第10話 旧レンストン
人々が寝静まった深夜、古びた建物が並ぶ狭い路地を、二人の若い男女が静かに走っている。
路地に人影は無く、周囲の建物に明かりは無い。
時折、遠くで犬の吠え声がするだけだ。
ここは、アガレア王国首都レンストンの旧市街、通称旧レンストン。
大陸一の大河の河口付近にあり、大河の上流にある国々と、海との水運の拠点となる大きな港湾都市だった。
市街を守る堅牢な城塞でも有名だったが、増える一方の交易船、特に徐々に増えてきた大型船を、地形や水深の関係で捌ききれなくなってきた事と、度々水害で被害を受けていた事等から、数十年前、旧市街から三十パスレル(約九km)ほど離れた海沿いに、今の首都となる新レンストンが作られた。
現在では、王の宮殿や政府施設、そして港湾施設のほぼ全てが新レンストンへ移転し、大商人や主な工房も新レンストンを拠点としている。
お陰で旧市街は寂れてしまい、今は小規模な商人や工房、そして貧民が目立つ街となっていた。
空は、昼間と同じく濃い雲が垂れ込め、時折、雲の薄くなった部分から、ぼんやりと満月に近い姿の月が姿を見せる。
二人は、足音を抑えて古い石畳の路地を走り、ある街角で建物の陰に隠れた。
「ロディ君、あの建物よ。ラングドン一家って盗賊団みたい」
囁いたマーシアが、街角の向こうの建物を指さす。
ロディも、その横から慎重に建物を見た。
通りには、五階建て程度の古ぼけた建物が、密集して並んでいる。
その角地に、長辺は三百パスル(約九十メートル)短辺は百五十パスル(約四十五メートル)はある、三方を道に面した広い土地があった。
その土地には、広い道に面した大きな建物と、残りの二方を囲む高い塀がある。
大通りから幾らか外れるが、土地の広さと建物の立派さは、この建物を建てた人物の当時の勢いを偲ばせた。
風精霊が周囲の精霊に聞いた話では、旧レンストンが首都だった頃、ここはレンストン有数の大商人の店舗と邸宅で、店舗の上階は従業員の寮だったらしい。
だが、栄華を誇った店も孫の代になって倒産し、何度か所有者が変わった様だ。
最後の所有者が十数年前に亡くなり、遺族が売りに出したが売れずに放置され、いつの間にか、住む家の無い貧しい人々が、その寮等に勝手に住み始めたらしい。
首都移転以降、旧レンストンは徐々に寂れ、貧民も流入して土地や建物の価値は下がる一方らしく、その取引も低調と聞く。
古く、傷みも進んだこの建物に値打ちがあるとは思えないし、それに加えて、貧民が勝手に住み着いた面倒な建物など、これから先も売れるとは思えない。
ラングドン一家は、そこに目をつけて拠点にしたのだろう。
勝手に住み着いた多くの貧民も、手なずければ、自分達の存在を隠すのに都合が良いのかもしれない。
「あれが、あのラングドン一家のアジトか……バレたの初めてだろうな」
建物を見上げながら、ロディは感慨深げに呟いた。
「有名なの? ラングドン一家って」
マーシアが、不思議そうな顔でロディを見る。
「結構ね。凄腕の盗賊団で、悪徳商人や貴族から盗んだ金を、貧しい人に与える義賊だったんだ。でも六、七年前から表だって動かなくなったんだけど……本当に知らないの?」
「ええ。あたし、ド田舎の出身だから。新レンストンに来たのも四、五年前だし」
「そうなんだ……え? じゃあ、なんで傭兵なんかになったの? 新レンストンなら、仕事は色々あったと思うけど?」
「ま、その辺は色々ね……」
マーシアが、言葉をはぐらかせて少し背伸びした。
「母さんが来るまで待たなきゃいけないけど……遅いわねぇ……」
「中に怪物がいるかも? って話だったよね?」
「ええ、ここを突き止めたアネモスが、一瞬、怪物の気配を感じたらしいのよ」
「そうか……この町は騎士団が厳重に警備してるから、怪物は入り込めないと思うんだけどな……」
ロディ達は、盗賊を追跡して戻った精霊から、奴等が銀灰を明日早朝に出荷すると言っていたと報告を受け、その前に奪還するべく、ここに来ている。
盗賊共の隠れ家は、マーシアの母、アリシアの予想通り旧レンストンだった。
騎士団本部も警備局本部も、旧レンストンから離れた新レンストンにある。
あの後、セオ達と共に新レンストンへ急いだのだが、到着は町の門が閉まるギリギリの時間になってしまった。
盗賊共に盗まれた銀灰が、明日早朝に出荷されるなら、絶対、今夜中に奪還しないといけない。
盗賊共が、奪った品を、こんなに早く出荷するとは誰も予想しておらず、その準備の為に道を急いだが、新レンストンに入ると、店や騎士団本部は既に閉まっていて、騎士団への通報や、奪還に備えて買いたかった道具を買えなかったのは痛い。
それに、銀灰奪還に挑むなら旧レンストンに行かねばならないが、既に新レンストンの門は閉まっている。
新レンストンに限らず、全ての町は、門が閉ざされると翌朝まで開く事は無い。
夜、守衛に門を開けてもらい、町を出入り出来るのは、国防と治安維持を担う騎士団員と、その傘下の組織で夜間の行動も多い警備局員だけだが、警備局員も、警備局が発行する夜間通行許可証が無いと、夜の町の出入りは出来ない。
奪還に向かうのがアリシア達だけなら、盗賊共が奪った品を明日早朝に出荷し、自分達のレンストン到着が遅れると分かった時点で、準備不足を承知の上で閉門前に旧レンストンに入り、一か八かの奪還に挑むしか無かったが、ロディは警備局員だ。
ロディが頼めば、警備局で夜間通行許可証を入手出来、潜入や戦闘用の道具も、警備局員の任務に必要なので、幾らかは警備局で売っている。
通報や買い物が出来ないと分かったロディ達が、急いで警備局本部へ着いた時、残念ながら本部も閉まっていたが、それを見たロディは、マーシア達を連れて裏の職員専用出入り口に回り込んだ。
守衛に認識票を見せ、職員専用出入り口を開けてもらったロディは本部に飛び込み、残業していた職員達に頼み込んで、ロディ達の夜間通行許可証を発行してもらい、何とか夜の町の出入りに備える事が出来た。
また、十分とは言えないが、ロディの頼みで、警備局で買える道具を売ってもらえたのは有難かった。
まだ準備不足は否めないが、後は、今ある装備を持って向かうしかない。
ロディ達は、アジトの様子を覗い、周囲を警戒しながらヒソヒソと世間話や仕事の話をしたが、アリシアは一向に現れない。
変化と言えば、来た時に比べて雨雲が一層濃さを増した程度。
当たり障りの無い話のネタが尽きてきた頃、ウェストポーチから懐中時計を取り出して時刻を見ると、もう午前一時を大きく過ぎていた。
時計を仕舞おうとしたその時、雲の合間から差す弱い月明かりに照らされた時計に、小さな水滴がつく。
空を見上げると、頬にも水滴が一粒落ちた。いよいよ雨が降りそうだ。
「……アリシアさん、一人で大丈夫って言ってたけど、何かあったんだろうか?」
懐中時計を仕舞うロディの心に、アリシアを置いてきた後悔が渦巻き始めた。
周辺は、一年ほど野盗等の被害の無い治安の良い地域なので、凄腕傭兵のアリシアの言うとおり一人でも大丈夫だと思ったのだが、考えが甘かったかもしれない。
本当は、三人揃って来るつもりだったのだが、出発前にアリシアの家に行くと、準備に少し時間が掛かるので待って欲しいと言われて、今こうなっている。
家から出てきたマーシアの話では、アリシアは仮眠も取らず、捜し物に奔走しているらしい。
玄関に出てきたアリシアを交えて三人で話をしたが、アリシアが言うには、騎士団が守る町に怪物がいるなら、人か何かに化けている可能性がある。
もし人前で、それと戦わねばならなくなった時は、正体を暴いてからにしないと色々面倒な事になりかねない。
なので、家で保管している、怪物の正体を暴く聖水を探しているとの事だった。
その言葉を聞いたロディは、その意見には同意したが懸念があった。
銀灰の場所や盗賊の正体は分かったが、出荷方法が分からない。
盗賊が自分で運ぶのか、誰か受け取りに来るのか知らないが、いずれにせよ奴等は騎士団を警戒して、運搬や受け渡しに、それと分からぬ工夫を凝らすだろう。
アジトの人の出入りを精霊に見張ってもらうと言うが、状況によっては誰かすぐ動かないと手遅れになりかねない。
その考えをアリシアも認めざるを得ず、一人は危険だからマーシアも同行する事と、絶対に自分が行くまでアジトへ潜入しない事を条件に、ロディの先行を認めたのだ。
「母さんを心配してくれるの? 大丈夫よ。何か起きたら精霊が連絡に来るし、一人でも母さんが、そこいらの野盗や怪物に負けるなんてあり得ないわ」
マーシアが、アリシアを気遣うロディを少し嬉しそうな眼差しで見た。
「昼間みたいに逃げられない所ならともかく、平坦な、この辺なら待ち伏せされても大丈夫よ。母さんを護る精霊を出し抜いて奇襲を受けるなんて見た事無いし、戦いになったら、母さんは術も格闘も凄いもの」
「だと良いんだけど……場所は知ってる筈だし馬もある。門も許可証を見せれば通してくれるから、移動は問題ない筈なのに……いくら何でも遅すぎる……」
「……大丈夫よ。母さんは掃除とか片付けが苦手だから、まだ、あの物だらけの汚い家で、あっちこっちひっくり返して探し物をしてるのよ。もうっ!」
「えっ?」
マーシアが少し苛立たしげに吐き捨てた言葉に、ロディは思わず絶句した。
今のは、無意識に漏らした秘密だろうから忘れよう。
慌てて小さく咳払いをして、頭を切り替えた。
彼女が言うなら、心配無いと思うが遅すぎる。
それに、今は夏前で夜明けが一番早い時期。
銀灰の在処は分かっているが、余裕を持って行動する時間を考えると、もう待つのは限界だと思う。
再び雲が垂れ込める空を見上げたロディは、少し迷った後、口を開いた。
「……マーシアさん、これ以上は待てないよ。銀灰は朝一に出荷なんでしょう? 僕も怪物と戦う準備は整えてきたし、今から僕が奪還に行くから、精霊さんから聞いた場所を教えてくれないかな? 奴等が、どんな方法で出荷するか分からないなら、何としても今夜中に奪還しないと」
盗賊のアジトや怪物の巣への潜入は、危険な任務だ。
姿消しとスタンロッドはあるが、傭兵をしているとは言え、保護者と行動を共にしており、出会ったばかりで親しくもない若い女性を、その保護者の許可無く連れ回すのは気が引ける。
「……ダメよ」
自分の懐中時計を見て少し悩んだマーシアが、にべもなく突っぱねた。
「マーシアさん、雨が本降りになったら靴が濡れて足跡がつく。それにもうすぐ夏だから、あと二、三時間で明るくなってくる。僕達は姿を消せるけど、それでも安全の為に、なるべく明るくなる前に奪還して町から出たいんだ。分かってくれないかな?」




