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あの日の春風は今も  作者: リンダ


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96/127

最後の45分

第70章 最後の45分


1 キャプテンマーク


後半開始。


日本1-0韓国。


前半24分、韓国の危険なタックルによって森岡美里が倒され、相手選手は一発退場。


その直後、日本はセットプレーから先制した。


しかし森岡自身は打撲の影響を考慮し、後半から交代。


キャプテンマークは、大船柚月の左腕へ渡った。


森岡がベンチへ下がる直前、柚月の腕へマークを巻く。


「頼んだよ」


柚月は一度だけ腕章を見てから答えた。


「任せろ」


その言葉は短かった。


だが、柚月にとっては重かった。


あと45分。


勝てば、日本はロサンゼルスオリンピック出場へ決定的に近づく。


いや、他会場の結果次第では、この試合で二位以内が確定する可能性すらある。


けれど。


そのことを考えるのはまだ早い。


柚月はピッチ中央に立つ。


「最初の一本、集中するべ!」


早川莉奈。


宮野沙季。


長崎美琴。


正木静香。


全員がうなずいた。


2 一人少なくても、韓国は来る


後半キックオフ。


韓国は一人少ない。


普通なら守備を固め、失点を避ける選択もある。


しかし、韓国にはそれができなかった。


負ければオリンピック出場が遠のく。


だから前へ出る。


朴智秀が高い位置へ。


李彩媛も日本の最終ラインへ圧力をかける。


開始三分。


朴智秀が中央でボールを受ける。


美琴が寄せる。


朴は一度右へ。


返ってきたボールをそのまま前へ持ち出した。


誰も出ないと見ると、右足を振り抜く。


ミドルシュート。


強い。


伊達葵が横へ飛ぶ。


両手。


弾いた。


「葵!」


藤森彩香がすぐにクリア。


韓国側から大きなどよめき。


柚月はすぐに叫んだ。


「人数差あるからって油断すんな!」


一人多い。


それは勝利を保証しない。


3 李彩媛の決定機


後半七分。


韓国が左サイドから攻める。


金素妍が國武真央との競り合いを制し、中央へ低いパス。


朴智秀。


ワンタッチ。


その先。


李彩媛。


日本のセンターバックの間。


一瞬だけ抜けた。


完全な決定機。


伊達葵が前へ出る。


李彩媛が右へ持ち出す。


伊達がついていく。


シュート。


伊達の右手。


ボールが弾かれる。


藤森が戻ってクリア。


再び日本を救った。


伊達は立ち上がる。


「まだ!」


柚月も胸をなで下ろしながら声を出す。


「ナイスだっちゃ!」


一点差。


人数差があっても、韓国のカウンターは死んでいない。


むしろ失うものがない分、怖い。


4 一点を守るな


日本は少しずつ、自陣へ下がりかけていた。


それを原町監督が見逃さない。


「一点を守るな!」


ベンチから声が飛ぶ。


「前へ出ろ!」


藤森彩香がラインを押し上げる。


宮原彩乃。


國武真央。


全員が数メートル前へ。


柚月も声を重ねる。


「下がんな! 韓国にゴール前まで来させんな!」


一点を守ろうとして引けば。


韓国にクロスを上げられる。


ミドルを打たれる。


セットプレーを与える。


それより。


ボールを持つ。


相手陣内へ運ぶ。


そこで時間を使う。


攻撃すること自体が守備になる。


5 長崎美琴のキープ


後半十二分。


藤森彩香がボールを奪う。


美琴へ。


韓国の選手がすぐ寄せる。


一人。


美琴は身体を入れる。


奪わせない。


もう一人。


それでもキープ。


少し右へ。


また戻す。


韓国の二人が美琴へ寄る。


その瞬間。


中央。


早川莉奈が空く。


美琴から早川。


早川が前を向く。


正木静香が走る。


韓国は一人少ない。


中盤から二人が美琴へ行ったぶん、戻る人数も足りない。


早川が一気に運ぶ。


正木へ。


正木がペナルティーエリア右へ入る。


シュート。


韓国GKが弾く。


惜しい。


柚月は拍手した。


「いい! そのまま!」


日本が韓国に攻撃させない時間を作り始めた。


6 60分


時計は60分。


1-0。


あと30分。


スタジアムの空気が少し変わる。


日本側の観客席。


「あと30分」


そんな雰囲気が漂い始める。


しかし柚月は時計を見ない。


早川が言う。


「あと30分ですね」


柚月がすぐ返す。


「数えんな」


早川が少し笑う。


「柚月さんが一番気にしてそうなのに」


「気にしてるから数えねぇんだっちゃ」


見るのは次。


次の守備。


次のパス。


次のボール。


7 韓国が形を変える


韓国ベンチも動く。


中盤を一人下げる。


前線へスピードのある選手を投入。


一人少ないまま、ほぼ三人を高い位置へ残す形。


守備は薄くなる。


しかし。


一点を取らなければ意味がない。


朴智秀が前線近くまで上がる。


日本の最終ラインへ圧力。


柚月がすぐに気づく。


「美琴!」


「はい!」


「向こう、中盤一枚減ったぞ!」


「中央使えます!」


「んだ!」


人数差がさらに効いてくる。


8 早川が前へ運ぶ


後半64分。


韓国のパス。


宮野沙季が読む。


身体を入れる。


奪う。


早川へ。


韓国の中盤。


一人少ない。


さらに攻撃的な配置。


早川の前に広いスペース。


「行け!」


柚月が叫ぶ。


早川が加速。


一人目。


かわす。


二人目が来る。


早川は自分で行かない。


左へ正木。


正木が受ける。


折り返し。


美琴。


シュート。


DFがブロック。


こぼれる。


柚月。


狙う。


しかし、韓国DFが身体を投げ出す。


また弾かれる。


追加点が遠い。


9 70分


試合時間70分。


1-0。


オリンピックが、少しずつ近づいている。


だからこそ。


選手たちの脚が重くなる。


単純な疲労だけではない。


精神的な重さ。


失点したくない。


ミスしたくない。


終わらせたい。


そう思うほど、身体は固くなる。


柚月はそれを感じた。


「莉奈!」


「はい!」


「笑え!」


早川が驚く。


「今ですか?」


「顔固いっちゃ!」


早川が少し笑う。


「柚月さんもです!」


「うちもか!」


美琴も笑った。


ほんの少し。


空気が軽くなる。


それでいい。


10 韓国の最後のカード


後半73分。


韓国はさらに選手交代。


守備的な選手を一人下げる。


攻撃的MFを投入。


もうほとんど後ろには人数を残さない。


金成鉉監督は勝負に出た。


一人少ない。


一点負けている。


残り時間。


ここで守っても意味がない。


日本にとっても危険。


しかし。


同時に。


背後。


広大なスペース。


柚月がその景色を見る。


「そろそろ来るぞ」


早川が聞く。


「カウンター?」


「んだ」


11 75分


韓国が右から攻める。


クロス。


藤森彩香がクリア。


セカンドボール。


朴智秀。


ミドル。


宮野沙季が身体を入れる。


弾く。


美琴。


拾う。


韓国がすぐ囲む。


美琴は倒れない。


一人。


二人。


身体を使ってボールを守る。


そこから柚月。


柚月が前を見る。


右。


正木。


左。


早川。


中央。


誰もいない。


まだ。


柚月は無理に出さない。


後ろへ戻す。


早川が言う。


「行けましたよね?」


柚月が答える。


「相手、戻ってた」


「はい」


「次もっと空く」


また待つ。


12 80分


時計は80分。


1-0。


韓国の選手たちにも疲労が出ている。


一人少ないまま、前へ。


後ろへ。


また前へ。


走り続けている。


特に朴智秀。


攻守両方。


肩で息をし始める。


日本も疲れている。


だが。


美琴。


早川。


正木。


まだ走れる。


原町監督が岩出コーチへ言う。


「次の奪取だ」


「はい」


「そこで二点目」


13 82分、韓国最大の圧力


韓国のCK。


ゴール前。


ほとんど全員が上がる。


GK以外。


高いボール。


ファー。


藤森彩香。


韓国FW。


競る。


韓国が触る。


中央へ。


李彩媛。


シュート。


伊達葵。


右足。


弾く。


こぼれ球。


また韓国。


シュート体勢。


宮原彩乃がブロック。


ボールが外へ転がる。


宮野沙季。


拾った。


「前!」


柚月が叫ぶ。


韓国は。


ほとんど戻っていない。


14 最後のカウンター


宮野から美琴。


美琴が一度キープ。


韓国の一人が寄る。


美琴は身体を入れる。


そして。


早川。


早川が中央を駆け上がる。


正木は右。


柚月は少し後ろ。


韓国のDFは二人しか戻れていない。


早川が前へ。


正木を見る。


右へパス。


正木が受ける。


韓国DFが正木へ寄る。


正木はゴールへ向かわない。


一度中央を見る。


早川がそのまま走る。


でも。


そのさらに後ろ。


柚月。


ゆっくり上がってきている。


韓国中盤は戻れていない。


正木が中央へ折り返す。


早川が触らない。


ボールがその後ろへ。


柚月。


ペナルティーエリア手前。


15 柚月は撃たない


ゴールまで。


二十メートル。


シュートコース。


ある。


前の試合なら。


柚月は打った。


オーストラリア戦。


76分。


ミドル。


決めた。


だから韓国DFも警戒する。


柚月が左足を振るように身体を開く。


韓国DFが一人。


シュートコースへ。


その瞬間。


柚月は蹴らない。


横。


早川莉奈。


完全に空いた。


「莉奈!」


早川が受ける。


GKと一対一。


右へ動く。


GKも右。


早川は左足で流す。


ボール。


ゴール左隅。


ネット。


2-0。


日本、追加点。


後半83分。


16 早川莉奈のゴール


早川はゴールを確認すると、その場で両拳を握った。


「よし!」


正木が飛びつく。


美琴。


宮野。


そして柚月。


「ナイスだっちゃ!」


早川が叫ぶ。


「柚月さん、打つと思いました!」


「向こうもそう思ったべ!」


正木が笑う。


「全員騙されてた!」


柚月は息を切らしながら笑った。


「そのためのオーストラリア戦のミドルだべ」


以前のゴール。


以前のプレー。


それすら、次の試合の武器になる。


韓国は柚月のシュートを警戒した。


だから早川が空いた。


17 あと七分


2-0。


後半83分。


残り七分とアディショナルタイム。


日本側スタンドの空気。


もう。


ロサンゼルス。


その言葉が見えている。


だが柚月はまた叫ぶ。


「まだ終わってねぇ!」


早川もすぐ表情を戻す。


「はい!」


韓国は諦めない。


キックオフ。


すぐ前へ。


日本は守る。


下がりすぎない。


ボールを奪う。


美琴がキープ。


時間を使う。


18 87分


韓国。


朴智秀。


最後の力で中央を運ぶ。


ミドルシュート。


藤森彩香がブロック。


こぼれ球。


李彩媛。


伊達葵が前へ出る。


キャッチ。


伊達はボールを抱えたまま立ち上がらない。


数秒。


そして。


ゆっくり。


柚月が近くから言う。


「葵、落ち着いて」


伊達がうなずく。


19 90分


表示。


アディショナルタイム。


5分。


スタジアムが大きくざわめく。


あと5分。


早川が言いそうになる。


柚月が先に言った。


「数えんなよ」


早川が笑う。


「言おうと思いました」


「だから先言った」


美琴も笑う。


緊張。


でも。


冷静。


20 最後の五分


91分。


韓国。


ロングボール。


藤森。


クリア。


92分。


韓国。


左。


クロス。


宮原。


ブロック。


93分。


日本。


美琴。


キープ。


ファウルをもらう。


94分。


柚月。


FK。


短く早川へ。


早川から國武。


コーナー方向。


時間。


韓国が奪う。


最後。


前へ。


95分。


朴智秀。


縦。


李彩媛。


藤森彩香。


身体を入れる。


ボールがタッチラインを割る。


主審。


時計を見る。


21 最後の笛


笛。


一度。


二度。


三度。


試合終了。


日本2-0韓国。


一瞬。


柚月は動かなかった。


本当に終わったのか。


確認するように主審を見る。


スコアボード。


2-0。


試合終了。


早川が叫ぶ。


「柚月さん!」


美琴が飛びつく。


宮野も。


正木も。


藤森も。


伊達葵がゴール前から走ってくる。


ベンチ。


森岡美里。


泣いている。


原町監督。


岩出コーチ。


スタッフ。


全員がピッチへ。


最終予選。


三連勝。


勝ち点9。


二位以内。


確定。


日本、ロサンゼルスオリンピック出場決定。


22 柚月の涙


柚月はその言葉を聞いた瞬間。


ようやく膝へ手をついた。


泣いた。


ワールドカップ決勝。


右ふくらはぎ。


リハビリ。


三十秒のジョギング。


一分。


ボール。


接触。


五分。


十五分。


クラブ復帰。


代表復帰。


一次予選。


二次予選。


最終予選。


全部。


頭の中を一気に通り抜ける。


森岡が近づく。


「柚月」


柚月が顔を上げる。


森岡も泣いていた。


「行けるよ」


柚月の顔が崩れる。


「ロサンゼルス……」


「うん」


「行けるっちゃ……」


森岡が抱きしめる。


早川も。


美琴も。


宮野も。


みんなが重なる。


23 原町監督


原町監督は少し離れたところで、その輪を見ていた。


岩出コーチが言う。


「決まりましたね」


「ああ」


「大船、戻りましたね」


原町監督は首を振る。


「違う」


岩出が見る。


「戻ったんじゃない」


原町監督はピッチを見る。


「前よりいい選手になって帰ってきた」


けがをした。


止まった。


考えた。


後輩を見た。


競争した。


休むことを覚えた。


任せることを覚えた。


そして。


自分が目立たなくても、チームを勝たせることを覚えた。


24 早川との約束


歓喜が少し落ち着いたころ。


早川が柚月の横へ来る。


「柚月さん」


「ん?」


「ロサンゼルスで一緒にプレーできますね」


柚月は涙を拭う。


「まだ代表メンバー決まってねぇぞ」


早川が笑う。


「そこ言います?」


「当然だべ」


「じゃあ、改めて」


早川が手を差し出す。


「ロサンゼルス代表、勝ち取ります」


柚月も手を握る。


「うちもだ」


「ポジションは?」


「譲らねぇ」


早川が笑う。


「私もです」


25 長崎美琴


美琴も近づく。


「私も狙っていいですか」


柚月が笑った。


「当たり前だべ」


「初招集から、ここまで来ちゃいました」


「ここからだっちゃ」


美琴がうなずく。


「はい」


代表入り。


オリンピック。


誰にも保証はない。


予選を戦ったから、本大会へ行けるとは限らない。


また競争。


それでいい。


26 森岡の腕章


森岡は柚月の腕からキャプテンマークを外す。


「返して」


柚月が笑う。


「もうちょい付けてたい」


「調子乗るな」


二人が笑う。


でも。


その腕章を巻いた45分。


柚月は確かに、背中でチームを引っ張った。


声。


判断。


冷静さ。


そして。


83分。


自分で決められる場面で、早川へ渡した。


それもキャプテンとしての仕事だった。


27 ロッカールーム


原町監督が選手たちを前に立つ。


誰も完全には落ち着いていない。


泣いている選手。


笑っている選手。


抱き合う選手。


原町監督は少し待った。


そして。


「ロサンゼルスオリンピック出場、決定だ」


大きな拍手。


歓声。


「よくやった」


原町監督は続ける。


「ただし」


全員が笑いながら言う。


「出た」


原町監督も少し笑う。


「まだ何も勝ってない」


その通り。


出場権を取った。


でも。


柚月の目標は。


出ることではない。


金メダル。


パリで届かなかったもの。


ワールドカップで世界一になった。


その次。


オリンピック。


28 柚月の言葉


原町監督が柚月へ言う。


「何か言うか」


柚月は一瞬驚く。


そして。


仲間を見る。


「じゃあ、一個だけ」


静かになる。


「みんな、お疲れさま」


一度息を吸う。


「ロサンゼルス行ける」


拍手。


でも。


柚月は続ける。


「ただ、ここまで来れたのは、誰か一人がずっと完璧だったからじゃねぇ」


ミスした。


ボールを失った。


シュートを外した。


判断を間違えた。


けがをした。


交代した。


それでも。


「そのたび誰かが助けてくれた」


伊達が止める。


藤森が守る。


森岡が走る。


早川が運ぶ。


宮野が拾う。


正木が裏へ出る。


美琴がキープする。


「そうやって来たんだべ」


柚月は笑った。


「だからロサンゼルスでも、誰かがミスしてもみんなで取り返そう」


全員がうなずく。


「それで金メダル取ろう」


今度は。


大きな拍手が起きた。


次回予告


第71章「ただいま、ユリ」


長い予選が終わった。


日本は最終予選三連勝。


ロサンゼルスオリンピック出場決定。


代表活動を終え、柚月は仙台へ帰る。


向かう場所は、一つ。


名取百合子の眠る墓。


ワールドカップ優勝メダルを持って訪れたあの日。


柚月は約束した。


「次はロサンゼルスだっちゃ」


そして今。


その約束の一つが、本当に現実になった。


徹も一緒に墓前へ。


柚月はユリへ報告する。


「出場権、取ったよ」


胸の奥で返ってくる声。


「知ってるっちゃ」


柚月は笑いながら泣く。


しかし。


まだ約束は終わっていない。


出場しただけ。


残る約束は。


オリンピック金メダル。


そして代表では、本大会メンバーをめぐる新たな競争が始まる。


早川莉奈。


宮野沙季。


長崎美琴。


そして大船柚月。


誰にも席は保証されない。


次回、

第71章「ただいま、ユリ」


夢へたどり着いたのではない。


夢へ挑む権利を、ようやく手にしただけ。


本当のロサンゼルスへの道は、ここから始まる。

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