第32話 深夜の異変
テッドを見送った後、ロディは周囲に異常が無いか慎重に見回したが、特に怪しい物は無い。
安心したロディが宿を見ると、建物は平屋で、それほど大きくないようだ。
隣の建物とは、家一、二軒位の空きがあり、そこは庭として整備されている。
町や近隣の朽ちかけた家を見るに、庭の部分にも家があったと思うが、傷みが進んで撤去されたのかもしれない。
全員で中に入って様子を見ると、かつては何かを売る店だったらしい。
ここは周囲の家と比べて建物の状態が良く、屋内も掃除が行き届いている。
宿に使うと言うだけあって、領主が手入れをさせていたのだろう。
「ヴェルゴーに宿は無えって聞いてたから、何処かの家に泊まる事になると思ってたが……ターナー、ここは何処だと思う?」
「……一家のモンが来た時に、泊まってた家だと思います。場所や家の特徴が、聞いてた物と同じですからね」
ルパートが小声でかけた言葉に、ターナーが表情を改めて小声で答える。
トニーやネリー達も、真剣な目で同意するように無言で頷いた。
「やっぱり、そう思うか? 宿は予想通りだな」
頷いたルパートが、ロディを見て、小声で言葉を続けた。
「ロディさん。姉貴の話じゃ周りは全部空き家の筈だが、誰が隠れて見張ってるか分からねぇ。打ち合わせ通り、それを精霊さんに確認してもらおうぜ」
「ええ。じゃあアリシアさん、マーシアさん、さっきの打ち合わせ通り、周辺の調査と、外の見張りをお願いします」
「了解よ」
アリシアの返事にマーシアが頷き、彼女達は、すぐにシルフとアネモスを喚び出した。
彼女達の指示を受けた精霊達は姿を消し、その直後、外へ弱い風が吹く。
「じゃあオレ達は、この家や庭に怪しい物が無いか調べてくるぜ。それと、シルフさんが戻ってきたら、念の為に近隣の家も怪しい物が無いか調べてくる。それで問題なかったら、この辺りは今のところ安全だ」
「ええ。じゃあ皆さん、お願いします。それと安全の為、絶対に単独行動は避けて下さい」
「分かった。じゃあ庭を調べてくるぜ」
真剣な表情で頷いたルパートが、トニーを連れて歩いて行く。
他の仲間達も、打ち合わせで決めた通り、各自の役目に取りかかった。
ロディとマーシアは、馬の世話をしながら宿の外を見張り、ターナーとアリシアは屋内の調査を行う。
ネリーとクレアは、皆が家で休んでいる事を偽装する為、持ち込んだ食材で、夕食の準備等を担当する。
この辺りに人影は無かったので、誰か近づいて来ればすぐ分かる。
そうなれば、上空で見張るアネモスが連絡に来るので、その時は、怪しまれかねない作業をしている人は、即座に作業を中断して人物の来訪に備える予定だ。
テッド商会の下見を済ませ、領主から露店の許可を得るという最初の難関は突破したが、町自体が大量の怪物の巣窟と分かった今、本当に気を抜けないのはここからだ。
徐々に雨が勢いを増していく中、宿や周辺の安全を確認したロディ達は、今後の方針の打ち合わせを行った。
宿に異常は無く、周辺の家も情報通り空き家で、仕掛けや隠れた見張り等も見当たらない。
それにテッドや領主リッチモンド、町の人々にも何ら異変は無かったが、そう装っていただけで、奴等も本心では、見知らぬ自分達を警戒しているかも知れない。
なので、やはり銀灰奪還は作戦通り進める事にして、今夜の探索は控え、明日に備えて早めに休む事にした。
夕食後、外を見張る精霊をアネモスからシルフに交代してもらい、自分達も部屋に交代で見張りを置いて、それ以外の者は服を着たまま眠りについたが、大勢の怪物が潜む町で過ごす緊張は、ロディでさえ如何ともしがたく中々眠れない。
ルパート達も同じらしく、気が立っているのか、大雨の音が響く中、何か物音がしただけで飛び起きる者もいる。
だが長旅の疲れからか、いつの間にか周囲から微かな寝息が聞こえ始め、雨音の中、何も起きぬまま夜は更けていった。
あと二時間位で夜が明ける頃、部屋の見張りはロディとマーシアに交代した。
交代時に聞いたが、雨は日付の変わる頃に止んだらしい。
結構な大雨だったと思うが、今は雲も大分晴れて星空が見え、部屋には鎧戸の隙間から月明かりが差し込んでいる。
今は、昼間の蒸し暑さも消え、ガラスの無い鎧戸の隙間から流れ込む、涼しい空気が心地良い。
広い部屋では、男性同士と女性同士が両端に分かれて寝ている。
これは、周囲を敵に囲まれた状況で、男女で部屋を分けるか悩んでいた所へ、男も危険だが、周囲を大量の怪物に囲まれて部屋を分けるのは、もっと危険というアリシアの意見に女性達が同意して、この形を取ったのだ。
但し、そのアリシアの考えで、天井近くに薄らと姿を現したアネモスがいる。
もしも血迷った男が現れれば、彼女が皆を叩き起こす事になっているのだ。
もっとも、ロディは今の状況で、そんな気を出せる男はいないと思うのだが。
鎧戸の隙間から覗く外の風景に、異変は何も無い。
動く物と言えば、月夜の下で舞う、多くの蝙蝠ぐらい。
音も、虫や蛙の声以外になく、静かに時間が過ぎていく。
姿を消して外の警戒に当たるシルフも、何も言ってこない。
「……ん?」
何気なく、視線を近くの建物から遠くの山に合わせると、山や、その端に沈もうとしている月が霞んでいる事に気がついた。
つい先程まで、月明かりに照らされる山の稜線が、くっきり見えていた筈だ。
不審者を警戒して近くを見ていたので、全く気が付かなかったが、いつの間にか薄らと霧が出てきたらしい。
改めて町を注視して初めて気付いたが、霧は急速に濃くなっているのか、隣の建物も徐々に霞み始めている。
隣の窓から外を見張るマーシアは、この霧に気付いているだろうか?
視界が悪化するなら、外の監視は一層の注意が必要だ。
マーシアに声を掛けようとすると、彼女は長旅の疲れからか、粗末な椅子に座ったままウトウトしていた。
このまま寝かせてあげたいが、敵地のここではマズいと思う。
彼女を起こすべく立ち上がろうとした時、アネモスが静かに近付いて来た。
多分、マーシアを起こすのを遠慮したのだろう。
「ねぇ、ロディさん。あたし、急に体がだるくなってきたんだけど、何か変な事は起きてない?」
「何も無いよ……強いて言えば、いつの間にか霧が出てきたくらいかな? アネモスさん、熱でも出たんじゃないの?」
「そうかなぁ? ……あたし、こんな事初めてなのよ」
訝しげな彼女を見ても異変は無いが、ロディは精霊の事を何も知らない。
よく知らない物事について、素人が判断するのは危険だろう。
「……僕じゃ、君達の事はよく分からないから、マーシアさんを起こすよ」
音を立てぬよう歩いて、小さく舟をこぐマーシアの肩をそっと揺する。
「マーシアさん……マーシアさん」
「……ご、ごめんなさい! 何? どうしたの?」
ビクッと体を震わせ、慌てて飛び起きたマーシアに、アネモスが近づいていく。
「ゴメンね。あたし、少し体がだるくなってきたんだけど……」
目をこすったマーシアが、アネモスの体を具合を診る様に優しく触っていく。
「……熱とか異常は無いわよ? 具合が悪くなった原因に、心当たりは無い?」
「ううん……何も変わった事はしてないわ。本当よ?」
「変ねぇ……ここは怪物の町だし、知らない間に呪いにでも掛かったのかしら? ……他の子はどうだろ? ネロ、出てきて」
マーシアの呟きの後、彼女の前の空間が大きく歪む。
透明な水精霊の、ネロが現れたのだろう。
「ネロ。アネモスが急に具合が悪くなったって言うんだけど、原因が分かんないのよ。どこかで呪いにでも掛かったのかなって思うんだけど……貴女はどう? 何も無い?」
「……うーん……変ねぇ? あたしもここに出てから、ちょっと体が重いわ。精霊籠にいた時は何ともなかったのに……何でだろ?」
不思議そうなネロの言葉を聞いて、マーシアの表情に緊張が走った。
「ロディ君、何か気付いた事ある? 何でも良いわ。これは変よ!」




