第13話 迫り来る何か
倉庫の床より少し高い所に、一瞬見えた細い何かに、精霊やマーシアが気付いた様子は無い。
「待って!」
慌ててマーシアの腕を掴み、小声で制止した。
「え?」
急な制止に驚いた彼女が、目を丸くしてロディを見る。
ロディが慎重に近づいてそれを見ると、倉庫を横切る細い糸だった。
気付かずに足で引っかければ、何かの罠が作動するのだろう。
マーシアは、言われて始めて気付いた様で、顔が少し強張っていた。
「……この暗さで、よく、あたしより先に気付いたわね……さすが狼人族……」
「罠には何度か酷い目に遭ったからね。注意する様にしてるんだ。さ、行こう」
その後は異変も無く、何回か糸の罠を掻い潜り、しばらく進んでマーシアが止まった。
「ネロ、ここなの?」
「うん。でも保存箱が無い……夕方には、あったのに……」
ネロの囁きには、戸惑いの色が濃い。
「場所を、間違えたんじゃ無いの?」
「……ううん、間違いなくここよ。アネモスがつけた小さい目印があるもの」
ネロの言葉を受けて、マーシアが少し屈み、ランタンを棚板の下に近づけて見にくそうに凝視する。ネロが、そこを指しているのだろう。
アネモスが棚板の下に目印を付けたのは、盗賊に気付かれない工夫だと思う。
「間違いないわ……じゃあ……まさか町の門が閉まる前に、もう……」
彼女が力なく呟いたが、警備局から何度か奪還任務を任された、ロディの考えは違った。
「いや、僕の背嚢と同じ様な魔法の袋に入れてるかもしれない。そういう事は偶にあるんだ。そうすれば軽く小さく収納できるし泥棒の目も欺ける……セオさんも、銀灰をそう言う袋に入れて運んでたって言ってたでしょう? だから、怪しい袋や箱が無いか調べよう」
「あ、そっか!」
囁くマーシアの表情に、明るさが戻った。
彼女と共に、棚に仕舞われた箱や袋の中を確認したが、中身は貨幣や魔法の道具と思しき品々が詰まっているだけで、保存箱や銀灰は見当たらない。
雨音と雷鳴が小さく響く中、二人で黙々と捜していると、突然、ネロが鋭い囁きを発した。
「ねぇ! まだ遠いけど何かの気配を感じるわ。あっちの方よ」
「ロディ君、あっちだって! 精霊が気配を感じたなら、何かいると思うわ!」
階段の方を指さしながら、マーシアが鋭く囁く。
「ランタンを!」
まさか下に誰かいて、足音や床の軋み音に気づかれたのだろうか?
ランタンを受け取った後、急いでマーシアと棚の影に隠れ、ランタンの底の蓋を閉じた。
周囲が暗闇に包まれる中、時折、雷鳴が轟いて鎧戸の細い隙間から閃光が走る。
ロディは棚から慎重に顔を出し、神経を集中させて階段の方向を注視した。
微かな音も聞き逃すまいと、身構えたロディの狼の耳がピンと立つ。
その横で、マーシアが静かに体を反対側に向けた。
逆方向からの奇襲を、警戒しているのだろう。
静かに、気の張り詰める時間が流れていく。
気配なんて気のせいでは? とロディが思い始めた頃。
――真っ暗闇の中、不意に遠くの方から、小さくギシッという音がしたような気がする。
――少しして、再び遠くからギッと床の軋む音がした気がする。
いや、今度は気のせいでは無い!
雨が建物を叩く、こもった音に交じって、確かに階段の方から軋み音がした。
距離は、まだ遠いと思う。
人間より少し夜目が利く狼人族の自分が注視しても、見えるのは漆黒の闇だけ。
音も自分には聞こえたが、隣のマーシアには聞こえていないようだ。
暗闇の中、別方向を警戒する彼女の腕を軽く叩き、顔を近づけて囁いた。
「今、確かに遠くで床が軋む音がした。下に誰かいたのかも知れない。一旦、離れてやり過ごそう」
「分かったわ」
ロディは、ランタンの底蓋を開けた。足元を、ごく弱い光が照らす。
マーシアと共に中腰で静かにその場を離れ、足音と糸に注意しながら、逆方向の建物の角に向かった。
「スタンロッドを用意して。それと、指示したらランタンの光と蓋を全開にして」
頷くマーシアにランタンを手渡し、音と逆方向の棚の陰に隠れて屈む。
「ランタンを閉じて」
ロディの囁きと同時に、足下を照らす弱い光が消え、暗闇が戻った。
神経を集中して気配や音を探ると、やはり遠くから床が軋む音が聞こえる。
この闇の中で何かにぶつかる様子も無く、ゆっくりと何かが来る。
ロディは目線を音の方に向けたまま、スタンロッドを構えて囁いた。
「マーシアさん、戦いになったら僕が斬り込む。君は、身を守る事に集中して」
「ん……了解よ」
彼女は、一瞬、何か言おうとして口をつぐんだ。
闇の中、ゆっくり、ゆっくりと小さな軋み音が近付いてくる。
足音やランタンの光に気付かれたとは思えないが、音から判断するに、方向をこちらに変えた様だ。
「……奴等、こっちに向かってるみたい。気配は複数よ。気を付けて!」
暗闇の中、緊張に満ちたネロの囁きがした。
「了解。また何か分かったら教えて下さい」
「ええ」
何故この暗闇で、しかも姿を消した自分達の場所が分かるのか不思議だが、少し夜目が効く狼人族の自分でも、ほぼ何も見えない闇の中を何かが静かに来る。
雨が倉庫を叩く中、床が軋む音が迫るにつれ、緊張で胸の鼓動が早くなっていった。




