五対四――最後の一秒まで、前へ 後半25分――残り二十分
第22章 五対四――最後の一秒まで、前へ
後半25分――残り二十分
スコアは、日本4―3ブラジル。
日本が四点目を奪っても、ブラジルは沈まなかった。
開催国としての誇り。
満員のスタンドから注がれる声。
そして、ここで敗れれば大会を去るしかないという切迫感。
それらすべてが、黄色いユニフォームをさらに前へ押し出していた。
後半二十五分を過ぎると、ブラジルは守備の形をほとんど捨てた。
センターバックのイザベラ・モラエスまでハーフウェーライン付近へ上がり、両サイドバックは日本陣内へ張りつく。
アナ・クララが最終ラインの前でボールを動かし、ルアナ・フェレイラが日本の中盤と守備の間を絶えず動く。
前線には、マリアナ・コスタ。
ベアトリス・シルヴァ。
カロリーナ・ジェズス。
途中出場のソフィア・アウヴェス。
ブラジルは実質的に、四人のアタッカーを日本の最終ラインへぶつけてきた。
実況
「ブラジル、さらに前へ出ます! センターバックも高い位置です。完全に同点を取りに来ています!」
解説
「日本は苦しい時間になりますね。ただ、ブラジルがこれだけ人数を前へかければ、背後には大きなスペースが生まれます。守り切ろうとするだけではなく、カウンターの出口を残せるかが重要です」
原町監督がベンチの前まで出る。
「全員で下がるな! ひとりは必ず前に残せ!」
渡瀬がセンターライン付近へ位置を取る。
日比谷も完全には自陣へ戻らず、ボールを奪ったときの出口を探す。
しかし、そこへ届けるまでが難しかった。
ブラジルの圧力は、前半とは比較にならない。
ボールを奪ったと思った瞬間、二人目が来る。
クリアしても、セカンドボールはブラジルが拾う。
身体を当てても、簡単には倒れない。
倒れたとしても、すぐに立ち上がり、また日本のゴールへ向かってくる。
柚月が自陣深くまで戻り、ルアナの前を塞ぐ。
「前、向かせねぇぞ!」
ルアナは背中で柚月の圧力を受けながら、右足の外側でボールを横へ逃がす。
ベアトリスが受ける。
縦へ行く。
止まる。
もう一度、内側へ切り返す。
日本の守備者が足を出さない。
原町監督から繰り返し言われていた。
余計なファウルを与えないこと。
ブラジルのセットプレーは、すでに前半から日本のゴールを脅かしている。
ここで不用意に足を掛ければ、ゴールに近い位置から直接狙われる。
日本は身体を寄せる。
コースを切る。
最後まで我慢する。
ベアトリスが左足でクロスを入れる。
ゴール前へ、高く、強いボール。
マリアナが跳ぶ。
國武も身体をぶつけながら競り合う。
ヘディング。
ボールがゴール左へ向かう。
葵が両足を細かく動かし、左へ飛んだ。
両手で弾く。
実況
「葵、また止めた! マリアナのヘディングを弾き出しました!」
解説
「これは簡単ではありません。マリアナが國武に身体を当てながら、しっかり枠へ飛ばしました。葵、集中しています」
弾かれたボールへ、エロイーザ・リマが走り込む。
右足を振る。
だが、美里が身体を投げ出した。
シュートは美里の太ももに当たり、タッチラインへ転がる。
美里はその場へ倒れ込む。
「美里!」
柚月が駆け寄る。
美里は痛みに顔をしかめながらも、すぐに片手を上げた。
「大丈夫。止めただけ」
「いや、今の音、全然大丈夫じゃねぇべ!」
「でも、入ってないでしょ」
「そういう問題でねぇっちゃ!」
二人の短いやり取りに、葵がゴール前から叫ぶ。
「しゃべってるなら立てる! 次来るよ!」
美里は苦笑しながら立ち上がった。
「葵、容赦ないなあ」
「今は試合中!」
そのわずかな会話の間にも、ブラジルはスローインの準備を始めていた。
後半30分――逃げるのではなく、耐える
ブラジルの攻撃が続く。
日本の最終ラインは、ペナルティーエリアの前に四人。
その前に美里と柚月が並ぶ。
守備の二本の線。
しかし、ブラジルはその外側から何度も揺さぶった。
右から左。
左から右。
ボールが動くたびに、日本の守備も横へ移動する。
ルアナが中央で受ける。
柚月が寄せる。
ルアナは前を向かず、左へ。
カロリーナがワンタッチで中央へ戻す。
アナ・クララが浮き球を入れる。
日本の守備ラインの背後へ、ソフィアが走る。
西野が追う。
葵が前へ出る。
ソフィアが先に触ろうと右足を伸ばす。
だが葵が、身体ごとボールの前へ滑り込んだ。
ソフィアの足元からボールを抱える。
実況
「葵が出た! 勇気ある飛び出し! ソフィアの足元でボールを確保しました!」
葵は地面に倒れたまま、数秒間ボールを胸に抱えた。
時間を使うためではない。
呼吸を整えるためだった。
日本の選手たちがゆっくりとラインを押し上げる。
葵は立ち上がり、ボールを持ったまま仲間たちを見る。
「一回、前へ出よう! ずっと下がったままじゃ持たない!」
美里が手を上げる。
「柚月、受けて!」
葵から柚月へ低いボール。
柚月はルアナを背負いながら、右足で受ける。
身体を寄せられる。
簡単には前を向けない。
それでも、ボールを失わない。
左足で守り、右肩を入れ、ルアナとの間に身体を置く。
「渡瀬!」
振り向かずに、右サイドへボールを流す。
渡瀬が走る。
日本がようやく、自陣から脱出した。
解説
「今の柚月は大きいですね。前を向けなくても、ボールを失わず、味方を前進させました」
実況
「日本、久しぶりにブラジル陣内へ入ります!」
渡瀬が右サイドを運ぶ。
中央へ日比谷。
左から相沢。
だが、ブラジルの戻りも速い。
渡瀬は無理にクロスを上げず、タッチライン際でボールを守った。
相手に当て、スローインを得る。
数十秒。
たったそれだけだった。
それでも日本にとっては、貴重な時間だった。
美里がゆっくりと前へ上がりながら言う。
「一回、呼吸できたね」
柚月は膝に手を当て、息を整える。
「あと十五分。長ぇな」
「長いね」
「でも、終わらせっぺ」
美里はうなずいた。
「うん。逃げないで、終わらせる」
後半34分――ポストに救われる
ブラジルが再び攻撃を始める。
イザベラからアナ・クララ。
アナ・クララから右のベアトリス。
ベアトリスは縦へ仕掛けず、中央へボールを運ぶ。
日本の守備が内側へ寄る。
その瞬間、外側をブラジルの右サイドバック、レチシア・ナシメントが追い越した。
ベアトリスからレチシア。
レチシアがペナルティーエリア右へ侵入する。
日比谷が必死に戻る。
レチシアが右足を振る。
低い折り返し。
ニアへソフィア。
中央へマリアナ。
ソフィアが触る。
ボールの軌道がわずかに変わり、マリアナの足元へ。
國武が身体を寄せる。
マリアナは倒れながら右足を伸ばした。
シュート。
ボールは葵の横を抜ける。
実況
「マリアナ、シュート! 抜けた!」
ゴール左のポストへ向かう。
カンッ――。
乾いた音。
ボールはポストに当たり、ゴール前へ跳ね返った。
実況
「ポスト! 日本、救われました!」
こぼれ球へエロイーザが走る。
だが、西野が先に滑り込み、大きくクリアした。
ボールはスタンドへ飛び込む。
日本の選手たちは一瞬、動けなかった。
葵が両手を叩く。
「止まるな! まだ切れてない!」
國武が荒い息を吐く。
「今の、入ったと思った……」
西野が返す。
「入ってない。だから次」
その言葉は冷静だった。
だが、声はわずかに震えている。
ブラジルの猛攻は、日本の身体だけでなく、精神も削っていた。
後半37分――交代カード
原町監督が動いた。
疲労の見える日比谷と相沢を下げ、新たに二人を投入する。
俊足のウイング、藤森彩香。
守備力の高い中盤、黒川真緒。
実況
「日本、ここで二枚替えです。藤森彩香と黒川真緒が入ります!」
解説
「藤森はカウンターの出口ですね。黒川は中央の強度を上げる狙いでしょう」
ピッチへ入る直前、原町は藤森の肩をつかんだ。
「守るために入れるんじゃない。走れるなら、相手のゴールまで行け」
「はい!」
黒川には短く伝える。
「ルアナを自由にするな。ただし、ファウルはするな」
「わかりました」
二人がピッチへ入る。
美里が黒川へ声をかける。
「真緒、私の右に入って!」
柚月は一列前へ上がる。
日本は守備の強度を上げながら、柚月をカウンターの起点として残した。
それでもブラジルの圧力は落ちない。
後半39分――ついに同点
ブラジルが日本陣内でボールを回す。
アナ・クララからイザベラ。
イザベラが左へ展開する。
カロリーナが受ける。
藤森が戻ってコースを切る。
カロリーナは縦へ行かず、中央のルアナへ。
黒川がすぐに寄せる。
ルアナは背中を向けたまま、ワンタッチでアナ・クララへ戻す。
アナ・クララが右へ大きく展開。
ベアトリス。
日本の守備が再び横へ振られる。
ベアトリスはボールを止めない。
ワンタッチで、ペナルティーエリア中央へ浮き球を入れた。
マリアナが國武を背負う。
直接は競らない。
ボールを胸で落とす。
その背後から、ソフィア・アウヴェスが走り込んでいた。
実況
「マリアナが落とした! ソフィアが来る!」
ソフィアは右足を振る。
西野が足を出す。
シュートは西野の足に当たる。
コースが変わる。
葵は最初の軌道へ反応していた。
身体を右へ動かした直後、ボールは逆の左へ転がった。
葵が必死に足を戻す。
手を伸ばす。
届かない。
ボールが、ゆっくりとゴールラインを越えた。
後半39分。
日本4―4ブラジル。
実況
「同点! ブラジル、ついに追いつきました! 四対四! 後半三十九分、試合は振り出しです!」
スタジアムが爆発した。
ブラジルの選手たちがソフィアへ飛びつく。
スタンドの黄色と緑が激しく揺れる。
前半、日本が二点を先行した。
後半も二度、二点差をつけた。
それでもブラジルは追いついた。
四対四。
日本の選手たちは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
葵は膝をつき、芝を一度叩く。
「くそっ……!」
國武が葵へ駆け寄る。
「葵のせいじゃない。まだ時間ある」
美里が全員をセンターサークルへ集める。
「顔上げて!」
その声は大きかった。
「同点になっただけ! 負けてない!」
柚月も叫ぶ。
「まだ六分ある! うちらが次取ればいいべ!」
黒川が息を整えながらうなずく。
藤森はブラジルの最終ラインを見た。
同点を喜ぶブラジルは、まだ前がかりになっている。
その背後には、広い空間が残っていた。
原町監督は手をたたく。
「勝ちに行け! 延長を考えるな!」
後半42分――日本にも決定機
日本のキックオフ。
美里から柚月。
柚月はすぐに右へ出さず、ボールを足元に置いた。
ブラジルが一斉に寄せる。
一人。
二人。
柚月は引きつける。
ぎりぎりまで待つ。
そして、右足の外側で左前方へ斜めのパスを通した。
藤森が走っている。
ブラジルの右サイドバックの背後。
藤森がボールに追いつく。
実況
「日本、藤森が抜けた! 左サイドに大きなスペース!」
藤森がペナルティーエリアへ入る。
中央へ渡瀬。
遅れて柚月も上がる。
藤森が低いクロスを入れる。
渡瀬がニアへ飛び込む。
右足で合わせる。
GKカミーラが身体を投げ出す。
足に当てた。
こぼれ球が柚月の前へ転がる。
柚月が左足を振る。
イザベラが滑り込み、ブロック。
ボールはゴールラインを割った。
実況
「日本も決定機! しかしカミーラ、そしてイザベラが防ぎました!」
柚月が両手を頭へ置く。
「決めだがった……!」
渡瀬が立ち上がる。
「まだコーナーです!」
日本の右コーナーキック。
キッカーは美里。
ゴール前へ國武と西野も上がる。
美里が右足で蹴る。
ニアへ速いボール。
國武が頭で触る。
ボールはファーへ流れる。
黒川が飛び込む。
しかし、わずかに届かない。
ボールはそのままタッチライン方向へ抜けた。
後半45分――アディショナルタイムは5分
第4審判がボードを掲げる。
「+5」
実況
「後半アディショナルタイムは五分! 五分あります!」
解説
「両チームとも、もう足はかなり厳しい。ただ、延長へ入ればさらに三十分です。できれば、この五分で決めたいでしょう」
四対四。
次の一点が、ベスト4を決める可能性が高い。
ブラジルはまだ前へ来る。
開催国の勢いは止まらない。
アナ・クララが前へ運ぶ。
右のベアトリスへ。
ベアトリスが藤森と向き合う。
内側へ切り込む。
黒川がカバーへ入る。
ベアトリスは二人の間から強引にシュートを放った。
ボールは國武の身体に当たり、上へ浮く。
ゴールへ向かう。
葵が後ろへ下がりながら、両手でかき出した。
実況
「葵! 危ないボールをクロスバーの上へ出しました!」
ブラジルのコーナーキック。
時計は九十一分を回る。
ルアナが左からボールを入れる。
マリアナが跳ぶ。
國武も競る。
ボールは二人の頭に当たり、ペナルティーエリア外へこぼれた。
エロイーザが拾う。
シュート。
黒川が身体を投げ出す。
弾かれたボールを美里が拾った。
「柚月!」
美里が中央へつなぐ。
柚月は背中にルアナを背負いながら受けた。
前を向けない。
だが、失わない。
右足でボールを止める。
左足で一度またぐ。
身体をひねり、ルアナの寄せを外す。
前を向いた。
その瞬間、藤森が走り出した。
ブラジルの右サイドには、誰もいない。
柚月の視線と藤森の走りが重なる。
(斜め。)
言葉はなかった。
だが、二人は同じ場所を見ていた。
柚月が左足で長いパスを蹴る。
ボールはブラジルの最終ラインの外側を通り、藤森の前へ落ちる。
実況
「日本のカウンター! 藤森が走る! 右ではなく、左の大きなスペースです!」
藤森が追いつく。
九十二分。
ブラジルのDFが必死に戻る。
藤森はペナルティーエリア左へ入る。
中央には渡瀬。
その後ろに柚月。
さらに右から黒川が走っている。
藤森は中央を見た。
クロスを入れる。
低いボール。
渡瀬がニアへ入る。
ブラジルCBが渡瀬についていく。
渡瀬は触らない。
ボールはその後ろへ抜けた。
柚月が走り込む。
イザベラが柚月へ寄せる。
柚月はシュートを打つと見せた。
イザベラが足を伸ばす。
その瞬間、柚月は右へ流した。
「真緒!」
黒川真緒。
守備を強化するために投入された選手が、右側からペナルティーエリアへ入っていた。
ボールを受ける。
目の前にGKカミーラ。
角度は狭い。
黒川は強く蹴らなかった。
右足のインサイドで、ゴール左隅へ転がす。
カミーラが横へ飛ぶ。
指先を伸ばす。
ボールへ触れる。
しかし、止めきれない。
ボールはわずかに速度を落としながら、ゴールラインへ向かう。
イザベラが戻る。
滑り込む。
その足先より、ほんのわずかに早く――
ボールが、ゴールラインを越えた。
ネットが揺れた。
後半アディショナルタイム。
日本5―4ブラジル。
実況
「入ったぁぁぁぁぁ!! 日本、勝ち越し!! 黒川真緒! 後半アディショナルタイム、日本が五点目を奪いました!」
解説
「なんという試合でしょう! 四対四に追いつかれて、それでも日本は下を向かなかった! 柚月が引きつけ、最後は黒川! 守備のために入った選手が、勝ち越しゴールです!」
黒川は一瞬、自分が決めたことを理解できなかった。
ゴールを見た。
ネットの中に、ボールがある。
次の瞬間、両手で顔を覆った。
「入った……!」
藤森が真っ先に抱きつく。
渡瀬が飛び込む。
柚月が黒川の頭を抱える。
美里も、國武も、西野も、次々に重なる。
「真緒!」
「決めたべ!」
「まだ終わってない! 戻るよ!」
喜びは数秒だけ。
主審はセンターサークルを指している。
時計は九十三分を過ぎていた。
残り、およそ二分。
原町監督が叫ぶ。
「全員、切り替えろ! ここからが一番長い!」
最後の二分――ブラジル、全員攻撃
ブラジルのキックオフ。
GKカミーラまで、ゴールの外へ出てボールを前へ送る。
ロングボール。
日本のペナルティーエリアへ。
國武が跳ね返す。
こぼれ球をルアナが拾う。
右へベアトリス。
ベアトリスがクロス。
西野が頭でクリア。
まだ終わらない。
アナ・クララが拾う。
もう一度、左のカロリーナへ。
カロリーナが縦へ仕掛ける。
黒川が戻る。
身体を寄せる。
足は出さない。
カロリーナが無理にクロスを上げる。
ゴール前。
マリアナが跳ぶ。
葵も前へ出る。
二人が空中で競り合う。
葵が両手でボールを弾いた。
ボールがゴール前へ落ちる。
ソフィアが右足を振る。
國武が身体を投げ出した。
シュートは國武の胸に当たる。
こぼれ球。
エロイーザが狙う。
美里が足を伸ばす。
ボールはタッチラインへ逃げた。
実況
「日本、身体を張る! ブラジルの猛攻を全員で防いでいます!」
ブラジルのスローイン。
時計は九十四分四十秒。
もう五分を過ぎようとしている。
ロングスローがゴール前へ入る。
國武が競る。
マリアナが頭で中央へ落とす。
ソフィアが走る。
葵が飛び出す。
二人が同時にボールへ向かう。
葵が先に両手で抱えた。
ソフィアがその上を飛び越え、芝へ倒れる。
葵はボールを抱えたまま、動かない。
主審が腕時計を見る。
ブラジルの選手たちが、早く再開しろと叫ぶ。
葵はゆっくりと立ち上がる。
そして、ボールを大きく前へ蹴り出した。
そのボールがセンターラインを越えた瞬間――
主審が笛を口へ運んだ。
ピィッ、ピィッ、ピィィィィッ――!
試合終了。
日本5―4ブラジル。
実況
「終わったぁぁぁ!! なでしこジャパン、開催国ブラジルを破りました! 五対四! 壮絶な九ゴールの死闘を制し、日本がベスト4進出です!」
解説
「信じられない試合でした。二点を先行し、何度も追い上げられ、ついには四対四。しかし、日本は最後まで前へ出る勇気を失いませんでした」
日本の選手たちは、その場へ崩れ落ちた。
美里は両膝を芝につき、顔を伏せる。
國武は仰向けに倒れ、空を見上げる。
西野は座り込み、両手で顔を覆った。
葵はゴール前で大きく息を吐き、グローブを芝へ押しつけた。
黒川は、まだ自分のゴールを信じられないように立っていた。
柚月が歩み寄り、黒川を抱きしめる。
「真緒。うちら、勝ったっちゃ」
黒川の目から、ようやく涙がこぼれた。
「私が……決めたんですか?」
「決めだよ。最高のゴールだったべ」
「守るために入ったのに……」
「守るって、ゴールから遠ざけるだけじゃねぇべ。自分たちが一点取るのも、立派な守りだっちゃ」
黒川は声を上げて泣いた。
柚月も笑いながら涙を拭う。
そして、ベンチサイドへ目を向ける。
徹が、ユリの遺影を胸に抱いている。
写真の中のユリは、いつもの笑顔だった。
柚月はゆっくりと歩み寄り、遺影の前へしゃがみ込む。
「ユリ」
荒い呼吸の合間に、言葉を絞り出す。
「五対四だって。めちゃくちゃな試合だったべ」
風が吹く。
汗で濡れた柚月の髪を、優しく揺らす。
その風の中に、ユリの笑い声が混じった気がした。
「んだべ? 同じ人間がやるんだから、大丈夫だって言ったっちゃ」
柚月は遺影へ額を寄せる。
「大丈夫どころか、心臓止まりそうだったべ」
「でも、勝ったべ?」
「……うん」
柚月は涙を流しながら笑った。
「勝ったよ。うちら、ベスト4だっちゃ」
日本は、開催国ブラジルとの壮絶な打ち合いを制した。
二点差を三度縮められた。
一度は完全に追いつかれた。
それでも、最後まで前へ出た。
最後まで、自分たちが積み上げてきたものを信じた。
日本5―4ブラジル。
この夜、なでしこジャパンは、
勝利とは守り切ることだけではなく、
崩れそうになった瞬間に、もう一度前へ踏み出すことなのだと証明した。
次回予告
第23章「九つのゴール、その代償」
開催国ブラジルとの壮絶な死闘を制し、ベスト4へ進んだ日本。
しかし、喜びの裏で、選手たちの身体は限界に近づいていた。
シュートを身体で受け続けた美里。
ブラジルの強靱なフィジカルと競り合い続けた國武。
何度も横へ飛び、ゴールを守った葵。
攻守に走り続けた柚月。
試合後のロッカールームでは、歓喜より先に、メディカルスタッフによる入念な確認が始まる。
そして、柚月は徹から思いがけない言葉を聞く。
「勝った試合のあとほど、怖いものがある」
一方、次の準決勝の相手も決定する。
優勝まで、あと二つ。
だが、なでしこジャパンは、五対四の勝利と引き換えに負った疲労を抱えたまま、次の戦いへ向かわなければならなかった。
次回、
第23章「九つのゴール、その代償」
勝利の笛が鳴ったあと、
本当の回復への戦いが始まる。




