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25. 目覚め



 

「エディウス様にお見せしたいものがあるのですが、一緒に来ていただけませんか?」


 僅かに会話の間が開いた後、リオレットはそう言って彼を促した。これも以前の彼女には見られなかった行動だ。

 邸宅に隣接する温室は、小屋といってもそれなりの広さはある。テーブルを囲うように色とりどりの植物が植えられていて、二人はその一角にある一つの木のところまで歩み寄った

 エディウスよりもやや高い木。いくつか青い実がなっていて、微かに柑橘系の香りがする。


「これは、母が亡くなる前に植えたレモンの木です。自分の命をこの木に託したいと植えられて、もし寂しくなったらここに来て母を思い出してほしいと……でも私は長い間忘れていました。この木が成長する姿も実がなっていることにも気付かずに、ただ毎日を乗り越えることに必死で――――でもそんな私を気に掛け、救い出してくださったのはエディウス様です。言葉に表せないこの気持ちを、どう解っていただければ……」


 リオレットがそう話すと、エディウスは首を横に振る。


「大丈夫、リオレットの気持ちは十分に届いている。……だけど、君の力になったのは俺だけではなく、ブルネ子爵たちの親戚方、そして私に真実を気付かせてくださった神のお導きがあってこそのことだった」

「はい。お祖父様や伯父様たちと再びお会いできたことも、本当に嬉しかったです。私を守ってくださった神にも感謝の祈りを捧げたいと思っております」


 リオレットはきっと普通の神様を想像している。それがちょっと面白くて、くすりと笑った。いつか、エディウスは私のことを話したりするのだろうか。

 その時が来たら、エディウスを介して彼女と話をしてみたいな。そんなことを期待していると、彼はふっと顔を引き締めて、覚悟を込めたように口を開いた。



「それから――――クラード・ロイズ公爵の功績も大きかったことを伝えておきたい」


 その言葉を聞いて、リオレットはハッとした表情を見せた。


「俺の力だけでは、サリアン家の問題を浮き彫りに出来なかったかもしれない。でも公爵の告発という大きな力があったからこそ、伯爵も認めざるを得なかった」


 まさかここでクラードの名を出すなんて。私が驚いていると、リオレットは深く頷いてエディウスを見つめる。

 

「これまで誰にもお話したことがないのですが、実は公爵様とお会いしたことがあるのです。庭掃除をしていた時、集めた枯れ葉が公爵様にかかってしまった事があって……」


 私だけが読んで知っていた、二人のささやかな交流。それを今、彼女の口からエディウスに打ち明けている。


「庭でご挨拶をしていた時と違い、あの場での公爵様はどこか怖く感じました。父が捕らえられて不安だったせいもあるかもしれません。私を助けると仰っていましたが、それが本心なのかもかわからなくて……でもそれは考えすぎだったのですね」

「――――そうだな、君を助けたいという気持ちは本当だったんだろう」


 そう言った彼の声は、どことなく沈んでいるように聞こえた。


 リオレットにクラードのことを伝えた胸の内はわからない。でもけして勝者のつもりでも、リオレットを守りきったという喜びでもないことは伝わってきた。


 やり方は間違っていたけれど、クラードの思いは認めている。その敬意なのかもしれないな、とそう思った。


 

「そうなのですね。あの時はただ怯えることしかできなくて、ご無礼をしてしまいました。いつかどこかの機会で、お礼をお伝えできたらいいのですが」


 リオレットが無邪気にそう話す。もしかして、クラードのその後を知らないのだろうか?



「……クラード・ロイズ公爵は、友好国エルニア王国に長期留学することになったそうだ。しばらくは戻られないだろう」


 クラードのその後については、一週間前にニールセン侯爵から知らされた。

 複数の高位貴族を巻き込み、深刻な騒動を起こしたことを重く受け止めた国王が、長い期間を国に関わらせないことを決定したという。世間的には留学という形をとっているけれど、実際のところは追放に近い措置らしい。


 でもその話を聞いて、私は少しだけ安堵した。

 もしかしたら処刑されてしまうのでは、と心配していたから。

 彼の邪魔をした私が言うことではないと分かっているけれど、どうかあの人もいつか幸せになってほしい。

 そう願わずにはいられなかった。


  

「リオレット。⋯⋯そんな君を大切に思う人たちと、そして何よりも君のために。俺は強く変わっていくから見守っていてほしい」

 

 そう言ってエディウスは、控えていたレノを呼んだ。そして差し出された白いレースの手袋を手にとる。


「これを君に。どうか受け取ってほしい」


 差し出された贈り物に目を見張るリオレット。


「とても素敵な手袋……。これを私に?」

「ああ。――――随分前に作らせた品だ。君の社交界デビューの祝いにと」

「でも、この首飾りをいただきましたが……?」


 首を傾げたその胸元には、彼がお守りとしてプレゼントした宝石が煌めいている。


「初めは、この手袋を君に渡すつもりだった。……色々と考えて、改めてこれを君に贈りたいと思ったんだ。君を幸せにすると誓って」

「エディウス様……」


 まるでプロポーズのようなエディウスの台詞に、リオレットの頬がみるみると赤く染まっていった。

 見ているだけで、じんわりと心に沁みる。



 エディウスにとって黒歴史だったはずの手袋。なぜ今になってと不思議だったけれど、その誓いの言葉を聞いて納得した。

 彼は失敗した過去もすべて受けとめて、前に進むつもりなのだと。

 


 そんな二人を、まるでハッピーエンディングを迎えたような優しい光が包み込む。




 ……あれ?


 まるで映画のラストシーンのような場面。彼らの輪郭が次第にぼやけ、徐々に二人が遠ざかっているようだった。


 

 待って、どうして?

 私はエディウスから離れていない。それなのに、段々と遠ざかっていく。


 突然の異変に、私は不安になってエディウスを呼んだ。


 

〈エディウス!〉

 

「女神様?」

 

 弾かれたように私の方を向いた。もしかして私が見えるの?



 

「女神さマ? ドウSa△¥◯、……?」


〈聞こえない、何を言っているのか分からないよ!〉


「#@□、%&……、…………!」



 違う。エディウスの声は聞こえているのに、話している言葉が理解できない。


 彼はもう、日本語を話していなかった。

 綺麗に流れる音の羅列、これが彼らの本来の言葉なのだと、やっと分かった。


 

 そうか、私はこの世界から離れかけているんだ。

 この不思議な浮遊感が、そう私に悟らせた。

  

 エディウスが真実に近付き、変わっていくタイミングで自由さが増していった移動距離。今になって、あれはこの世界との結びつきの変化だったのかもしれないと思い至った。

 


 エディウス。

 リオレット。


 もう会えないの?

 

 突然訪れた別れの時。心の準備も出来ていなくて、悲しくて涙が浮かんできた。



 初めは嫌いだったエディウス。そして虐げられて不幸の中にいたリオレット。


 もう、私の役目が終わった。そういう事なんだと納得させた。


 だから最後に、精いっぱいの言葉を投げかけた。


 

〈エディウス! 私はもう側には居られないけれど、一緒にいられて良かった! 絶対に幸せになって、そしてリオレットを幸せにしてね!」


 伝わらないかもしれないけれど、力いっぱい叫んだ。

 遠くで、彼が頷いた気がする。よかった、これで安心してお別れが出来る。


 

 小さくなった二人は光に包まれて輪郭をなくし、やがて世界は真っ白に埋め尽くされた。


 

 どこからか流れてくる懐かしいメロディ。


 そして――――。




 

 私は、枕元にあったスマホのアラームを止めた。




  

 


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