縦に裂ける
第67章 縦に裂ける
1 横ではなく、前と後ろ
前半20分。
0-0。
オーストラリアの守備は、やはり簡単には崩れなかった。
中国戦のように大きく左右へ振っても、サイドバックと中盤の距離が崩れない。
國武真央が左で受けても、寄せは速い。
宮原彩乃が右へ開いても、オーストラリアの守備は横幅を保ったまま対応する。
早川莉奈が一度、中央へ戻ってくる。
「横じゃ動かないですね」
柚月はうなずいた。
「んだ。でも、別んところ動いてる」
「どこですか」
柚月は前を指した。
日本のセンターバックがボールを持つ。
するとオーストラリアの中盤が前へ出る。
柚月を捕まえる。
早川へのコースを消す。
ところが。
その後ろ。
最終ラインは正木静香のスピードを警戒して、簡単には押し上げない。
前へ出る中盤。
下がる最終ライン。
その間。
スペースが生まれる。
柚月が言った。
「横じゃねぇ。縦だべ」
早川の表情が変わった。
「間を使う?」
「んだ」
2 正木はまだ走らない
前半23分。
正木静香が一度、裏へ動く。
しかし全力ではない。
すぐ足元へ戻る。
オーストラリアCBのエミリー・ウォーカーもついてくる。
正木が受ける。
ワンタッチで森岡美里へ。
森岡から柚月。
また後ろ。
正木は走らない。
前半25分。
また同じ。
足元。
戻す。
前半27分。
今度は中央へ少し下がる。
エミリーが距離を詰める。
だが裏へは行かない。
オーストラリア側に少しずつ認識ができていく。
今日の正木は、足元へ来る。
柚月はそれを見ていた。
「もうちょい我慢だべ」
正木が遠くから小さくうなずく。
3 中間地点を使う
前半29分。
藤森彩香から柚月。
オーストラリアMFのサラ・ミッチェルが前へ出る。
柚月はワンタッチ。
その背後。
早川莉奈。
早川が受ける。
今度は最終ラインが出ようとする。
そこで森岡美里が横へ動く。
早川から森岡。
森岡が前を向く。
宮野沙季がさらにその横。
一瞬。
オーストラリアの中盤と最終ラインが迷った。
誰が出る。
誰が残る。
その迷いだけで、日本は数メートル前へ進める。
原町監督がベンチでうなずいた。
「見つけたな」
岩出コーチも答える。
「中盤の背後です」
「ここからだ」
4 オーストラリアの反撃
ただし。
日本が中央を使い始めると、オーストラリアも黙っていない。
前半32分。
右サイド。
アリシア・ブラウン。
宮原彩乃へ身体を当てながら前へ出る。
そのままクロス。
高い。
ケイト・マクファーソン。
藤森彩香と競る。
ケイトが先に触る。
ヘディング。
伊達葵。
片手。
弾く。
こぼれ球。
オーストラリアの二列目。
シュート。
森岡が身体を入れる。
ブロック。
宮野が拾って外へ。
日本側から大きな拍手。
伊達が怒鳴る。
「次も来るよ!」
高さ。
強さ。
押し込まれたときの怖さ。
一瞬も集中を切らせない。
5 柚月の確認
前半35分。
柚月が中央で受ける。
サラ・ミッチェルが来る。
戻す。
また受ける。
今度は少し高い位置。
サラが前へ出る。
その背後。
早川。
さらに後ろへ下がるオーストラリア最終ライン。
間隔が広がる。
柚月が森岡を見る。
森岡も気づいている。
宮野も。
三人が少しずつポジションをずらす。
柚月が小さく言う。
「あと一回」
早川が聞く。
「何を?」
「向こうに前出てもらう」
6 誘う
前半38分。
日本はあえて後方でボールを回す。
藤森彩香。
柚月。
再び藤森。
オーストラリアの前線が出る。
中盤も押し上げる。
日本はまた戻す。
サラ・ミッチェルが柚月を追う。
もう一人も早川へ。
オーストラリア中盤が前へ出る。
しかし。
エミリー・ウォーカーを中心とした最終ラインは、まだ正木を恐れて下がっている。
空いた。
早川が入る。
藤森から柚月。
柚月はワンタッチ。
早川。
前を向く。
森岡が左。
宮野が右。
早川は森岡へ。
森岡が一気に前へ。
オーストラリアDFが出る。
森岡は宮野へ。
宮野がさらに運ぶ。
シュート。
DFに当たる。
ゴールにはならない。
だが。
完全に中央を破った。
正木が走りながら柚月を見る。
柚月が小さく指を立てる。
次。
7 「次、行け」
前半41分。
ボールが外へ出る。
正木が柚月の近くへ来た。
柚月が短く言う。
「次、行け」
正木の目が変わる。
「はい」
「今まで足元来てた分、向こう一歩出る」
「そこを裏?」
「んだ」
正木は何も言わず戻る。
オーストラリアのエミリー・ウォーカーは、前半ここまで正木が何度も足元へ下がってくるのを見ている。
次もそう。
そう思い始めている。
日本は、その一瞬を待っていた。
8 前半43分
日本が自陣でボールを奪う。
宮野沙季。
柚月へ。
サラ・ミッチェルが出る。
柚月は横へ。
早川。
早川が前を向く。
オーストラリア中盤が中央へ寄る。
正木が一歩下がる。
エミリーもついてくる。
その瞬間。
正木が反転。
一気に裏へ。
早川が見る。
縦パス。
正木が抜ける。
しかし、オーストラリアGKが早く出る。
わずかに先にクリア。
正木が悔しそうに振り返る。
柚月は拍手する。
「それだ!」
一度見せた。
これで最終ラインは、また下がる。
さらに中盤との間が広がる。
9 前半45分
時計は前半45分。
0-0。
オーストラリアは、前半をこのまま終えたい。
日本は最後まで狙う。
アディショナルタイムの表示を待つ前。
日本がボールを奪う。
宮野沙季。
相手の横パスを読んでいた。
宮野から柚月。
柚月が前を見る。
オーストラリアの中盤はまだ高い。
最終ラインは下がっている。
その間。
早川。
森岡。
宮野自身も前へ。
柚月から早川。
早川がワンタッチ。
正木静香へ。
正木が前を向く。
そこから。
一気。
10 正木が走る
正木静香がボールを持って駆け上がる。
右寄り。
オーストラリアDFが下がる。
エミリー・ウォーカーが正木へ寄る。
もう一人もカバー。
正木のスピードを止めなければならない。
その中央。
宮野沙季が猛然と走っている。
オーストラリア中盤も宮野を見る。
センターバックの一人まで少し内側へ寄る。
宮野が中央を貫く。
まるで。
自分が最後に受けるように。
相手守備陣を引き連れる。
正木も宮野を見る。
DFも見る。
その一瞬。
宮野のすぐ左。
もう一人。
森岡美里。
誰にも完全には捕まっていない。
正木の目が動く。
11 囮
宮野はそのまま中央へ走る。
「沙季!」
オーストラリアDFが二人、宮野の進行方向へ引っ張られる。
宮野自身もボールを要求するように手を上げる。
だが。
本当の狙いはそこではない。
正木が中央へ低いボールを送る。
宮野の前。
宮野は触らない。
そのまま走り抜ける。
ボールはその左へ流れる。
森岡。
完全に前を向いている。
早川が後ろから叫ぶ。
「美里さん!」
森岡は止めない。
ボールが一度浮く。
ちょうど。
右足で振り抜ける高さ。
12 強烈なボレー
森岡美里。
右足。
振り抜く。
乾いた音。
ボールは一気に浮き上がる。
オーストラリアGK、クロエ・ハリスが反応する。
右へ飛ぶ。
手を伸ばす。
だが。
速い。
高い。
そして、角度がある。
ボールはゴール右上。
クロスバーとポストの交わるすぐ下。
吸い込まれる。
ネットが大きく揺れた。
一瞬。
静寂。
そして。
日本側スタンドが爆発する。
1-0。
前半45分。
森岡美里。
強烈なボレーシュート。
日本、先制。
13 森岡の叫び
森岡はゴールを確認すると、その場で両拳を握った。
「よっしゃあ!」
正木が真っ先に飛びつく。
「美里さん!」
宮野も。
「入った!」
早川。
柚月。
全員が集まる。
森岡が宮野を見る。
「沙季、めちゃくちゃ引っ張ってくれた!」
宮野が笑う。
「私、完全に囮でした!」
柚月が言う。
「最高の囮だっちゃ!」
正木も。
「私も宮野さんに出すふりしました!」
早川が笑う。
「全員で騙してるじゃないですか」
柚月が即答する。
「サッカーだぞ!」
輪の中に笑いが起きる。
14 45分かけた一点
原町監督は大きく拳を握った。
岩出コーチが興奮気味に言う。
「完全に縦が裂けました」
「ああ」
前半。
横へ振っても動かない。
ならば。
前後。
オーストラリアの中盤を前へ出す。
正木を警戒する最終ラインを下げる。
その間。
早川。
森岡。
宮野。
そこを使う。
さらに正木。
ずっと裏への走りを抑えていた。
足元へ来る。
足元へ来る。
そう覚えさせる。
そして最後。
一気に走る。
宮野が囮。
森岡がその左。
最後はボレー。
原町監督が静かに言った。
「四十五分使ったゴールだ」
15 オーストラリアもすぐに前へ
失点直後。
オーストラリアはすぐに前へ出る。
アディショナルタイム。
右サイド。
クロス。
高い。
ケイト・マクファーソン。
藤森彩香が競る。
こぼれる。
アリシア・ブラウン。
シュート。
伊達葵。
正面。
しっかりキャッチ。
日本は慌てない。
伊達がボールを抱えて時計を見る。
無理に前へ蹴らない。
数秒。
そして藤森へ。
日本が保持する。
16 前半終了
主審が時計を見る。
オーストラリアがもう一度前へ出ようとする。
しかし日本がボールを動かす。
早川。
柚月。
森岡。
また後ろ。
そして。
笛。
前半終了。
日本1-0オーストラリア。
森岡美里のボレー。
前半45分。
それまで互いに崩れなかった均衡を、日本が最後の最後で破った。
17 ロッカールーム
選手たちが戻る。
森岡はまだ少し興奮している。
正木が笑う。
「美里さん、あれすごかったです」
「自分でも気持ちよかった」
宮野が言う。
「私、絶対ボール来ると思ってました」
森岡が笑う。
「ごめん」
「でもDF全部ついてきました」
柚月が言う。
「だからゴールだべ」
原町監督が前へ出る。
「よく取った」
ロッカールームが静かになる。
「ただし」
全員が顔を上げる。
「後半、同じ形は通用しない」
当然。
オーストラリアも修正する。
中盤を前へ出しすぎない。
最終ラインも下がりすぎない。
前後の距離を狭くする。
「また違う試合になる」
柚月がうなずいた。
「また最初から見る」
原町監督も。
「そうだ」
18 オーストラリア側
オーストラリアのロッカールーム。
ジェシカ・カーター監督は、失点場面を何度も再生していた。
中盤が前へ。
最終ラインが下がる。
その間。
森岡。
宮野。
「距離が開きすぎた」
サラ・ミッチェルがうなずく。
「大船に引き出されました」
「後半は、全部追うな」
中盤が前へ出すぎない。
正木が下がってきてもCBは追いすぎない。
中央を狭くする。
そして。
「日本は一点を守りに来ない」
カーター監督は言った。
「必ず二点目を狙う」
ならば。
その前進を利用する。
オーストラリアも日本の背後を狙う。
19 柚月と早川
ハーフタイム。
早川が柚月へ言う。
「前半、すごく長く感じました」
「んだな」
「ずっと探してましたよね」
「向こう横は崩れねぇからな」
「でも、縦が開いた」
柚月がうなずく。
「一個見つけただけだべ」
「後半は?」
「もう閉じると思う」
早川が少し笑う。
「じゃあ、また探す」
柚月も笑う。
「そういうことだっちゃ」
20 後半へ
1-0。
オリンピック出場へ近づく一点。
でも。
まだ45分。
勝っても、まだ最終戦がある。
見ない。
ロサンゼルスは、まだ見ない。
今見るのは。
オーストラリア。
後半。
その最初の一本。
柚月が立ち上がる。
右ふくらはぎ。
問題ない。
森岡も。
宮野も。
正木も。
早川も。
ピッチへ向かう。
壁の向こう側は、まだ続いている。
次回予告
第68章「一歩も下がるな」
1-0で迎える後半。
オーストラリアは前半の失点を受け、中盤と最終ラインの距離を修正。
日本が使った「縦の隙間」を消しに来る。
さらに一点を追うため、高さとフィジカルを前面へ押し出す。
クロス。
ロングボール。
セットプレー。
日本ゴール前に圧力がかかる。
原町監督は叫ぶ。
「下がりすぎるな!」
一点を守ろうとしてラインを下げれば、オーストラリアの高さを受け続けることになる。
日本は勇気を持って前へ。
一方で、オーストラリアが前へ人数をかけたことで、今度は背後に空間が生まれ始める。
そして後半。
原町監督はついに長崎美琴を準備させる。
「美琴、行くぞ」
ボールキープ。
身体を背負う強さ。
カウンター。
オーストラリアが最も嫌がる時間帯に、日本の新しい武器が投入される。
次回、
第68章「一歩も下がるな」
一点を守るために下がるのではない。
一点を守るために、前へ出る。
勇気のある守備は、ときに攻撃と同じ方向を向いている。




