金メダルを持って、仙台へ
第34章 金メダルを持って、仙台へ
1 世界一が帰ってきた
帰国記者会見を終えた翌日、柚月と徹は仙台へ向かった。
右ふくらはぎには固定具が巻かれている。長い距離を歩くことはできず、柚月は松葉杖と車椅子を使い分けながら移動していた。
膝の上には、ワールドカップの金メダルが入ったケース。
その隣には、ユリの遺影。
柚月は新幹線の窓から流れる景色を眺めながら、何度もメダルのケースへ手を触れていた。
成田空港で大勢のファンに迎えられた。
帰国会見では、世界一になった喜びも、ユリへの思いも、自分の言葉で伝えることができた。
それでも、まだ帰国したという実感は薄かった。
柚月にとって、本当に帰る場所は仙台だった。
徹が隣から尋ねる。
「脚、痛むか」
「少しだけだべ」
「少しの基準が信用できない」
「今日は本当に少しだっちゃ」
「昨日もそう言ってた」
「昨日よりは正直になってるべ」
徹は苦笑しながら、柚月の足元に置かれた荷物を確認する。
「仙台駅ではかなり人が待ってるらしい」
「どのくらい?」
「かなり」
「説明になってねぇべ」
「クラブ関係者から、サッカー少年団、女子チーム、報道陣まで来るって話だ」
柚月は少し困ったように笑った。
「うち、車椅子で登場するんだべな」
「世界一になって帰ってきたんだから、胸を張ればいい」
「座ったまま胸だけ張ったら、変な姿勢になんねぇ?」
「そこを気にする余裕があるなら大丈夫だな」
柚月はユリの遺影を見る。
「ユリも、仙台に帰るよ」
写真の中のユリは、旅を楽しんでいるように笑っていた。
2 仙台駅の歓声
新幹線が仙台駅へ到着する。
ホームへ降りる前から、改札付近のざわめきが聞こえていた。
駅員と警備スタッフに案内されながら、柚月たちは改札へ向かう。
扉の向こうには、青と黄色の旗が並んでいた。
「柚月、おかえり!」
「世界一、おめでとう!」
「金メダル見せて!」
「ユリもおかえり!」
大きな歓声が駅構内へ響く。
ベガルタ仙台のサポーター。
地元の女子サッカーチーム。
小学生のクラブ選手たち。
かつて柚月やユリと一緒にボールを追った仲間たち。
その中には、ユリの両親の姿もあった。
柚月は二人を見つけた瞬間、顔をくしゃくしゃにした。
「おじさん。おばさん」
ユリの母親が柚月の前へ歩み寄る。
何か言おうとしたが、声にならない。
代わりに、柚月の肩へそっと手を置いた。
柚月はユリの遺影を差し出す。
「一緒に帰ってきたよ」
ユリの父親は遺影を見つめ、ゆっくりとうなずいた。
「ありがとう。本当にありがとう」
柚月は首を振る。
「うちの方こそ、ユリにずっと助けてもらったっちゃ」
周囲に集まっていた子どもたちが、少し遠慮がちに柚月を見ている。
その中の一人が、勇気を出して声を上げた。
「柚月選手、金メダル見せてもらってもいいですか」
柚月は笑顔になる。
「もちろんだべ」
ケースから金メダルを取り出す。
子どもたちの目が一斉に輝いた。
「重い!」
「本物だ!」
「すごい!」
一人ずつ、手のひらへそっと触れる。
柚月は何度も言った。
「落としても大丈夫だから、怖がらなくていいっちゃ」
徹がすぐに口を挟む。
「大丈夫ではない」
「いや、子どもたちが緊張すっぺ」
「だからって、落としていいとは言うな」
周囲から笑いが起こった。
ユリの母親も、涙を拭いながら笑っていた。
3 最初に向かう場所
仙台駅での歓迎セレモニーを終えたあと、柚月たちは車へ乗り込んだ。
クラブ関係者からは、このままベガルタ仙台の施設へ来てほしいと頼まれていた。
地元メディアの取材も待っている。
それでも、柚月が最初に向かいたい場所は決まっていた。
「ユリのところへ行きたい」
徹はすぐにうなずいた。
「分かってる」
ユリの両親も同行する。
車内では、誰も多くを話さなかった。
窓の外には、柚月が知っている仙台の街並みが流れている。
世界一になって帰ってきても、街は変わらない。
信号を待つ車。
自転車で通学する学生。
商店の前で荷物を運ぶ人。
いつもの仙台。
その景色を見て、柚月はようやく帰ってきたのだと実感した。
やがて車は、ユリが眠る場所へ到着した。
柚月は松葉杖を使って、ゆっくりと歩く。
徹がすぐ横につき、ユリの父親が荷物を持つ。
一歩ずつ。
右脚へ負担をかけないように進む。
墓前へ着くと、柚月は用意された椅子へ腰を下ろした。
花を供える。
ユリの遺影を置く。
そして、金メダルをケースから取り出した。
4 約束を守ったよ
柚月は金メダルを両手で持ち、ユリの墓前へ置いた。
朝の光が金色の表面へ反射する。
「ただいま、ユリ」
声は、少し震えていた。
「約束、守ったよ」
ワールドカップの決勝。
アメリカに先制された。
黒川が追いついた。
渡瀬がPKを決めた。
最後は黒川が三点目を奪った。
試合終了の笛が鳴った瞬間、柚月はベンチからユリの遺影を抱いてピッチへ向かった。
そのすべてを、柚月はゆっくりと語った。
「ユリも見てたべ」
風が、墓地の木々を揺らす。
「これ、ワールドカップの優勝メダル」
柚月は金メダルを持ち上げ、ユリの遺影へ近づけた。
「見てる?」
少し間を置く。
「見える?」
風の中から、懐かしい声が聞こえてくる。
「見えるっちゃ。ちゃんと見えてるべ」
柚月の目から、涙がこぼれた。
「柚月。本当にありがとうだっちゃ」
「うちこそ、ありがとう」
「夢をかなえてくれて、ありがとう」
柚月は首を振る。
「うち一人でかなえたんじゃねぇべ。美里も、真緒も、菜月も、葵も、みんなでかなえた夢だっちゃ」
「それでも、うちを表彰台まで連れていってくれたのは柚月だべ」
「だって、親友だからな」
「んだな」
柚月は金メダルへ指先を添えた。
「ユリ、まだまだ一緒に夢見よう」
風が静かに吹く。
「次は来年のロサンゼルスオリンピックだべ」
徹が少し離れた場所から、その言葉を聞いていた。
柚月の右脚は、今すぐ走れる状態ではない。
それでも、声には新しい目標へ向かう力が戻っていた。
「ワールドカップとオリンピックの二冠、目指すよ」
柚月はユリの写真をまっすぐに見つめる。
「今度はオリンピックの金メダルも、ここに持ってくるっちゃ」
ユリの声は、嬉しそうでありながら、少しだけ心配そうだった。
「目標はいいけど、まず脚治せよ」
柚月は泣きながら笑った。
「徹と同じこと言うなぁ」
「当たり前だべ。柚月、ゆっくり休んで」
「分かってるっちゃ」
「本当に?」
「ユリまで疑うのか」
「昔から無理するところ、変わってねぇからな」
「今度はちゃんと休むべ」
「それなら、また一緒に夢見よう」
柚月は大きくうなずいた。
「うん。ずっと一緒だっちゃ」
5 ユリの家族へ渡したメダル
柚月は金メダルをユリの母親へ手渡した。
「持ってみてけろ」
母親は両手で受け取る。
その瞬間、涙があふれた。
「こんなに重いんだね」
「うん。でも、嫌な重さじゃねぇべ」
ユリの父親も、そっとメダルへ触れる。
「ユリが生きていたら、これを首に掛けて走り回っただろうな」
柚月は笑う。
「絶対、誰にも返さねぇって言うべな」
母親も涙を流しながら笑った。
「言うと思う」
柚月は、ユリの遺影へ金メダルを一度掛けた。
首から下げることはできないため、額縁の前へそっと添える。
「少しだけ、ユリに貸してけろ」
誰も急かさなかった。
風の音だけが、静かに流れていた。
やがて母親が言う。
「柚月ちゃん」
「はい」
「次の夢も、ユリと一緒に見てあげて」
柚月は迷わず答えた。
「もちろんだっちゃ」
「でも、身体を大切にしてね」
「はい」
徹が後ろから小さく言う。
「その返事、録音しておきたいです」
柚月が振り返る。
「徹、今はいいところだべ」
「いいところだからこそ、証拠を残したい」
ユリの両親が笑う。
柚月も、最後には笑っていた。
6 ベガルタ仙台へ
墓参りを終えたあと、柚月と徹はベガルタ仙台のクラブ施設へ向かった。
入口には、選手やスタッフが並んで待っていた。
大きな拍手。
「世界一、おめでとう!」
「徹もお疲れ!」
「特別コーチ、仕事したな!」
徹は少し照れくさそうに頭を下げる。
「選手たちがすごかっただけです」
柚月は車椅子に座ったまま、金メダルを掲げる。
「持って帰ってきたよ!」
選手たちが集まり、金メダルを順番に手に取る。
「本当に重いな」
「決勝のPK、見てるこっちが緊張した」
「最後の黒川のシュート、叫んだよ」
徹のチームメートが尋ねる。
「特別コーチとして、何を見てたんだ」
徹は少し考える。
「技術や戦術もある。でも、一番感じたのは、誰か一人が試合を決めているわけじゃないということだ」
「黒川が二点取ったけど?」
「その前に藤森が奪って、宮原がつないだ。渡瀬のPKも、藤森の突破から生まれた。柚月が下がったあとも、チームの速度は落ちなかった」
徹は選手たちを見る。
「ピッチにいる十一人だけじゃない。ベンチにいる選手、スタッフ、出られなかった選手も含めて、全員が次の一本を準備していた」
監督がうなずく。
「うちのチームにも必要な考え方だな」
徹は続ける。
「それと、休む判断です」
柚月がすぐに口を挟む。
「それ、うちを見ながら言う必要ある?」
「一番分かりやすい例だからな」
周囲から笑いが起こる。
「無理して出続けることが、必ずしもチームのためにはならない。交代した選手が流れを変えることもある。世界一のチームは、その判断を恐れなかった」
柚月は少し悔しそうにしながらも、最後にはうなずいた。
「うちも、そこは勉強になったっちゃ」
7 次の夢を口にした少女
クラブ施設の隣では、地元の女子サッカーチームの子どもたちが練習していた。
柚月が来ていると知り、練習を終えた子どもたちが集まってくる。
一人の少女が、少し緊張した様子で前へ出た。
小学五年生ほど。
泥のついたスパイクを履き、髪を後ろで結んでいる。
「柚月選手」
「うん?」
「金メダル、触ってもいいですか」
柚月は笑顔で手渡した。
少女は両手で受け取る。
重さに驚きながらも、しっかりと持った。
「重いです」
「世界一の分だけ重いんだべ」
少女は金メダルを見つめたあと、柚月へ返した。
そして、まっすぐに言った。
「私も、いつかなでしこジャパンに入りたいです」
柚月は少女の目を見る。
「いい夢だべ」
「ワールドカップで優勝したいです」
「だったら、今日の練習から始めればいいっちゃ」
少女は少し驚く。
「今日からですか」
「夢って、いつか急に始まるんじゃねぇべ。今日のパス一本とか、今日の走り一本から始まるんだっちゃ」
少女は大きくうなずいた。
「頑張ります」
柚月はユリの遺影を見る。
「ユリも、同じ夢を持ってたんだよ」
少女は写真へ向かって、丁寧に頭を下げた。
「ユリさん。私も頑張ります」
風が、練習場を通り抜けた。
ユリの声が聞こえた気がした。
「頑張れ。いつか代表で会おうな」
少女は聞こえていないはずなのに、なぜか嬉しそうに笑った。
柚月も笑う。
かなえられた夢は、そこで止まらない。
誰かがつかんだ金メダル。
誰かが掲げたトロフィー。
誰かが最後まで走る姿。
その輝きを見た子どもの胸で、新しい夢が生まれる。
柚月は金メダルをユリの遺影へ近づけた。
「見てるべ、ユリ」
風が答える。
「見てるっちゃ。次のなでしこが、もう走り始めてるべ」
柚月は静かにうなずいた。
ワールドカップは終わった。
けれど、柚月とユリの夢は終わらない。
次は、ロサンゼルスオリンピック。
ワールドカップとオリンピックの二冠。
新しい目標へ向かう道は、まず傷ついた右脚を休ませることから始まる。
柚月は、今度こそ焦らないと決めた。
また走るために。
またユリと夢を見るために。
そして、次の世代へ夢を渡すために。
次回予告
第35章「休むことから始まる夢」
ワールドカップの金メダルをユリへ届けた柚月。
次に目指すのは、ロサンゼルスオリンピックでの金メダル。
しかし、右ふくらはぎの筋損傷は、柚月が考えていたよりも慎重な回復を必要としていた。
ボールを蹴れない。
走ることもできない。
仲間たちが所属クラブへ戻り、試合へ出場する中、柚月だけが治療室でリハビリを続ける。
焦り。
孤独。
そして、世界一になった選手だからこそ寄せられる復帰への期待。
徹は柚月へ告げる。
「早く戻ることが目標じゃない。戻ったあと、もう一度全力で走れることが目標だ」
一方、女子サッカー界では、ロサンゼルスオリンピックへ向けた新たな競争が始まる。
若い選手たちが台頭し、代表の座は保証されていない。
世界一の柚月も、再び一人の挑戦者へ戻る。
次回、
第35章「休むことから始まる夢」
立ち止まることは、夢を諦めることではない。
次の一歩を壊さないために、
今は歩かない勇気が必要になる。




