一点を守るな
第65章 一点を守るな
後半開始。
スコアは1-0。
日本が前半35分、正木静香の左足で先制している。
しかし、中国はもう前半と同じ守り方をしていなかった。
ライン際。
そこへ二人。
國武真央が受ければ、すぐに外と内から挟む。
宮原彩乃にも同じ。
前半、日本はタッチライン際を大きく使い、中国のスライドの遅れを突いた。
だから中国は修正した。
サイドを閉じる。
その代わり。
中央。
そこにわずかな隙間が生まれ始めていた。
早川莉奈が中央でボールを受け、前を向く。
一人目が来る。
だが、その後ろ。
前半より広い。
「真ん中、前半より空いてます」
柚月がうなずく。
「なら次はそこだべ」
原町監督もベンチから見ていた。
岩出コーチが言う。
「中国、外へ人を割いてます」
「分かってる」
原町監督は短く答える。
「今度は中だ」
日本は、また答えを変えた。
1 サイドを使わないのではない
ただし、日本はサイドを捨てたわけではなかった。
むしろ逆だった。
サイドを使う。
何度も。
速く。
ただし、そこで突破しない。
國武真央。
宮原彩乃。
そこへボールを送る。
中国が二人で寄せる。
すぐ戻す。
柚月。
早川。
宮野。
また逆サイド。
中国が走る。
また戻す。
また逆。
中国の守備陣が、右へ。
左へ。
右へ。
左へ。
容赦なく動かされる。
森岡美里が言った。
「これ、かなり走らせてる」
柚月が答える。
「走ってもらうんだっちゃ」
サイドを閉じたい中国。
ならば閉じ続けてもらう。
日本がボールを失わない限り、中国はずっと横へ動かなければならない。
一回のスライドは数メートル。
それでも、何十回と繰り返せば脚へくる。
前半から続いた横移動。
そして後半。
中国のスタミナは、少しずつ削られていく。
2 速いパス回し
後半8分。
日本。
左。
國武。
戻す。
早川。
右。
宮原。
ワンタッチで柚月。
柚月もワンタッチ。
宮野。
また左。
國武。
中国が遅れ始める。
以前なら二人目がすぐに来ていた。
今は半歩遅い。
國武はそこで前へ行かない。
また中央へ戻す。
早川が笑う。
「嫌でしょうね、これ」
柚月も少し笑った。
「そりゃ嫌だべ」
中国の選手たちは前へ出たい。
一点を追っている。
だが日本がボールを持ち続けるため、奪いに行かなければならない。
奪いに出る。
空く。
日本はそこへ逃がす。
また走らされる。
原町監督は叫んだ。
「もっと速く回せ!」
目的はただのポゼッションではない。
相手を疲れさせる。
判断を遅らせる。
中央の穴を大きくする。
そこまで待つ。
3 一点を守るな
中国も攻める。
後半13分。
王雪玲が中央で受ける。
右へ展開。
劉佳敏。
國武真央が戻る。
クロス。
中央の張麗華。
ヘディング。
伊達葵。
横っ飛び。
右手で弾く。
中国側スタンドから大きな声。
森岡がこぼれ球をクリアする。
伊達が立ち上がって叫んだ。
「まだ!」
1-0。
一点差。
一つ入れば同点。
原町監督はベンチから声を張り上げる。
「一点を守るな!」
日本の選手たちが見る。
「二点目を取りに行け!」
引けば、中国の高さと勢いを真正面から受け続けることになる。
ならば前へ。
ただし無謀には行かない。
相手が動いたところを突く。
4 中国は前へ出たい
後半18分。
中国のラインが少し上がる。
一点を追う。
しかし、日本のカウンターも怖い。
最終ラインは前へ出たい。
でも正木静香がいる。
中盤も押し上げたい。
でも早川莉奈がいる。
そして。
長崎美琴。
キープ力のある美琴が前を向けば、簡単には奪えない。
中国側の守備に、少しずつ迷いが出始める。
前へ出る。
止まる。
戻る。
また出る。
それを日本は見ていた。
柚月が森岡へ言う。
「美里、そろそろ中使えるぞ」
森岡がうなずく。
「見えてる」
5 中央突破の準備
後半22分。
日本は意図的に右サイドへボールを集める。
宮原彩乃。
中国が二人で寄せる。
宮原は戻す。
柚月。
また宮原。
さらに中國が寄る。
その瞬間。
中央。
森岡美里。
空いた。
柚月から森岡。
森岡が前を向く。
中国の中盤が慌てて中央へ戻る。
森岡は無理に突っ込まない。
左へ宮野沙季。
また中央。
早川。
今度は右。
國武真央。
中国が再び走る。
まだ。
もう一回。
日本は待つ。
中国が最も苦しくなる瞬間を。
6 65分
時計は後半20分。
試合時間65分。
日本が左サイドから組み立てる。
國武真央。
中国が寄せる。
國武はワンタッチで柚月へ。
柚月もすぐ早川。
早川が前を向く。
中央。
中国の中盤が一歩遅れる。
「今!」
柚月が叫ぶ。
早川から森岡美里。
森岡が中央を一気に駆け上がる。
中国のDFが前へ出る。
森岡はそこでシュートしない。
左。
ファーサイドを宮野沙季が走っている。
森岡から宮野。
宮野は止めない。
ワンタッチ。
さらに右。
ペナルティーエリア右へ入っていた國武真央。
中国守備陣が大きく横へ振られる。
國武も長く持たない。
中央へ返す。
もう一度。
森岡美里。
最初に中央を駆け上がった森岡が、そのまま止まらずゴール前まで入っている。
右足。
シュート。
強烈なボール。
GK李静雯が反応する。
横へ飛ぶ。
両手。
弾いた。
こぼれ球。
ペナルティーエリア中央。
そこへ。
宮原彩乃。
右サイドバック。
誰よりも遅れて、しかし誰よりも勢いよく走り込んでいた。
「彩乃!」
森岡の声。
宮原は迷わない。
右足。
押し込む。
ネット。
2-0。
日本、追加点。
65分。
7 宮原彩乃
宮原はゴールを確認すると、一瞬だけ立ち止まった。
「え?」
自分が決めた。
そのあと。
「入った!」
両腕を広げる。
森岡が最初に抱きつく。
「彩乃!」
宮野も。
國武も。
早川も。
柚月も走ってくる。
「よくそこまで来たっちゃ!」
宮原が笑いながら答える。
「行ける気がしたんです!」
森岡が言う。
「私のシュート止められたのに!」
「だから押し込みました!」
早川が笑う。
「全部つながってましたね」
その通りだった。
サイド。
中央。
左。
右。
そして再び中央。
中国を何度も動かした。
最後に森岡。
GKが弾く。
そこへ宮原。
一つのプレーではない。
長い攻撃の最後に生まれたゴールだった。
8 サイドを閉じた代償
原町監督はベンチで大きくうなずいた。
岩出コーチが言う。
「中国、完全に中央の戻りが遅れましたね」
「サイドを閉じるために走らせたからな」
「しかも日本がボールを失わなかった」
「そこが大きい」
サイドを使った。
でも、サイドで勝負し続けたわけではない。
中国にサイドを閉じさせた。
そこへ人を使わせた。
その結果。
中央が空く。
そこを森岡。
そして宮野。
國武。
再び森岡。
最後に宮原。
日本が中国の修正を、そのまま弱点へ変えた。
9 二点差
2-0。
中国はさらに前へ出るしかない。
周偉監督が選手交代。
攻撃的なMFを投入。
サイドバックも高い位置を取る。
柚月がすぐに気づく。
「来るぞ」
早川が聞く。
「カウンター?」
「それも。でも、まず向こうが前へ来る」
中国はボールを持つ。
日本陣内へ。
中央。
右。
左。
クロス。
藤森彩香が跳ね返す。
宮野が拾う。
前を見る。
正木が走る。
今度は本当に背後がある。
だが宮野は一度、美琴へ。
美琴が身体を使ってキープ。
中国の一人目を引きつける。
そこから早川。
日本がまた前へ出る。
中国にとって、さらに苦しい時間になっていく。
10 美琴が消耗させる
後半28分。
長崎美琴が中央でボールを受ける。
中国MFが強く寄せる。
美琴は背負う。
奪われない。
もう一人来る。
それでも失わない。
身体をひねる。
ボールを足元へ隠す。
相手が三歩、四歩と追う。
美琴はそこで横へ。
早川。
また戻ってくる。
美琴がもう一度受ける。
中国の選手はまた走らされる。
柚月が笑う。
「美琴、それ嫌らしいぞ」
美琴が答える。
「褒めてます?」
「めっちゃ褒めてる」
一度前へ出るだけが攻撃ではない。
ボールを失わず、相手を追わせる。
それもまた、終盤では大きな武器になる。
11 中国の最大の反撃
後半33分。
中国。
右から劉佳敏。
宮原彩乃が対応。
劉が縦へ。
折り返し。
張麗華。
ワンタッチ。
王雪玲。
ミドルシュート。
伊達葵。
横っ飛び。
弾く。
こぼれ球。
中国の二列目が詰める。
藤森彩香。
身体を投げ出す。
ブロック。
森岡がクリア。
日本側が大きく沸く。
伊達が立ち上がる。
「集中!」
中国はまだ諦めていない。
二点差。
時間もある。
だからこそ、日本は最後まで集中を切らせない。
12 柚月の交代
後半35分。
原町監督が交代を準備する。
柚月を見る。
韓国戦。
サウジアラビア戦。
イラン戦。
そして中国戦。
連戦。
右ふくらはぎは問題ない。
だが、ここから先。
オーストラリア。
韓国。
まだ二試合残っている。
原町監督が柚月を呼ぶ。
「大船」
柚月がすぐ理解する。
「交代?」
「ああ」
「分かりました」
以前のような不満はない。
森岡が近づく。
「お疲れ」
「あと頼む」
早川へ。
「莉奈」
「はい」
「真ん中締めろよ」
「任せてください」
美琴にも。
「ボール失うなよ」
「はい」
柚月はピッチを出る。
ベンチに戻りながら、一度だけスコアボードを見る。
2-0。
大事なのは、自分が最後まで立つことではない。
日本が勝つこと。
13 残り時間
後半40分。
中国はさらに前へ。
日本は引きすぎない。
ボールを持てば、相手陣内へ運ぶ。
早川。
宮野。
美琴。
森岡。
全員で時間を使う。
でも、逃げるだけではない。
正木が裏へ走る。
國武が左。
宮原が右。
中国は最後まで日本のカウンターを警戒しなければならない。
だから、全員を前へ上げきれない。
それも日本の狙いだった。
14 アディショナルタイム
表示は4分。
中国最後の攻撃。
CK。
GKまで上がるほどではない。
だが長身選手がゴール前へ集まる。
高いボール。
藤森がヘディング。
宮野が拾う。
中国が寄せる。
宮野から美琴。
美琴が身体を入れる。
ファウル。
日本ボール。
森岡がすぐに近づく。
「ゆっくり」
美琴がうなずく。
時間を使う。
それでもボールは前へ。
正木がコーナー付近まで運ぶ。
相手が寄る。
ボールを守る。
時計が進む。
15 試合終了
主審が時計を見る。
中国が最後にボールを奪う。
前へ。
長いパス。
藤森彩香が頭でクリア。
森岡美里が拾う。
笛。
試合終了。
日本2-0中国。
最終予選初戦。
日本、勝ち点3。
大きな一勝。
正木静香の先制点。
宮原彩乃の追加点。
そして、その二つのゴールの裏にあったのは。
相手を見ること。
修正を見ること。
走らせること。
ボールを失わないこと。
一つの答えに固執しないこと。
16 ロッカールーム
原町監督は選手たちを前に立つ。
「まず勝ち点3」
拍手。
「よくやった」
そして。
「今日一番良かったのは、前半と後半で攻め方を変えたことだ」
前半。
サイド。
中国が修正。
後半。
中央。
「相手が修正したから、自分たちも修正した」
原町監督は続ける。
「これができなければ、最終予選では勝てない」
宮原彩乃を見る。
「よく走った」
宮原が答える。
「はい」
「DFがあそこまで入るには、判断がいる」
「森岡さんのシュート、こぼれる気がしました」
森岡が笑う。
「信じてた?」
「はい」
「じゃあ次はちゃんと決める」
ロッカールームに笑いが起きる。
17 勝ち点3だけ
夜。
順位表。
日本。
1試合。
1勝。
勝ち点3。
しかし、まだ何も決まっていない。
次。
オーストラリア。
高さ。
フィジカル。
スピード。
そして、日本とは違う種類の強さを持つ相手。
その次。
韓国。
まだ二試合。
柚月が言う。
「まず一つ」
早川がうなずく。
「あと二つ」
原町監督がすぐに返す。
「数えるな」
柚月が苦笑する。
「また言われた」
「次だけ見ろ」
オーストラリア。
それだけ。
次回予告
第66章「壁の向こう側」
最終予選初戦。
日本は中国を2-0で破り、勝ち点3を獲得。
次の相手はオーストラリア。
高さ。
強さ。
速さ。
そして、日本とはまったく違うフィジカルを持つ強敵。
日本は低いパスだけでは押し切れない。
カウンターだけでも足りない。
オーストラリアは日本のサイドチェンジ対策として、中央を捨てずに横幅を保つ守備を用意してくる。
早川莉奈が言う。
「中国戦みたいには動かせない」
柚月は答える。
「なら、別の動かし方考えるべ」
一方、オーストラリアも日本の機動力を警戒。
正木静香。
森岡美里。
宮野沙季。
そして長崎美琴。
誰を止めても、別の選手が出てくる。
試合前。
原町監督が選手たちへ告げる。
「ここで勝てば、ロサンゼルスが見える」
しかし柚月は首を振る。
「見んでいいっちゃ。まだ」
次回、
第66章「壁の向こう側」
夢が見え始めたときほど、目線は近くへ。
次の一本。
次の一歩。
それだけを積み重ねた先に、オリンピックの舞台がある。




