐだろう。
生き残りたければ、外に出るしか無い。
しかし、大量の敵を前に馬を奪われた上、術や精霊が弱体化している今、包囲を脱するのは不可能と言って良い。
罠もあるだろうし、視界の効かぬ夜霧の中、同じ夜霧でも目が利く大量の敵を前に、簡単に皆殺しにされる。
突然、忍び寄ってきた逃れられない死を前に、ロディの喉に苦い物がこみ上げ、全身に嫌な寒気が走った。
死を免れない事を悟った皆が、沈痛な表情で塞ぎ込む中、一人、何か考えながら慎重に外を窺っていたアリシアが、傍らの透明な水精霊に囁く。
「……ウンディーネ。さっきの大雨の水で、周囲を底なし沼に変えるのは難しいかしら? 結構地面に染み込んでると思うし、町中に降った雨水も使えると思う。底なし沼で奴等を足止め出来れば助かるけど、出来そう?」




