22. ヒーロー対決
廊下には二人の姿はない。どこへ行ったかと見渡していると、上階から響くエディウスの声が場所を教えてくれた。
「お待ちください!」
「手を離せ!」
誰も追ってこないことを確認し、私は声のする方へ急ぐ。そこはリオレットが保護されていた三階の部屋だ。
廊下の天井を通り抜けて上がると、左奥で部屋に入ろうとしているクラードと、それを止めようと揉めているエディウスを見つけた。
逃げ込もうとする腕をがっしりと掴み、抵抗を封じて強引に部屋に踏み込んだところで、私も慌てて中へと入った。
「貴様に無礼を許した覚えはない!」
「エディウス様⁉」
クラードの声と同時に聞こえたのは、リオレットの小さな叫びだった。奥のソファに座っていた彼女が、驚いたように立ち上がりこちらを見つめる。そしてアレクはクラードを助けに、近くに駆け寄ってきた。
「アレク、まさか私たちの計画を外に漏らしたか?」
「い、いえ。誰にも話しておりません、なぜそのようなことを」
「だったら、何故この男が知っている!」
強く言い放つその顔からは、焦りと怒りが滲み出ていた。
「……ロイズ公爵閣下。あなたの側近と彼女をこの席から外してください。貴方と二人だけでお話をさせていただきたい」
「立場を弁えろ。お前が決めることではない」
「これは私なりの気遣いです。リオレットの前で、貴方がしてきたことを全てお話してもよろしいのですか?」
エディウスがそう告げると、声を落としてクラードが呟いた。
「…………アレク、彼女を司令官室まで案内してくれ」
何か察するものがあったのか、アレクは黙って従い不安げなリオレットを誘導する。
「エディウス様、またお会いできますよね?」
部屋を出る間際、振り返って彼女が尋ねた。
「ああ、大丈夫だ」
「……わかりました」
短い会話だったけれど、それでふっと彼女の表情が和らいだ。そして静かに部屋を後にする。
しんと静まり返った室内。
重苦しい静寂は、クラードの言葉で破られた。
「お前は何を知っている」
「私とサリアン伯爵に横領の罪を着せようとし、そして社交界にリオレットの悪評を流しましたね」
「それは誰から聞いた?」
「貴方にお答えしても意味がない。……昨夜の宮廷舞踏会でのミレイナのドレス騒動も、貴方が仕掛けたことだと知っています。そのごたつきの最中に、私は身内に会計院に行くよう指示を出しました。その結果が先程の報告です」
クラードがそれを聞いて黙り込んだ。エディウスは続ける。
「あなたの思惑を知り、私はすぐに会計院に調査を依頼しました。あのような大きな夜会ならば、間違いなく事務方は遅くまで残っている。
私を共犯者に仕立てるため、細工の範囲が公務に就いてからの一年半に限定されたことが幸いでした。調べる範囲が大幅に絞られ、多くの時間を必要とせずに済みましたから」
「…………そこまでわかっていながら、なぜ大人しく従った。なぜ我々に証拠を接収させた」
恨みがましく、クラードが暗い瞳で睨めつける。
ここまで作戦通りに進み、リオレットを手元に置くところまで成功していたのだ。あと一歩のところで崩れ去る悔しさは想像できる。
「細工の痕跡を見つけただけでは誰の仕業か証明ができない。だからあえて近衛府に接収させました。不正箇所を別紙に記録したものをモーリア侯爵に提出し、侯爵から監察局へご報告いただけるよう言付けていたのです。そして、私はその時を待っていた」
クラードは黙ったまま俯いている。リオレットとはささやかな交流を持ち続け、その裏では周囲の人たちを失脚させようとする大胆な計画。それが失敗に終わる喪失感は相当なものだろう
理解ができたからこそ、目の前にいるクラードを怖いと思った。
そして、私のその感覚は当たっていた。
彼はゆらりと足を踏み出すと、腰に差した剣に手を伸ばした。
まさか!?
反射的にエディウスを見た。
彼は剣なんて携えていない。丸腰の彼には応戦する道具なんて一つもないこの状況。
クラードがするりと剣を抜き、その剣先を彼に向けたのは一瞬だった。
〈だめ!〉
殺される!
前に突き刺そうとしたクラードの一瞬の動きが、その時だけ時が止まりかけたようにゆっくりに見えた。
大丈夫、間に合う! そう思った私は咄嗟にクラードの前に割り込み、エディウスを庇うように抱きしめた。
実体のない私ならば、きっと死ぬことはない。反射的にそう思っての行動だった。
ガンッと背中に鈍い衝撃が走った気がした。そのすぐ後に、重い金属の音が床に響く。
恐る恐る目を開けて振り返って見ると、クラードがよろけて手首を押さえていた。
「なん……」
「いい加減にしろ!」
エディウスは足元に転がっていた剣を踏みつけ、クラードの前に立つ。
何が起きたのかわからないけれど、とにかく私も彼も無事のようだ。
「思い通りにいかないと思えば、今度は自暴自棄か」
「……どうして、なんでお前なんだ!」
クラードは怒りと苛立ちをぶつけるように、エディウスに言い放った。
「彼女をずっと蔑ろにして、守ろうとしなかった男が! なぜこんな奴がリオレットの婚約者なんだ!」
その言葉に、エディウスの目が見開いた。そして事情を知っている私でさえも、彼の悲痛な声に息を呑む。
「お前とサリアン家さえ消えれば、リオレットは苦しみから解放されるんだ。私が……幸せにするはずなのに……」
「―――俺は、あなたの犠牲になるつもりはない」
何かを考えるように一呼吸を置いて、エディウスは静かに話しだした。
「俺は本当に鈍くて、コリーヌ夫人たちの嘘を疑いもせず信じてしまっていた。弱っている姿すら目に入らず、思い込みで彼女を責めることを言っていた。不当に与えた心の傷は、今も許されるわけではない」
「そう思うなら自ら身を引け! 虐げていた女共だけでなく、気付いてやらなかった父親とお前も同罪だ。私だけが彼女の苦しみを知っていた。私だけが彼女を愛していたんだ!」
クラードの切実な訴えを、私は何も言えずに聞いていた。彼の台詞は、私自身が抱いていた思いだったから。
吐き出すような独白を、私は真正面から見ることができなかった。物語を変え、ヒーローの座から引き下ろしたのは私なのだから。
その行動を今は後悔はしていない、だけど心が痛い。
「……何と言われようとも、俺の人生を貴方に差し出すつもりはありません。有りもしない罪を被ることも、有りもしないリオレットの悪評を流す男に彼女を任せるつもりもない」
「それはこっちの台詞だ! あれは、彼女を救う過程の一つに過ぎない。お前たちを排除した後、サリアン家の真実を白日に晒せば終わる話だった。何も知らずに追い詰めていたお前たちとは違う!」
二人の男たちは、互いに折れることなく睨み合う。そして僅かな沈黙の後、エディウスが重く口を開いた。
「俺も貴方も、間違いだらけだ」
「……何?」
「俺は勘違いし続ける無様な男だったし、貴方も手段を大きく誤った。……ただいくら国王の子とはいえ、偽りの罪で名のある貴族を葬ろうとするのは危険な橋だったはずだ。失敗に終われば貴方も無事では済まなくなる。なぜ、そんな捨て身のような賭けを――――」
そう問い質していると、クラードがわずかに動いた。刃物を失い、そして動作が緩慢でもあったから油断したのかもしれない。
クラードが前のめりになって、勢いよくエディウスに体当たりを仕掛けた。よろめいた彼の足元からすぐさま剣を奪い、それを握りしめる。
〈エディウス!〉
今度こそ間に合わない。そう思って絶叫したけれど、剣は彼に向けられることはなかった。
クラードはその先端を自分に向けると、鈍く光る刃を首に当てる。
「くそっ!」
体勢を崩されたエディウスは、踏ん張った勢いのままクラードの腹に蹴りを入れる。今度は彼がよろめいた隙に飛び掛かり、押し倒して手から剣を叩き落とした。
そしてすぐさま遠くに放り投げ、二人の荒れた呼吸だけが部屋に満ちる。
「何を考えているんだ!」
「お前にわかるわけがない!」
互いに睨み合って声を荒げる。その悲しい切実な声に、私はクラードの事を何も知らないのだと、この時初めて思い知らされた。
彼はどうしてこんな事をしたのか。何故そこまでしてリオレットを思うのか。
『サリアン伯爵家の庭で、リオレットと時々挨拶を交わすヤンデレ騎士』
それしか分からなかったし、ただリオレットを助けるヒーローとしか見ていなかった。
だけど彼にも長い人生があって、ヤンデレという属性の背景を考えることがなかった。
「……誰にも求められない、必要とされない。それがどれだけ虚しいことか分からないだろう! 物だけ与えられ、国王の落とし子として腫れ物のように扱われる毎日だった。母は私など一切目もくれず、寵愛を受けることだけに全てを捧げてきた人だ。……その母へ向けられる愛の、僅かなおこぼれに縋って生きてきた惨めさなんて、誰にもわかるわけがない!」
クラードの激しい胸の内を聞いて、エディウスは押さえつけていた腕を緩めた。それでも力をなくしたようにその場に座り続け、投げやりのような姿勢で話す。
「だけどリオレットは違った。宮殿の庭で偶然会った私のために、あの子が一輪の花をくれたんだ。幸せになれるからと、仕事でもご機嫌取りでもなく、純粋に私のことを思って差し出してくれた。それがどれだけ嬉しかったか、お前なんかに分かるわけがない……」
理解してもらおうとも思っていないのか、クラードはただ独り言のように呟いた。
その当時のことを私は知ることができないけれど、諦めたようなその姿はとても寂しい人のように見えた。
「……ロイズ公爵。先にも言った通り、貴方の幸せのために自分の人生を差し出すつもりはありません。身の潔白を証明し、事実を話します――――けれど、必要以上に事を荒立てることもしません」
「そんなことはどうでもいい。お前が真実を話せばそれで終いだ」
無気力に、目を伏せたまま答えた。
そんなクラードを前にして、エディウスは姿勢を正して改めて一礼する。
「私はリオレット・サリアンの婚約者です。彼女のことはお任せください。――必ず幸せにするとお約束します」
クラードを見据え、はっきりとそう宣言した。
どんな気持ちでエディウスがそう言ったのか、私には分からない。だけどその短い言葉には、言い表せない思いが込められているのだと感じた。
もうすぐ最終回を迎えますが、もしかしたら明日は投稿が難しいかもしれません。次回は土曜日、そして日曜日までに完結できたらいいなと思っています。




