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あの日の春風は今も  作者: リンダ


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高さとの戦い

第60章 高さとの戦い

1 高さで来るなら、下を使う


二次予選、二連勝。


日本は勝ち点6。


最後の相手はイランだった。


勝ち点の状況だけを見れば、日本は有利な位置にいる。


だが、原町監督は最初から引き分け狙いを否定していた。


「勝って終わらせる」


そのためのミーティングが始まる。


大型モニターに映し出されたのは、イランの試合映像だった。


CK。


FK。


ロングスロー。


高いボール。


競り合い。


こぼれ球。


イランは明らかに高さを武器にしている。


センターバックのナディア・ラヒミ。


FWのサラ・モラディ。


MFのレイラ・ホセイニ。


いずれも空中戦に強く、セットプレーでは必ずゴール前へ入ってくる。


森岡美里が映像を見ながら言った。


「まともに高さだけで勝負したら、かなりきついね」


藤森彩香もうなずく。


「特にファーへ落とされたあとの二次攻撃が怖い」


伊達葵はGKの視点から見ていた。


「最初の競り合いだけじゃなくて、折り返されたあとが危ない」


原町監督は映像を止めた。


「だから、相手の得意な場所だけで戦う必要はない」


次の映像。


今度は、イランが地上でボール処理をしている場面だった。


低いクロス。


足元。


さらに低い位置。


腰より下。


特に膝から下へ速いボールが入ったとき、トラップが少し大きくなる。


ボールが足元へ入りすぎる。


身体をかがめる時間が生まれる。


相手がそこへ寄せる。


柚月が身を乗り出した。


「これだべ」


早川莉奈も気づく。


「低いボールの処理が、少し遅い」


「んだ」


原町監督がうなずいた。


「イランの高さに、日本の高さをぶつけるだけではない」


日本の武器。


機動力。


速いパス。


低いクロス。


ワンタッチ。


足元へ速く入れる。


「腰より下を使え」


原町監督は言った。


「相手が高い位置で強いなら、低い位置で勝負する」


2 映像に出ていた弱点


映像をさらに細かく見る。


イランの最終ライン。


高いボールなら強い。


ロングボールを跳ね返す。


クロスも頭で処理する。


しかし、低く速いボールでは少し違った。


右サイドからグラウンダーのクロス。


CBが足を出す。


処理が一瞬遅れる。


こぼれる。


別の映像。


ペナルティーエリア手前から足元へ速いパス。


DFが身体を低くする。


その一瞬でFWが前へ入る。


また別の映像。


膝より下へ強いパス。


トラップが大きくなり、相手に拾われる。


早川が尋ねた。


「これ、最初から低いボール狙いでいいんですか」


原町監督は首を振る。


「それだけに偏るな」


柚月が答えを引き継ぐ。


「低いの来ると思わせたら、今度は高いのも効くっちゃ」


早川がうなずく。


「相手に一つだけ覚えさせない」


「そういうことだべ」


高さが弱点ではない。


低さが万能でもない。


相手が何を警戒し、どこへ身体を向けるか。


それを見ながら使い分ける。


3 日本の三人を警戒するイラン


一方。


イラン代表のミーティング。


監督のファルハード・ナザリは、日本の映像を繰り返し見せていた。


画面に最初に映ったのは、正木静香。


インドネシア戦。


右サイドを一気に駆け上がる。


北朝鮮戦。


センターバックの間へ鋭く入る。


韓国戦。


相手最終ラインを何度も引っ張る。


「正木は止めろ」


次。


宮野沙季。


攻守の切り替え。


セカンドボール。


相手の一歩前へ入る。


サウジアラビア戦では、最後にボレーシュートまで決めている。


「宮野は走力だけではない。二列目から入ってくるタイミングが危険だ」


そして森岡美里。


キャプテン。


中盤と前線をつなぐ。


守備にも戻る。


ミドルシュートもある。


サウジアラビア戦では70分に三点目を決めた。


「森岡も自由にするな」


ホワイトボードに三つの名前。


正木静香。


宮野沙季。


森岡美里。


ナザリ監督は選手たちを見る。


「日本の機動力を止める」


イランのDF、ナディア・ラヒミが尋ねた。


「マンマークですか?」


「基本はゾーン。ただし、この三人が前を向いた瞬間は強く行く」


特に正木。


背後へ走らせない。


宮野。


二列目から入らせない。


森岡。


自由に受けさせない。


「この三人が走れなければ、日本の攻撃速度は落ちる」


だが。


イラン側にも分かっていた。


三人へ強く意識を向ければ、ほかが空く。


大船柚月。


早川莉奈。


國武真央。


別の選手が使える。


それでもナザリ監督は言った。


「リスクは承知している。まず日本の速度を落とす」


4 原町監督も読んでいた


日本代表のミーティング。


原町監督は選手たちを見回した。


「イランが何をしてくるか」


森岡が答える。


「正木、宮野、私へのマーク」


「そう見ている」


宮野が少し苦笑する。


「完全に読まれてるんですね」


「当然だ」


世界大会。


予選。


相手も日本を研究する。


柚月が言った。


「向こうも、うちらが低いボール使うって読むかもしれねぇべ」


原町監督がうなずく。


「だからこそ、マークされる三人へ無理にボールを入れるな」


正木が顔を上げる。


「走らなくていいってことですか」


「違う」


原町は即答する。


「走れ。ただし、ボールが来ることだけを目的に走るな」


正木が少し考える。


森岡が言った。


「私たちが動けば、マークも動く」


「そうだ」


原町監督はホワイトボードへ三人の動きを描く。


正木が右へ流れる。


イランCBがつく。


その中央。


空く。


宮野が前へ出る。


相手MFが追う。


その後方。


柚月。


あるいは早川。


森岡が左へ動く。


相手も動く。


逆サイドが空く。


「マークされること自体を使え」


柚月が小さく笑う。


「また囮作戦だべ」


「お前が北朝鮮戦でやったことだ」


5 無理に前へ突っ込むな


原町監督は正木、宮野、森岡へ特に強く言った。


「一つだけ覚えておけ」


三人が監督を見る。


「無理に前へ突っ込もうとするな」


正木が少し意外そうな顔をする。


自分の最大の武器はスピード。


森岡も。


宮野も。


前へ出る力がある。


だからこそ、相手はそこを狙う。


「走ればいい場面と、走らされている場面は違う」


柚月が静かにうなずいた。


原町監督は続ける。


「相手が待っているところへ、わざわざ突っ込む必要はない」


ボールを奪われなければいい。


前へ行けなければ、一度戻せばいい。


横へ逃がせばいい。


逆へ展開すればいい。


「スピードは武器だ。ただし、武器を毎回使う必要はない」


宮野が答える。


「相手がマークにエネルギーを使うなら、まずそれを使わせる」


「そうだ」


森岡も。


「相手がついてくるなら、別の選手を使う」


原町監督はうなずいた。


「その判断をピッチでやれ」


6 正木の疑問


ミーティング後。


正木静香が柚月へ近づいた。


「柚月さん」


「ん?」


「走るなって言われると、ちょっと難しいです」


「監督、走るなとは言ってねぇべ」


「でも、無理に行くなって」


柚月は少し笑った。


「静香、自分の仕事って何だと思う?」


「ゴールを決めることです」


「それも正解」


「それも?」


「FWが走ったら、DFも走るべ」


「はい」


「なら静香がボール触らなくても、DF一人連れて行ける」


正木は黙って考える。


「それで森岡さんとか早川さんが空く」


「んだ」


「じゃあ、囮でもいい」


「むしろ囮になってるって分かったら、もっといやらしく動け」


正木が笑った。


「柚月さん、最近ずっと相手を嫌がらせる話してますね」


「サッカーだぞ?」


二人とも笑った。


7 宮野はセカンドボールを見る


宮野沙季は、自分の役割を別の角度から考えていた。


イラン戦では、セットプレーが増える可能性が高い。


高いボール。


競り合い。


そこから落ちる。


宮野が映像を止める。


「この辺」


柚月が見る。


ペナルティーエリアの外。


「こぼれ球?」


「うん」


イランは競り合いに強い。


一発目を完全に防げない可能性もある。


ならば、二発目を止める。


宮野が言う。


「私、ここ拾います」


「頼むっちゃ」


「柚月さんも少し横にいてください」


「もちろん」


高いボールそのものを全部勝とうとしない。


落ちたところを拾う。


そこから一気に前。


イランがセットプレーへ人数をかければ、後方にはスペースができる。


宮野がボールを拾う。


早川へ。


正木が走る。


そこまでを一つの形として準備する。


8 森岡は「走らない」練習をする


練習。


森岡美里が何度も前へ出ようとする。


そのたびに原町監督が笛を吹く。


「森岡、今は行かなくていい」


森岡が戻る。


次。


柚月が中央で受ける。


森岡が走る。


イラン役のMFがついてくる。


柚月は森岡へ出さない。


逆へ。


國武真央。


森岡が止まる。


相手も止まる。


次に、國武から中央へ戻る。


その瞬間。


森岡が再加速。


今度はマーカーの反応が一歩遅れる。


柚月から縦。


森岡が受ける。


「今!」


森岡がシュート。


ゴール。


原町監督がうなずいた。


「それだ」


森岡も理解する。


ずっと速く走る必要はない。


止まる。


歩く。


また走る。


速度差。


それ自体が武器になる。


9 腰より下を狙う練習


別メニュー。


日本は低いボールへの攻撃を繰り返した。


右サイド。


宮原彩乃。


速いグラウンダー。


正木がニアへ。


触らない。


後ろから早川。


シュート。


次。


左。


國武真央。


低いクロス。


DFが足を出す。


こぼれる。


宮野が拾う。


シュート。


次。


柚月がペナルティーエリア手前。


イラン役のDFは高さを警戒。


柚月は浮かさない。


足元へ速いパス。


森岡。


ワンタッチ。


正木。


シュート。


原町監督が声を出す。


「それでいい!」


高さを使わせない。


頭ではなく、足。


ジャンプではなく、身体を低くさせる。


イランの守備に、普段とは違う姿勢を強いる。


柚月が早川へ言う。


「高い相手ほど、低いところ嫌がることあるっちゃ」


早川が笑う。


「人間、全部得意ってわけじゃないですもんね」


「そういうことだべ」


10 イランも低いボールを想定する


当然、イラン側も日本の分析を進めていた。


ナザリ監督は選手たちへ注意する。


「日本は低いクロスを増やしてくる可能性がある」


CBナディア・ラヒミが答える。


「足元への速いパスも?」


「そうだ」


特に、日本は相手の弱点を見つけるのが早い。


ナザリ監督は柚月の映像を見せる。


北朝鮮戦。


韓国戦。


相手の守備変化を何度も読み取っている。


「大船に観察する時間を与えるな」


MFレイラ・ホセイニが言う。


「大船もマークしますか」


「完全には追わない」


ナザリは首を振る。


「大船だけを追えば、早川が空く」


イランも同じ問題を抱えていた。


正木。


宮野。


森岡。


そこへ柚月。


早川。


日本には、警戒すべき選手が一人ではない。


「だから、ボールが入った場所で圧力をかける」


個人を追い続けるのではなく、エリアで封じる。


イランもまた、日本の対策に対する対策を準備していた。


11 柚月の脚


練習終了後。


柚月は右ふくらはぎをゆっくり伸ばした。


痛みはない。


ただ、重い。


韓国戦。


サウジアラビア戦。


連戦。


そして練習。


身体は正直だった。


トレーナーが近づく。


「どうです?」


「ちょっと重い」


「痛みは?」


「ないっちゃ」


「張り?」


「それとも違う。疲れてる感じ」


すぐにチェック。


左右差。


筋肉の硬さ。


反応。


問題になる所見はない。


だが原町監督にも報告が入る。


「大船、少し疲労が強いです」


原町は即答した。


「分かった」


12 原町監督は見逃さない


翌日の練習。


柚月は普通に走っていた。


ボールも蹴れる。


接触にも入れる。


だが原町監督には、一つだけ気になるものがあった。


切り返しのあと。


右脚を出す一歩。


ほんの少し遅い。


コンマ数秒。


普通なら見逃す程度。


原町監督は笛を吹いた。


「大船」


「はい?」


「一回外れろ」


柚月が驚く。


「大丈夫です」


「聞いてない」


どこかで聞いた言葉だった。


柚月は少し苦笑する。


「最近、みんなそれ言うなぁ」


「右脚重いだろ」


柚月は黙った。


「……ちょっとだけ」


「なら休め」


「でもイラン戦」


「イラン戦に出すために休ませる」


その一言で、柚月は反論をやめた。


「分かりました」


13 昔なら無理をしていた


ベンチへ下がった柚月の隣へ、早川が座った。


「大丈夫ですか」


「大丈夫。ただ疲れてる」


「昔だったら続けてました?」


柚月は少し考えた。


「たぶんな」


「今は?」


「止められたら止まる」


早川が笑う。


「成長しましたね」


「二十八歳に言うセリフじゃねぇべ」


「でも、リハビリの最初の頃より」


柚月も笑った。


「それは認める」


少し黙る。


柚月は自分の右ふくらはぎを見る。


これを無視して失うものは大きい。


イラン戦だけではない。


その先。


ロサンゼルス。


「目の前の一試合だけ勝てばいいわけじゃねぇからな」


早川がうなずく。


「その先まで」


「んだ」


14 試合前夜


イラン戦前夜。


最後のミーティング。


原町監督は先発を完全には明かさなかった。


柚月を先発させるか。


途中から使うか。


メディカルスタッフと最後まで相談する。


ただし、柚月本人には明確に伝えた。


「状態が悪ければ使わない」


柚月はうなずく。


「はい」


「勝ち点6あるから休ませる、という意味じゃない」


「分かってます」


「必要なら使う。ただし壊す使い方はしない」


「はい」


早川が横で聞いている。


正木。


宮野。


森岡も。


原町監督は全員へ言った。


「イランは、日本の機動力を止めに来る」


そして三人を見る。


「正木。宮野。森岡」


「はい」


「マークされても焦るな」


「はい」


「無理に前へ突っ込むな」


「はい」


「ボールを奪われなければ、相手は得点できない」


柚月がその言葉に少し笑う。


基本。


あまりにも基本的。


でも、大きな試合ほど、その基本が大事になる。


15 森岡がキャプテンとして言う


ミーティングの最後。


森岡美里が立ち上がった。


「一つだけ」


全員が見る。


「私たち、勝ち点6持ってる」


その言葉だけ聞けば安心材料だ。


しかし森岡は続ける。


「でも、だからって守りに行くのは違う」


勝つ。


ただし、無謀にはならない。


「今日までやってきたこと、そのままやろう」


日本は一次予選から、いろいろな相手と戦ってきた。


ベトナム。


インドネシア。


北朝鮮。


韓国。


サウジアラビア。


引く相手。


前から来る相手。


情報の少ない相手。


マンマーク。


高速カウンター。


そのたびに答えを変えてきた。


「イランにも、イラン用の答えを出そう」


柚月がうなずく。


「んだな」


16 試合当日


スタジアム。


日本対イラン。


ウォーミングアップ。


柚月も芝の上にいた。


右ふくらはぎ。


昨日より軽い。


トレーナーが最後に確認する。


「どうです?」


「昨日より全然いい」


「本当に?」


「本当にだっちゃ」


「無理してない?」


「してない」


原町監督が近づく。


「大船」


「はい」


「今日は状態見ながらだ」


「分かりました」


柚月は代表のユニフォームを見下ろす。


ここまで来た。


二次予選最後の試合。


勝てば、さらに大きくロサンゼルスへ近づく。


だが無理はしない。


それもまた、今の柚月の強さだった。


17 両チームの狙い


キックオフ直前。


イランの選手たちが並ぶ。


ナディア・ラヒミ。


サラ・モラディ。


レイラ・ホセイニ。


体格のある選手たち。


その視線は、正木静香。


宮野沙季。


森岡美里へ向けられている。


日本側。


柚月も相手を見る。


高い。


強い。


でも、低いところ。


そこに狙いがある。


早川が隣へ来る。


「柚月さん」


「ん?」


「低く行きます?」


柚月は笑った。


「まず見てからだべ」


早川も笑う。


「ですよね」


相手も対策している。


最初から一つの答えだけで行く必要はない。


高い相手に低く。


速い相手に止まる。


マークされたら囮になる。


前へ行けなければ戻す。


そして、隙が出た瞬間だけ一気に行く。


主審が笛を口へ運ぶ。


ロサンゼルスへの道をかけた、二次予選最後の九十分が始まろうとしていた。


次回予告

第61章「低いところを突け」


日本対イラン。


試合開始。


予想どおり、イランは正木静香、宮野沙季、森岡美里への警戒を強める。


正木が走ればナディア・ラヒミがつく。


宮野が前へ出ればレイラ・ホセイニが追う。


森岡が中央へ入れば、もう一人がコースを閉じる。


しかし日本は、三人へ無理にボールを入れない。


柚月と早川を中心に横へ動かし、イランの守備を少しずつ広げていく。


そして前半十二分。


宮原彩乃が右サイドを突破。


高いクロスを上げると見せて、ゴール前へ速いグラウンダー。


イランDFが処理にもたつく。


こぼれ球。


正木静香。


日本に最初の決定機が訪れる。


一方、イランも自分たちの最大の武器を使う。


前半二十分。


ロングスロー。


ファーサイド。


競り合い。


折り返し。


ゴール前にボールが落ちる。


伊達葵。


藤森彩香。


森岡美里。


日本守備陣が必死に身体を張る。


そして柚月の右ふくらはぎにも、再び小さな重さが戻り始める。


原町監督はベンチから、その動きを見逃さない。


次回、

第61章「低いところを突け」


相手の強さに正面から付き合う必要はない。


高いなら低く。


強いなら速く。


相手が最も嫌がる場所を見つけることも、勝負の力なのだ。

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