第34話 異常事態
ロディ達が棚を持って食堂に入ると、霧が淡く漂う暗い食堂では、食器棚や運び込まれた寝室のタンスが、二つの窓を塞ぐように設置されつつあった。
店先から運んだ棚を、アリシアの指示で窓際に置いた時、窓の鎧戸から弱い風が吹き、光を抑えたシルフが窓から死角になる壁際に姿を現した。
彼女が発する光を、外から見えない様にする配慮だろう。
「アリシア様。怪物共が約二百パスル(約六十メートル)まで接近。物音を立てぬよう、ゆっくりとこちらに来ています。数は五十体以上」
「有難う。一旦、精霊籠に戻って」
「承知しました」
棚を置いたアリシアの指示で、シルフが掻き消すように姿を消した直後、扉からターナー達とネリー達が、それぞれ寝室の家具を運んで来た。
それを見たアリシアが、素早く食堂内の家具を数え始める。
「……ロディ君。籠城に必要な数は揃ったと思うわ。扉を封鎖したら、もう戦闘準備を始めた方が良いと思う」
「了解です。ターナーさん、ネリーさん、その家具で扉を封鎖して戦闘準備を」
「分かりました」
ターナーが厳しい表情で頷くと、ルパートが静かに扉に駆け寄って鍵を閉めた。
それを見たターナー達とネリー達が、運んで来た家具を、扉を塞ぐように置く。
これで、ひとまず食堂の窓と扉を、全て封鎖出来た。
ランタンがこぼす弱い明かりの下、全員が手早く防具を纏って戦いの身支度を調えていく。
「ネリーさんとクレアさんは、魔術師って言ってたわね。敵が多すぎるから、銀灰を使って術を強化しておいた方が良いわ。持ってる?」
「はい」
アリシアの言葉にネリーが頷き、クレアと共に鞄から小さい瓶を取り出した。
その瓶から、麦粒位の銀色の粒を一つ取り出して掌に置き、祈りの言葉を呟く。
祈りが終わると、銀灰はシュッと音を立てて、一瞬、小さな銀色の炎を上げた。
これでしばらくの間、彼女達の魔法は大きく威力を増す。
「マーシア。貴女の精霊達にも与えて。彼女達の力が増すから。それが済んだら精霊達の消耗を防ぐために、一旦、全員精霊籠に戻して」
「うん」
銀灰を受け取った精霊達が、彼女等の指示に従って姿を消していく。
それを見たアリシアが、自分に銀灰を使った。
何とか敵の襲撃前に、全員が戦闘準備を終えたようだ。
それを確認したロディは、皆に囁きかけた。
「片方の窓は僕が受け持ちますから、もう片方の窓はマーシアさんとルパートさんでお願いします。ターナーさんとトニーさんは扉を。アリシアさんネリーさんクレアさんは、ルパートさんとターナーさん達を援護して下さい。あとマーシアさん、敵が来たら天井辺りで光精霊を強く光らせて下さい。僕達の明かり取りと、奴等の目潰しをします」
その言葉に、全員が頷く。
「じゃあ、ランタンを消そう。僕達が起きてるとバレない方が良い」
皆が、底から弱い光をこぼすランタンを消すと、食堂が闇に包まれた。
頼りは、鎧戸の隙間から差し込む、夜霧で霞んだ月明かりだけだ。
暗闇の中、杖を手にしたクレアが、何かの術をルパートの剣に使っている。
「皆、大防御と大回避、魔法大防御の術を使うから集まって」
クレアの術が終わったのを見て、アリシアが小さな声で呼びかけた。
打撃や斬撃等の物理的被害を軽減する防御術と、動きが素早くなる回避術、それに敵の魔法に対する抵抗力を上げる魔法防御が効いていれば、被害を減らせる。
アリシアが、集まった皆に対して早口で術を詠唱したが、詠唱を終えた彼女は怪訝な表情を浮かべ、術を放った手を見た。
「……変ね……術が、ほとんど効いてないわ」
「やっぱり! そ、それ、私もです。こんな事初めてで……銀灰も使ったのに、どうして……?」
ルパートの剣に術を使っていたクレアが声を震わせ、恐怖に満ちた顔でアリシアを見る。
「奴等……何か、やったんでしょうか? それとも……こ、ここに何か罠が?」
「多分……精霊達の力が抑えられているのと、同じ原因だと思う。罠とか結界も違うと思うわ。あれだけ徹底的に探して、見落とすなんてありえない」
アリシアの言う通りだと思う。
夕食前の罠探しで、凄腕盗賊のルパート達と凄腕魔術師のアリシア、それに目に見えぬ物を見抜く精霊達が、宿と庭、近隣の家まで怪しい物が無いか徹底的に探したのだ。
それに、外を見張っていた精霊達が連絡に来なかった以上、それから他人は此処に近づいていないので、新たな何かがされる事は無い筈。
もう、ここに何か仕掛けや罠があるとは思えないし、敵との距離を考えると、術封じ等の黒魔法を使われたとも思えない。
「原因が分からないけど、術はアテに出来ないわ。あなた達も武器を!」
「……は、はい……」
震える声でクレアが囁き、怯えるネリーと共に、腰に下げた短剣を手にした。
アリシアも厳しい表情を浮かべ、両手で逆手に短剣を構える。
それから、しばし沈黙の時が流れた。
ふと気付いたが、先程まで近くで盛んに鳴いていた虫達の声が、いつの間にか完全に止まっている。
何か近づいて来たので、警戒した虫達が鳴くのを止めたのだろう。
物音は何も無いが、怪物共は、もう間近に来た筈。
不気味に静まり返った暗闇の中、緊張した誰かが唾を飲み込む音が聞こえる。
その時、突然、馬小屋から馬達の怯えるような声がした。
何事かと思っている内に、馬達の声が、みるみる遠ざかっていく。
乗ってきた馬が、怪物共に盗まれたらしい。
逃げる足を、奪われた。




