前半31分――実況席が見た、青いカウンター
前半31分――実況席が見た、青いカウンター
実況
「ブラジル、また右サイドから来ます! ベアトリス・シルヴァ、縦に仕掛ける!」
ブラジルの右サイド。
ベアトリスがボールを持つと、スタンドの黄色い波が一斉に立ち上がった。
一歩目で加速し、二歩目で身体を入れる。
日本の左SBがコースを切るが、ベアトリスは強靭なフィジカルで押し込み、内側へ切り込もうとする。
解説
「ここですね、日本は中だけ消したい。抜かれても外ならいい。中に入られると危険です」
美里が戻る。
柚月も背中側から寄せる。
日本は奪いにいかない。
止めるのではなく、遅らせる。
ベアトリスは一度戻す。
ブラジルはルアナ・フェレイラへ。
そこからアナ・クララ、さらに中央のマリアナ・コスタへ縦を刺す。
実況
「ルアナからアナ・クララ、そして中央へ……あっと、少しずれた!」
そのパスは、ほんの半歩だけ内へ流れた。
マリアナが身体を入れて収めようとした瞬間、青い影が前へ出る。
西野だった。
つま先で触る。
ボールがこぼれる。
その先に、美里。
実況
「西野が触った! こぼれたところ、美里! 日本、奪った!」
解説
「今のは大きいですよ! ブラジル、前に人数をかけていました!」
美里は、奪った瞬間に前を向いた。
迷いがない。
右を見る。
そこには渡瀬がすでに走り出している。
実況
「美里、前を向いた! 右へ出す! 渡瀬が走っている!」
ボールは芝を滑る。
渡瀬が受ける。
ブラジルの左SBレチシアが必死に戻るが、最初の5メートルで渡瀬が勝った。
解説
「日本のスプリントの初速が出ましたね。ここは速い!」
渡瀬が右サイドを駆け上がる。
中央へ、柚月が入っていく。
一見、得点を狙うラン。
だが、柚月の目はボールだけを見ていない。
ブラジルDFの視線を、すべて自分に集めに行く。
実況
「中央に柚月! ブラジルのセンターバックも柚月を見ています!」
解説
「ここで柚月が囮になっていますね。中央を引きつけている」
渡瀬から柚月へ。
柚月は受ける。
しかし、止めない。
ワンタッチで左へ逃がす。
実況
「柚月、受けて……左へ流した! 左サイドが空いている!」
日比谷だ。
左サイドに、ぽっかりとスペースができていた。
ブラジルの守備は、柚月に釣られて中央へ寄っている。
日比谷は顔を上げる。
解説
「うまい! 今の柚月のワンタッチで、ブラジルの守備が完全に中央へ寄りました」
日比谷が左から折り返す。
低く、速い。
ニアでもファーでもなく、ペナルティアーク手前へ。
そこへ、柚月が戻ってきている。
中央で囮になり、左へ逃がし、もう一度、後ろのスペースへ入り直す。
その動き直しが、ブラジルのDFより半歩早い。
実況
「折り返し! 柚月が戻ってきた! ペナルティエリア手前、右足!」
柚月は迷わない。
右足を振り抜く。
低い弾道。
強烈。
ボールはブラジルDFの足の間を抜け、GKカミーラの視界から一瞬消える。
解説
「見えない! GKからは一瞬、見えないコースです!」
次の瞬間、ボールは左隅に現れた。
カミーラが飛ぶ。
しかし、指先は届かない。
ネットが跳ねた。
実況
「決まったぁぁぁぁ!! 柚月!! 日本、先制!!
前半31分、開催国ブラジル相手に、日本がカウンターから先制点です!!」
スタジアムの黄色い歓声が、一瞬だけ消える。
その静寂を裂くように、日本ベンチが爆発した。
解説
「これは本当に見事です。守って、奪って、右へ出して、中央で柚月が囮になって、左へ展開して、最後は柚月がもう一度入ってくる。
ブラジルのフィジカルを正面から受けず、視線と重心を動かして崩しました。日本らしい、素晴らしいゴールです」
柚月は拳を握り、叫んだ。
「入ったぁ!」
美里が抱きつく。
渡瀬が背中を叩く。
日比谷が笑いながら駆け寄る。
「囮うますぎ!」
「折り返し、完璧だったべ!」
「低いの、えぐい!」
柚月は一度だけ、ベンチサイドを見た。
そこには徹がいる。
そして、ユリの遺影。
写真の中のユリが、やさしく微笑んでいる。
柚月は胸の奥でつぶやく。
「ユリ、見でだべ?」
風が、ふっとピッチを抜けた。
答えのように。
実況
「日本、1対0! ただ、まだ前半31分です。ここからブラジルの反撃が来るでしょう」
解説
「そうですね。ここで浮かないこと。日本は先制しましたが、開催国ブラジルはここから一段ギアを上げてくるはずです」
美里が全員に声を飛ばす。
「締めるよ! ここから本気で来る!」
葵がゴール前でグローブを叩く。
「来い! 全部止める!」
主審がセンターサークルを指す。
スコアは、日本 1-0 ブラジル。
開催国の熱の中に、日本は確かな青い線を引いた。
前半41分――開催国の猛攻、そして“右手一本”
日本が先制してから、スタジアムの空気が変わった。
静まり返ったわけではない。
むしろ逆だ。
ブラジルのサポーターたちは、さらに声を上げ始めた。
太鼓。
歓声。
口笛。
まるでスタジアム全体で、ブラジル代表を前へ押し出しているようだった。
そして、その熱に応えるように、ブラジルの攻撃のギアが一段、いや二段上がる。
実況
「さあ、ここからブラジルの圧力が強まっています!」
前線でボールを受けた瞬間の初速。
身体をぶつけられても失わないキープ力。
一歩で間合いを変える突破。
さっきまで“止められていた”プレーが、少しずつ“押し込む”プレーへ変わっていく。
右サイドではベアトリス・シルヴァが強引に縦へ。
左ではカロリーナ・ジェズスが何度も裏を狙う。
中央ではルアナ・フェレイラが、狭い隙間に身体を滑り込ませて前を向こうとする。
日本は押し込まれる。
美里が叫ぶ。
「中、切れ! 外でいい!」
柚月も戻る。
「焦るな! ライン下げすぎない!」
だが、ブラジルの圧は本物だった。
一対一の局面で、ほんの半歩ずつ押される。
身体をぶつけられるたび、スタミナが削られていく。
それでも、日本は耐える。
なぜなら、原町監督が試合前に繰り返し言っていたからだ。
「余計なファールをするな。
開催国相手のセットプレーは、一番危険だ。」
だから飛び込まない。
不用意に足を出さない。
ギリギリまで身体を寄せ、コースを切る。
しかし――。
前半41分。
その“最大のピンチ”は、やってきた。
⸻
ブラジルの左サイド。
レチシア・ナシメントが深い位置まで侵入する。
日比谷が身体を入れる。
ボールはラインを割った。
主審の笛。
コーナーキック。
スタジアムが、一気に沸き上がる。
実況
「ブラジル、ここでCK!
開催国にとって大きなチャンスです!」
解説
「ここは危険ですね。
ブラジルはセットプレーでも非常に高さがあります」
ゴール前。
イザベラ・モラエス。
マリアナ・コスタ。
長身選手たちが次々と入ってくる。
葵が大声を飛ばす。
「ニア國武! 中央西野! ファー見る!」
國武がうなずく。
西野がマリアナに身体を当てる。
柚月はセカンド回収の位置へ。
キッカーは、ルアナ・フェレイラ。
左コーナーから、右足で蹴る。
インスイング。
ボールが、ゴールへ巻き込むような軌道を描く。
実況
「ルアナのキック! いいボールだ!」
その軌道は、単純なクロスではなかった。
ゴールのすぐ右後方。
GKとDFの間。
もっとも処理が難しい場所へ落ちてくる。
解説
「狙ってますね……!
直接ではなく、折り返しを使う形です!」
イザベラ・モラエスが飛ぶ。
ドンッ!
完璧なヘディング。
直接狙わない。
中央へ落とす。
そこへ、マリアナ・コスタが飛び込む。
実況
「落とした! マリアナ!!」
至近距離。
右足一閃。
強烈なシュート。
ゴール左へ叩き込まれる――
その瞬間。
青い影が、横へ飛んだ。
葵だった。
反応ではない。
ほとんど“勘”に近い。
いや、違う。
何度も映像を見て、
何度も共有し、
何度も頭に叩き込んだ。
「折り返しヘディングから来る」
その予測が、身体より先に動いていた。
葵は右手一本を伸ばす。
バチィィィン!!
鋭い音。
ボールが、グローブの先で弾かれる。
クロスバーの上へ。
実況
「止めたぁぁぁぁぁ!!
伊達葵、スーパーセーブ!!
日本、絶体絶命をしのぎました!!」
スタジアムがどよめく。
ブラジルの選手たちは信じられないという顔をする。
マリアナが頭を抱える。
解説
「これはすごい……!
ほぼ至近距離ですよ!
しかも折り返しからのシュートでGKの体勢は崩れていた。
それを右手一本で触りました!」
葵は倒れ込んだまま、すぐに立ち上がる。
「まだ!!」
その声で、日本の選手たちが一斉に戻る。
再びCK。
しかし今度は、國武が跳ね返す。
柚月が拾う。
大きく前へ蹴り出す。
主審が時計を見る。
前半終了間際。
日本は、なんとか耐えていた。
柚月が息を切らしながら葵の肩を叩く。
「今の、神。」
葵は苦笑する。
「いや、ギリギリ。
でも、“来る”って感じした。」
美里が振り返り、ゴールを見る。
「助かった……。」
その時、ふっと風が吹いた。
ベンチサイド。
ユリの遺影が、わずかに揺れる。
そして、誰かが笑った気がした。
「葵、おめぇの守備力、世界一だっちゃ。」
葵はほんの一瞬だけ目を細める。
「……ありがと、ユリ。」
スコアは、まだ1-0。
だが、その一点を守るために、
日本は全員で、開催国ブラジルの熱を真正面から受け止めていた。
前半アディショナルタイム――もうひとつの青い刃
前半45分。
第4審判が掲げたボードには、「+1」。
わずか1分。
しかし、ブラジルにとっては、前半のうちに追いつくための最後の1分だった。
スタンドの熱はさらに高まる。黄色と緑の旗が揺れ、太鼓が速くなる。
実況
「前半アディショナルタイムは1分。ブラジルとしては、なんとか前半のうちに追いつきたい!」
解説
「日本はここ、絶対に失点したくないですね。先ほど葵のスーパーセーブでしのぎましたが、ブラジルはまだ圧をかけてきます」
ブラジルはすぐに攻める。
ルアナ・フェレイラが中盤で受け、右へ、また中央へ。
ベアトリス・シルヴァが内へ絞り、マリアナ・コスタが最終ラインの間へ入り込む。
だが、焦りがあった。
前半のうちに。
追いつきたい。
このままロッカーに戻りたくない。
その思いが、パスの一つをほんの少しだけ強くした。
ルアナからアナ・クララへの縦。
足元ではなく、半歩先。
受け手が伸ばした足の先を、ボールがすり抜ける。
実況
「あっと、少しずれた! 日本が拾う!」
美里が反応した。
身体を前に入れ、ボールを奪う。
次の瞬間、もう顔は上がっていた。
「行ける!」
彼女の声が、日本のスイッチになる。
ボールは一気に前線へ。
強く、低く、鋭い縦パス。
ブラジルのDFラインは前がかりになっていた。
そこを、青い影が二つ突き抜ける。
中央やや左から國武。
右サイドから西野。
普段は守備で身体を張る二人が、まるで解き放たれたように前へ出る。
実況
「國武が上がる! さらに右に西野! 日本、守備陣が一気にカウンターへ!」
解説
「これはブラジルの戻りが遅れています! 日本、チャンスです!」
國武がDFを引きつける。
ブラジルのCBが慌てて中央を閉じようとする。
その瞬間、ボールは右へ流れた。
西野。
ペナルティエリア右へ侵入する。
ファーストタッチでボールを前へ出し、相手DFの外側を取る。
ブラジルDFは焦った。
このまま行かれれば、GKとほぼ一対一。
止めるしかない。
伸ばした足が、ボールではなく、西野の足にかかる。
西野が倒れる。
主審の笛。
ピィィィッ!
一瞬、スタジアムが止まった。
主審は迷わずペナルティスポットを指す。
実況
「PK!! 日本、PK獲得です!!」
ブラジルの選手たちが抗議に向かう。
だが主審は冷静にポケットへ手を伸ばす。
黄色いカード。
ブラジルDFにイエローカード。
解説
「これはPKでしょう。西野が先に入っていました。DFは完全に遅れています」
西野はゆっくり立ち上がる。
仲間たちが近寄る。
美里が肩を叩く。
「大丈夫?」
西野は短くうなずいた。
「蹴る。」
その言葉に、誰も驚かなかった。
自分で取ったPK。
ここで決める覚悟が、もう顔に出ていた。
柚月が少し離れた位置から声をかける。
「西野、いつも通りだべ。右隅、置くだけ。」
西野は小さく笑う。
「言わなくても、そこ狙ってた。」
ボールがペナルティスポットに置かれる。
ブラジルGKカミーラ・ロシャが両腕を広げる。
背後のスタンドは大歓声。
いや、もはや騒音だった。
だが、西野の耳には届いていないようだった。
深呼吸。
一歩、二歩、三歩。
主審の笛。
西野が助走に入る。
右足で、冷静にインサイド。
ボールは低く、速く、ゴール右隅へ。
カミーラは逆へ飛ぶ。
ネットが揺れる。
日本 2-0 ブラジル。
実況
「決めたぁぁぁ!! 西野、冷静にゴール右隅!
日本、前半アディショナルタイムに貴重な追加点!!」
解説
「これは大きいですね。前半の最後、ブラジルが追いつきに来たところを、日本が逆に仕留めました。しかも守備陣がカウンターでPKを取って、最後は西野が決める。チーム全体の意思が出たゴールです」
西野は大きく叫ぶことなく、拳を握る。
そこへ國武が抱きつく。
美里、柚月、日比谷、渡瀬が集まる。
「ナイス西野!」
「冷静すぎ!」
「守って、走って、決めるとか最高だべ!」
西野は少し息を乱しながら、短く言った。
「まだ前半。浮かない。」
その言葉に、美里が笑う。
「それ、私のセリフ。」
ブラジルはセンターへ戻る。
だがキックオフ直後、主審が時計を見る。
そして、前半終了の笛。
ピィィィィッ――。
前半終了。
日本 2-0 ブラジル。
開催国の猛攻を浴びながら、
日本は二度のカウンターで突き刺した。
一度目は柚月の低いミドル。
二度目は西野の冷静なPK。
スタジアムの熱は、まだ消えていない。
しかし、その熱の中に、確かな焦りが混じっていた。
日本はロッカールームへ向かう。
スコアは2点リード。
だが、誰も浮かない。
葵が最後にゴールを振り返り、グローブを軽く叩く。
「ここからが本番。」
柚月はベンチ脇のユリの遺影を一瞬見た。
(ユリ。前半、2点取ったよ。
でも、まだ終わってねぇ。見でてけろな。)
風が、少しだけピッチを渡った。




