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あの日の春風は今も  作者: リンダ


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90/126

最初の90分

 第64章 最初の90分

 1 中国は、最初から読んできた


 最終予選初戦。


 日本対中国。


 キックオフ直後から、中国は明確だった。


 日本がボールを奪った瞬間に前へ出る。


 その形を、すでにかなり研究している。


 大船柚月が中盤で受ければ、すぐに一人が寄せる。


 早川莉奈が前を向けば、その進行方向へ二人目が立つ。


 正木静香が裏へ走れば、センターバックは深追いせず、最終ラインを崩さない。


 中国は攻撃時にも、後方へ必ず人数を残していた。


 日本がボールを奪っても、これまでのような大きなスペースが生まれない。


 前半六分。


 宮野沙季が中央でボールを奪う。


 早川へ。


 早川が顔を上げる。


 正木が走る。


 だが、中国DFはすでに戻っている。


「ない……」


 早川は無理に出さず、柚月へ戻した。


 柚月も前を見る。


 中国の中盤。


 最終ライン。


 その距離は狭い。


「対策されてる……」


 早川が言う。


 柚月は少し笑った。


「そりゃ、されるべ」


 世界王者。


 二次予選三連勝。


 相手が何もしてこない方がおかしい。


 2 ならば、急がない


 日本はすぐに切り替えた。


 カウンターが出ないなら、無理に出さない。


 長崎美琴が一度キープする。


 相手を背負う。


 簡単には奪わせない。


 宮野沙季が横に動いて、一人目の守備者を引っ張る。


 森岡美里は中央と左の間へ。


 正木静香は一度裏へ走る。


 しかし、ボールが来ないと分かると急に止まる。


 中国DFも止まる。


 その一瞬。


 別の場所が空く。


 早川がそこへ入る。


 日本は、一度遅くする。


 そして。


 相手が動いた瞬間だけ、速くする。


 原町監督もベンチから見ていた。


「慌ててないな」


 岩出コーチがうなずく。


「ここまでの予選で、だいぶ変わりましたね」


 原町監督は柚月を見る。


「大船が何を見るかだ」


 3 柚月は中央を見ていない


 前半十分。


 柚月はボールを受ける。


 しかし、前線だけを見ているわけではなかった。


 中国の最終ライン。


 サイドバック。


 ウイング。


 中盤の横移動。


 ボールが右へ動く。


 中国も右へ。


 左へ戻る。


 また中国が左へ。


 柚月は少し目を細める。


 もう一度。


 右。


 宮原彩乃。


 中国の左SBが寄せる。


 ただし。


 少し遅い。


 今度は左。


 國武真央。


 中国の右SBも寄る。


 やはり。


 柚月が小さくつぶやく。


「ん?」


 早川が近くにいる。


「どうしました?」


「まだ分かんねぇ」


 柚月はそれ以上言わなかった。


 もう一度確かめる。


 4 ライン際


 前半十三分。


 日本が右サイドへ。


 宮原彩乃。


 中国のサイドハーフが戻る。


 ただし、ライン際を完全には閉めない。


 宮原が一歩外へ運ぶ。


 まだ行ける。


 さらに一歩。


 ようやく寄せてくる。


 宮原は戻す。


 柚月へ。


 柚月が今度は逆を見る。


 左。


 國武真央。


 大きなサイドチェンジ。


 中国の守備全体が動く。


 だが。


 ワンテンポ遅い。


 國武が余裕を持って受ける。


 柚月の中で、何かがつながった。


「そこか」


 森岡が聞く。


「何?」


「ライン際」


「空いてる?」


「空いてるっていうより、締めが甘いっちゃ」


 中国は中央の守備が強い。


 柚月。


 早川。


 美琴。


 正木。


 そこを警戒するあまり、外側へ出る最初の一歩が遅れている。


 さらに。


 サイドチェンジされたとき、全体のスライドもほんの少し遅れる。


 たった一秒にも満たない。


 でも。


 世界の試合では、その一拍が決定機になる。


 5 ベンチへ送る視線


 ボールがタッチラインを割った。


 柚月は一度、ベンチを見る。


 原町監督。


 岩出コーチ。


 二人も同じ場所を見ていた。


 原町監督が岩出コーチへ言う。


「ライン際、甘いな」


「はい。それに逆へ振られたときの戻りが遅い」


「大船も気づいたか」


 ちょうどその瞬間。


 柚月と原町監督の視線が合う。


 柚月がほんの少しだけ左を指す。


 次に右。


 原町監督がうなずく。


 言葉はない。


 だが、分かった。


 サイドを使う。


 目いっぱい。


 中央へ突っ込むのではなく。


 ピッチを横いっぱいまで広げる。


 柚月は早川を見る。


 アイコンタクト。


 早川が気づく。


 森岡。


 宮原。


 國武。


 順番に視線を送る。


 みんな分かっていく。


 6 幅を最大まで使う


 前半十八分。


 日本が意図的に幅を広げ始めた。


 宮原彩乃は右のタッチラインぎりぎり。


 國武真央は左。


 正木静香も中央に固定しない。


 右へ。


 左へ。


 DFを連れて動く。


 柚月が中央で受ける。


 中国の中盤が寄る。


 右へ。


 宮原。


 中国が動く。


 宮原は無理に仕掛けない。


 柚月へ戻す。


 その瞬間。


 柚月が左へ大きく蹴る。


 國武真央。


 中国の守備が一斉に逆へ動く。


 遅い。


 國武が前を向く。


 森岡が内側へ入る。


 國武から森岡。


 森岡はワンタッチで早川へ。


 早川が中央。


 中国がまた中央へ戻る。


 早川は無理をしない。


 今度は右。


 また宮原。


 中国が右。


「走らされてる……」


 中国の中盤にも疲労が少しずつたまる。


 柚月は声を出した。


「もっと広く!」


 日本はピッチの横幅そのものを武器にした。


 7 中国も黙ってはいない


 前半二十二分。


 中国も反撃。


 中央でボールを奪う。


 MFの王雪玲から一気に右へ。


 右WGの劉佳敏。


 國武真央が戻る。


 劉がスピードに乗る。


 そのままペナルティーエリア脇まで進む。


 クロス。


 中央。


 FWの張麗華。


 ヘディング。


 伊達葵。


 両手でキャッチ。


「よし!」


 伊達がすぐ立ち上がる。


 前を見る。


 だが、急がない。


 中国はすでに戻っている。


 伊達は藤森彩香へ。


 藤森から柚月。


 また作り直す。


 原町監督は満足そうにうなずいた。


「それでいい」


 相手のカウンター対策に付き合って、自分たちまで焦る必要はない。


 8 サイドチェンジを繰り返す


 前半二十六分。


 柚月から右。


 宮原。


 戻す。


 左。


 國武。


 戻す。


 また右。


 中国が左右へ動く。


 正木は中央でDF二人を引っ張る。


 早川はその後ろ。


 美琴は少し下がってボールを受ける。


 中国の守備は中央へ人数を残したい。


 でも、日本が外を使う。


 だから出なければならない。


 ライン際へ。


 また戻る。


 逆。


 また出る。


 少しずつ。


 中国の守備の横幅が伸びる。


 中央の距離も広がる。


 早川が柚月へ言う。


「開いてきました」


「んだ」


「そろそろ?」


 柚月は首を振る。


「もうちょい」


 まだ。


 もう一回。


 相手に覚えさせる。


 日本は外へ行く。


 また外。


 また逆。


 そう思わせる。


 9 前半三十一分


 今度は柚月が中央で受ける。


 右を見る。


 中国が一歩動く。


 しかし出さない。


 左。


 國武真央。


 國武が受ける。


 中国の右SBが寄る。


 森岡が中へ。


 國武から森岡。


 森岡が早川へ。


 早川が前を向く。


 中国の中盤が中央へ集まる。


 早川はまた左へ返す。


 國武。


 中国は再び外へ。


 柚月は後ろから見ていた。


「今の動き、かなり遅れたな」


 岩出コーチもベンチで同じことを言う。


「左へのスライド、さらに遅れてます」


 原町監督が答える。


「次だな」


 10 正木への指示


 前半三十三分。


 ボールが外へ出る。


 正木静香が近くへ来た。


 柚月が短く言う。


「静香」


「はい」


「次、左から来る」


 正木が少し驚く。


「左?」


「中央にいろ。でも、最初はニア行くふり」


「そのあと?」


「一回止まれ」


 正木がうなずく。


「分かりました」


「折り返し来たら、ワンタッチで左」


 正木が笑う。


「そこまで決まってるんですか?」


 柚月も笑う。


「来たらな」


 未来を決めつけるわけではない。


 ただ。


 可能性が高い形を共有する。


 あとは、その瞬間に判断する。


 11 前半35分


 日本が自陣でボールを奪う。


 宮野沙季。


 すぐに柚月。


 中国は柚月への縦パスを警戒している。


 一人が寄る。


 柚月は右を見る。


 中国の守備も右へ意識を向ける。


 だが。


 柚月は左足で、大きく逆へ展開した。


 國武真央。


 完全にタッチライン際。


 中国の右SB、陳美玲が慌てて寄る。


 しかし一歩遅い。


 國武が前へ。


 一気に突破。


 陳美玲が追う。


 國武はそのままペナルティーエリア左脇へ進入する。


 中国のCBが一人、カバーへ出る。


 中央。


 正木静香がニアへ走る。


 DFもつられる。


 次の瞬間。


 正木が止まった。


 その一歩。


 DFだけが前へ出る。


 小さな空間。


 國武がそこを見る。


 高いクロスではない。


 速い折り返し。


 グラウンダー。


 ペナルティーエリア中央。


 正木。


 右足でワントラップ。


 ボールを自分の左へ置く。


 DFが戻ろうとする。


 遅い。


 正木の利き足。


 左。


 振り抜く。


 12 ゴール左隅


 低く。


 速い。


 ボールは中国DFの足元を抜ける。


 GKの李静雯が反応する。


 左へ飛ぶ。


 しかし。


 わずかに届かない。


 ボールはゴール左隅。


 ポストの内側。


 ネット。


 1-0。


 日本、先制。


 前半35分。


 正木静香。


 最終予選初戦。


 待望の先制ゴール。


 正木はゴールを確認すると、両拳を握った。


「よしっ!」


 國武真央が真っ先に走ってくる。


「静香!」


 正木が抱きつく。


「真央さん、最高!」


 森岡も。


 早川も。


 宮野も。


 柚月も最後に入る。


「ナイスだっちゃ!」


 正木が笑う。


「柚月さん、本当に左から来ました!」


「うちが蹴ったからな!」


「そこですか!」


 輪の中に笑いが起きる。


 だが、そのゴールは偶然ではなかった。


 13 35分かけて作った一点


 原町監督はベンチで大きく拳を握った。


 岩出コーチが言う。


「完全に狙いどおりですね」


 原町監督がうなずく。


 中国は中央を警戒した。


 カウンターも警戒した。


 柚月。


 早川。


 正木。


 そこを止める。


 日本は、それを真正面から壊しに行かなかった。


 横へ広げる。


 左右へ振る。


 中国を何度も走らせる。


 サイドチェンジ。


 ライン際。


 その対応が遅れる。


 そこを何度も確認した。


 そして35分。


 左サイド。


 突破。


 低い折り返し。


 正木。


 ワントラップ。


 左足。


 一点。


「三十五分全部使ったゴールだ」


 原町監督が言った。


 14 中国側も修正する


 失点した中国。


 周偉監督がすぐに指示を出す。


「サイドへの寄せを速く!」


 中盤の選手を少し外へ広げる。


 サイドバックだけに対応させない。


 今度はウイングも早く戻る。


 つまり。


 中央。


 少し薄くなる。


 柚月はそれを見る。


「ほら、変えた」


 早川がうなずく。


「外を警戒し始めた」


「なら次は?」


 早川が中央を見る。


「中が使える」


 柚月が笑う。


「正解」


 一つの答えを出す。


 相手が変える。


 なら次。


 それが、このチームが予選で何度も繰り返してきたことだった。


 15 中国の反撃


 前半39分。


 中国が中央から攻める。


 王雪玲。


 一度右。


 劉佳敏。


 今度は日本のサイドバックを引きつける。


 中央へ戻す。


 張麗華。


 反転。


 シュート。


 藤森彩香がブロック。


 こぼれ球。


 中国の二列目。


 ミドルシュート。


 伊達葵が横っ飛び。


 右手で弾く。


「ナイス!」


 森岡が叫ぶ。


 中国も簡単には崩れない。


 一点取られたからといって、形を失わない。


 やはり、まとまりのあるチームだった。


 16 前半終了までの管理


 前半42分。


 日本は無理に二点目を狙わない。


 ただし引きすぎない。


 柚月が中央で受ける。


 中国が外を警戒している。


 早川が中央へ入る。


 美琴が後ろから支える。


 森岡が前。


 正木は少し下がる。


 中国のDFも迷う。


 早川へ縦。


 早川がワンタッチで森岡。


 森岡がシュート。


 中国DFがブロック。


 惜しい。


 柚月が拍手する。


「それでいい!」


 外を見せた。


 だから中央が開く。


 相手の修正そのものを使う。


 17 前半終了


 アディショナルタイム。


 中国が最後の攻撃。


 左サイド。


 クロス。


 藤森彩香がヘディングでクリア。


 宮野沙季がセカンドボールを拾う。


 早川へ。


 早川が前を向く。


 だが、主審が時計を見る。


 柚月が声をかける。


「無理すんな!」


 早川は一度戻す。


 日本がボールを保持。


 そして。


 笛。


 前半終了。


 日本1-0中国。


 先制点。


 前半35分。


 國武真央の左サイド突破。


 低い折り返し。


 正木静香。


 ワントラップ。


 利き足の左。


 ゴール左隅。


 しかし、試合はまだ半分。


 中国はすでに修正を始めている。


 18 ハーフタイム


 ロッカールーム。


 原町監督がホワイトボードへ書く。


 1-0。


「いい前半だった」


 選手たちが聞く。


「特に、対策されていると分かったあとに無理をしなかったこと」


 柚月がうなずく。


「中国、カウンターかなり消してました」


「そうだ」


「だから外へ」


 岩出コーチが映像を出す。


 サイドチェンジ。


 中国のスライド。


 ほんの少しの遅れ。


「ここを大船が見つけた」


 早川が笑う。


「ずっと何か見てると思ってました」


 柚月が答える。


「最初は自信なかったんだっちゃ」


 原町監督がそこへ入る。


「それでいい」


 一回見ただけで決めつけない。


 二回。


 三回。


 確かめる。


 そして使う。


「ただし、後半は同じ形は出ない」


 中国はもう修正している。


 外への対応を速める。


 ならば。


 中央。


 ハーフスペース。


 あるいは逆に、もう一度外。


「相手を見ながら変えろ」


 全員がうなずいた。


 19 正木のゴール


 正木静香は水を飲みながら、自分のゴール映像を見ていた。


 柚月が隣へ来る。


「いいトラップだった」


「ありがとうございます」


「最初から左で打つつもりだった?」


「折り返し見た瞬間に」


「よく一回止めたな」


「ニア行ったらDFついてきたので」


 柚月が笑う。


「ちゃんと見えてたじゃん」


 正木も笑う。


「最近、見るようになりました」


「足速いだけじゃなくなってきたなぁ」


「前は足速いだけみたいな言い方!」


 二人が笑う。


 正木は少し真剣になる。


「でも、まだ一点ですよね」


「んだ」


「後半も行きます」


「行け。ただし」


 正木が先に言う。


「無理に突っ込まない」


 柚月が満足そうにうなずく。


「覚えたな」


 20 後半へ


 中国は必ず前へ出る。


 一点を追う。


 だが、前へ出れば。


 日本が最初から狙っていた場所。


 カウンター。


 そこが再び生まれる可能性がある。


 一方で、中国もそれを知っている。


 前へ出たい。


 でも出すぎれば危ない。


 また新しい駆け引きが始まる。


 柚月は右ふくらはぎを軽く動かす。


 問題ない。


 早川が隣へ来る。


「後半、どこ見ます?」


 柚月は笑った。


「まず中国がどこ変えたか」


「また最初から?」


「当然だべ」


 主審の笛が聞こえる。


 選手たちは再びピッチへ。


 オリンピック出場をかけた最終予選。


 最初の90分。


 残り45分。


 次回予告

 第65章「一点を守るな」


 1-0で後半へ。


 中国はサイドへの守備を修正。


 前半、日本に使われ続けたライン際を今度は二人で閉じる。


 國武真央。


 宮原彩乃。


 日本のサイド攻撃が止まり始める。


 しかし、その代償として中央の人数が一人減る。


 早川莉奈が気づく。


「真ん中、前半より空いてます」


 柚月は答える。


「なら次はそこだべ」


 後半、日本は今度、中央から中国を動かし始める。


 一方、中国も一点を追って前進。


 伊達葵のゴールへ危険なシュートを放つ。


 原町監督はベンチから叫ぶ。


「一点を守るな! 二点目を取りに行け!」


 そして後半。


 中国が攻撃へ人数をかけた瞬間。


 長崎美琴がボールを奪う。


 早川莉奈が走る。


 正木静香も。


 前半とは違う形の高速カウンターが始まる。


 次回、

 第65章「一点を守るな」


 リードしているから守るのではない。


 相手が前へ出たからこそ、その背後を奪う。


 勝ち切るための二点目を、日本は探しに行く

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