3点目を急ぐな
第59章 三点目を急ぐな
1 後半、サウジアラビアが前へ出る
2-0で迎えた後半。
予想どおり、サウジアラビアは前半とは違う姿勢で入ってきた。
二点を追う以上、自陣に引いて守っているだけでは何も起こらない。
最終ラインを押し上げる。
中盤も前へ出る。
前線のヌーラ・アルサイード、ラナ・アルハルビらが、日本の最終ラインへ強く圧力をかける。
開始直後。
藤森彩香がボールを持つ。
サウジアラビアのFWが一気に寄せる。
藤森は無理をしない。
横へ。
森岡美里。
森岡にもすぐにプレッシャー。
早川莉奈が下がって受けようとするが、その背後にも一人ついてくる。
ベンチから原町監督が声を飛ばした。
「無理につなぐな!」
日本は前半のように、ただボールを保持することにはこだわらなかった。
相手が前へ来る。
ならば、その背後を使う。
それが後半の狙いだった。
ベンチの柚月は腕を組みながらピッチを見つめる。
「来るなら来させればいいっちゃ」
サウジアラビアが前へ出れば出るほど、その後ろには広い空間が生まれる。
そこで奪えれば、日本は一気に攻撃へ転じられる。
2 前へ出たい、でも出られない
サウジアラビアも、日本の狙いには気づいていた。
ボールを奪われる。
次の瞬間、日本の前線が走る。
正木静香。
井上梓。
早川莉奈。
森岡美里。
一気に四人、五人が前へ出てくる。
後半五分。
サウジアラビアが左サイドから攻めようとする。
しかし宮野沙季が中央へのパスコースを消す。
相手は横へ。
さらに後ろへ。
そこへ早川が寄せる。
パスが少し乱れる。
森岡が奪う。
その瞬間。
「行け!」
森岡から早川。
早川が前を向く。
正木が右へ走る。
井上が左。
サウジアラビアの最終ラインが慌てて下がる。
早川は正木へ。
正木がクロス。
井上。
わずかに届かない。
それでも、サウジアラビア側にははっきりとした恐怖が生まれた。
前へ出たい。
だが、前へ人数をかけすぎれば、その背後を一瞬で使われる。
次第に、中盤の選手たちが上がるタイミングを迷い始める。
それを柚月は見逃さなかった。
「もう迷ってるべ」
隣の岩出コーチがうなずく。
「前に出たいけど、後ろも気になる」
「それが一番きついっちゃ」
思い切って攻めることもできない。
完全に引くこともできない。
日本は、カウンターそのものだけでなく、「カウンターがある」という意識まで相手へ植えつけていた。
3 後半八分のFK
それでもサウジアラビアは、セットプレーからチャンスを得る。
後半八分。
日本陣内、右寄り。
森岡美里が相手選手と競り合い、ファウルの判定。
サウジアラビアのFK。
ゴール前には人数が集まる。
CBのサラ・アルガムディも上がる。
伊達葵が大きな声を出す。
「ライン合わせて!」
キッカーはラナ・アルハルビ。
高いボール。
ファーサイド。
競り合い。
藤森彩香とサラがぶつかる。
ボールがこぼれる。
そこへサウジアラビアのMF。
右足。
シュート。
伊達の前をすり抜ける。
日本ベンチが凍りつく。
しかし。
ボールは左ポストのわずか外。
ゴールラインを割った。
伊達が大きく息を吐く。
「危なかった……」
森岡がすぐに声を出す。
「次!」
ベンチの柚月も立ち上がっていた。
「ほんとに簡単じゃねぇな」
原町監督が振り返る。
「大船」
「はい」
「準備しろ」
柚月はすぐにビブスを脱いだ。
4 柚月が入る理由
柚月はアップを始める。
だが、目的は守備固めではない。
試合を落ち着かせる。
そして、相手が前へ出てきたところを正確に使う。
原町監督は岩出コーチへ言った。
「今のサウジは、中盤が前へ出るか下がるか迷っている」
「そこへ大船を入れる」
「そうだ」
柚月なら、相手の出方を見ながらテンポを変えられる。
急ぐべきとき。
落ち着かせるとき。
大きく蹴るとき。
短くつなぐとき。
それを試合中に判断できる。
後半十四分。
交代。
井上梓が下がる。
大船柚月が入る。
早川はそのまま残る。
宮野もいる。
中盤に経験と運動量を集める。
柚月がピッチへ入ると、早川が寄ってきた。
「柚月さん」
「焦ってる?」
「ちょっと」
柚月は笑った。
「三点目は逃げねぇっちゃ」
「分かってます」
「相手にもっと前出てもらえばいいべ」
早川の表情が少し変わる。
「奪ったあと狙う」
「んだ」
5 ボールを持たせる時間
柚月が入ってから、日本はあえて少しボール保持率を下げた。
サウジアラビアに持たせる。
ただし、危険な場所は使わせない。
中央は宮野と柚月。
森岡が前後をつなぐ。
早川は相手の横パスを狙う。
サウジアラビアが右へ。
日本がスライド。
中央へ戻す。
宮野がコースを消す。
また後ろ。
柚月が声を出す。
「追いすぎんな!」
相手に持たせる。
だが、前へ進ませない。
サウジアラビアはボールを持っている。
それなのに、ペナルティーエリアへ入れない。
後半二十五分。
パス本数は増えている。
しかし、ほとんどが横か後ろ。
前へ出そうとすれば、日本が待っている。
早川が柚月へ言う。
「持たれてるけど、怖くないですね」
「危ない場所に入れさせなきゃいいっちゃ」
6 パスが乱れるまで待つ
日本は焦らなかった。
奪おうとしすぎない。
相手がミスするまで待つ。
後半二十八分。
サウジアラビアの中盤、ラナ・アルハルビが中央で受ける。
柚月が正面。
宮野が横。
ラナは前へ出せない。
右へ。
さらに戻す。
CBのサラ・アルガムディ。
サラが左へ出そうとする。
だが、早川が一歩前へ出た。
パスコースを変えなければならない。
一瞬迷う。
その迷いでキックがずれる。
森岡美里。
反応した。
インターセプト。
「取った!」
森岡が前を向く。
サウジアラビアは前へ出ていた。
中央に大きな空間。
柚月が右へ流れる。
早川が左へ走る。
正木静香が最終ラインを押し下げる。
森岡は自分で運ぶ。
一人目が寄る。
森岡は柚月へ。
柚月がワンタッチで戻す。
相手が柚月へ引っ張られる。
森岡の前が空いた。
「美里、行け!」
柚月の声。
森岡はそのまま進む。
ペナルティーエリア手前。
距離は二十メートル余り。
相手DFが遅れて寄せる。
森岡は右足を振り抜いた。
7 70分、森岡美里
時計は70分。
森岡のミドルシュート。
強烈なボールが、DFの横を抜ける。
GKマハ・アルカフタニが反応する。
横へ飛ぶ。
しかし、ボールはそのさらに先。
ゴール左上。
ネットが大きく揺れた。
3-0。
森岡はシュートを見届けると、両腕を広げた。
「よし!」
早川が真っ先に飛びつく。
「美里さん!」
正木も。
宮野も。
柚月も駆け寄る。
「ナイスだっちゃ!」
森岡が笑う。
「柚月が戻してくれたから!」
「最後決めたの美里だべ」
早川が言う。
「でも、サウジのパスミスを待ってた形ですよね」
柚月がうなずく。
「無理に奪いに行かなかったからな」
サウジアラビアが前へ出たい。
でも、日本のカウンターが怖い。
その迷い。
そして、パスの乱れ。
そこを森岡が逃さなかった。
8 三点目が相手をさらに苦しめる
3-0。
サウジアラビアはさらに苦しくなった。
三点を返す必要がある。
しかし、前へ出れば日本のカウンター。
守れば時間がなくなる。
ベンチから攻撃的な選手が投入される。
前線が増える。
だが、その分だけ中盤が薄くなる。
原町監督は日本側も交代を使った。
正木静香を下げる。
フレッシュな選手を入れる。
森岡も後半終盤には交代。
キャプテンマークを託す。
柚月は中盤に残り、試合を整理する。
右。
左。
一度戻す。
相手が出てくれば、その背後。
出てこなければ保持。
時間を使うだけではない。
相手に選択を迫り続ける。
9 宮野沙季の読み
後半三十七分。
サウジアラビアが中央でボールを持つ。
前へ急ぐ。
ラナ・アルハルビ。
右へ。
そこから縦。
しかし宮野沙季が読んでいた。
身体を前へ入れる。
ボールを奪う。
サウジアラビアの中盤は、ほとんど前へ出ている。
宮野は一度柚月へ渡した。
柚月が前を見る。
左に早川。
右に途中出場の選手。
宮野自身も止まらない。
「沙季、そのまま行け!」
柚月が戻す。
宮野が前へ運ぶ。
相手DFが寄る。
宮野は早川へ。
早川が左サイドからクロス。
一度DFがクリアする。
しかし短い。
ペナルティーエリア手前へ浮いた。
宮野が走り込んでくる。
ボールは地面へ落ちる前。
右足。
振り抜いた。
10 85分、宮野のボレー
時計は85分。
宮野沙季のボレーシュート。
ボールは低く、鋭く飛んだ。
DFの間。
GKマハ・アルカフタニが一歩反応する。
間に合わない。
ゴール右隅。
ネット。
4-0。
宮野は一瞬、目を見開いた。
そのあと、拳を握る。
「入った!」
早川が笑いながら走ってくる。
「沙季さん、すごい!」
柚月も追いつく。
「おい、あれ気持ちよすぎるだろ!」
宮野が笑う。
「たまたまいいところに落ちてきました」
「たまたまであれは打てねぇっちゃ」
早川も。
「絶対狙ってましたよね」
「まあ、少しは」
三人が笑う。
4-0。
勝負はほぼ決まった。
11 それでも最後まで
残り時間。
サウジアラビアは諦めていなかった。
一点でも返したい。
前へ出る。
日本は集中を切らさない。
柚月が声を出す。
「ゼロで終わらせるぞ!」
伊達葵も。
「最後まで!」
後半八十九分。
サウジアラビアが左からクロス。
藤森彩香が頭でクリア。
セカンドボール。
相手のミドルシュート。
宮野がブロック。
早川が拾う。
前へ行ける。
しかし早川は無理をしない。
柚月へ戻す。
柚月はさらに後ろ。
「それでいいっちゃ」
アディショナルタイム。
日本は落ち着いてボールを動かす。
四点目を取ったから雑になることもない。
最後まで同じように。
12 試合終了
主審が時計を見る。
最後の笛。
日本4-0サウジアラビア。
二次予選。
日本、二連勝。
勝ち点6。
韓国戦の1-0。
そしてサウジアラビア戦の4-0。
まったく違う試合を、違う方法で勝った。
早川が柚月へ近づく。
「勝ちました」
「んだな」
「前半、あんなに点入らなかったのに」
「サッカーってそういうもんだべ」
宮野も来る。
「後半は相手が前に出てくれた分、やりやすかったですね」
柚月がうなずく。
「でも、それまでゼロで抑えたから使えたんだっちゃ」
伊達葵のセーブ。
藤森彩香の守備。
宮野のカバー。
森岡の声。
それがあったから、後半のカウンターが生きた。
13 原町監督の評価
ロッカールーム。
原町監督はスコアを書いた。
4-0。
「結果はいい」
選手たちが聞く。
「だが、一番大事なのは四点取ったことじゃない」
前半。
サウジアラビアに一対一を作られた。
伊達葵が止めた。
もし、あれが入っていたら。
試合はまったく違った。
「前半を2-0で終えたこと。そして後半、相手が前へ出ることを利用したこと」
原町監督は森岡を見る。
「三点目。よく奪った」
「はい」
「無理に奪いに行ったわけじゃない。相手が乱れるまで待った」
次に宮野。
「四点目も同じだ」
宮野がうなずく。
「相手が前へ人数をかけたことで、セカンドボールの場所が空きました」
「そうだ」
試合は相手との関係で動く。
自分たちだけで完結しない。
14 柚月が言う「楽な試合ではなかった」
取材エリア。
記者から尋ねられる。
「4-0という結果でした。余裕のある勝利だったのでは?」
柚月は少し首を振った。
「全然」
記者が意外そうな顔をする。
「前半、相手に一対一作られてるっちゃ」
伊達葵が止めた。
そこで0-1になっていれば、違う試合になった。
「結果だけ見たら4-0。でも、試合の中では危ない時間もあった」
そして続ける。
「勝って当然って思った瞬間が一番危ないんだべ」
サウジアラビアは最後まで走った。
前へ出た。
日本のミスを狙った。
「世界王者だからって、勝手に点入るわけじゃねぇっちゃ」
15 早川の成長
宿舎へ戻るバス。
早川が柚月の隣へ座った。
「今日は、柚月さんが入ってくるまでにちゃんと試合を作れたと思います」
柚月は笑う。
「うん」
「点も取りました」
「うん」
「もっと褒めてもいいですよ」
柚月が吹き出す。
「自分から要求すんなぁ」
「だって、前は柚月さんがいないと不安でした」
早川は窓の外を見る。
「今日は、自分で考えられた気がします」
柚月は少しだけ真剣な表情になる。
「それが一番嬉しいっちゃ」
早川が横を見る。
「でも、ポジションは?」
「譲らねぇよ」
即答。
早川が笑う。
「ですよね」
「教えることと、席渡すことは別だべ」
二人の競争は続く。
そして、それが日本を強くしていた。
16 勝ち点6
夜。
順位表。
日本。
二試合。
二勝。
勝ち点6。
得失点差も大きくプラス。
二次予選突破へ、かなり有利な位置についた。
だが、まだ決まっていない。
最後の相手。
イラン。
セットプレー。
高さ。
フィジカル。
そして、一度横へ逃がしてから縦へ出る独特の攻撃。
原町監督はミーティングルームで言った。
「次を勝って終わらせる」
引き分けでいい可能性。
他会場の結果。
得失点差。
計算はいろいろある。
それでも原町監督は、最初から引き分け狙いにはしなかった。
「自分たちで決める」
柚月がうなずく。
「勝って三連勝」
早川も。
「勝ち点9で終わる」
宮野も。
「その方が分かりやすいですね」
少し笑いが起きる。
しかし、次の試合がこの二次予選で最も身体的に厳しい戦いになる可能性がある。
全員、それを理解していた。
17 最後の一試合
柚月は部屋へ戻り、右ふくらはぎを軽くほぐした。
韓国戦。
サウジアラビア戦。
連戦。
身体には疲労がある。
でも、痛みはない。
名取百合子の写真を見る。
「ユリ。あと一試合」
胸の奥。
「イラン?」
「んだ」
「勝てば?」
「かなり近づく」
「なら勝ってこい」
柚月は笑う。
「簡単に言うよなぁ」
「簡単じゃねぇから面白いんだべ」
柚月は少し黙る。
「それ、うちが言いそうなセリフだっちゃ」
「長く一緒にいると似るんだよ」
「天国から影響与えんな」
柚月は笑いながら、次の試合の資料を開いた。
イラン。
二次予選最後の壁。
ロサンゼルスへ向けて。
あと一つ。
次回予告
第60章「高さとの戦い」
二次予選二連勝。
日本は勝ち点6。
最後の相手はイラン。
日本は引き分けでも有利な状況に立つ。
しかし原町監督は言う。
「最初から引き分けを狙うな。勝って終わらせる」
イラン最大の武器は、セットプレー。
高さ。
身体の強さ。
ロングスロー。
CK。
FK。
ペナルティーエリアへ次々と大きな選手が入ってくる。
日本は森岡美里、藤森彩香、伊達葵を中心に何度も跳ね返す。
一方、柚月と早川は中盤でセカンドボールを拾い、イランの二次攻撃を止める役割を担う。
しかし前半。
イランのCK。
ファーへ高いボール。
競り合い。
折り返し。
日本ゴール前で混戦。
そして、ボールは伊達葵の目前へ落ちる。
さらに、この試合では柚月の右ふくらはぎにも連戦の疲労が現れ始める。
痛みではない。
だが、重い。
原町監督は、そのわずかな変化を見逃さない。
次回、
第60章「高さとの戦い」
勝つことと、無理をすることは同じではない。
ロサンゼルスへ進むためには、目の前の一試合だけでなく、その先まで戦える身体を残さなければならない。




