第31話 領主リッチモンド
ヴェルゴーに着いて、二時間は過ぎただろうか?
曇り空の下、ロディは、ヴェルゴー領主リッチモンドの屋敷の門の傍に立ち、マーシア達と馬車の警護をしていた。
今、周囲にいない仲間、ルパートとターナー、アリシアは、旅商人として領主から露店を開く許可を得るべく、だいぶ前に屋敷に入って、領主との謁見に臨んでいる。
ヴェルゴーは、人に化けた多数の怪物が蠢く町。
ロディは、町に入ってから、いつにも増して周囲に気を配っているが、今のところ異変は無い。
ふと、アリシア達が心配になったロディが、広い庭の向こうにそびえる立派な屋敷を見ると、灰色の低い雲に覆われた空が目に入った。
早朝、野営を終えた頃は時折晴れ間も覗いていたが、時間が経つにつれて雨雲が濃くなっている。このままだと、もうすぐ雨になりそうだ。
その時、屋敷を見つめるロディの耳に、突然大きな咳払いが聞こえた。
誰だろうと思って咳払いがした方向を見ると、両手持ちの大剣を背負う、門番の大柄な衛兵が、少し睨むような目でロディを見ている。
領主の屋敷を見つめるロディを、胡散臭く思ったのだろう。
怪しまれたり、怒らせるのはマズい。
ロディが慌てて屋敷から目を離した時、館から小さく扉の開く音が聞こえた。
「ノア殿。今日は、よくお越し下さりました。皆さんの露店が、町と皆さんにとって良い商売となるよう祈っていますよ」
その声で再び屋敷の扉を見ると、館から痩せた中年男が、大柄な肥えた中年男とルパートとターナー、アリシアと共に現れた。
「有難うございます。ご領主様が露店の許可を下さりました事、大変感謝致しております。ご領主様の名を汚さぬよう心がけますので、よろしくお願い致します」
「いえいえ、こちらこそ。商人は大歓迎ですよ。町が活気づいて民も喜びますから……」
正体がバレないよう偽名を使う、ターナーと言葉を交わしている痩せた男が、領主リッチモンドらしいが、その姿や物腰には驚いた。
人か怪物か分からない人物なら、見るからに怪しい奴かと思っていたが、彼は衣服こそ立派だが、人好きする笑顔を浮かべる頼りなげな中年男で、その腰の低さや丁寧さには好感を抱かずにはいられない。
ターナー達と、にこやかに話をしながら歩いてくる彼は、どこをどう見ても素朴で善良な人物にしか見えないのだが……
(……これ……リッチモンドさんの香水の匂いかな? 良い香りだけど、ちょっとキツいな……)
狼人族のロディの鼻を、リッチモンドがつけた香水の、上品な香りがくすぐる。
貴族や金持ちがよくやる、体臭を誤魔化す工夫なのか、怪物と悟られない為の工夫なのか知らないが、使う量が普通の人と比べて少し多いようだ。
鼻の利く狼人族には、少々香りがきつい。
「では、ノア殿。応援してますから頑張って下さい。今日は有難うございました」
「こちらこそ有難うございました。では、失礼いたします」
ターナー達は、領主のリッチモンドに深く頭を下げ、肥えた中年男を伴って馬車に戻った。
大柄で太った彼がテッドで、ロディ達を領主の館まで案内したのだ。
「それでは参りましょうか。まずは宿までご案内します。今日から露店をされるのでしたら、その後、広場でされると良いと思いますが……あぁ、どうやら降ってきそうですな……」
朗らかな笑顔を浮かべていたテッドが、時折、雨粒がこぼれ始めた空を見上げて残念そうに呟いた。
それを見たターナーも空を見上げ、少し迷ってから口を開く。
「ええ……露店は……この天気ですし明日からにして、今日は旅の疲れを癒やす事にします」
「ああ……そうした方が良いでしょうねぇ。では、宿へ行きましょうか」
「はい。お願いします」
朗らかな笑顔を浮かべたテッドが、馬車の御者台に向かった。
それを見たロディ達も、それぞれ馬車や馬に戻っていく。
徐々に雨粒が増えていく中、御者台に座ったテッドに促され、御者を務めるルパートが馬車を出発させた。
ヴェルゴーに到着したロディ達は、計画通り最初にテッド商会を訪れて、今こうなっている。
テッド商会を訪れた時、テッドは、初めて見る自分達を少し警戒していたようだったが、商品として持参した銀砂を見て顔色を変え、商談をしたいと言うターナーの申し出に食いついてきたのだ。
どうやら彼は、常々銀灰や銀砂を求めていたらしく、思わぬ銀砂の入手で感謝され、露店を開きたいと言うターナーに、厚意で領主との謁見を取り持ってくれた。
お陰で、少し面倒かと思われた領主への謁見申し込みも、支障なく済んだ。
領主の館を出た一行は、町の中心部から少しずつ離れていく。
馬に乗るロディが周囲を見ると、通りには商売を止めて住居と化した店や空き家が目立ち、町の昔の繁栄ぶりを偲ばせた。
古びたそれらの建物に違和感は無く、時折見かける住民も、少し小柄な普通の人にしか見えない。
町の何処をどう見ても、至って普通の田舎町の風景だ。
リッチモンドやテッドも、丁寧で腰の低い好人物だった。
それに町の様子を見るに、彼等の大半が怪物とは、とても信じられない。
マーシアと馬を並べ、二人で周囲を見ていると、進むにつれて建物が徐々にまばらになってきた。
人影も無くなり、残った建物も朽ちかけた物が目立つ。
その時、前を進む馬車から、不意にテッドの声がした。
「あ! そこの建物で止めて下さい」
少し進むと馬車が止まった。そこをテッドが指しているのだろう。
御者台から降りたテッドが、皆を手招きする。
「ここは、旅人も少ない田舎町でして宿がございません。ですので旅の皆様には、ご領主様が手配された、この空き家を宿として使って頂いてます……お食事や必要な物があれば手配いたしますが、いかがなされます?」
「ああ、それは大丈夫です。お心遣い有難うございます」
笑顔のターナーが、丁寧に頭を下げる。
「分かりました。では、家の物は全て無料ですので、ご自由にお使い下さい。中にある薪もタダですし、足りなければ持ってきます。それでは今日は有難うございました。失礼いたします。ごゆっくり、おくつろぎ下さい」
そう言うとテッドは、鍵をターナーに渡して頭を下げた後、低く垂れ込めた雲からポツポツと雨粒が落ちる中、駆け足で去って行った。




