前半41分――開催国の猛攻、そして“右手一本”
前半41分――開催国の猛攻、そして“右手一本”
日本が先制してから、スタジアムの空気が変わった。
静まり返ったわけではない。
むしろ逆だ。
ブラジルのサポーターたちは、さらに声を上げ始めた。
太鼓。
歓声。
口笛。
まるでスタジアム全体で、ブラジル代表を前へ押し出しているようだった。
そして、その熱に応えるように、ブラジルの攻撃のギアが一段、いや二段上がる。
実況
「さあ、ここからブラジルの圧力が強まっています!」
前線でボールを受けた瞬間の初速。
身体をぶつけられても失わないキープ力。
一歩で間合いを変える突破。
さっきまで“止められていた”プレーが、少しずつ“押し込む”プレーへ変わっていく。
右サイドではベアトリス・シルヴァが強引に縦へ。
左ではカロリーナ・ジェズスが何度も裏を狙う。
中央ではルアナ・フェレイラが、狭い隙間に身体を滑り込ませて前を向こうとする。
日本は押し込まれる。
美里が叫ぶ。
「中、切れ! 外でいい!」
柚月も戻る。
「焦るな! ライン下げすぎない!」
だが、ブラジルの圧は本物だった。
一対一の局面で、ほんの半歩ずつ押される。
身体をぶつけられるたび、スタミナが削られていく。
それでも、日本は耐える。
なぜなら、原町監督が試合前に繰り返し言っていたからだ。
「余計なファールをするな。
開催国相手のセットプレーは、一番危険だ。」
だから飛び込まない。
不用意に足を出さない。
ギリギリまで身体を寄せ、コースを切る。
しかし――。
前半41分。
その“最大のピンチ”は、やってきた。
⸻
ブラジルの左サイド。
レチシア・ナシメントが深い位置まで侵入する。
日比谷が身体を入れる。
ボールはラインを割った。
主審の笛。
コーナーキック。
スタジアムが、一気に沸き上がる。
実況
「ブラジル、ここでCK!
開催国にとって大きなチャンスです!」
解説
「ここは危険ですね。
ブラジルはセットプレーでも非常に高さがあります」
ゴール前。
イザベラ・モラエス。
マリアナ・コスタ。
長身選手たちが次々と入ってくる。
葵が大声を飛ばす。
「ニア國武! 中央西野! ファー見る!」
國武がうなずく。
西野がマリアナに身体を当てる。
柚月はセカンド回収の位置へ。
キッカーは、ルアナ・フェレイラ。
左コーナーから、右足で蹴る。
インスイング。
ボールが、ゴールへ巻き込むような軌道を描く。
実況
「ルアナのキック! いいボールだ!」
その軌道は、単純なクロスではなかった。
ゴールのすぐ右後方。
GKとDFの間。
もっとも処理が難しい場所へ落ちてくる。
解説
「狙ってますね……!
直接ではなく、折り返しを使う形です!」
イザベラ・モラエスが飛ぶ。
ドンッ!
完璧なヘディング。
直接狙わない。
中央へ落とす。
そこへ、マリアナ・コスタが飛び込む。
実況
「落とした! マリアナ!!」
至近距離。
右足一閃。
強烈なシュート。
ゴール左へ叩き込まれる――
その瞬間。
青い影が、横へ飛んだ。
葵だった。
反応ではない。
ほとんど“勘”に近い。
いや、違う。
何度も映像を見て、
何度も共有し、
何度も頭に叩き込んだ。
「折り返しヘディングから来る」
その予測が、身体より先に動いていた。
葵は右手一本を伸ばす。
バチィィィン!!
鋭い音。
ボールが、グローブの先で弾かれる。
クロスバーの上へ。
実況
「止めたぁぁぁぁぁ!!
伊達葵、スーパーセーブ!!
日本、絶体絶命をしのぎました!!」
スタジアムがどよめく。
ブラジルの選手たちは信じられないという顔をする。
マリアナが頭を抱える。
解説
「これはすごい……!
ほぼ至近距離ですよ!
しかも折り返しからのシュートでGKの体勢は崩れていた。
それを右手一本で触りました!」
葵は倒れ込んだまま、すぐに立ち上がる。
「まだ!!」
その声で、日本の選手たちが一斉に戻る。
再びCK。
しかし今度は、國武が跳ね返す。
柚月が拾う。
大きく前へ蹴り出す。
主審が時計を見る。
前半終了間際。
日本は、なんとか耐えていた。
柚月が息を切らしながら葵の肩を叩く。
「今の、神。」
葵は苦笑する。
「いや、ギリギリ。
でも、“来る”って感じした。」
美里が振り返り、ゴールを見る。
「助かった……。」
その時、ふっと風が吹いた。
ベンチサイド。
ユリの遺影が、わずかに揺れる。
そして、誰かが笑った気がした。
「葵、おめぇの守備力、世界一だっちゃ。」
葵はほんの一瞬だけ目を細める。
「……ありがと、ユリ。」
スコアは、まだ1-0。
だが、その一点を守るために、
日本は全員で、開催国ブラジルの熱を真正面から受け止めていた。




